異能の剣 五





夜の京の町のどこかで、獣のような奇声が響き渡った。
身の毛もよだつ、とはこのことかと、不気味な声に人々は恐怖を覚えて身を寄せ合う。

近頃京を騒がす化け物が、今夜もまた血を求めて彷徨っているのだろうか。
戦う力を持たない人々は、ただ息を潜めて震えるしかなかった。


そんな不気味な静寂に支配された町を、男は異様な喉の渇きに苛まれながら歩いていた。

先程聞こえた奇声の方に行けば、人間がいるだろうか。
   新鮮な血が飲めるだろうか。

そんな期待を抱きながら進む先に、やがて甘美な匂いを感じて自然と足が速まる。
ところが、後少しで匂いの元に辿り着ける距離というところで、不意に嫌な予感が全身を駆け巡った。

この先に進むのは危険だ。
頭の中に警鐘が響き、足が竦んだ。

もう少しなのに。この先に求めるものがあるのに。

掻き毟られるような飢餓感と、生命を脅かされるような危機感がせめぎ合う。

その時、何かがこちらに近づいてくる気配を感じて咄嗟に建物の陰に身を潜めた。
そっと窺っていると、数人の足音が耳に届く。

闇夜でもはっきりと見える視界に飛び込んできたのは、浅葱色。

新選組   

彼らは真っ直ぐに男が目指していた先に走り、抜き放った白刃が月の光を反射してキラリと光った。
同時に上がる、おぞましい悲鳴と刃がぶつかり合う音。

「逃がさねえぞ羅刹!」

咆哮する声に込められた闘志が一層の恐怖を齎す。

この声の男には勝てない。
人間を遥かに越える能力を得たはずなのに、何故かそれを確信してしまう。

一瞬だけ垣間見た新選組。
先頭を走っていたのは、緑色の手拭いを頭に巻いた短髪の男だった。
おそらく真っ先に飛び込んで、刀を抜いたのは彼だろう。

新選組に見つかる前に逃げなければ。
いつまでもここにいては見つかってしまうかも知れない。
自分の存在が知られると、間違いなく命はない。


喧騒に背を向け、男は全速力でその場を離れた。





昼間でも、陽射しの届かぬ暗い森の奥。
ほんのわずかな光すら煩わしいと、男は山道を奥へ奥へとひた進む。

夜の間は羽毛のように軽かった身体が酷く重い。
跳躍一つで驚くほどの距離を跳んだ足は、一歩踏み出す度に泥の中に沈むかのように力が入らなくなる。

朝など来なければいい。
太陽など消えてしまえばいい。

そんな恨み言を繰り返しながら、少しでも楽になれる場所を探して男は闇を目指す。

「おい、お前」

「っ!」

突然静かな森の中に自分以外の声が聞こえ、男は慌てて周囲を見渡した。
木々の間から姿を見せたのは、若い娘だ。

「だ、誰だ?」

何故こんな森の奥に若い娘が一人でいるのか。
しかし娘は質問には答えず、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
その手にはか弱い娘が持つにはあまりにも不似合いな、一振りの太刀が握られている。

たかが小娘一人、多少なりとも腕に覚えのある男の敵ではないはずなのに、彼女から感じる威圧感がただでさえ重い体の自由を奪う。

「誰に薬を飲まされた? お前に薬を与えたのは誰だ?」

そんな身体にしたのは誰だ?

その問いは、男が“何”であるかを娘が知っているということだ。

「何故、そのようなことを訊く・・・?」

「生きるか死ぬか、選ばせてやるよ」

「・・・?」

益々意味が解らず混乱する。

「俺達の研究に付き合うなら、元の人間に戻れる可能性が僅かだがある。それまでに血に狂えば殺すけどな」

元に、戻れる・・・?

「断るなら、今この場でお前を斬り捨てる。どちらを選ぶ?」

スラリと抜き放たれた刀の切っ先が男を捕らえる。

娘が醸し出す殺気に、数刻前の恐怖が蘇る。
あの場所で足を止めていなければ、真っ先に新選組の刃に倒れていたのは自分だっただろう。
そして羅刹である限り、いつかは血に狂い、新選組によって狩られる。


以前までは、男は新選組の位置に近かった。

剣の腕に自信を持ち、力試しを兼ねて上京した。
そこで多くの羅刹を斬り捨て、名を上げるつもりだった。
結果、己の腕を過信し、一人で突っ走った挙句に羅刹に敗北し   

   生きたいか? 死ぬのが怖いか?

問いかけと共に差し出された、びろうどの瓶に手を伸ばした。


自分が如何に愚かだったか、言われずともよく解っている。

(けれど、それでも、俺は・・・っ)

「生きたい・・・」

気が付けば、男はそう答えていた。





南雲薫は感情の篭らない眼で、茫然とこちらを見つめる男を眺めていた。

別にこいつがどちらを選ぼうがどうでもいい。
得るべき情報を得た後は紛い物を殺すか、研究対象として生かすか、二つに一つ。
どちらを選んだところで薫の感情は微塵も動かない。

先日、同じ質問を浴びせた男は死を望んだ。

こんなはずじゃなかった。
こんな身体で生きていくのは辛い、と泣きながら。

(さて、こいつはどっちを選ぶ?)


沈黙の後、男は震える声で、しかしはっきりと思いを口にした。

「生きたい・・・。俺は、こんな所で、こんな風に死ねない・・・!」

こちらを真っ直ぐに見据える瞳には、確かな意思があった。
先日の男のような絶望の色ではなく、死への恐怖でもなく、生への渇望だけがそこにある。

「じゃあ、ここで待ってな。日が暮れた頃に迎えが来るから」

「よ、夜になると俺は・・・っ」

「ふん、紛い物ごときが俺達の相手になれるわけがないだろ」

男が何を心配しているのかは解っている。
羅刹は日が沈むと凶暴性が増し、血を求めて人を襲うのだから。

しかし、“薫達”にとって彼等“紛い物”は取るに足らない弱い存在だ。
まあ、こちらの正体を知らぬ者からすれば、当然の心配なのだろうけれど。


薫は男に夜まで身体を休めていろと言い置いて、その場を立ち去った。

あの男のことを“協力者達”に伝えるために。





■■■■■





「山南さん、いるか?」

障子越しに声を掛けると、部屋の中から「どうぞ」と応えが返る。
中に足を踏み入れた土方歳三は、部屋の主である山南敬助に促されて適当な場所に腰を下ろした。

「俺に用があると聞いたが?」

「ええ。土方君、これを見て下さい」

「何だこれ? びろうどか?」

向かい合う二人の間に置かれた小さな小瓶。
中身は赤い液体のようだ。

「昨夜、永倉君が始末した羅刹が持っていた物です」

「?」

「これと同じものを新見さんが所持していました」

「新見さんが?」

途端、土方の眉間に深い皺が刻まれる。

新見錦。
その名を聞けば、古参の隊士達は皆不快感を露とするだろう。

江戸から共に上京し、新選組の前身である浪士組で局長まで務めながら、私欲のみを追い求めた男。
果ては倒すべき羅刹を作り出すことに執心し、守るべき京の人達の命を脅かした。
故に、土方達は彼を粛清したのだ。

「こちらが、当時新見さんが所持していた物です」

月日を経て中身は凝固し、変色してしまっているが、入れ物は羅刹の物と同じ形の小瓶だ。
新見の所持品は、簡単に処分して良いのか判断がつかなかった為山南がずっと保管していたという。

「まさかこれは・・・」

「羅刹を作り出すもの。私はそう考えます」

新見の遺品というだけでは確信を持てなかった結論だが、羅刹が所持していたとなれば可能性として最も高い。
山南の言葉に、土方は嫌悪感も露に小瓶を睨みつける。

「こんな物で羅刹が生み出されてるってのか」

「新見さんや羅刹がどうやってこれを手に入れたのか、出所を知りたいところですが・・・」

「だが羅刹に訊こうにも奴らを捕獲するのは命懸けだ。捕らえたとしても、話ができる程の理性があるのかも解らない」

土方達が今まで見てきたのは、血に狂った羅刹の姿だ。
彼らがかつては普通の人間であったという事実は、新見が羅刹を増やしたことで知った。
しかし“人間であったこと”を覚えているようには、とても見えない。

「そもそも何故新見さんは羅刹を作り出す研究を始めたんだ? いったいどうやってその方法を知った?」

土方の疑問は山南の疑問でもある。

「ともかく、今の状態のままでは鼬ごっこです。元を断たねばいつまで経っても問題は解決はしません」

京の町に現れる羅刹を始末することが新選組の任務だ。
それは上京した頃から変わらない。
けれど、羅刹はどこかで作り出されていること、元々は人間であることを知った。

羅刹を“作り出すもの”を断たなければ、いつまでも羅刹の脅威は消えない。

「私はこれを調べてみます。ついては松本先生に協力を仰ぐことはできるでしょうか」

「松本良順先生か。あの人なら幕府にも顔が利くから、色々と調べてくれるかも知れないな」

羅刹討伐は幕府から下された命令だ。
もしかすると自分達の知らない羅刹の実情を知っているかも知れない。
その情報が松本の所にも来ていれば、“元凶”に辿り着く手がかりを得られる。


「良順先生の所に行ってくる」

そう言うと、土方は善は急げとばかりに部屋を後にした。



〈次〉

14.5.21up

第五話です。
薫君暗躍の回。多分しばらく出番ないです(汗)。
この話では土方さん達は変若水を知りません。
次回は土方さんと千鶴ちゃんの出会いかな。



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