春待ちの花 五





何事もなく過ぎ去っていく穏やかな日常の中、日に日に募る焦燥感が楓を苛んでいた。

巡察に同行し、物陰に潜む浪士の中に姉の仇が紛れていないかと目を凝らす毎日。
何の成果もなくとぼとぼと屯所に帰る日が続くと、このまま仇を見つけることなどできないのではないかと不安になる。

新選組の力を借りれば、すぐに仇の情報も手に入るものだと、期待し過ぎていたのかも知れない。
彼らも手を尽くしてくれているのは解るが、京に数え切れないほど押し寄せている浪士達の中からたった数人を探し出すのは容易ではない。


夜、床について夜の静けさに身を横たえていると、大坂に残してきた母の姿が浮かんでくる。
数日置きに無事を知らせる手紙を出してはいるが、一人臥して待つ母の心労は如何許りだろうか。
近所の人達が気に掛けてくれているだろうが、娘を亡くして間もないというのに、もう一人の娘の心配までさせてしまっていることを心苦しく思う。


明日こそ、何か手掛かりを得られますように。

そう願いながら、目を綴じてゆるやかに訪れる眠りに包まれる。

だが、積み重なる不安と焦りは、確実に楓の負担となりつつあった。





「今日は俺の組の巡察に同行するか?」

朝餉の後、洗濯物を干していた千鶴と楓に声を掛けてきたのは、十番組組長の原田左之助だ。

「「はい!」」

答える声が重なり、思わず互いに笑みを交わす。
原田も軽く笑うと、「そんじゃ、後でな」と言い置いて建物の中に戻って行った。


洗濯を終え、千鶴と共に境内に向かうと、すでに十番組は準備を整えて整列していた。
隊士達に「よろしくお願いします」と二人で頭を下げ、列に加わると同時に原田が声を上げる。

「行くぜ、お前ら」

組長の号令と共に、十番組の巡察が始まった。


大通りを風を切って進む新選組の姿に、町の人達は慌てて道を譲る。

巡察に同行して間もない頃は居心地が悪くて仕方がなかった現象だが、新選組の強さを実感するようになってからはどこか納得するようになっていた。
以前の自分なら、この状況を楽しんですらいただろう。
しかし今は、遠巻きにこちらを見つめる浪士達を見定めるのに夢中で、楽しむ余裕はない。

暫く進んでいると、「止まれ」という原田の一声で隊の足が止まる。

「ここらで検分するぞ」

その言葉にすぐさま従い、十番組は数人ずつが組んで周りの商家へ入って行く。
原田もそれに続こうとしたが、ふと千鶴と楓を振り返った。

「楓、何かあっても絶対に無茶するんじゃねえぞ。千鶴も、あまり離れるなよ」

「はい」

「解ってます」

二人の返事に「良い子だ」と頷き、今度こそ背を向けて商家に向かった。

原田の後姿を見送り、自分も聞き込みに行こう、と周囲を見渡した楓は、原田を見送る姿勢のまま立ち尽くす千鶴に気付く。

「どうしたの、千鶴ちゃん」

「うん・・・、何だか原田さんの様子がいつもと違うような気がして・・・」

「そうなの?」

どこがどう違うのか楓には解らなかったが、千鶴の目には普段と違って見えていたようだ。
これも彼らとの付き合いの長さの違いだろうか。

解らないことを気にしても仕方がないと、楓は町の人達に声を掛けに行く。

何人かと言葉を交わしているうちに、楓は自分が十番組から離れてしまったことに気付いた。
そもそも今日、原田が検分の為に立ち止まったのは大通りから外れた入り組んだ場所だ。
細い道に入り込んでしまっては、抜けるのに時間が掛かる。

これ以上離れないように、一旦この道を抜けよう。
そう考えて来た道を引き返そうとした時、道の奥から切羽詰った声が聞こえた。

「離して下さい!」

微かに届いた女の声に、楓は咄嗟に声の元を探す。

入り組んだ道の一角で、蠢く影のようなものが見えた。
一瞬どうするべきか迷ったが、このままでは見失ってしまうと判断し、影の方に駆け出した。


「大きな声を出すな」

「大人しくしていろ!」

男達の声と共に、パン、と何かを叩くような音。直後に上がる女の悲鳴。
それらが耳に届いた瞬間、楓は考える間もなく声を張り上げていた。

「何をしている!」

楓の声に、物陰から浪人が顔を見せた。

「何だ貴様は」

「関係ねえ奴は引っ込んでろ!」

「助けて!」

建物の影に隠れて姿は見えないが、女の声と共に必死に暴れているような物音が聞こえる。
状況を理解するや、楓の中に怒りの炎が燃え上がる。

「嫌がる女をどうするつもり?」

スラ、と刀を抜くと、数人の浪人達が下卑た笑みを浮かべながら刀に手を掛けた。
そのうちの一振りに目が釘付けとなる。

「あんた達、その刀はどうしたんだ?」

「何のことだ?」

訝しむ浪人達の顔をよくよく眺めてみると、一人の頬に傷があった。
そして彼らの奥で女を押さえつけていた男が肩越しに振り返り、その顔の右側に大きな痣を見た瞬間、楓の中で何かが焼き切れた。

「お前らが・・・お前らが・・・っ」

渦巻く怒りの感情が、冷静さを奪う。
痣の男に押さえつけられながらも、助けを求めるように白い手を必死にこちらに伸ばそうとする女の様が、最愛の姉の姿と重なる。


「うあああああ!!!」

咆哮を上げ、楓は力任せに浪士達に斬り掛かった。
しかし、あまりに単純なその攻撃はあっさりと受け止められてしまう。

だが最初の一撃を止められても、怒りのままに振り回す剣の統一性の取れていない太刀筋が幸いにも浪士に反撃の隙を与えなかった。
一閃の力は弱くとも何度か剣先が浪士を掠り、僅かなりとも傷を付けることに成功する。
それが浪士達の怒りを煽り、苛立たせる結果となる。

無茶苦茶に剣を振り回していた楓にやがて疲れが見え始めると、浪士達の反撃が始まった。

「邪魔だ小僧!」

怒声とともに繰り出された一撃を、咄嗟に刀で受ける。
酷く重い衝撃に、刀を取り落としそうになるのを必死に耐えた。
先程の無謀な攻撃のせいで、腕に力が入らなくなっている。

狭い道のお陰で大勢に囲まれる心配はないものの、一人の刀を受け止めるのに精一杯の楓には、もう一人の攻撃を防ぐことができなかった。

「死ね!」

鋭い切っ先が楓を襲う。
必死にそれを避けようとしたが、右肩に焼けるような痛みが走った。

「くうっ!」

疲労していた腕の力が急激に失われていく。

よろめいた楓に、再び刀が振り下ろされた。
懸命に刀身を翳してそれを受け止めたが、衝撃に耐えられず刀を落としてしまう。
すかさずもう一人が楓を蹴り飛ばす。

「うあっ!」

まともに鳩尾を蹴られ、地面に尻餅を着いた。

痛みを堪えて立ち上がろうとする楓に、凶刃が襲い掛かろうとしたその時。


「楓!!」


鋭い声と、剣のぶつかり合う音が重なる。

「え・・・?」

楓を庇うように立つ人物の姿に、思考が途切れる。

(何故? どうしてここにいるの?)

疑問ばかりが頭の中に浮かぶ。

その時、複数の足音がこちらに近づいてきた。
翻る浅葱色を目にした瞬間、浪士達の間に動揺が起こる。

「まずい、新選組だ!」

「逃げろ!!」

そう叫びながら、慌しく走り去る浪士達。
道角の向こうに消えた後姿をぼんやりと眺めながら、楓は荒い息を繰り返す。

(たすかった・・・の・・・?)

「楓、大丈夫か?」

声の主を仰ぎ見、視界に映る顔をただ茫然と凝視する。

「何故、貴方がここにいるの・・・?」

問いを紡いだ直後、ふ、と意識が途切れる。

「楓!?」

自分を呼ぶ声を遠くに聞きながら、楓の全身から力が抜けた。





あたたかな温もりに包まれ、ゆっくりと意識が浮上していく。

「・・・?」

目を覚ました時、楓は自分がどこにいるのか、すぐには理解できなかった。
行灯の柔らかな光に照らされた部屋が、いつの間にか馴染んだ屯所の一室であると思い当たると、何故自分は寝ていたのだろうと素朴な疑問が浮かぶ。

(いつ布団に入ったっけ?)

外が暗いということは夜なのだろうが、自分が寝る前に何をしていたのか解らない。
とりあえず起き上がろうと腕に力を入れようとした時、右肩に激痛が走った。

「っ!!」

焼けるような痛みが、閃くように楓の中に記憶を甦らせる。

(そうだ、私、斬られたんだ・・・)

女の悲鳴に駆けつけた先で出くわした、姉の仇の浪士達。
父の形見の刀を我が物顔で腰に差し、またも女を踏み躙ろうとしていた憎い仇。
自分は無謀に立ち向かった末に返り討ちに遭い、殺されかけたのだ。

(でも・・・)

その後、京にいるはずのない人の姿を見たのは、夢だったのだろうか。
そしてあの後、自分はどうなったのだろうか。

わけが解らずに混乱していると、静かに障子戸が開いた。

「楓さん、目が覚めたんですね」

「千鶴ちゃん?」

現れたのはこの部屋の主であり、楓の同居人である少女だ。

「肩の傷が熱を持っていますので、あまり動かないで下さいね。痛み止め飲まれますか?」

「あ、うん、お願い・・・」

千鶴の手を借りて痛み止めを飲ませてもらい、再び布団に身を横たえると、楓は疑問を口にした。

「ねえ千鶴ちゃん、私どうなったの?」

「浪士に斬られて怪我を負ったんですよ。松本先生が手当てして下さって、深い傷ではないのでちゃんとと元通り動くようになるそうです」

「そっか・・・」

「でも、しばらくは安静にしていて下さいね。私、原田さんを呼んで来ます」

そう言って部屋を出た千鶴の小さな足音が早足で遠ざかっていく。

しばらく天井をぼんやり見つめていると、足音が近づいてきた。
千鶴が原田を伴って戻ってきたのだろう。

障子戸が開き、現れたのはやはり千鶴と原田だが、その後ろから土方まで現れたのは予想外だった。
目を丸くしてこちらを見つめる楓に、原田は優しい笑みを浮かべる。

「よう、目が覚めて良かったぜ」

「あ、ありがとうございます。ご迷惑をお掛けして申し訳・・・」

「まったくだ」

謝罪する楓の言葉を遮るように、土方の鋭い声が響く。

「お前の先走りのせいで、こっちの計画が台無しじゃねえか」

「え?」

視線を向けると、土方が苦々しい表情で楓を睨んでいた。
その隣で、困ったような表情で説明してくれたのは原田だ。

「実はな、あの辺でお前の仇らしい浪士が騒ぎを起こしている情報が入ってたんだよ。で、お前に確認させようと奴らを探していたんだが・・・」

「あ・・・」

そうとは知らず、楓が立ち向かったせいで浪士達は逃げてしまった。
おそらく彼らはこれまで以上に新選組を警戒してしまうだろう。

「で、でも・・・」

あの時、原田達を呼びに行っていれば、その間に浪士に襲われていた女性がどうなっていたか解らない。そう考えると、楓は自分の行動が間違っていたとはどうしても思えなかった。
だが、楓の言い分を聞いた土方の表情は厳しさを増すだけだ。

「で、一人で浪士に突進した結果がこれか」

嘲るように吐き捨てられた言葉に、楓は何も言えなかった。

「助けが入らなければ、お前も被害者の女も死んでいたかも知れねえ。特に浪士に襲われていた娘は、お前のとばっちりのせいで命を落としていたかも知れないってことを理解しているか?」

「・・・・・・」

あのまま楓が助けなかったら、あの娘は女性としての辱めを受けていたかも知れない。
だが、楓が冷静さを失って浪士達を怒らせたせいで、娘は巻き添えで命の危険すらあった。
助けが来るのが遅ければ、楓のせいで失われる命があったかも知れないのだ。

今更ながら、恐怖と悔恨が押し寄せてくる。

「申し訳、ありません・・・」

搾り出すように紡がれた言葉は、小さく掠れていた。

「お前を隊士にしなくて正解だな。てめえのせいで他の隊士の命まで危うくなる」

厳しい口調で断罪し、土方は苛立ちの感じられる動作で立ち上がるとそのまま部屋を立ち去った。

残された三人の間には、重苦しい沈黙が降りる。
娘への罪悪感と自分自身の情けなさに、きつく唇を噛む楓の目尻を一筋の涙が伝う。


ぽろぽろと涙を零す楓に掛ける言葉もなく、原田と千鶴は心配そうに彼女を見守っていた。





■■■■■





「楓、大丈夫かな」

広間にぽつりと平助の呟きが落とされる。

楓が目を覚ましたと、千鶴が報告に来て土方と原田が彼女の部屋に向かったのは、ほんの先刻のこと。
命に別状はないという松本の診断で幾分安堵したものの、しばらくは痛みに苦しむであろう楓を思うと心配になる。

「別にあの娘の自業自得じゃない」

楓に良い印象を持たない総司が冷たく言い捨てる。

「そんな言い方しなくても・・・楓の気持ちも考えてやれよ」

「本当のことでしょ。あの娘、新選組に迷惑掛けてばかりだし」

「けど、女が傷つくのは良い気分じゃねえよなあ」

「己が先走った結果だ。仕方あるまい」

人情家の永倉の言葉に、斎藤が冷静に返す。

「そりゃそうかも知れないけどさあ・・・」

無情とはいえ、総司や斎藤の言葉が正論だと解るが故に、平助も強く反論できなかった。

だが、楓の気持ちを汲み取ってやって欲しいとも思う。

(俺だって、大事な奴を傷つける奴は絶対に許せねえよ・・・)

相手が自分より強い奴でも、大事な者を守るために挑みかかるだろう。
だから、姉を死に追いやった浪士と出くわして、我を忘れた楓の気持ちも解るのだ。

確かに不味い部分もたくさんあったが、一概に愚かだと切り捨てて欲しくはない。


『俺がついていながら、申し訳なかった』

昼間、血塗れの楓を連れ帰った原田が、近藤や土方に経緯を説明した後そう言って頭を下げた。

『一番近くにいたのに、こんなことになって申し訳ありません』

松本と共に楓の手当てを終えて幹部達が集まる広間に戻ってきた千鶴も、酷く落ち込んだ面持ちで謝っていた。

楓の気持ちも解るからこそ、原田や千鶴もあれ程自分を責めていたのだろう。

大切な家族を突然奪われ、復讐を誓って京までやってきた若い娘。
彼女が最近思い詰めていることにも気がついていた。
これ以上彼女が傷つくことがないよう、出来るだけ早く彼女の思いを晴らし、家に帰してやりたいと願っていたのに   


「ところでさ、“あいつ”、どうしたんだ?」

思い出したように永倉が発した疑問に、平助も「あ」と声を漏らした。

「“あの男”ならば、今山崎と話している」

淡々と斎藤が答える。
平助は永倉と目を見合わせ、総司はつまらなそうに欠伸をする。

「何なんだろうね、あの人。さっさと斬っちゃえばいいのに」

「不逞浪士でもねえのに、簡単に斬れるか」

総司の言葉にそう返したのは、広間に戻ってきた土方だ。
眉間に皺を寄せ、不機嫌な様子を隠そうともせずにどっかりと腰を下ろす。

「あ、あのさ、土方さん、そう簡単に殺したりしないよな!?」

土方の怒りに腰が引けながらも、確かな確証が欲しくて問いかけてみる。
土方は鋭い眼光で平助を睨んだ後、長い溜息を吐いた。

「殺さねえよ。あいつにはさっさと水沢を連れて帰ってもらわなきゃならねえんだからな」


浪士の凶刃から楓を救った一人の剣士。
楓が新選組に身を置いていると知り、自分達に食って掛かった勇気ある男だった。

今、知己の仲である山崎と話し合っているであろう彼は、水沢楓の姉   藤乃の婚約者であったという。



〈次〉

12.6.20up

婚約者登場。
土方さんと沖田さん、本当に主人公に厳しいなあ(汗)。



ブラウザのバックでお戻り下さい