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桜月夜 〜覚醒〜“藤堂平助”1/2
極寒の地を覆いつくす雪の冷たさも、疲れきった身体は麻痺したかのように何も感じない。
虚ろな眼に映るのは鈍色の曇天と一面の雪、そして戦の激しさを物語る黒い煙。
まるで写真のように、黒と白以外の色がない世界だ。
俺、ここで死ぬのかな。
指一本すら満足に動かせないほど疲弊した身体から、徐々に命の火が消えようとしているのを他人事のように感じていた。
この身を狂わすはずの血の匂いにすら、羅刹の力はもはや湧き上がってこない。
もう、限界だ 。
できることなら、もう少し頑張りたかった。
死ぬことが怖いんじゃない。だけど、心残りがあった。
だってさ、俺が死んじまったら、誰が土方さんの背中を守るんだよ。
近藤さんという支えを失って、一君という右腕を失って、山南さんという影を失って、ここで俺まで死んじまったら、土方さんは身を守る鎧を失ってしまう。
“土方さん、短気だからなぁ・・・”
本人が聞いたら“ガキが生意気言ってんじゃねえ”って不機嫌そうに吐き捨てるだろうけれど、あの人が冷静なように見えて実は短気で、一旦切れると周りが見えなくなってしまうのは長い付き合いだからよく解ってるんだ。
まだあいつが 千鶴がいれば何かが違ったかなあ。
千鶴はいつも誰かの心を優しくあっためてくれる存在だった。
いつしかいて当たり前のようにすら思っていた。
だからあいつの生死が解らなくなった後、俺たちから確実に何かが失われたのを感じたんだ。
左之さんは、新八っつあんは、一君は彼女を見つけてやれただろうか。
彼らの中の誰か一人でも、彼女を見つけて守っていたらいいのに。
そうすればあいつはきっと幸せだ。
俺は、あいつに笑っていてほしかった。
無理矢理監禁して、何かあれば殺すって脅しておいて何言ってんだよって思うけど、千鶴に幸せになってほしかったのは本当だ。
変若水を飲み、人ならぬ体となってしまった自分では彼女を幸せには出来ない。
だから、この想いは永遠に封じるつもりだった。
彼女が誰かと結ばれる時は、笑って祝福するつもりだった。
その日が来るまで俺達が 新選組が守るってあいつに約束したのに 。
冷えきった頬を熱いものが伝う。
動くことはできずとも、涙は流せるんだな。
“くやしいなあ・・・”
千鶴を守れず、土方さんも守れず、新選組がどうなるか見届けることもできず。
ここで俺は中途半端なままで終わってしまうのか。
指先からゆっくりと大気に溶けるように崩れ落ちていくのを感じる。
力を使い果たした羅刹は灰となって消えゆく。
仙台で山南さんが目の前で灰と消えた時から、俺も覚悟を決めていた。
ごめん、土方さん。どうやら俺も、ここで消えるみたいだ。
無茶はしないでくれよな、と願っていてもどうせあの人は新選組のために最後まで無茶していくんだろうな。
その時は、あの世で近藤さんと山南さんに説教されればいいよ。
泣きそうな顔の近藤さんと、怖い笑顔を浮かべる山南さんの前でバツが悪そうに俯く土方さんの姿が眼に浮かぶようだ。
そして、いつの日か目覚めた先で千鶴を見つけることができたなら、今度こそ後悔しないように真っ先に伝えたい。
“俺は千鶴が大好きだ”って ・・・。
■■■■■
四月。
五年生に進級した平助は、今年からは新六年生になった一と二人だけで登校している。
総司がいた頃とは違い、寡黙な一と二人だけでは平助が一方的に話して時々一が相槌を打つという状態だが、生まれた時からの付き合いである二人の間に気詰まり感はない。
春先の肌寒い朝の日差しの中、小学校に向かう道程の途中の十字路で信号待ちをする児童の中に、平助達は知った顔を見つけた。
「はよ、龍之介」
「おはよう」
「よう、いい天気だな!」
平助のクラスメイトである芹沢龍之介は、満面の笑顔で二人に挨拶を返す。
一ヶ月前まではいつもふてくされたような仏頂面だった彼だが、最近は笑顔を浮かべることが多い。
「お前最近嬉しそうだな」
「当たり前じゃねえか。あいつが卒業してくれたおかげで俺はようやく平和な小学生生活に戻れたんだぜ!」
「ははは・・・」
乾いた笑いだけが平助の口から漏れる。
龍之介の言う“あいつ”とは、総司のことである。
人をからかうのが大好きな総司だが、龍之介に対しては特にその傾向が強く、口でも力でも何一つ敵わない龍之介は毎日総司のおもちゃにされていた。
その総司が今年から中学生となり、これで顔を合わせずに済むと龍之介は心から喜んでいる。
「ったく、家でも学校でも性格に問題ある奴に絡まれて、気が休まるのが授業中だけって何なんだよっ」
「お前も大変だな・・・」
学校での悩みの種は総司だが、家で龍之介を悩ませているのは“養父”のことだろうと、少なからず事情を知る二人は容易に察しが付いた。
早くに両親を亡くした龍之介は身寄りもなく、平助と知り合った頃は施設に預けられていた。
だがある日、突然現れた男が彼を養子に迎えたのだ。
その男は芹沢鴨。地元で知らない者はない政界の大物の家系、芹沢家の若き後継者だ。
子供のいない彼が何を思ったか龍之介を養子にしたというニュースは、当時地元はおろか日本中を騒がせた。
一躍シンデレラボーイとなってしまった龍之介だが、彼は喜ぶどころか如何にも迷惑そうな様子を隠そうともしない。
何しろ選ばれた理由が“一番みすぼらしく馬鹿だったから”だった上、引き取られた家では使用人のような扱いなのだ。傲慢で我侭な養父から毎日のように殴られ貶され扱き使われている彼は、“いつか絶対あの家を出てやる!”と初日にして決意を固めたと言う。
何とも不幸な境遇の少年だが、その話を聞いた総司や左之助が、同情するどころか涙が出るほど笑い転げたのは平助も忘れられない光景である。
三人 主に二人 で談笑しているうちに小学校に辿り着いた。
昇降口に入ると学年の違う一が自分のクラスの下駄箱に向かいかけ、ふと平助を振り返って問う。
「帰りは校庭で落ち合うか?」
「うん、そうだな」
登校同様、下校も二人は一緒だ。
低学年の頃は図書室で年上の仲間を待っていたが、歳を重ねるうちに学校にも慣れて活動範囲が広がると、校庭で遊びながら仲間達が授業を終えるのを待つようになっていた。
平助の答えに頷きを返し、今度こそ一は背を向けた。
その後姿を何となく見送った後、平助は自分の下駄箱で上履きに履き替え、龍之介と共に教室に向かう。
「なあ、お前ら何かあったのか?」
「え、何かって?」
不意に問いかけられた言葉が理解できず、平助は不思議そうに龍之介を見た。
「いや、少し前からお前ら二人、様子が変じゃないか? 一は妙に雰囲気変わった気がするし、平助は一に何か言いたそうにしてるし・・・喧嘩ってわけではなさそうだけど・・・」
「そう、かな。別に何も変わらねえって、龍之介の考え過ぎだよ」
努めて明るい口調でそう返し、平助は「そんなことよりさ」と話題を変える。
いつもは鈍い癖に妙なところで聡い龍之介に、これ以上その話題を続けて欲しくなかった。
彼の言う通り、一に対して戸惑いを覚えているのは平助自身も自覚していた。
それは数ヶ月前の一の誕生日の夜から、一が“変わった”からだ。
総司が、左之助が、歳三が“変わった”ように、一もまた彼らとの間にあった透明な壁を越えて“あちら側”に行ってしまった。
いったい、彼らに何があったのだろうか。
尋ねても彼らから明確な答えを得ることはできない。
寂しげに俯く平助に、彼らは酷く大人びた表情で“お前もいつか解る”と抽象的な言葉だけをくれる。
(いつかっていつだよ・・・解るって何をだよ・・・)
出口の見えない迷路に放り込まれたような、心細さと焦りだけが募る。
『自分達だけ解り合っていてずるい・・・』
春休み、帰省していた敬助と歳三が二人で話しこんでいた時、偶然通り掛かった平助がふいに零してしまった呟きに二人は困ったような顔で彼を見た。
歳三とは違って、敬助には大きな“変化”はない。なのに、彼はいつ頃からか歳三達と秘密を共有しているように思えた。
最初に“変化”を見せた総司が敬助と二人で話す機会が多くなっていたことにも気付いていた。勇以外には決して懐かない総司が、“変化”して真っ先に頼ったのが敬助だったのだ。
年長者で、理知的で頼りがいのある敬助はいつだって誰かの相談役だ。
最年少で、年上の仲間達からは庇護の対象としかなり得ない平助とは真逆の存在。
同じ苗字、同じ親から生まれた兄弟でありながら、自分と敬助はあまりにも違っていた。
そんな悔しさが表情に表れていたのだろう。
歳三の手がやや乱暴に平助の頭を撫でた。
『焦ってんじゃねえよ。お前には必ず“その日”が来る。その時が来たら、お前は俺らの貴重な戦力になるんだ。今は大人しくガキやってろ。ちゃんと皆で待っていてやるから』
『君は、僕よりもずっと歳三君達や“彼女”の力になれるんですよ』
唯の慰めだったとしても、彼らの言葉は素直に嬉しかった。
だからこそ、尚更何もわからない自分自身がもどかしい。
早く“その時”が来て欲しい。
それだけを強く願う。
放課後、平助は授業が終わると帰り支度をして校庭に出た。
サッカーをして遊んでいる子供達のグループに参加し、遊びながら一を待つつもりだった。
昇降口を出るまで共にいた龍之介は、そのまま真っ直ぐ家に帰るため校舎を出ると別れることになる。
「じゃあな、平助」
「おう、また明日な」
互いに手を振って言葉を交わし、龍之介はどことなく重い足取りで校門に向かう。
平助は校庭に向かおうとしたが、ふと何かに引かれるように龍之介の後姿に視線をやる。
龍之介が校門を出て帰路に付こうとした時、その後ろを黒塗りの車がゆっくり近づいていくのが見えた。
「何だ?」
嫌な予感を覚え、平助は龍之介の後を追って駆け出した。
車が龍之介を追い越した時、後部座席が開いて黒いスーツの男が二人ほど出てきて龍之介に詰め寄るのが見え、平助は背負っていたランドセルを下ろして走る速度を上げる。
「平助?」
後ろから聞きなれた声が聞こえた。
一が授業を終えて校舎から出て来たようだ。
しかし平助は彼に答える余裕はなかった。
彼の視線の先では、腕を掴んで車内に引きずり込もうとする男達に龍之介が必死に抵抗している。
「やいてめえら! 龍之介をどこに連れて行くつもりだ!!」
平助の声に、男達の視線が一斉に向けられた。
そして突進してくる平助の姿に彼らの顔が驚きに彩られる。
「平助!」
龍之介が助けを求めるように、自由な方の手を懸命に伸ばす。
「龍之介を離せ!!」
叫びながら、彼に気付いて前に進み出た男に勢いのまま体当たりした。
だが、小さな平助の身体は大人の男を僅かに後ずさらせただけで、すぐさま大きな手に捕らえられる。
「まずいな、このガキも連れて行くぞ」
「何すんだよ、離せ!!」
「てめえら何者だ!」
暴れる二人に業を煮やしたのか、助手席から「早くして下さい!」と急かす声がした。
その声に聞き覚えがあるように感じてそちらを見やり、平助と助手席に座る男の視線が合う。
(!? 誰だ、こいつ・・・)
初めて見る顔だ。それは間違いない。なのに、この不思議な既視感は何だろう。
年の頃は二十代ほどの若い男。しかし、その眼は酷く冷たく底知れない不気味さを感じさせる。
男に気を取られた平助は、我が身に迫る危険を察知するのが遅れた。
自分の身体を捕らえる手が薬品を染み込ませた布を平助の鼻と口に宛がおうとした時、彼の抵抗はあまりにも遅過ぎた。
「平助!」
遠ざかる意識の向こうで、一の切羽詰ったような叫びが聞こえた。
■■■■■
びいどろの入れ物の中を揺れる毒々しいまでの紅い液体に、言い知れない嫌悪感が込み上げる。
“あんな物、存在しちゃいけないんだ”
大事な仲間達を狂わせてしまうかも知れない、不吉な赤。
こんな物がなくたって、俺達は戦える。
こんな物に頼らなくても、俺達は強いだろ?
そんな願いも虚しく、赤は少しずつ、少しずつ自分達の足元に染み込んでいく。
深く、深く 赤い色が心を塗りつぶす。
それは遂に大切な仲間の一人を飲み込んで、尚も色を深めていった。
“俺はあんな物に頼りたくなんてない!”
不安に怯える子供のように、叫んだ言葉は本心だったのだろうか。
それともこれから訪れる未来を、予感していたのだろうか。
自分の命が尽きようとしていた時、仲間達が見守る中で下した決断。
あれほど忌み嫌っていた赤に、自ら手を伸ばした 。
“ほうら、やはり君もそれに縋るんじゃないですか”
勝ち誇ったような声が頭の奥で響く。聞き覚えのある声だ。
“化け物になってでも、命長らえたいと思ったのでしょう? 普段どれだけ綺麗な言葉を口にしていても、いざという時には本音が出るんですよ”
ねっとりと絡みつく言葉がまるで呪いのように、胸を締め付けた。
蛇を思わせる冷たく鋭い瞳が、愉悦に細められて自分を見下ろしている。
“さあ藤堂君、君も血に狂いなさい。君が大事に思っていた仲間達の血を啜って、醜く狂えばいい。彼らの血は、さぞ美味でしょうね”
「!!!」
引き攣った悲鳴と共に平助は飛び起きた。
暗闇に閉ざされた部屋の中、荒い息遣いだけがやたらと大きく耳に届く。
部屋の中は肌寒いくらいなのに額には汗が滲み、激しい鼓動を刻む心臓の音すら聞こえてきそうだ。
夢と現実の区別がようやく着いた頃、平助は自分が置かれた状況を確認しようと視線を巡らせる。
(どこだ、ここ・・・?)
部屋の中は暗く、すでに日が落ちた時刻であることが窺えた。
立ち上がって窓際に歩み寄り、外を確認してみると空の向こうはまだわずかに明るく、外の様子が何とか見て取れる。
ここはどこかの大きな建物の一室のようだ。
周囲の景色に見覚えはなく、自分が知っている場所ではなさそうだ。
窓から飛び降りようにも地上三階ほどはあるだろうか、飛び降りて無事でいられる確信を持つには高過ぎる。
平助は改めて部屋の中をぐるりと見渡し、扉を見つけると走り寄った。
ノブを回そうとしたが、やはり外側から鍵が掛けられている。
「くそ・・・」
何か道具はないだろうか、と辺りに視線をやり、傍の壁に電気のスイッチを見つけるとすぐさま押した。
パッと、明るい光が部屋の中を満たす。
それだけで少し気分が落ち着いた。
そして、自分が倒れていた場所の近くにもう一人の存在を見止めて慌てて駆け寄る。
「おい、龍之介、大丈夫か!?」
彼の姿に、平助はようやく気を失う前に起きた出来事を思い出した。
龍之介が黒いスーツの男達に誘拐されそうになっていたこと。
彼を助けるために走ったこと。
そこで嫌な眼をした男を見て、そのすぐ後に気が遠くなったこと。
どうやら自分は龍之介と一緒に彼らに連れ去られたようだ。
(皆、心配しているかな)
特に目の前で平助が攫われるのを見た一は自分を責めているかも知れない。
だが冷静な彼ならば、平助のような無謀な行動には出ずに仲間達と共に捜してくれようとするだろう。
仲間達が見つけてくれるまで、この場で龍之介を守ることができるのは自分だけだ。
常に傍にいた頼れる存在がない心細さよりも、頼れるのは自分だけという意識を強く感じる。
(絶対に二人で無事に帰るんだ)
決意に満ちた瞳は鋭く、幼さを微塵も感じさせなかった。
〈次〉
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