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春待ちの花 七
楓が目覚めた翌日より、彼女の世話は直之に一任されることになった。
着替えや包帯の取替えなどは千鶴の手を借りるが、日中は常に直之と共に室内で過ごす。
それは客人という名目で滞在を許されたものの、隊士でもない直之を屯所内で自由にさせないよう、楓と一纏めにしておくためだ。
迷惑を掛けているのはこちらなのだから、楓にも直之にもその決定に異議はない。
「千鶴ちゃんはずっと君のせいで外出できなかったからね。今日は久しぶりに一君と巡察に行ってるよ」
朝、千鶴ではなく直之が沖田と共に部屋に入って来た時、不思議そうに疑問を口にした楓に沖田は棘を含ませながら答えをくれた。
何日も千鶴の時間を自分のために使わせてしまったことを申し訳なく思っていた楓は、ようやく彼女が自分の看病から解放されたのかと安堵する。
「ありがとうございます」
素直に礼を言う楓に沖田はふん、と鼻を鳴らして冷たい視線を直之に向けた。
「そこの君も、この屯所では余計なことしないで大人しくしててよね。もし僕らの邪魔になるようなら、斬っちゃうかも知れないから」
冗談とも本気ともつかない台詞を吐き捨て、沖田は部屋を出て行った。
「随分ときつい人だな」
足音が廊下の向こうに遠ざかるのを聞きながら直之が零した言葉に、楓は苦笑を浮かべる。
「沖田さんは、あまり私のことを好きではないから・・・」
むしろ嫌われてすらいるのかも知れない。
彼が仲間達や千鶴に向ける態度と、自分に対する態度にはそれほどまでに温度差があるのだ。
「だが楓も、何故よりによって新選組に頼ったんだ?」
楓を見る直之の表情には苦々しさが見て取れる。
京や大坂では新選組の評判は良いとは言えない、どころか悪評ばかりだ。
そんな場所に若い娘が男装してまで入り込むなんて、あまりにも無謀過ぎる。
「確かに最初は怖かったし、土方さんや沖田さんは今も怖いけど、皆悪い人達じゃないよ?」
厄介者以外の何者でもない楓を、それでも彼らは気に掛けてくれた。
人殺しだの、ならず者だのと言われている集団の中に入るのは相当の勇気を必要とした。
だが、いざ話してみると気の良い若者ばかりだ。
土方は厳しいし、沖田は取っ付き難いが、斎藤や原田は面倒見が良く、藤堂や永倉は友好的だ。
そして山崎や千鶴はいつも気を配ってくれ、屯所生活に不慣れな楓を助けてくれた。
直之の心配は尤もな話だが、せめてこれだけは伝えたいと、楓はにっこりと微笑んで言った。
「新選組が助けてくれたから、私は大丈夫だよ」
こうして静かに身体を休めていると、自分が如何に心と身体に負担を強いていたかを知った。
以前の自分なら近寄りもしなかったであろう新選組を頼ったのも、姉の仇に対する怒りと憎しみによる勢いもあった。
そんな強張っていた楓の心を、彼らはさりげなく助けようとしてくれていたと、今なら素直に感じられる。
直之を屯所に留め、楓の看病をさせているのもその一つだ。
彼が傍にいてくれると心が安らぐ。
楓の笑顔に一瞬驚いたように瞠目した直之は、考え込むように目を伏せた。
ややあって、じっと見つめてくる楓の視線に気付き、彼は不思議そうに問いかける。
「どうした?」
「な、何でもない・・・」
慌てて視線を逸らすも、頬が赤く染まるのは抑えられなかった。
早鐘を打つ自分の胸の鼓動を落ち着かせようと、深く深呼吸をしながら楓は上擦った声で話題を変える。
「と、ところで、お母さん、どうしてる?」
「俺が大坂を発つ日に挨拶に寄った時は、だいぶ落ち着いていた」
近所の人達が甲斐甲斐しく世話をしてくれたお陰もあり、少しずつ回復しているようだと告げられ、安堵と共に申し訳なさで胸が痛んだ。
娘を一人失い、もう一人は“仇を討つ”と言って出て行った後、たった一人残された病弱な母を想うと、早く家に戻って安心させてやりたくなる。
(でも、今はまだ・・・)
母には申し訳なく思うが、楓はまだ家に帰るわけにはいかなかった。
せめて形見の刀を取り戻し、仇達と何らかの決着を着けなければ、一生悔いることになる。
(ごめんね、お母さん)
ぎゅっと拳を握り締めて母への感情を押し込める楓の様子を、直之は黙って見つめていた。
■■■■■
商人に扮した山崎烝は、鋭い眼で油断なく京の町を見渡した。
町を行き交う人々の動向に注視しながらも、彼の意識は常に一人の娘に注がれている。
一見、ごく普通の年頃の可愛い娘。
だがその娘は、新選組預かりの少女だ。
最近、京の町で若い娘を襲う不逞浪士が存在する。
監察方が見つけ出し、十番組が捕らえようと動いたものの運悪く水沢楓が遭遇してしまい、取り逃がした者達だ。
その後、騒ぎを起こした場所からは遠ざかったようだが、彼らは京に留まって懲りずに悪事を働いていることは数日前に把握していた。
どうやって彼らを炙り出すか。
新選組幹部達の間で様々な意見が交わされたが、最も確実であろう方法が“囮を立てる”ことだった。
しかし、不逞浪士が狙う若い娘の協力など、そう得られるものではない。
そこで白羽の矢が立ったのが、新選組が預かる雪村千鶴である。
当然、平助や原田は強く反対したが、それ以上の案など出てこない。
千鶴の意思を問えば、彼女は悩むことなく快く囮役を引き受けてくれた。
結果、土方の決断の下、千鶴を不逞浪士を誘き寄せる餌とすることが決まった。
千鶴が娘姿で町を歩く間、山崎は常に護衛に付くことを自ら志願した。
元々、この問題の発端である楓は自分を頼って新選組を訪ねたのだ。
仲間達が巻き込まれた以上、彼はこの件に関わり続けることを選んだ。
その決意を汲み、土方は山崎の嘆願を受け入れた。
そして山崎の他は、斎藤と原田が交代で護衛につくことになった。
現在もこの町のどこかでは斎藤も陰ながら彼女を見守っているはずだ。
(今回、雪村君には迷惑ばかり掛けてしまったな・・・)
自室に突然同室者を放り込まれ、雑事を手掛けながらその娘の世話や看病までこなし、彼女の本来の目的である“父親探し”に支障をきたしてしまった。
一日でも早くこの問題を片付け、彼女の負担を軽くしてやりたい。
その一心で、山崎は行き交う人々を油断なく見回した。
事態が動いたのは数日後だ。
目論み通り、千鶴は浪士達の目に留まり、彼らを誘き寄せた。
見目の良い娘に色めき立ち、不埒な真似をしようとした不逞浪士達だが、待ってましたとばかりに現れた原田と山崎の手によって阻止される。
彼らの不運は、男に厳しく女に優しい、特に千鶴には激甘の原田が護衛に付いた日に千鶴を襲ったことだろう。
怒り狂った原田に完膚なきまでに叩きのめされ、立つこともできないボロボロの状態で彼らは新選組屯所に引きずって来られた。
「で、こいつらをどうする?」
ボロ雑巾のような哀れな姿で地面に転がされる浪士を見た時、楓と日高はぽかんと口を開けたまま硬直した。
だが彼らが持つ刀は確かに形見の品であり、判別がつくようにと然程顔を殴られなかったお陰で浪士達が仇であることは確認できた。
思わず同情を誘うほど痛々しい姿だが、彼らはそれ以上に女達を踏み躙った連中だ。
そう思うと哀れみなど塵と消える。
形見の刀を手にすると、沸々と怒りが込み上げる。
父や祖父の刀が、こんな男達に汚されるなんて。
「彼らのことは絶対に許せないし、この手で殺したいと思います」
怒りと憎しみに燃える眼に見据えられ、浪士達は「ひっ」と引き攣った悲鳴を上げて後退ろうとするが、きつく縛られているため僅かに地面を這いずることしかできなかった。
浪士達の無様な姿を見下ろしながら、更に楓の言葉は続く。
「でも、彼らによる被害者は姉だけではないんですよね」
「確認できているだけでも十人近いな」
土方の答えに、楓は何かに耐えるように唇を引き結ぶ。
滾るほどの憎しみに瞳を揺るがせながらも、必死に感情を抑えた声が発せられる。
「新選組にお任せします。彼らに裁きを与えて下さい」
その言葉に、誰もが一瞬虚を突かれたように瞠目した。
「それでいいのか?」
土方の静かな問いに、楓は迷い無く頷く。
刀を持つ手がカタカタと震え、すぐにも鞘から抜いて浪士の心臓を貫いてしまいたくなる衝動を必死に押さえ込む。
そんな楓の肩を日高の手がそっと掴む。
「下がれ」
「直之さん?」
不意に前に進み出た日高は、楓を下がらせると浪士達を睨み付けた。
そして浪士の一人の胸倉を掴み上げ、渾身の力で殴り飛ばす。
鈍い音が鳴り響き、浪士の身体は地面に叩きつけられた。
歯が折れたのか、浪士の周囲に血が飛び散る。
「お前らは俺の大切な女達を傷つけた」
怒りの為か、唸るように低い声が震えを帯びる。
彼らの欲望の犠牲になった藤乃、娘を殺された八重、そして 楓。
物心ついた頃から当たり前のように傍にあり、一生守っていくはずだった三人の女達。
彼女達を踏み躙った男達に対する隠しようも無い殺意が彼の全身を取り巻いているのが、新選組だけでなく千鶴や楓にも解った。
ずっと楓の前では抑え込んでいたであろう剥き出しの怒り。
浪士達に対する憎しみを燃え上がらせているのは彼も同様なのだ。
全員を殴り倒した後、日高は呆気に取られている楓に向き合う。
「少しは、気が晴れたか?」
「・・・・・・うん」
女達の無念を真摯に受け止めて彼が自らの手で与えた制裁を見て、僅かなりとも心が晴れないわけがない。
そんな二人の様子に原田が満足気な笑みを浮かべたことに気付いたのは、日高だけだった。
数日後、無理をしない範囲で日常生活に戻っても良いという松本良順のお墨付きをもらった楓が、日高と共に大坂に戻る日が来た。
短い間だったが、平隊士達とは良好な関係を築いていたらしい彼女を惜しむ声がそこかしこで聞こえる。
そんな声を嬉しくも寂しげに受け止めながら、楓は日高と共に広間に集まる幹部達の下に挨拶に訪れた。
「皆さん、色々とありがとうございました」
「お世話になりました」
「おう、またな!」
「お疲れさん。よく頑張ったな、楓」
「傷はもういいのか? 気を付けて帰れよ」
深く頭を下げる二人に永倉や原田、平助が口々に声を掛ける。
近藤や井上は我が事のように喜び、破顔している。
土方や斎藤はほのかに表情を和らげ、沖田も珍しく楓に笑みを向けていた。
「もう無鉄砲な真似はするんじゃねえぞ」
「達者でな」
「迷惑は掛けられたけど、退屈はしなかったよ」
はっきり“迷惑”だと言われると、ひたすら謝るしかない。
だが、そんな彼らとの交流も、今思えば楽しいものだったと思える。
彼らからすれば、厄介者にはさっさと出て行ってもらいたいのだろうが、それでも楓は告げたかった。
「皆さんと過ごした日々は短いですが、私にとっては大切な時間でした」
そう言って彼らにとびきりの笑顔を返し、楓は広間を後にした。
二人を見送るのは山崎と千鶴だ。
二人には散々世話になったと何度も礼と謝罪を繰り返す二人を宥めるのが大変だった。
「お元気で、楓さん」
「千鶴ちゃんも、元気でね」
千鶴と別れの言葉を交わした途端、楓の頬を涙が零れ落ちる。
幹部達とは笑顔で別れられたが、やはり一番親しくしていた少女との別れは辛いのだろう。
自分よりも少し小柄な千鶴をぎゅっと抱きしめた後、楓は名残惜しげに身を離す。
そうして日高に手を引かれながら、彼女は何度も振り返りながらやがて西本願寺から遠ざかっていった。
「雪村君」
楓達の姿が見えなくなった頃、山崎は千鶴を呼んだ。
「はい、何でしょうか」
「今回は、本当に済まなかった。君には迷惑を掛けてしまった」
「そんな、謝らないで下さい山崎さん」
姿勢を正し、深く頭を下げる山崎の耳に慌てふためく柔らかな声が届いた。
顔を上げて下さい、と必死に言い募られ、ゆっくりと背筋を伸ばした山崎の視界に、千鶴の無邪気な微笑が映る。
「私、嬉しかったです。少しでも皆さんのお役に立てたんですから」
「まったく、君という人は・・・」
何のてらいもなく、彼女が心からそう言っているのが解る。
いったいどこまでお人好しなのだと苦笑が零れるが、山崎の心はあたたかなものに満ちた。
そんな彼女だから、自分も幹部達もつい手を差し伸べたくなるのだ。
「だが恩は返さなければならないな。今日の夕飯作りを手伝おう」
あえて冗談めかしてそう言えば、千鶴は嬉しそうに笑ってくれる。
「はい、お願いします」
微笑を交わし合いながら屯所に戻る二人に、幹部達の賑やかな声が届く。
「千鶴ちゃん、今日から一人寝に戻るけど、寂しかったらいつでも呼んでくれていいよ」
「てめ、ふざけんな総司ーっ!!」
いつもの騒がしいやり取りに、山崎は柔らかな笑みを浮かべる。
自分にとって大切なものがたくさん集まる特別な場所。
そんな新選組を守るためならどんなことでもできる。
そして同じようにこの場所を愛してくれる傍らの少女のことも、いつしか大切なものとなっていたことを実感する。
■■■■■
月日は流れ、時代は明治へと移り変わる。
楓が新選組と別れて数年が経つが、今も彼らとの日々は心の中に鮮烈に残っていた。
夕焼けの空を見上げながら物思いに耽る彼女の背後に、ゆっくりと近づく男が居た。
「どうした」
少しぶっきらぼうだが誰よりも安心する声の主に、楓はそっと寄り添う。
気丈な彼女の甘えるような仕草に、日高直之はすぐに察しを付ける。
「彼らのことを思っていたのか?」
「うん、皆、無事なのかな・・・」
彼らのことを思う度に、今どうしているのだろうかと心配になる。
大政奉還が為された後、薩摩、長州、土佐が中心となった新政府軍が立ち上げられ、圧倒的な力を以って旧幕府軍を追い詰めていくのを、楓はこの大坂の地で耳にしていた。
北へと逃れる旧幕府軍の中には、新選組の面々も加わっていると、伝わってくる話の中で聞いた。
新選組の人達は、千鶴は無事だろうか。
もう、誰の眼にも勝敗は明らかだ。
蝦夷地の雪が溶ける頃、全ての決着が着くだろうと誰もが確信している。
それでも彼らは戦い続けているのだろうか。
新選組の武士として 。
「あんなに強かった人達が負けるところなんて想像できないけれど、それが時代の流れなんだよね」
「そうだな。だが彼らは殺しても死なないような男達ばかりだ。案外生き抜いているかも知れないけれどな」
真面目な彼にしては珍しいふざけた物言いに、くすくすと笑いが込み上げる。
この数年で楓が少しずつ変わったように、彼もまた変わって行ったのだと実感できて嬉しかった。
「そういえば、直之さんは怒ってない? 結局仇討ちはできなかったから・・・」
ふと口をついて出たのは、この数年間何度も己に問いかけた疑問だった。
あの時はああするのが自分にとって正しいことだと確信していたし、今もそうするであろうと思うが、考えてみれば直之にとっても浪士達は許婚の仇でもあったのだ。
楓の決断に対し、思うところはなかったのだろうか。
だが、不安げな楓に返ってきた直之の答えは意外なものだった。
「俺は、楓があいつらを殺すなら止めるつもりだった」
「え?」
思わず直之を振り仰ぐと、優しく楓を見つめる眼と視線が合う。
「原田さんに言われたからな。『絶対に楓の手を汚させるな』と」
「ええ?」
素っ頓狂な声を上げる楓に、直之は当時を思い出すように夕空に視線を向けた。
原田の意外な言葉を聞き、直之は彼に「どういう意味だ」と問いかけた。
彼は涙の後の残る楓の寝顔を見つめ、言った。
『お前、思わねえか? 大事な女にはいつでも花のような笑顔を浮かべていて欲しいって。幸せになって欲しいって』
『それは、もちろん思います』
『なら、あいつらの汚ねえ血になんて穢れさせるんじゃねえよ。そういうことは男が引き受けるもんだ』
そう言って、彼は誰かを想うように優しく眼を細めた。
あの頃は驚きの方が強く、深く考えられなかったが、今の楓を見ると原田の言うことを聞いておいて良かったと心底思う。
彼にも、そんなふうに守りたい花があったのだろうか。
当時は思い至らなかったが、今はそんな疑問が頭を過ぎった。
「もう家の中に入ろう。身体に障る」
労わる声に頷き、楓は一度だけ茜色の空の向こうを見やると、そっと背を向けた。
優しく肩を抱く温かな腕の中でそっと自分の腹部に手をやると、ほのかな膨らみを感じる。
悲しみを乗り越え、たくさんの人達に祝福されて直之に嫁いで一年の月日が経つ。
こんなあたたかな幸せに包まれる日々を得られたのは、彼らのお陰だ。
だからこそ、思う。
どうか、新選組の人達にも安らぎの春が訪れますように と。
二人に訪れた幸せな春。
春を待つ花は、鮮やかに咲き誇った。
〈了〉
12.8.20up
ここまで読んで下さってありがとうございました!
これで「春待ちの花」は終了です。
ほんの一時新選組と関わっただけの娘さんの話でしたが、いかがでしたでしょうか。
千鶴ちゃん視点の短編はこちら。
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