異能の剣 一





宵をとうに過ぎ、眠りについた京の町。
この日は月明かりも分厚い雲に遮られ、深い闇が町をすっぽりと覆う。

一寸先すら見えない漆黒の闇に包まれた狭い道を、斎藤一は迷いのない足取りで駆けていた。
長い前髪の隙間から覗く鋭い眼は厳しく前方を見据え、速度は落とさぬままに腰の刀に手を掛ける。

この道を抜けた先。そこに自分が追う相手がいる。

そして広い通りに出た瞬間、斎藤は刀を抜いた。
一閃の光の軌跡が何かを捕らえる。
確かな手応えが腕に伝わってきた。

目の前で、今にも頭上高く構えた刀を振り下ろそうとしていた男が血を噴出しながらゆっくりと倒れていく。
見開いたままの眼は禍々しい程に赤く、髪の毛は老人でもないのに真っ白だ。

――羅刹。

誰が言い出したのか、斎藤がその存在を知った時にはそう呼ばれていた化け物。

斬り伏せた羅刹の向こうには、もう一人、いや二人の羅刹の姿が見えた。
彼らが囲んでいる物を眼にした時、斎藤は瞬時に刃を翻していた。


「・・・遅かったか」

物言わぬ骸と化した羅刹には眼もくれず、地面に転がる何かに駆け寄った斎藤は眉を寄せて呟いた。

羅刹が群がっていたのは、すでに息絶えた人間だ。
身体中斬り刻まれた無残な死体は傷の割に流された血は少ない。羅刹の食糧となったのだ。

羅刹は人間の生き血を好む。
血を求めて狂い、血を飲んでさらに狂う。
人間よりもはるかに身体能力に優れていながら、その凶暴性には理性の欠片もない。

そんな羅刹に対抗し得る力を持つ者は限られている。
それを有する己は、力を持たない人達を守らなければならなかったのに。

「・・・・・・」

昂る気持ちを抑え、深く息を吐いた。

戦う力を持つとはいえ、全ての人々を助けることなどできない。そこまで万能な存在なんていない。
解っているのに、もう少し早く駆けつけていれば、と悔しさが込み上げてくる。

そんな思いに囚われていたからか、近くに在るもう一つの気配にすぐに気付けなかった。
敵意も殺気も感じなかったせいもあるが、この場の羅刹を斬り伏せたことで少なからず油断があったようだ。

「そこにいるのは誰だ」

自分への怒りから、誰何
(すいか)の声が鋭く尖る。
その声に建物の陰に潜む気配がびくっと震えた。

羅刹が人間を襲っているところを目撃して怯えているのだろうか。
そんな相手に攻撃的な態度を取るべきではなかった。

極力ゆっくりと気配の潜む方向に足を進め、建物と建物の間の狭い路地を覗き込む。

「あ・・・」

所在なげに立ち尽くしていたのは、斎藤よりも一回り小柄な影。子供だろうか。

「何者だ?」

「あ、あの、決して怪しい者ではないです・・・っ」

「そうか。ではそこで何をしている」

「それは、その・・・」

言い淀む影の向こうに赤い光が見えた瞬間、斎藤は咄嗟に子供の腕を引っ張ってこちらに引き寄せていた。

「きゃっ!」

すると二人の動きに触発されたのか、闇の中に浮かぶ赤い光から不気味なほど禍々しい殺意が迸る。
斎藤が路地から子供を引っ張り出したと同時に、耳障りな笑い声と共に高く跳躍して一気に距離を詰めてきた。

「羅刹、もう一人いたのか!」

ここで迂闊に刀を振るえば、この子供を巻き添えにする恐れがある。
正体不明とはいえ、まだ敵と断じるには早計過ぎる存在を傷つけることは許されない。
斎藤は明け空を思わせる藍の瞳で鋭く羅刹を見据え、己が内なる力を呼び起こした。

彼が――否、彼らが羅刹と対等に戦えるのは、何も剣技に優れているからという理由だけではない。
剣だけでは、一人で無尽蔵の体力を持つ羅刹と対峙するのは無謀だ。
けれど“彼ら”は、剣以外にも己の身を守り、敵を倒す術を持っていた。

キンッという音と共に、斎藤の周囲の空気が凍てつく。
冬の夜の厳しい寒さの中、その空間が更なる冷気に包まれ、突如中空に現れた無数の氷の刃が羅刹を貫いた。
貫かれた部分から一気に氷が全身を覆い、凍りついた羅刹はそのまま地面に落下する。

局地的な冷気はすぐに霧散し、夜の静寂が戻ってきた。

ふと分厚い雲の隙間から月明かりが漏れ、幽かな光が地表に届く。
僅かな光に照らされて周りの様子が少しだけ鮮明になってきた。

斎藤は油断なく辺りを見回して自分達以外に動くものはないことを確認し、傍に立つ小さな存在に視線を落とした。

(子供・・・いや、女か?)

淡い色の袴姿で髪の毛を高く結い上げた格好は前髪の少年といったところだが、掴んだ腕や肩の感触は男よりも柔らかくたおやかだ。
少しでも乱暴に扱えば壊れてしまいそうな気がして、触れることすら躊躇ってしまう。

「あの、助けて下さってありがとうございました」

丁寧に頭を下げる仕草といい、柔らかな声といい、やはり娘にしか見えない。
何故男の格好などして夜中にこんな所にいたのか、問いたいことはたくさんある。

(屯所に連れ帰るか)

帰って局長や副長に判断を仰ごう、と決断した時、少女が数歩下がって斎藤と距離を取った。

その時、斎藤の耳に微かな音が届く。誰かの足音だ。
感じるのは慣れた気配で、警戒心は起きない。
そちらに注意が向いていた斎藤は、不意に空気の流れが変わったのを感じて再び視線を戻した。

少女の周りを風が渦を巻き、二人の髪や服をふわふわと舞い上げている。
風の力だろうか。
攻撃の意思は微塵も感じられないが、風はまるで守るかのように彼女を包み込んでいた。

言葉もなく凝視していると、ざあっと少女を包んだ風が一瞬だけ強く吹き、過ぎ去った後にはそこに誰もいなかった。

「何・・・?」

周囲を見渡しても少女の姿はなく、気配も感じられない。

(どういうことだ?)

どこへともなく少女を追いかけようと足を踏み出した時。

「あれ、もう終わってた」

聞き慣れた声が静寂を破った。

「さすが一君、仕事が速いよね」

のんびりそう言いながら現れたのは、沖田総司。
この夜、斎藤と共に羅刹を追っていた仲間の一人である。

さらに、別方向からはもう一人の仲間が現れた。

「ご苦労だったな、斎藤」

長い髪を風に靡かせながら、月を背負って現れたのは土方歳三。
斎藤が誰よりも尊敬してやまない人物であり、彼や沖田の上司でもある。

「副長、そちらに誰か行きませんでしたか?」

「いや、誰も来なかったが・・・。取り逃がしたのか?」

鋭い瞳が険しく眇められる。
すぐにも他の仲間達を呼び寄せて捜索を開始しそうな雰囲気に、斎藤は「いえ」と首を振った。

「怪しい者ではないと言っていましたから、不審人物ではないかと」

「「・・・・・・」」

何故か二人が呆れたような目線をこちらに向けてきた。
おかしなことを言っただろうか。

「あのさ、それ、滅茶苦茶怪しいんだけど」

「何?」

意味が解らず聞き返すと、沖田はやれやれとため息をつき、土方は頭痛を堪えるように眉間を押さえた。

「つまり、怪しい奴がいたんだな。羅刹か?」

「いえ。ただ、異能を持つ者でした。風を操っていましたので」

「へえ?」

自分も風を使う沖田が興味深げな声を漏らす。

「何者だ? 顔は見たか」

「夜闇の中でははっきりとは解りませんでしたが、とても愛らしい顔立ちの娘でした」

「はあ?」

「もう一度間近で顔を見れば解ります」

「確かめるためとはいえ、いきなり女の子を間近で見つめるのは良くないんじゃないかな」

「しかし、遠眼では判断のしようがないのだが」

「・・・もういい。その女のことは他の連中にも後で伝えることにする」

暢気な会話を強制的に終わらせ、土方は地面に転がる死体を見やる。

「とりあえずこの死体の始末が先だ」

「御意」

「はいはい」

土方の言葉にすぐさま行動に移る斎藤と、悠然とそれに続く沖田。

頭を切り替えて副長の指示に従う斎藤にとって、今や優先すべきは土方の命令のみ。

しかし、彼の心の中にふと入り込んだ少女の面影は、いつまでも消えることはなく、この夜の出来事が今後も彼らに深く関わってくるとは、この時は誰も想像だにしていなかった。





■■■■■





壬生村に子供達の元気な声が響き渡る。
元気にはしゃぐ小さな子供達の中に、身体の大きな青年が混ざっている様子は一見場違いなようでいて、実はすでにご近所では当たり前の光景として受け入れられていた。

子供達に群がられた、頭数個分背の高い青年は沖田だ。
彼は仲間達と共に壬生村の郷士、八木家に世話になるようになってからこちら、よく子供達と一緒に遊んでいる。
時折そこに他の仲間達も加わることもあるが、子供達が最も懐いているのはやはり彼だ。

今もきゃあきゃあと歓声を上げて周りを囲む子供達と一緒に、沖田はしゃぼん遊びをしていた。
風を操り、子供達が作り出した無数のしゃぼん玉が地面に落ちないよう、空へと舞い上げる。

それを追って何人かが走り出し、上ばかりを見て足元が疎かになっていた子供の一人が転んでしまった。

「あっ」

慌てて駆け寄り、子供を抱き上げる。
パンパンと砂を払ってやり、怪我がないか全身を見ると、足に擦り傷が出来ていた。
当初はただただびっくりしていた子供だが、やがてじわりと涙が浮かび上がる。

「うわああん、うわあああん!」

「いい子だね。松本先生に診てもらおうね。きっと千鶴お姉ちゃんもいるよ」

火が付いたように泣き出す子供を軽々と抱き上げ、簡単な応急処置をしてから沖田は子供達と共に知り合いの診療所に向かった。


松本良順は、沖田達が京に来た頃から何かと世話になっている蘭方医だ。
腕は確かな上に人柄も良く、信頼のおける人物である。

そして、その診療所で松本良順の手伝いをしているのが、雪村千鶴という少女だ。

年の頃は十五、六の娘はとても気立てが良く、誰に対しても優しい性格で子供達からの人気も高い。
沖田も彼女に対しては悪感情は抱いておらず、何度か会話を交わすうちに少しずつ親しくなっていた。



子供達を引率しながら診療所まで来る頃には、怪我をした子供も泣き止んでいた。
しかし傷の痛みは引かないようで、泣き腫らした顔に笑顔はない。

「先生ー! 千鶴お姉ちゃーん!」

診療所の前に来るや、子供達が声を揃える。

ややあって出て来たのは、可愛らしい少女  千鶴だ。

「どうしたの?」

「あのね、友達が怪我しちゃったの」

「え?」

千鶴の視線が沖田の腕の中の子供に向けられる。
怪我をしたというのなら、彼が抱いている子供だろうと察したようだ。

「この子が転んで足を怪我しちゃったんだ。ここに来るまでに水で洗ったけれど、傷の手当てをお願いしても良いかな」

「はい、どうぞ入って下さい。松本先生は今往診に出かけているのですが、傷の手当なら私でもできますから」

その言葉は事実だろう。
実際彼女が手際よく負傷者の手当てをする様子を見てきたし、その手付きは手馴れていた。

診療所の中に入って怪我をした子供を座らせ、患部に巻いていた手拭いを外す。
まだ血は止まりきっていないようで、じわりと小さな血の粒が浮かんだ。
その様子が怖いのか、子供の目から再び涙が溢れ出す。

「大丈夫よ、すぐにお薬塗ってあげるからね」

水に濡らした清潔な手拭いで血を拭いてやり、傷薬を指に取って傷口に触れる。
ぎゅっと目を閉じた子供からすすり泣きが漏れ、沖田は宥めるように頭を撫でてやった。

「痛いの痛いの遠いお山に飛んでいけ〜」

優しい声が呪文を唱えると、周りの子供達も一緒に「飛んでいけ〜」と復唱する。
その様子に泣いていた子供にもようやく笑顔が戻った。

だが沖田だけは、じっと千鶴の手元を見つめたまま動かなかった。

(へえ、千鶴ちゃんも異能を持ってるんだ)

風と相性の良い沖田だからこそ感じ取れる、ほんの僅かな風の揺らぎ。
それは怪我の痛みを軽減したか、散らしたかしたのだろう。
現に子供は「飛んでった〜」とにこにこと笑っている。

こんな風に人を癒す異能の使い方は初めて見た。
沖田も仲間達も、異能で傷を治すことはできない。
千鶴の力は人体にどれほど影響を齎すものか、山南辺りなら眼の色を変えて研究したがるだろう。

しかし、沖田自身はそういったことには別に興味がない。
ただ、仲の良い女の子の意外な一面を知ったことを、妙に嬉しく感じていた。



〈次〉

14.3.20up

新連載です。
これから千鶴ちゃんと新選組がどんな関係を築くのか、
見守っていただけると嬉しいです♪



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