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春待ちの花 六
刀傷による高熱に浮かされ、楓は意識の朦朧とした状態が数日間続いた。
夢うつつの中、千鶴が甲斐甲斐しく看病してくれたり、山崎や松本先生が様子を診に来てくれたり、藤堂や原田が見舞いに訪れていたのをぼんやりと覚えている。
その中に時々ここにいるはずのない人を見たような気がするのは、やはり高熱が見せる幻覚だったのだろうか。
朝を告げる鳥の声に、楓は重い瞼を上げた。
けだるさは残るものの今日はだいぶ意識がはっきりしているようだ、と自分の状態を推し量る。
隣を見ると千鶴はすでに朝餉の支度に向かったのか、彼女の布団は片付けられていた。
喉の渇きを覚えて慎重に上体を起こし、枕元の盆の上の白湯に手を伸ばす。
怪我を負った肩は疼くような痛みを感じるが、極力動かさないようにしていれば耐えられないほどではない。
千鶴が何度も取り替えてくれた包帯にはもう血は付いておらず、傷は塞がってきているようだ。
ゆっくりと身を横たえ、傷に障らないよう落ち着くと、ふう、と安堵の息をついた。
静かな部屋の中でただぼんやりと天井の木目を見つめていると、徐々に先日の事件が思い出されていく。
浪士達のことは今でも滾るような怒りを感じる。
しかし、あの時の自分の行為はあまりにも愚かであったとも思う。
再び同じ状況に置かれた時、我を忘れないでいられる自信はないし、次こそは返り討ちに遭うかも知れない、誰かが巻き込まれてしまうかも知れないという不安もある。
(でも・・・それでも・・・っ)
幸せになるはずだった姉と、その婚約者や母の姿を思い浮かべると、感情を抑えることができない。
“お前を隊士にしなくて正解だな。てめえのせいで他の隊士の命まで危うくなる”
冷酷に言い捨てられた、土方の厳しい言葉が胸を刺す。
(土方さんの言う通りだよね・・・。私は結局自分と家族のことしか見えてないんだもの・・・)
新選組のために、とか。京の人達のために、とか。
言葉にするのは簡単だが、私情が絡んだ時に“誰か”のために行動することの難しさを痛感した。
“仕方ねえよ。土方さんはああ言ったが、お前の気持ちも解らねえわけじゃない。だがな、お前の帰りを待ってる人がいるのなら、あまり無茶はすんな?”
申し訳なさと自分に対する情けなさに涙を零す楓に、優しくそう言ってくれたのは原田だ。
彼や千鶴は決して楓を責めず、近くにいたのにすぐに助けてやれなくて済まなかった、とまで言ってくれた。二人のせいではないのに。
当たり前のように楓を気遣う二人に、ますます自分が惨めになった。
どうすれば彼らに詫びることができるのだろう。
どうやって彼らに恩を返せば良いのだろう。
迷惑を掛けるばかりで何もできない自分がもどかしい。
静かに障子戸が開く気配に、楓は思考に耽っていた意識を浮上させる。
「あ、目が覚めたんですね」
目線だけを向けると、盆を手にした千鶴がほっとしたように微笑んでいた。
「おはよう、千鶴ちゃん」
「気分はどうですか?」
「今日はだいぶ良いみたい。私、どれくらい寝てたのかな?」
「あれから五日経ちました」
五日も寝ていたのか。
驚きに眼を見張る楓に、千鶴は盆の上の器を手に問いかける。
「お粥、食べられますか?」
言われて湯気の立つ器の中を見た途端、ぐう〜っと腹の音が鳴り響き、恥ずかしさにかーっと顔に熱が集まる。
「い、いただきます・・・」
消え入りそうな声でそう言うと、千鶴は嬉しそうに「はい」と答えた。
千鶴の手を借りて粥を腹に収め、薬を飲んだ後は再び布団に横になる。
「では、安静にしていて下さいね。後で原田さん達も来られると思いますので」
そう言って千鶴は盆を手に部屋を出て行った。
(本当、良い娘だなあ)
しみじみとそう思う。
新選組屯所で過ごすようになって日は浅いが、短期間の付き合いながらも雪村千鶴という少女がとても善良な性質であることはよく解った。
働き者で器量も良く、家事は万能で控えめながら芯は強い。
無粋な男装さえしていなければ色々な男達から引く手数多だろうに、もったいないことだ。
(それにしても、どうして千鶴ちゃんは新選組にいるんだろう)
元々江戸の出身で、行方不明になった父を探して京に来たということは知っている。
新選組とは父との縁で世話になることになったとも聞いたが、何故わざわざ男装してまで新選組に身を置いているのだろう。
医者の娘であり、ずっと父親の手伝いをしていたというのなら、こんな男所帯に置くよりも松本良順の元にいた方が良いと思うのだが。
屯所内では幹部達以外との接触を控えさせ、外では一人で歩くことを禁じ、無理矢理男の格好をさせて彼女を籠の鳥のように扱うことに何の意味があるのだろうか。
楓の入隊を頑として認めなかった土方が、千鶴の存在を許しているのは何故だろう。
楓が見る限り、別に幹部の誰かと恋仲になっているわけでも、隊士として扱われているわけでもないのに、屯所に閉じ込めて置く理由が解らない。
つらつらとそんなことを考えていると、複数人の足音が聞こえてきた。
部屋の前で足音が止まり、障子戸の向こうから原田の声が「起きてるか?」と確認する。
どうぞ、と楓が答えると、障子戸が開いて原田や永倉、藤堂が顔を出した。
「やっと目が覚めたか」
「心配したんだぜ」
明るくそう言いながら順に部屋に入ってくる彼らに続いて、思いがけない人物が現れ、楓は大きく眼を瞠った。
「え?」
「目が覚めたんだな、良かった」
ほっと安堵の息をついて微笑んだのは、新選組にいるはずのない存在だった。
「な、直之さん・・・?」
日高直之。
楓と藤乃の幼馴染であり、春には藤乃と祝言を挙げるはずだった青年。
「何故、直之さんが・・・?」
京にいないはずの彼が、何故新選組屯所にいるのだろうか。
混乱する楓をよそに、新選組隊士でもないのに藤堂の隣に腰を下ろす彼を、幹部三人は当たり前のように受け入れている。
困惑の表情で幹部達と直之の顔に視線を彷徨わせていると、原田がおもむろに問いかけた。
「覚えてねえのか? 浪士に斬られそうになったお前を助けたのは日高だぜ?」
「え? ・・・・・・あ」
やはり、あれは夢ではなかったのか。
気を失う前に見た彼の姿は、幻などではなく現実のもの。
朦朧とした意識の中で朧気に見えた彼は紛れもない本物。
「ど、どうして?」
「どうしてもこうもあるか。八重殿やうちの親や近所の人達がどれだけ心配したと思っている。何故俺が帰るのを待たなかったんだ」
「あ・・・」
厳しく問い詰める直之の表情は抑えられない怒りのためか、硬く強張っている。
常に穏やかな彼がこれほど怒りを露にするのを見るのは初めてだ。
「心配掛けてごめんなさい・・・」
しゅん、と項垂れる楓の傍で直之が深い息を吐く。
彼に呆れられたのかと思うと、震えるほどの恐怖が込み上げてくる。
昔から正義感が強く、真っ直ぐな性質の直之は楓や藤乃にとって敬愛する兄のような存在だった。
そんな彼に失望されるのは何より辛い。
直之に嫌われることに怯え、震える楓の頭を無骨な手が優しく撫でる。
「藤乃のことは・・・残念だった。お前も辛かっただろう」
打って変わった優しい声音に顔を上げると、痛ましげに見つめてくる瞳と目が合った。
慈しみに満ちた眼差しと温かな手に慰められ、怒りと憎しみに雁字搦めになっていた心が解きほぐされていく。
「仇討ちなら俺がやる。だから、しばらく休め」
「なお兄・・・っ」
思わず幼い頃の呼び名が口をついて出た。
ギリギリのところで持ちこたえていた虚勢が崩れ、封じ込めていた傷ついた心からどくどくと血が溢れるが如く、悲しみが渦巻く。
ああ、自分はこんなにも辛かったんだ。
そう自覚するや、止め処なく涙が溢れて止まらなくなる。
ようやく、失った大切な姉の死を哀しんで泣き声を上げる楓を、直之は何も言わずに抱きしめた。
■■■■■
泣き疲れて気絶するように眠った楓の傍で、日高直之は飽きもせず彼女の寝顔を見つめている。
「お前さん、楓のことはどう思ってるんだ?」
楓の寝息だけが聞こえる沈黙の中、ふと原田は問いかけてみた。
新八と平助は巡察があると退室した為、部屋に残っているのは原田のみだ。
新選組の屯所で隊士でもない日高を自由にさせることはできず、彼は見張りとして傍に付いていた。
「大事な幼馴染です。本当なら義妹になっていた娘ですし、大切な存在です」
彼の言葉にも声にも偽りはない。
楓を見る眼にも、妹を想う兄以上の感情は見出せなかった。
実際、彼が楓の姉と結ばれれば義理とはいえ兄妹になるはずだったのだから当然かも知れない。
(これからどうなるかは解らねえがな)
少なくとも、楓には日高の存在が必要だろう。
ずっと張り詰めていた心を解放できるほど、彼女は日高に心を寄せている。
「じゃあ守ってやれや。楓やその母君を支えていけるのはお前さんだけなんだからな」
ちら、と原田に向けられた視線は険しいものだった。
“そんなことあんたに言われるまでもない”と言いたげに、眉間には深く皺が刻まれる。
どうやら彼は新選組に良い印象は抱いていないようだ。
真っ直ぐで融通が利かない男。
それが原田の日高に対する印象である。
一見斎藤と似たような性質かと思ったが、むしろ平助に近いように思う。
「楓が世話になったことや、仇を探してくれたことには感謝します。だが俺は、新選組を信用していない。京坂の人間を苦しめているのは不逞浪士もあんた達も変わりはないから」
新選組屯所でそんな言葉が吐ける無謀さは、彼自身の未熟さを露呈しているようなものだ。
その青臭さがどこか微笑ましく、原田は苦笑いを零す。
「けど、そんな俺達の手を借りなければお前達は仇討ちなんてできないぜ?」
「解っています・・・だから・・・」
渋々という態度を隠そうともせず、日高は搾り出すような声で言った。
「力を貸して下さい」
「良いぜ。俺からも土方さんに頼んでやる。その代わり、俺の頼みも聞いちゃくれねえか?」
原田の言葉に、日高は訝しげに彼を見やる。
新選組幹部である彼が、いったい何を頼もうというのか。
だが、彼の口から出た予想もしなかった言葉に、日高は一瞬言葉を失った。
■■■■■
楓が目を覚ましたという知らせはすぐに土方の元にも届けられた。
そしてその夜、新選組幹部数人と日高は千鶴と楓の部屋に集められた。
「市中の監察方からお前の仇の情報が入った」
土方の言葉に、楓と日高の表情が固くなる。
「今度こそ、失敗すんじゃねえぞ」
話を終えた後、そう言い結んだ彼に楓は頷きを返す。
もう二度と新選組や、京の人達に迷惑を掛けたくはない。
楓一人なら恐怖に竦んでいたかも知れないが、傍にある心強い存在に支えられ、土方を真っ直ぐに見詰めながら彼女は言った。
「全力を尽くします。ですから、どうか私達に力を貸して下さい」
深々と頭を下げる楓の背や肩を、原田や藤堂、永倉が優しく叩く。
「任せとけ」
「次こそ仇討とうな!」
顔を上げた彼女の眼に、力強く笑う彼らが映る。
その後ろでは厳しい表情のままの土方や、無表情の沖田や斎藤の姿もあったが、彼らの眼にも楓を拒絶するような色はなかった。
そして楓の傍ではほっとしたように微笑む千鶴と、固い表情のままの日高が楓を支えてくれている。
日高の腕の中で思いっきり泣くことができたからか、楓の表情は随分と晴れやかに見えた。
その様子に、原田は微笑ましげに眼を細める。
(日高が傍にいるんなら、楓は大丈夫だろうな)
二人の関係がこの先どうなっていくのかは当人同士の問題だ。
だがどんな形であれ、楓には幸せになって欲しいと思う。
ふと、日高と原田の視線が交錯した。
(約束、忘れんなよ)
そんな言葉を瞳に込め、原田はにやりと笑った。
〈次〉
12.8.10up
・日高直之(ひだか なおゆき)・・・藤乃の婚約者。実直で真面目な性格。年齢は沖田と同じ位。
原田さんはやはり少しおせっかいな兄貴ということで(笑)。
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