春待ちの花 一





真冬の張り詰めた冷気の中、水沢楓は胴着姿のままあぜ道を走っていた。

袴の裾が泥に汚れるのも構わず、ひたすら前だけを見つめて駆ける。
常に明るい笑顔を絶やさない彼女だったが、今は不安に顔を強張らせていた。

道場で竹刀を振るっていた彼女のもとに、突如もたらせられた悪夢のような報せ。
頭の中でぐるぐると繰り返される言葉は、恐怖という暗い影だけを運んでくる。

“あんたの家が不逞浪士に荒らされているよ!”

近所に済む女性が道場に駆け込んで来るなり、呼吸を整える暇も惜しいとばかりに叫んだのは、水沢楓の日常を無残に壊す最初の亀裂。

(お母さん、お姉ちゃん、無事でいて!!)

家で留守を守っているであろう二人の身を案じ、楓の目尻を汗とは違う雫が伝う。

家が荒らされても、金目の物が奪われても、今は二人が無事でさえいればいい。
そうしたら、三人でまた一から頑張れば良いのだから。


だからお願い、二人とも無事でいて   



ようやく家の前に辿り着くと楓は壊された木戸を超え、複数人に土足で上がりこまれた痕跡の残る家の中に駆け込んだ。

「ああ、楓ちゃん、帰って来たんだね!」

楓を見て安堵の声を上げたのは、見慣れた近所の女性達だ。
そして部屋の中央で女性達に守られるように横たわる母の姿を見るや、楓は血相を変えて駆け寄った。

「お母さん、大丈夫!?」

「楓ちゃん、八重さんのことはあたし達に任せて、藤乃さんを探して!」

「え?」

どういうこと、と問いかけると、女性達は痛ましげに顔を歪めた。
その口から語られた言葉に、楓は心胆から凍りつく。


静かな農村に突如響き渡った女性の悲鳴に、声を聞きつけた近所の人達が駆けつけた時、楓の家は見るも無残な状態だった。
突然家に上がりこんだ不逞浪士達は好き放題に家の中を荒らし、制止しようとする村の男達に刀を振り回して威嚇しながら、その後ろで何人かの浪士達が楓の姉である藤乃を辱めたのだという。

少ない金品を奪って浪士達が去った後には、辱められた藤乃と娘を助けようとして暴力を振るわれた八重が痛ましい姿で倒れていた。
その後女性達が藤乃と八重を介抱し、男性達が滅茶苦茶にされた家の中を片付けようとしたのだが、ふと気付くと藤乃の姿が消えていた。
混乱の中、いついなくなったのかは解らないが、藤乃の姿がないことに気付いた後は男衆が藤乃を探しに行ったという。

事情を聞いた後、楓も家を飛び出して姉の姿を探し回った。
知り合いや友人、道場で共に学ぶ門下生達も協力して懸命に探し続けたが   


翌朝、藤乃は変わり果てた姿で見つかる。


春には幼馴染との祝言を控え、幸せな未来が拓けていたはずだった花は、春を待たずに枯れ果てた。





■■■■■





「つ、着いた・・・」


西本願寺の門前に立ち、楓はほ〜っと長い息を吐く。
ここまでの道程は決して楽ではなかったけれど、この場所は誰に聞いてもすぐに解ったので随分助かった。

京で知らない人はいないほど、有名な組織“新選組”の屯所。
慣れない京の町で散々迷ったが、道を尋ねれば皆すぐに答えてくれた。
誰もが視線に“物好きだね”という思いを乗せ、言葉の最後には「目を合わせないようにね」と続き、どんだけ恐れられてんのよと呆れてしまう。

(後は、あの人が居てくれればいいんだけど)

期待と不安を胸に、楓は意を決して広い境内に足を踏み入れた。



誰かいないのかな。

住人の姿を探し求めてきょろきょろと視線を泳がせるが、広大な敷地には参拝する人や子供達の遊ぶ姿は見られても、新選組隊士らしき姿は見当たらない。
それでも諦めずに探し続けていると、一般の人が立ち入れないようになっている大きな建物の前に辿り着いた。ここが新選組の屯所に違いなさそうだ。

注意深く中を窺っていた楓は、竹矢来に仕切られた向こうに庭掃除をしている若衆姿の小柄な人影を見つけ、咄嗟に駆け出した。


「あの、少しいいですか?」

「はい、何か御用でしょうか」

息を切らせて駆け寄る楓に、少年は驚いたように目を瞬かせながらも掃除の手を止めて丁寧に応じてくれた。良かった、話がわかってくれそうだ。

「こちらに山崎烝さんという方がいるはずなのですが、取り次いでもらえますか?」

「山崎さん、ですか。少々お待ちください」

少年にしては柔らかく澄んだ声でそう言って、建物の中へと走り去っていく。

新選組というのは荒くれ者の集まりだと聞いていたけれど、先程の少年はそんな風には見えなかった。むしろ育ちが良さそうで、楓よりもおしとやかな感じがした。
あの子も隊士なのだろうか。

そんなことを考えていると、少年が走り去った方向から一人の男性がこちらに向かってくるのが見えた。
近づくにつれて明確になる男性の姿に安堵する。間違いない、会いたかった人だ。

その人物は怪訝そうな表情で楓を見やり、切れ長の目を丸くした。どうやら覚えていてくれていたようだ。

「君は確か・・・」

「お久しぶりです、烝さん。水沢楓です」

「ああ、久しぶり。だが何故君が京にいるんだ? 俺にいったい何の用なんだ」

「お願いがあるんです。姉の敵を探して下さい!」

怪訝な色を隠せない彼に、単刀直入に切り出した。
山崎はますますわけが解らない、と眉根を寄せたが、彼女の訴えを一蹴することもなかった。

「どういうことなのか説明してくれないか。君の姉君といえば確か・・・藤乃さん、だったか?」

「はい・・・。姉は死にました・・・。いいえ、殺されたようなものです」

搾り出した声が震えるのが解る。
未だに、あの時のことを思うと昂ぶる感情を抑えることができない。


楓は必死に気を落ち着かせながら、屯所まで訪ねた理由を訥々と話した。

一月前に起きた惨劇を   

早くに父を亡くし、男兄弟もいない女三人での慎ましい暮らしを突如踏み荒らした不逞の者達。
彼らは決して多くはない金子を奪い、父や祖父の形見の太刀を奪い、母や姉を踏み躙った。
浪士達に乱暴された後、姉は自ら命を断ち、元々病弱だった母は心労のため酷く衰弱して、今も起き上がれない日が続いている。

そんな母を近所の女性達に託し、楓は浪士達の足取りを追って一人大坂から上京した。
母にも、義兄となるはずだった人の家族にも散々に反対されたけれど、大事な家族を奪った浪士共を許せるわけがなかった。

そんな時、ふと思い出したのは京で不逞浪士の取締りを行っている浪士集団の存在。
そして、数年前に亡くなった祖父が懇意にしていた針医者の息子が、その浪士集団に入隊したという話。


「だから私はここに来ました」

新選組の山崎烝さんに会うために。

感情の制御に苦慮しながらも何とか話し終えた楓に、黙って聞いていた山崎は同情の色を浮かべながらも冷静な声音で問う。

「話は解ったが、その浪士達は確かに京にいるのか? まだ大坂に留まっているか、別の地に向かっている可能性は?」

「母の話ではそいつらは尊攘志士と名乗っていたそうです。金品を奪う時にも「京への駄賃に役立ててやる」と言っていたと。それに、京の町の人達に浪士達のことを訊いたら、何人かの人がそれらしい浪士を見たと教えてくれました」

現在、多くの浪士が京に集まっている。
彼らは自らを尊攘志士と名乗っているが、本当に日本を憂う志士はそのうちの何割かだろう。
大半はあの不逞浪士達のように、弱者から金品を奪うならず者ばかりだ。
この京の町でも、横暴に振舞う彼らに迷惑を掛けられる人達を何人も眼にした。
その中に姉の仇がいないかと必死に探したが、残念ながらまだそれらしい人物に会っていない。

仇の一人には顔の右側に大きな痣があること、またある一人は頬に傷があることなど、目撃者達から聞いた浪士の特徴を伝えると、山崎は成る程と頷いた。

「では、幹部の方々に伝えておこう。巡察の折、気に掛けて下さるだろう」

「お願いします」

本当は、すぐに見つけてほしい、と言いたかったが、その言葉だけで我慢する他ないのだろう。
京で暴れまわる浪士は大勢いるのだ。一人の意見ばかり優先している暇なんてない。
だけど、これだけは訊いておきたい、と楓は山崎に詰め寄るように問いかけた。

「見つけたら捕らえてくれますか? すぐに知らせてくれますか?」

「実際に浪士が町の人に迷惑を掛けている現場でなければ捕まえるのは難しいだろう。知らせるかどうかは、俺一人の判断ではどうすることもできない」

「そんな・・・っ」

「済まない、俺に言えるのはそれだけだ」

「・・・・・・っ」

苦しげに詫びられ、楓はくっと唇を噛んだ。

解っている、話を聞いてくれて気に掛けてくれると約束してくれただけでも、山崎に相当の迷惑を掛けているはずだと。
それでも、感情がついていかない。

そんな楓の心情を見透かしたように、山崎が真剣な眼を向けた。

「無茶はしないように。君に何かあったら、それこそ御母上はどうなる。軽はずみな真似は決してするな」

俯きながらも小さく頷いたのを確認し、山崎は屯所の中に戻って行った。

しばらく立ち尽くしていた楓は、庭掃除を再開する少年の心配そうな表情に気付くと小さく頭を下げ、静かに立ち去った。





■■■■■





山崎や新選組にばかり頼るわけにはいかないと、楓は情報を求めて京の町を歩き回ることに決めた。
探し続けていれば有力な情報はもちろん、運が良ければ仇を見つけることもできるかも知れない。

宿に戻ると早速髪を結い直し、袴姿となる。
腰には奪われた父の形見の太刀と対になる小太刀を差し、若衆に扮した。
自分の姿を鏡で確認した時、ふと思い浮かんだのは新選組屯所で出会った若衆姿の少年だ。

(あの子、私より小さくて華奢だったな・・・)

まだ子供だからだろうか。

不思議そうに首を傾げつつも、すぐにそんな疑問を消し去り、京の町へと足を踏み出した。



賑わう町の中、仇の浪士達のことを尋ね回っていた楓は聞こえてくる喧騒の音にふと異変を感じ、元を探そうと視線を巡らせた。

町を行く人達がそそくさと道の端に寄る。慌てて建物の陰に隠れる者もいた。
そんな中を、浅葱色の集団が歩いてくるのを視界に捉える。

(新選組・・・)

町の人達から注がれる恐怖の視線や、物陰に身を潜める浪士の憎しみの視線を浴びながらも、颯爽と背筋を伸ばして前進する浅葱色の武士達。
その中に、埋もれるようにして歩いている小さな人影に気付き、楓はあれ、と首を傾げた。
それは間違いなく、屯所で山崎に取り次いでくれた少年だ。
だが、他の隊士達と違って浅葱色の羽織を着ていない。なのに先頭に近い位置を歩いている。

少年から眼を離せないでいると、ふと傍に立つ娘達の会話が耳に届く。

「見て、原田さんよ、素敵ね!」

「本当、いつ見ても好い男ね〜」

うっとりと頬を染める娘達の視線は、集団の先頭を歩く長身の男に注がれている。
確かに、娘達が騒ぐだけはある色男だ。

「新選組って、よく見たら良い男ばかりよね」

「いいなあ、近くでお話してみたい!」

泣く子も黙る恐怖の集団である新選組だが、剣の腕が立ち、見目の良い男も多く、若い女性達からは憧れの対象となるようだ。
かくいう楓も、風貌はとにかく、剣を学ぶ者として彼らと手合わせをしてみたいという願望があったりするので、彼女達に共感する部分はあった。


浅葱色の集団が歩き去った後は、再び日常の喧騒が戻ってくる。

その中を、楓は浅葱の後姿を追って駆け出していた。



〈次〉

12.3.20up

・水沢 楓(みずさわ かえで)・・・この話の主人公。男勝りでお転婆、溌剌とした明るい性格。
・水沢 藤乃(みずさわ ふじの)・・・主人公の姉。心優しく淑やかな女性。故人。
・水沢 八重(みずさわ やえ)・・・主人公の母。病弱で床に臥せっている。



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