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暗闇に灯る光
「アスラン!!」
愛しい少女の悲鳴の中、アスランは奇妙な浮遊感を感じていた。
歪む視界が唯一捕らえたのは、声の少女の悲痛な表情。
――そんな顔するな、カガリ
――俺は、大丈夫だから
そう言って安心させてやりたかったのに。
彼の口からは、言葉にならない声が洩れただけだった。
一瞬の激しい衝撃を感じるか感じないかのうちに、アスランの意識は闇に覆われていった。
■■■■■
目を覚ましたアスランは、自分の置かれた状況を理解できずにいた。
うつ伏せに寝かされた状態で現実と夢をたゆたいながら、無言の時が流れていく。
ぼんやりと記憶を辿るうちに、愛しい少女の悲痛な顔と、自分に向かって伸ばされた彼女の手が思い浮かんだ。
それを基点に、次々と自分の身に起きた事態が甦ってくる。
(そうか、俺はカガリを庇って――)
一瞬捕らえた微かな光。
それをカガリに向けられた銃口に太陽が反射したのだと、鋭い直感が感じ取った瞬間に身体が動いた。
そこから先の記憶がなかった。
(カガリは大丈夫なのか?)
周囲を見渡そうとするが、彼の視界は闇に閉ざされたままだ。
自分のいる場所がどこなのかすら解らない。
かろうじて理解できるのは、横たわっている場所が寝台の上だということ。
カチャ
扉が開く音。
寝台に身を起こそうとして、頭に激痛が走る。
「アスラン!」
聞き慣れた声に、アスランはほっとしたように寝台に倒れ込んだ。
「カガリ、無事か?」
「馬鹿! お前人の心配してる場合か!」
足音も荒くこちらに近付いて来る気配に、知らず知らず笑みが浮かぶ。
「俺はお前の護衛だぞ。お前の身を護ることが俺の役目なんだ」
「う・・・それは、そうだが・・・」
困り果てたように唸り、カガリが言葉に詰まる。
アスランはもう一度問い掛けた。
「それで、カガリは無事だったのか?」
「お前が護ってくれたから、何ともない」
「それならいいんだ」
ようやく安心したように深く息をつく。
すぐそばでカガリが「何言ってんだよ…」と小さく呟く声が聞こえ、アスランはそちらに目を向けた。
だが彼の目は変わらず闇しか映らない。
目を開けている感覚はあるのに何故?
顔に手をやるが、額に巻かれた包帯以外に顔を覆うものは何もない。
「カガリ、明かりは点いているのか?」
「え?」
「真っ暗なんだが・・・」
「・・・・・・」
ふと沈黙が降りた。
カガリが小さく息を飲む音が届く。
その瞬間、アスランはすべてを理解した。
「ああ、そうか」
部屋は暗くなどない。
そしてアスランは確かに目を開けている。
けれど―――視界が捕らえるのは一面の闇。
「俺の目が見えていないのか」
まるで他人事のような冷静な声が、静まり返った室内に溶けた。
■■■■■
「おそらく一時的なものでしょうな」
アスランを診察しながら、カガリに呼ばれて来たアスハ家直属の医師はそう診断を下した。
「すぐに治りますか?」
「ええもちろん。貴方は後頭部に激しい衝撃を受けましたから、そのせいで一時的に視力を失ったのでしょう。数日も経てば元に戻りますよ」
「良かった・・・」
医師の言葉にカガリが安堵の声を上げる。
「後頭部に衝撃・・・?」
思い当たる節がなく首を傾げる。
退室する医師を扉まで見送りに行っていたカガリが、アスランの傍に引き返しながら説明する。
「私を抱えて銃弾を避けた時に、お前足を踏み外して階段から落ちたんだ」
ああ、あの奇妙な浮遊感は階段を落ちる時に感じたものか。
そして額に巻かれた包帯と、時々ズキズキと痛む後頭部。
納得したように「そうか」と言って、アスランはカガリの気配のする方を向いて頷いた。
「お前、気を失って・・・。いつ目を覚ますんだろうって、すごく心配したんだからな」
「ごめん、カガリ」
でも、カガリが無事で本当に良かった。
オーブにとっても、世界にとっても、彼女はとても重要な存在だ。
彼女が死んでしまって、良いことなど何も無い。
ナチュラルはもちろんのこと、コーディネーターにとってもだ。
その存在を護れたことは、何よりの誇りだろう。
そして、アスランは一人の人間として彼女を必要としていた。
カガリを失えば、彼の中のもっとも大切なものが永久に失われるのは目に見えている。
護れて良かった。本当に――。
アスランは手を伸ばしてカガリを探し当てると、そっと抱き寄せた。
細い身体が微かに震えている。
泣いているのかと頬に手をやるが、涙は流れていないようだ。
「カガリ?」
戸惑う声が問い掛けるようにカガリの名を呼ぶ。
アスランの顔が心配に曇る様子に、カガリは慌てて言葉を探った。
「あ、あの、ごめん。心配させるつもりじゃないんだ・・・っ。離してくれ」
「カガリ」
身を捩って離れようとするカガリを強く胸に抱き、アスランは優しい声音で促す。
アスランの胸に抱き込まれたカガリは、しばらくもがいていたがやがて諦めたように身体の力を抜いた。
耳に微かに届くのは、規則正しい鼓動。
アスランは黙ってカガリの言葉を待っている。
「・・・生きてるんだな」
「ああ。心配かけたな」
「お前も、・・・私も」
「・・・ああ」
(やっぱり、怖かったんだろうな)
命を狙われたこと。
アスランが倒れたこと。
下手をすれば、どちらかの命が失われていたかも知れない。
カガリは、さぞショックだったことだろう。
「君は、俺が護る――」
あの時の誓いを確かめるように言葉に乗せ、アスランはカガリが落ち着くまでその身体を優しく抱きしめていた。
■■■■■
暗闇の世界に慣れるには、アスランを以ってしても時間が掛かった。
カガリやメイド達の助けもあり、何とか平穏無事に過ごすことができていたのだが、闇の中というものはいつもより感覚が研ぎ澄まされる。
少しの物音にも敏感に反応してしまい、日が経つにつれて精神的に疲れが溜まっていった。
特に夜になるとひどいものだ。
暗闇に加え、物音一つ無い静けさは、世界に自分だけしかいないのではないかという錯覚すら覚えるほど孤独なものだ。
こういう時に考えることなどロクなものではない。
闇の視界の向こうで弾ける閃光は、焼きついた戦争の記憶。
目の前で失われていった多くの命がアスランを苛む。
不気味なほど静かな空間には、自分の息遣いだけが虚しく響く。
眠りすらアスランの救いとはならなかった。
そんな毎日が続く中、カガリに会える一時だけが本当の安らぎだった。
「お前、大丈夫か?」
仕事を終えたカガリは、家に帰ると真っ先にアスランの部屋を訪れる。
本当は傍にいて護ってやりたいのに、今の彼では彼女の役になど立つはずもなく。
なのにカガリはいつだって優しい。
仕事で疲れているだろうに、こうしてアスランを案じる。
「顔色悪いぞ。頭、痛むのか?」
「・・・いや」
首を振って否定するが、顔色の悪さは隠しようがなかった。
「不安なのか?」
そっと背中を撫でた手の優しさに、堰を切ったかのように抑え付けていた感情が溢れた。
疲れた心にカガリの温かさは深くじんわりと染み込んでくる。
「闇の中にいると、今まで封印してきた様々なことが甦ってくるんだ。俺が、どんなにそれらから逃げ続けたかを思い知らせるように」
カガリの傍にいる日々があまりにも幸せで。充実していて。
思い出すたびに心を痛めながらも、過去のことなのだからと前を見続けてこれた。
辛い日々に沈んだ心は、カガリの優しさに救われてきたから。
だが、闇に覆われたこの数日間で、過去の記憶として仕舞い込んだものが溢れ出して止まらなくなった。
考えないようにすればするほど、より鮮明なイメージが脳裏に浮かぶ。
何度も、何度も、繰り返して。
光を失えば、こんなにも自分の心は脆かったのか。
「暗闇がこんなにも怖いものだとは、思いもしなかった・・・っ」
安らぎだった。
静かで、穏やかで。
冷たい時もあるが、闇は疲れた心と身体を休ませるものだった。
なのに今、闇は恐怖を伴って心を蝕んでいく。
両手で顔を覆い、不安を吐露するアスランを前にカガリは掛ける言葉を失った。
目が見えない。
それがどんなものなのか、カガリには解らない。
どんなに恐怖を覚えるものなのか。
それでも、少しでも助けになれればと精一杯の優しさを込めてアスランを抱き締めた。
――私がアスランにしてやれることは何だろう・・・。
護られてばかりでは駄目だ。
アスランがいつも私を助けてくれるように、私もアスランを助けたい。
頼れる存在でありたい・・・。
どれほどそうしていただろうか。
カガリは寄り掛かるようにして眠ってしまったアスランを、そっと大きなクッションに凭れさせた。
その寝顔は安らかなものだ。
彼女が傍にいるからこそ安心して眠りにつけたのだが、カガリにはそれを知る由もない。
しばらく考え込んでいたカガリは意を決したように立ち上がると、静かに部屋を出て行った。
■■■■■
次の日。
目が覚めた時からアスランは頭痛を感じていた。
だが、久しぶりにゆっくりと眠れたのはやはりカガリのおかげだろう。
いつもの時間になると朝食が運ばれ、その後はまたひたすら闇の中で一人過ごすことになる。
ところが、その日はいつもと違った。
「アスラン」
「カガリ、どうした? 仕事は?」
「今日はここでやる」
「え?」
驚くアスランに構わず、カガリは窓際にあるデスクに何やら重そうな音を立てて書類の束を置き、椅子に腰掛けた。
「今日はこの書類を片付ければいいだけだ。これくらいならここでやってもいいだろ」
そう言って悪戯っぽく笑う。
少しでもアスランの役に立てれば何よりも嬉しいと、一人の少女の顔で微笑むカガリは、アスランの目が見えないことが悔やまれるほど綺麗だった。
一方アスランは驚嘆のあまり、身体の動きが一時停止していた。
やがて闇に閉ざされた視界に、優しい光が生まれたような気がした。
見えないことに変わりはないのに、明らかに今までとは違う闇がアスランを包んでいる。
カガリの優しい気遣いが嬉しかった。
サラサラと紙面を滑るペンの音だけが室内に流れる。
今、アスランの部屋に居るのはカガリだけだ。
アスランはというと、庭をゆっくりと散歩しているところだ。
始めの頃こそ、頭部に強い衝撃を受けたこともあって数日はおとなしく寝ていたアスランだが、やはり寝たきりというのは耐え難いものがあり、暗闇に早く慣れるためにも部屋を出て庭を散歩することが日課になっていた。
今ではメイドの手を借りなくてもしっかりとした足取りで歩けるまでになっている。
ぽかぽかとした陽気はとても心地良いものだったが、アスランの表情は冴えない。
時間が過ぎゆくにつれて頭痛がひどくなり、アスランは歩くのをやめて一本の木に背を預けた。
痛みが治まるのをじっと待っていたが一向に引く気配はなく、力無く木の根元に腰を下ろす。
早く立ち上がらないとカガリが心配するのに。
「アスラン?」
庭に続く窓からカガリがひょいと現れた。
座り込んでいるアスランを見ると、心配そうに駆け寄る。
「どうしたんだ? 気分が悪いのか?」
答えようとするが上手く言葉が出て来ない。
頭痛はさらに痛みを増して、まるで鈍器で思いっきり殴られてでもいるかのようだ。
「アスラン!」
伸ばされたカガリの腕の中に、アスランの身体は崩れるように倒れ込んだ。
ほんの一瞬の間、気を失っていたようだ。
細い腕が懸命にアスランを支え、不安げな声が彼の名を繰り返し呼んでいる。
「アスラン、大丈夫か? なあ、アスラン・・・っ」
泣きそうなカガリの声に、アスランはうっすらと目を開いた。
すると、ぼんやりとだが視界に色が広がる。
(え?)
アスランはぼーっとした顔で、カガリを見上げた。
「・・・・・・カガリ・・・」
「アスラン?」
怪訝そうに首を傾げるカガリの頬に手を伸ばせば、柔らかな感触も、体温のぬくもりもある。
ぼんやりとしていた視界は、次第にクリアになって目の前に広がっていた。
「・・・見える」
「え?」
「目が見えるよ」
「・・・えっ・・・?」
大きく目を開くカガリに、アスランは優しい笑顔を向ける。
暫し茫然としていたカガリはハッと我に返ると、抱き締めていた腕を放してアスランの胸倉を掴み上げた。
「ほ、本当か!?」
「っ・・・、本当だ・・・」
唐突に乱暴な扱いを受けたため息を詰まらせたが、アスランは笑みを崩すことなく答えた。
みるみるうちにカガリの表情が明るくなっていく。
「ちゃんとカガリの顔が見えるよ」
「・・・よ・・・良かったぁ・・・っ」
泣き笑いのような不自然な表情でありながら、とても綺麗な笑顔はまるで彼女の内側から温かな光が洩れているかのように、見ているだけで心が安らいだ。
込み上げてくる愛しさのままに、アスランは強くカガリを抱きすくめた。
「心配かけてごめん」
万感の想いを込めた澄んだ声は、優しく大気に溶けた。
「お前、もう大丈夫なのか? さっきまでひどい顔色だったじゃないか」
一頻り抱き合った後、身を離したカガリが尋ねた言葉に、アスランはそういえばと額に手をやる。
まだ僅かに痛みを感じるものの、目が見え始めた頃からいつの間にか気にならなくなっていたのだ。
今思えばあれは視力が戻る前兆だったのだろうか。
「もう平気みたいだ。どこも何ともないよ」
「そうか、良かったな。あ、私医師(せんせい)呼んでくるよ。一応検査を・・・」
立ち上がりかけたカガリの腕を掴んで引き止める。
不思議そうに見つめてくる琥珀の瞳を見据え、アスランは再び彼女を腕の中に戻した。
「アスラン?」
「もう少し、カガリと居たい」
せっかく見えるようになったのだから。
頬を赤く染めて困ったように見上げてくるカガリを、アスランは優しく目を細めて見下ろした。
ゆっくりと顔を近付けていくと、アスランの意図を察してカガリはさらに赤くなる。
それでも逃げ出そうとはしない様子に嬉しそうに口元を綻ばせると、そっと唇を触れ合わせていった。
光を失って闇への恐怖を覚えた数日間。
だけど、カガリさえいればまたこうして強く在れる。
いつでも彼の心を救ってくれるのは、変わらない、日溜りのような笑顔と温かな言葉。
柔らかな唇を味わいながら、穏やかな幸福感がアスランの胸いっぱいに広がる。
静かで美しい庭園は、太陽の光を浴びて優しく二人を照らし包み込んでいた。
END
失明ネタでした。元ネタは意外なものです(笑)。
アスランが危うく暗所恐怖症になるところでした(汗)。
アスランとカガリは護り護られ、支え支えられの関係なのが良いですね。
少しでもそんな二人の信頼感が出せていれば良いのですが・・・。
ちなみにこの話の時間軸は・・・運命前でしょうか?
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