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春待ちの花 三
楓が新選組屯所で暮らすようになって、数日が過ぎた。
同室となった雪村千鶴との関係も良好で、屯所生活に不便はない。
千鶴と共に昼間の巡察に同行したり、空いた時間に剣の稽古に加えてもらう以外は、隊士達の雑用係りとして忙しく走り回る日々にも少しずつ慣れてきた。
楓と同じ日に入隊した新入り達は、何故か隊士ではなく小姓となった彼女を不思議そうに見ていたが、他の一般隊士達は千鶴の前例があるためか、一人増えた小姓に然程疑問を持つ者はなかった。
幹部達以外とはほとんど接触のない千鶴に対し、楓は一般隊士達の雑用を引き受けていることもあって彼らと話す機会も多く、明るい性格も幸いして短期間ですんなりと受け入れられたようだ。
一方、幹部隊士達の方は彼女に対して複雑な感情を抱いているようだ。
土方や沖田はあからさまに楓を厄介者として扱い、斎藤は何を考えているかさっぱり読めず、原田や山崎は楓を気遣ってくれるものの、彼女が屯所にいることを快くは思っていない様子だ。
無理矢理屯所に押しかけたのだから無理もないが、そんな中でも永倉や藤堂はそのあっけらかんとした性格からすぐに打ち解けてくれたし、何だかんだ言いつつも皆が楓の仇を捜そうとしてくれていることは解る。
いつまでも彼らに迷惑を掛けるわけにはいかない。
早く仇を見つけなければ。
そんな思いと共に、この日も藤堂平助率いる八番組の巡察に同行しながら、楓は注意深く周囲を窺っていた。
新選組が現れると、浪士達は物陰に隠れてしまう。
だが、殺気に満ちた鋭い視線は、余程鈍い者でない限り僅かなりとも感知できる。
殺気の元を追い、物陰に潜む浪士を観察しながら、楓は自分の視力が良いことに感謝する。
「ちょっとここらで訊き込みしてくるから、千鶴と楓も適当に待っててくれ」
楓達を振り返りながらそう言うと、藤堂は部下達と共にそれぞれ商家を検分するため散る。
千鶴は慣れたもので、新選組から離れないようにしながら町の人達に話しかけていた。
彼女も楓と同じように、行方知れずの者を探しているという。
彼女の場合は仇ではなく父親らしいが、その人物は新選組にとっても重要な人物らしい。
父親が新選組と懇意にしていたが故に、彼らに保護されている彼女を少し羨ましく思った。
「私も訊き込みしよう」
気持ちを切り替え、通行人に声を掛ける。
何人かと言葉を交わした頃、町の喧騒の中に突如怒声が轟いた。
「俺の言うことが聞けねえのか!!」
「ひ、ひいいい!」
視線をやると、乱暴な口調で叫ぶ数人の浪士達と商人風の男が言い争っているのが見えた。
言い争いというより、浪士達が一方的に商人に絡んでいるようだ。
「ど、どうかお許し下さい! このお金を取られてしまったら、私の家族が・・・っ」
「だから俺達が国事のために使ってやると言っているだろう」
「我ら憂国の志士に逆らう気か?」
浪士達の一人がこれ見よがしに刀を抜く。
恐怖に悲鳴を上げる商人を助けようとする者は、野次馬の中にはいない。
(いけない、このままじゃ!)
咄嗟に駆け出そうとする楓の脇を、浅葱色が風のように走り抜けた。
「そこまでだ!」
浪々と響き渡ったのは藤堂の声だ。
鋭い眼で声の方を振り返った浪士達は、浅葱色の隊服を見た途端時が止まったかのように硬直した。
「し、新選組・・・っ!」
ザッと波が引くように、浪士達と新選組を中心に人波が割けた。
「この俺の目の前で押し借りたあ、いい度胸じゃねえか!」
張り上げる声の調子も表情も、どこか生き生きしている。
どこからでも掛かって来いとばかりに刀に手を掛ける藤堂の姿に、浪士達は一様に顔色を失った。
そしてすぐさま踵を返し、一目散に逃げて行く。
「おいおい、もう終わりかよ」
拍子抜けしたように呟くと、藤堂は浪士達が落としていった財布を拾って商人に手渡す。
「あ、ありがとうございます」
「おう、気をつけろよ」
明るい笑顔を返し、平常を取り戻した人波の中で目敏く千鶴の姿を見つけた藤堂は小走りに駆け寄った。
「千鶴、次行くけどもういいか?」
「あ、うん。平助君は大丈夫だった?」
「当然だろ、あんな奴ら屁でもねえや」
照れたように笑う藤堂に、千鶴も笑顔を返す。
そして次に楓に視線を移し、問うてきた。
「お前も、もういいか?」
「あ、うん」
茫然としていた楓は気の抜けたような返事をする。
「どうした?」
「いえ、ちょっと驚いただけ」
その言葉に藤堂は不思議そうに首を傾げた。
「だって、藤堂さん達の姿を見ただけで浪士が怯えていたから。新選組って凄いんだなあって思って・・・」
あれだけ傲岸不遜に振舞っていた浪士達が新選組の姿を見ただけで震え上がっていた。
それだけ彼らが恐れられているということなのだろうが、実際に一部始終を眼にするとやはり驚いてしまったのだ。
「そうか? まあ俺達かなり無茶やったからなあ。最初の頃は不逞浪士より嫌われてて、助けても礼すら言ってもらえなかったんだ」
あの頃に比べれば今はマシだよなあ、と藤堂の顔に苦笑いが浮かぶ。
最初の頃というのがいつなのかは解らないが、楓が大坂にいた頃からも新選組の噂は耳に入っていた。
そして彼らがどれだけ恐れられているか、京に訪れて改めて知った。
だが、屯所で世話になりだしてから、彼らの人間らしい一面も見てきた楓は、こんなにも凄い集団に会えたことが誇らしく思えた。
同時に、彼らのような存在が“あの時”に身近にいてくれれば、と思わずにはいられない。
「さあ、巡察を続けるぞ」
藤堂の号令と共に、八番組は京の町の中を進みだした。
日が傾き始め、空が茜色に染まる頃、八番組は屯所である西本願寺へと向かっていた。
今日も仇の情報を得られなかったな、と肩を落とす楓の隣で、千鶴もまた浮かない表情だった。どうやら彼女も父親の手掛かりを得られなかったようだ。
そんな千鶴を藤堂は何度も振り返りながら、気遣わしげな視線を向けている。
そうしているうちに西本願寺の門を潜り、境内へと足を踏み入れた時。
西日に照らされ、鋭く煌く光が見えた。
何だ、と疑問に思った瞬間、藤堂は刀を抜き放っていた。
鋭く空を裂いた一閃と共に吹き上がる血飛沫が茜色の空に舞う。
「ぎゃあああ!!」
おぞましい悲鳴が上がり、崩れ落ちたのは一人の浪士だ。
取り落とした刀の刃が放った光こそ、先程眼に飛び込んできたそれだったのか。
「何だ、さっきの浪士かよ」
藤堂の視線の先では、昼間押し借りを働いて藤堂達に追い払われた浪士達の姿があった。
気がつけば藤堂の部下達もいつの間にか刀を抜き、浪士達と相対している。
不意打ちを狙ったはずが、逆に一刀の元に斬り伏せられた仲間の姿に、浪士達は動揺を隠せないでいる。
「千鶴、危ないから俺の後ろにいろよ」
「うん」
浪士達から眼を離さないまま紡がれた藤堂の言葉に頷き、千鶴は楓を促して彼らの邪魔にならないように後ろに下がる。
周囲には、身も凍るような殺気だけが満ちていた。
その出来事は、決して忘れられない光景となるだろう。
真剣で斬り合うのも、血を流して倒れる人間の姿も、楓はこの日初めて眼にした。
躊躇いもなく浪士を斬った藤堂達は、圧倒的な力量の差に戦意を失った彼らを縛り上げ、屯所に連行した。
この後、彼らがどうなるのかなど恐ろしくて聞くことなどできない。
斬らなければ斬られる。
この新選組という組織のもう一つの面をまざまざと見せつけられた気がする。
だが、これくらいで動揺していては駄目だ、と自分を懸命に叱咤した。
私が為すべきことは、こういうことなのだから。
姉を死に追いやった仇を、自分の手で殺す。
藤堂達に斬り臥せられた浪士達の姿は、未来の仇達の姿なのだ。
そう何度も自分に言い聞かせる。
だが、やはり初めて眼にした命のやり取りに、彼女の心身は想像以上に疲労しているようだ。
食欲もなく、早々に部屋に戻ってぼんやりと月を眺めていると、やがて夕餉を終えた千鶴が部屋に戻ってきた。
「あ、もう戻っていたんですね」
「うん、まあね」
元気のない楓の声に、千鶴の表情が心配そうなものとなる。
そういう心の機微には聡い娘のようだ。
この数日、千鶴と同室となって感じた印象といえば、この年下の少女がどことなく姉に似ている気がする、というものだ。
大人しく、控えめでありながら、芯のしっかりとした性質。
幼い頃からお転婆だった自分と比べても、姉の藤乃はとても気立ての良い娘だった。
体の弱い母を助けて家を支え、楓にとっても良き姉だった。
なのに そんな姉が生に絶望して死を選ぶほどに踏み躙られたのに、自分は助けることができなかった。
「なんだか千鶴ちゃんが羨ましいなあ」
「羨ましい、ですか?」
「うん。千鶴ちゃんは幹部の人達に守られているから・・・」
姉には助けてくれる人はいなかった。
あの惨劇が起きた時、楓は何も知らずに道場で稽古に励んでいたし、将来の夫となるはずだった青年は所用で遠くの町に出かけていた。
病弱な母とともに理不尽な暴力に晒され、姉はどれほどの恐怖を感じただろうか。
夕方、刀を振りかざす浪士達と立ち会った藤堂は、千鶴を守ろうとしていた。
千鶴に危険が及べば、彼女と親しくしている幹部達がすぐさま助けてくれるだろうが、藤乃は誰にも守られることはなかったのだ。
「姉さんを守ってくれる人は・・・いなかったから・・・」
哀しげに曇る千鶴の表情に、楓は申し訳なく思う。
彼女にそんな顔させたいわけじゃない。
藤乃の死は彼女にも新選組にも何の関わりもないのだから。
けれど、今だけは年下の貴女に甘えてしまう弱い私を許してほしい 。
そんな思いが、掠れそうな呟きとして唇から零れ落ちる。
「あんなに強い人達に守られて・・・いいなあ」
どうしようもないと解っていながら、弱音を吐く自分が情けなくて、楓は抱えた膝に顔を埋めた。
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夕餉を終えて自室に戻る途中、千鶴の部屋の前を通り掛かった沖田総司は障子戸の向こうから聞こえてくる少女達の会話に不快感を抑えられずにいた。
(千鶴ちゃんが羨ましい、ね・・・)
先日、無理矢理新選組に入隊しようとした娘の顔が思い浮かぶ。
彼女の必死さは伝わったし、自分も姉を持つ身なのだから彼女の悔しさも少しは理解できるつもりだ。
だが、彼女が藁にも縋る思いで口にした言葉が、どうしても許せない。
“でも、屯所にいるじゃないですか、女性が!”
“いますよね?”
彼女は解っているのだろうか。
自分の言葉のせいで、千鶴の命まで危険に晒したことを。
千鶴が新選組に身を置くことになった時、自分達は散々彼女に言い聞かせてきた。
邪魔になれば殺す と。
もしも楓が屯所に訪れたのがもっと早かったら、まだ千鶴が新選組に馴染んでいなかったら、千鶴の身は本当に危うかった。
親しくなる前なら、総司も千鶴を処分しろと躊躇い無く口にしていただろう。
しかし、千鶴の存在に心地良さを感じ始めてからは、総司も仲間達も彼女を殺したくないと思うようになった。
『鬼』という得体の知れない者達に狙われていると知ってからは、殺さない理由と守る理由ができて嬉しく思った。
だからこそ、彼女の平穏を脅かした“水沢楓”を疎ましく思う。
「総司、ここで何をしている」
「一君こそどうしたの?」
廊下の向こうから近づいてくる斎藤に、総司は問いを問いで返した。
斎藤は無言のまま視線だけを千鶴の部屋に向ける。
「ああ、今夜の見張りは一君なんだ」
新選組や千鶴のことで余計な詮索をさせないために、水沢楓を監視する。
千鶴は今回それに巻き込まれる形となった。
それもまた、楓を気に入らない理由だ。
「僕、あの楓って子、嫌いだな」
軽い口調で言いながらも、その眼は酷く冷徹な光を帯びていて、彼が本心を告げているのだと解る。
斎藤は同意も否定も口にせず、音も無く障子戸を開いて隣室に消えた。
〈次〉
12.5.10up
沖田さんに嫌われました(汗)。
彼はやはり新参者には厳しいと思いますし、
気に入っている子(千鶴ちゃん)の安全を脅かされたわけですので。
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