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春待ちの花 四
冬も終わる頃とはいえ、昼間でもまだ風は冷たい。
陽射しのぬくもりが愛しく感じられる中、千鶴と共に落ち葉を掃き集めていた楓は寒さで赤くなった鼻をすん、と鳴らした。
ふと、境内からきゃあきゃあと子供の声が聞こえてくる。
はしゃぐ子供達は寒さなどものともせずに、元気に駆け回っているようだ。
そんな子供達の輪の中に、一際目立つ長身の人物がいた。
「沖田さん」
楓と同じように子供達に視線をやった千鶴が、その人物の名を呟いた。
その声が聞こえたわけではないはずなのに、調度良く沖田の視線もこちらに向かう。
視界に楓と千鶴の姿を捕らえると、沖田は手招きしながら声を上げた。
「君もおいでよ、一緒に遊ぼう」
「え?」
「沖田さん、体調は大丈夫なんですか?」
戸惑う楓の横を擦り抜た千鶴は、沖田に駆け寄って気遣わしげに問いかける。
「平気だよ。土方さんが大げさなだけだって。それより、君暇でしょ? 僕達と遊ぼうよ」
「えっと、今はお掃除を・・・」
「もう一人いるからいいじゃない」
ちら、と楓に向けられた眼には一切の感情がなかった。
彼の誘いに、楓は含まれていないようだ。
千鶴は何とか断りの言葉を探そうとしているが、沖田や子供達に遊ぼう遊ぼうと纏わりつかれ、強く拒否できないでいる。
「いいよ、千鶴ちゃん。私一人で大丈夫だから」
「ですが・・・」
「その子もこう言ってるんだから、行こう」
千鶴が何か言う前に、沖田は強引に千鶴の手を取って子供達と駆け出してしまう。
沖田に引っ張られながらも、肩越しに振り返った千鶴は申し訳なさそうに楓に「後はお願いします」と頭を下げた。
遠ざかる彼らの後姿を見送った楓は溜息を一つ落とし、掃除を再開する。
正直、巻き込まれずに済んで良かったと思う。
子供は好きだが、沖田総司は少し苦手だ。
彼は子供や親しい人達に対しては無邪気な笑顔で何かとちょっかいを掛け、冗談を言っては笑っている所を見てきたので、明るくひょうきんな性格なのかと思ったが、親しい人達以外には冷淡な一面を見せる。
特に楓はあまり良く思われていないらしい。
屯所の中で顔を合わせても、無視されるか、「まだいたの」と冷たい口調で吐き捨てられるかのどちらかだし、巡察に同行しても彼は楓に一切声を掛けてこない。
町の人達と話している間に危うく置いて行かれそうになったところを、千鶴や他の隊士に呼ばれて慌てて一番組を追いかける羽目になるのだ。
無理矢理押しかけて迷惑を掛けているのだから、辛く当たられても仕方ないと自分に言い聞かせているが、やはり一声くらい掛けて欲しいとも思ってしまう。
箒を片付けていると、賑やかな声が近づいてきた。
視線を向ければ、永倉や原田、藤堂と彼らの部下達が数人談笑しながら屯所から出てくるところだった。
「よう、ご苦労さん」
楓に気付いた原田が労いを口にすると、藤堂はきょろきょろと辺りを見回して問うてくる。
「千鶴は? 一緒に掃除してたんじゃねえの?」
「あ、沖田組長と・・・」
子供と遊んでる、と明かしてしまって良いのだろうか。
葛藤する楓の様子に、幹部達はすぐに事情を察してくれた。
「総司の奴、また土方さんに怒鳴られるぞ」
「ま、俺達も人のこと言えねえけどな」
悪戯っぽく笑う永倉の言葉に、彼らが向かう先が容易に想像できた。
隊服を着てはいないのだから巡察ではない。
そして、これから日が暮れようとする時間に男達だけで行く場所といえば、“あの場所”しかないだろう。
「島原、ですか?」
苦笑交じりに訊けば、思わせぶりな笑いが返ってくる。
「お前はこれから隊士達の夕飯作りだろ。頼んだぜ」
「はい」
楽しげに笑いながら屯所を出て行く彼らの姿を見送りながら、楓は夕餉の支度への活力が沸いてくるのを感じていた。
彼らが頻繁に島原に行くのは、酒を飲みたいというだけでなく情報収集の目的もあるのだと、彼らによく同行する一般隊士から聞いたことがある。
島原は様々な情報が行き交う場所だ。
そこで彼らは楓の仇の情報も調べてくれているようだ。
直接彼らに聞いたわけではないが、同行した隊士が永倉達の探す人物の特徴を小耳に挟んだらしく、それは楓が彼らに伝えた仇の特徴と同じだった為、知ることができた。
永倉も原田も藤堂も酒を飲むことも大好きだが、千鶴の手料理を食べることをいつも楽しみにしている。
だが、最近は夜の巡察がない日には島原に行くことが多いのは、やはり楓の為なのだろう。
彼らに報いるには、自分のやるべきことに全力を尽くすしかない。
だから、彼らの口に入るわけではないが、心を込めた手料理を隊士達に振舞いたいと思う。
屯所での朝は早い。
朝の気配を知らせる鳥の鳴き声で眼を覚まし、千鶴や楓が身支度を整えて朝餉の準備のため勝手場に向かう頃には、早起きの隊士はすでに朝稽古に励んでいるのだ。
障子戸を開けると、静かな雨音が耳に届く。今日の天気は雨だ。
昨夜遅くから降り出したそれは、今もしとしとと降り続いている。どうやらしばらく止みそうにない。
ただでさえ身も竦むような寒さが、一段と厳しく感じられた。
永倉達は雨に打たれなかっただろうか。
そんな心配が頭をよぎる。
楓の物思いは、ふいに前方に現れた意外な人物によって霧散した。
「おはようございます、土方さん」
「おう」
思わず足を止めた楓と対照的に、千鶴は少し足を速めて土方に駆け寄った。
土方は眠たげな目を千鶴に向けた後、楓に気付くと目線を鋭くする。
見惚れるほどの美貌と相まって、一層の迫力を秘めた刃のような鋭さに貫かれる。
「昨日も徹夜されたんですか?」
「まあな。片付けなきゃならねえ仕事が山程あるんでな」
土方の注意が千鶴に向けられると、張り詰めた糸のような緊張感が緩んだ。
「あの、朝餉には時間がありますし、よろしければお部屋にお茶をお持ちしましょうか?」
「ああ、熱いやつを頼む」
「はい」
千鶴の笑顔につられたのか、土方の口元にも笑みが宿る。
そして彼は楓に一瞥も寄越すことなく踵を返し、背を向けて立ち去った。
土方の姿が見えなくなると、楓はほ〜っと長い息を吐く。
「千鶴ちゃんて凄いね」
「え?」
「私なんて、土方さん見ると足が竦んじゃうよ」
楓の言葉に、千鶴は苦笑を零す。
「私も、ここに来た当初は凄く怖かったんですよ。でも、流石にもう慣れたみたいです」
そういえば、彼女が新選組と行動を共にするようになって三年の月日が経つと聞いた。
彼女も、新選組に預けられた当時は苦労したのだろうか。
自分も三年ほどここにいれば、彼らと笑い合えるのだろうか、と数年後の未来を想像してみる。
(でも、そんなに長く皆に迷惑を掛けられないよね)
少し寂しい気もするが、家で待つ体の弱い母を思うと、ここに長居はできない、と結論付ける。
朝餉を終えると、楓は千鶴とともに部屋で繕いものをして過ごしていた。
太陽はとっくに昇っている時間だというのに外は薄暗く、降り続く雨は一向に止む気配もない。
強くはないが、京の町を歩き回っていれば確実に濡れるであろう天気に、昼間の十番組の巡察に同行するかどうか決めかねていると、部屋を訪ねてくる人物があった。
「雪村」
「斎藤さん、何か御用ですか?」
障子戸の向こうから現れた黒尽くめの男に、千鶴は針を持つ手を止める。
「今日は雨が降っている。こんな日にあんたを外に連れ出して風邪を引かせるわけにはいかぬ」
故に今日は留守番しろ、と続く言葉に千鶴は消沈した様子で「はい」と答える。
「が、これから俺とともに見取り稽古をするならば付いて来い」
「いいんですか?」
はっと見上げてくる千鶴に、斎藤は無表情のまま小さく頷く。
そして深い瑠璃色の瞳が楓を見やる。
「あんたも来たければ来るといい」
「あ、はい、ありがとうございます」
答える声が知らず知らず硬く強張る。
気遣いはありがたく思うが、実は楓は斎藤のことも少し苦手だったりする。
無口、無表情な彼は何を考えているのかさっぱり解らず、とっつきにくいことこの上ない。
土方や沖田のように楓の存在を迷惑だと匂わせることもなければ永倉や原田、藤堂のように友好的でもない、本当に謎な人物だ。
快活な楓にとって、最も苦手とする類の男といえる。
しかし、千鶴は斎藤に随分懐いているらしく、彼の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべている。
そんな千鶴を見る斎藤の表情が、ふと綻んだように見えたのは目の錯覚だろうか。
道場では、隊士達の気合の篭った声が響き渡っていた。
昨夜は遅くまで飲んでいたであろう永倉が、疲れも酔いも感じさせない様子で部下達を指導している。
斎藤と千鶴は道場の端で壁を背に腰を下ろし、楓も二人に倣った。
しばらく斎藤の解説を交えて見取り稽古をしていると、沖田が道場に入ってきた。
彼は斎藤達に気付くと、こちらに近づいてくる。
「一君、手合わせしない?」
「総司、こんな所にいて良いのか?」
「一君まで僕を病人扱いしないでくれる? で、相手してくれないの?」
はい、と沖田に木刀を差し出されると、斎藤は逡巡するように木刀と千鶴を交互に見る。
「行ってきて下さい。私もお二人の手合わせを見たいです」
その言葉に、斎藤と沖田はまんざらでもないような表情となった。
そして木刀をしっかりと握り、静かに立ち上がる。
二人が木刀を手に向かい合うと、周りで稽古していた隊士達も手を止めてそちらに注目する。
部下の注意が逸れていても、永倉は何も言わなかった。
むしろよーく見とけとばかりに、腕組みして沖田と斎藤を見ている。
「はじめ!」
審判役を命じられた隊士が声を張り上げる。
同時に二人が木刀を構えた瞬間、ガラリと道場の雰囲気が変わった。
張り詰めた空気の中、研ぎ澄まされた刃のような覇気が二人から立ち昇る。
一瞬の視線の交差の後、先に動いたのがどちらかなのかすら解らぬ程の速さで互いの剣がぶつかり合う。
「す・・・凄い・・・」
凄まじい速さで繰り出される一閃一閃に釘付けになりながら、楓は思わず呟いていた。
こんなにも強い人達を初めて目にした。
自分ならば最初の一撃であっさり吹き飛ばされていたであろう、強烈な剣技の応酬。
楓の周囲にも剣の腕が良い者は何人もいたが、彼らは今まで見てきたどの剣士も歯が立たないほど強いと確信を持って言える。
楓が入隊しようとした日、自分を含めそれなりに剣の腕を持つ者を数人まとめて蹴散らした永倉といい、この場所には想像もできないような実力者が揃っているようだ。
ただただ感嘆するしかない中、「い、一本!」と勝負の終わりを告げる声が上がった。
勝者は沖田のようだ。
だが、楓の眼にはどちらの木刀が相手を打ち負かしたのか捉えきれなかった。
それほど速く、壮絶な試合だった。
おそらく沖田の勝利も、紙一重の差だったのだろう。
規定の位置に戻り、一礼した二人は互いに満足した様子で戻ってくる。
「どう、千鶴ちゃん。格好良かった?」
先程までとは打って変わって、いつもの悪戯っぽい笑顔を浮かべながら沖田が問う。
「はい、お二人とも凄かったです!」
控えめな千鶴にしては珍しく興奮を隠せない様子で、二人を賞賛する声も弾んでいる。
素直な褒め言葉に、二人は照れたようにほんのりと頬を染めた。
「まだどきどきしています。ね、楓さん」
突然話を振られたが、余韻に浸っていた楓は無意識のまま頷いていた。
「本当に凄かったです。感動しました・・・」
「そう? 喜んでもらえたなら良かったよ」
そう言いながら沖田の手が千鶴の頭を優しく撫でる。
あの大きな手が生み出す剣技を思うと、剣を学ぶ者として胸が熱くなる。
楓は二人に対する苦手意識も忘れ、思わず声を上げた。
「あの、良かったら私にも指導して下さい!」
三人の驚いたような視線が楓に注がれる。
だがすぐに沖田の表情が皮肉げに歪んだ。
「何で僕がそんなことしなきゃいけないのさ」
「あ・・・」
冷たく尖った声が楓の心に冷や水を浴びせる。
斎藤と千鶴に「じゃあね」と言い置き、沖田は現れた時と同じように飄々と道場から出て行った。
残された三人の間には気まずい沈黙が落ちる。
興奮から一気に谷底に落とされたように肩を落とす楓に、斎藤はやれやれとばかりに告げた。
「俺で良ければ見てやろう」
一見冷たく見えて、意外と面倒見が良い。
それが斎藤なのかも知れない。
その日、沖田に対する苦手意識は一層深まったものの、斎藤に対しては尊敬の気持ちがそれを上回る勢いとなった。
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深夜、斎藤は土方の部屋の前に立っていた。
「副長、斎藤です」
「入れ」
呼び掛けに、すぐさま返ってくる応えの後、音もなく障子戸を開けて室内に入る。
「様子はどうだ」
斎藤が腰を下ろすと同時に、土方は机に向かう姿勢のまま単刀直入に切り出した。
「今のところ何も問題はありません。雪村や新選組に踏み込んだ会話もありませんでした」
「そうか」
一段落着いたのか、筆を置いた土方は身体を反転させて斎藤と向かい合うように座った。
「千鶴は、大丈夫か? あいつは心労を溜めやすいからな」
今の状態が彼女の負担になってはいないか。
それは斎藤にとっても懸念することだった。
「今のところは」
答えながらも自信はない。
土方の言うとおり、彼女は自分がどんなに辛くとも周りに悟らせないように我慢してしまうだろう。
素直な性質から、あまり上手に隠し事はできないが、無意識に溜め込む彼女にとって目に見える形で疲労が見て取れるようになると、それはすでに深刻な事態と言える。
早く彼女に安穏とした生活を取り戻させてやりたい。
それは斎藤だけでなく、事情を知る者達全員の願いだ。
「ところで、市中の監察方から報告があった」
ふいに話が代わった。
土方に視線を向けると、睨むような菖蒲色と目が合う。
「最近、女が暴行されて金品も奪われる事件が起きているらしい」
「・・・・・・」
「永倉や原田によれば、島原の芸妓や舞妓にも乱暴を働く浪士共が出没するようになったそうだ」
力の弱い女を暴力で従わせようとする所業に嫌悪感が募る。
土方の口調も忌々しげだ。
「それは、水沢の仇に関係あるのでしょうか」
「手口や特徴が似ている部分があるのは確かだな。近いうちにお前らにも働いてもらうかも知れないからそのつもりでいろ」
「はっ」
胸が悪くなるような情報だが、これが水沢楓の仇に繋がるものであれば良いと思う。
昼間、自分が指導した娘のことを思い出す。
永倉が言っていた通り、筋は悪くない腕前だった。
女性にしては上背があり、長年竹刀を振るっていたというだけあってしなやかな筋肉もついている。
その辺のちんぴら程度ならば簡単に倒してしまうだろうが、やはり彼女は“女”だ。
男に混じって竹刀を振るうより、千鶴と共に繕いものをしている姿の方が自然に見えた。
このままいつまでも屯所に置くのは楓にとっても、千鶴にとっても、ひいては新選組にとっても良いとは言えない。
しばらく土方と言葉を交わした後、部屋を出た斎藤は雨上がりの夜空を見上げる。
「早く、すべてを終わらせねば」
暗い雲間にぼんやり浮かぶ朧月を瞳に映しながら、小さく呟きを落とした。
〈次〉
12.5.30up
今回は屯所の中でまったり日常を過ごしました。
次回から話が動く、はずです。
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