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異能の剣 九
夕暮れの大通りを、井吹龍之介は全力でひた走る。
別に夕陽に向かって熱い青春を叫んでいるわけではなく、ただただ己の身の安全と心の平穏の確保のためである。
一心不乱に走り続ける彼の頭の中は自分をこんな状況に追い込んだ元凶、芹沢鴨への文句でいっぱいだ。
(くっそ〜、芹沢さんめ! 酒くらい自分で買いに行けっての! あ、いや、それだと店の人に迷惑が掛かるか。だからって人に買い物を頼むのに何でいちいち鉄扇振り回す必要があるんだよっ!)
芹沢に対する不平不満は上げればキリがない。
この溢れるほどの不満を本人にぶつけられないのは、言っても無駄だと解っているからだ。断じて鉄扇で殴られるのが怖いからではないっ。断じてなっ。
店仕舞いの準備を始めていた酒屋に駆け込んで何とか無事に酒を買い、これで一先ず芹沢に殺されずに済むと胸を撫で下ろしつつ店を出た龍之介は、酒瓶を手に急いで屯所に戻ろうと駆け出したところで見知った顔を見つけた。
「井吹はん!」
龍之介が声を掛ける前に、向こうもこちらに気付いたようだ。
花のような笑顔を浮かべた少女が小走りに駆け寄ってくる。
「よう、小鈴。稽古の帰りか?」
「そうどす。井吹はんは・・・お遣いどすか?」
「見ての通りだよ」
龍之介が持つ酒瓶を見て、彼が酒を飲めないことを知る小鈴はすぐに察してくれた。
そして、腫れ上がった頬を見て心配そうに表情を曇らせる。
「痛くありまへんか?」
「別に、これくらいどうってことないって」
小鈴の顔を直視できず、視線を逸らす。
こうして自分の身を気遣ってくれる存在は今までいなかったから、彼女の言葉がくすぐったい。
小鈴は龍之介がこの京に来てから、新選組以外で親しくする数少ない人物であり、島原で舞妓として生きる少女だ。
なよやかな外見に反して意外と気が強く、芹沢相手にも物怖じしない性格は危なっかしくも思うが、自分と違ってしっかりと地に足を着けて生きる姿は龍之介の眼に眩しく映る。
そんな小鈴が自分なんかのどこが気に入ったのか、顔を合わせれば親しげに声を掛けてくれるようになり、彼女と過ごす時間は龍之介にとっても憩いとなっていた。
花街なんて、芹沢に連れて行かれなければ一生足を踏み入れることもなかった場所だ。
そう考えると、小鈴と出会えたのは芹沢のお陰と言えるだろう。非常に不本意だが。
「それよりお前はこれから仕事だろ? 送るよ」
「別に一人でも平気どすえ」
「もう暗くなるんだから、一人歩きなんてさせられねえって」
遠慮する小鈴に構わず歩き出すと、「人の話聞いておくれやす!」と小鈴が慌てて後に続く。
文句を言いつつもどこか嬉しげな小鈴の様子に視線をひたすら前に据えていた朴念仁男は気付かないまま、甘酸っぱい空気を醸し出す二人は島原への道を並んで歩いた。
ぽつぽつと灯篭に火が灯り、少しずつ夜の妖艶なる姿へと変貌していく島原。
隣を歩く小鈴も、置屋に帰れば町娘姿から美しい舞妓に装いを変えるのだろう。
それを少し残念に思ってしまう自分の感情を持て余す。
「あ、南雪ちゃんや」
ふいに小鈴が声を上げた。
つられてその視線を追うと、小鈴と同じ年頃の二人の少女の姿を捉える。
(ん? あの娘って・・・)
二人のうちの一人の顔には見覚えがあった。
数日前、穴が開くのではないかと思うほど斎藤が見つめていたのをよく覚えている。
二人の少女は、親しげに会話しながら雑踏の中に消えていった。
「声、掛けなくて良かったのか?」
「千姫様とご一緒やもん。声なんて気軽に掛けられまへんえ」
「千姫様?」
「うちもよう知らんけど、偉いお屋敷のお姫はんなんやて」
「お姫様が何で島原にいるんだよ?」
「だから、よう知らんのどす。ただ、館のお母さんも頭が上がらんようなお人やさかい、うちなんて恐れ多て近づけまへんの」
「けど、もう一人とは親しいんだろ? あの南雪って娘も舞妓じゃないのか?」
小鈴と同じ立場のはずの南雪が何故、そんな偉い人物と親しくしているのだろう。
そんな疑問に、小鈴は一言で返した。
「南雪ちゃんは特別どす」
「どういうことだ?」
「南雪ちゃんは最初から千姫様とも君菊姐さんとも親しゅうしてはりましたから」
君菊といえば、あの日南雪と一緒に芹沢の座敷に来た芸妓の名だ。
彼女の芹沢のあしらいは見事の一言に尽き、あの夜の芹沢はいつになく上機嫌だった。
「なあ、その話もっと詳しく聞かせてくれないか?」
「?」
「だから、南雪と君菊さんと千姫って人のことを知りたいんだ」
その言葉を聞いた途端、小鈴の眼が胡乱げに眇められた。
まるで汚い物でも見るような冷たい視線にたじろぐ。
「な、何だよ?」
「・・・井吹はん、やらしいわ」
「そ、そんなんじゃないって! 知り合いが南雪を妙に気にしてたんだよっ。それだけだから!」
必死の弁明を繰り返し、ようやく少しだけ小鈴の目線が和らぐも、取って代わって困惑の色が強くなった。
「井吹はんの知り合いて新選組のお人やろ? 何で南雪ちゃんを気にするんどすか?」
「それは俺にも解らないけど、その知り合いって原田曰く究極の朴念仁だから変な真似はしないと思う」
その相手も井吹にだけは“朴念仁”などとは言われたくないだろう、と心の中で思いながらも、小鈴は口には出さなかった。
「でも南雪ちゃんのことで話せることなんてありまへんえ。うちも最近仲良うなった子やし」
「最近? 舞妓って子供の頃から島原にいるもんなんだろ?」
とはいえ小鈴と南雪の置屋は違うようだし、島原の舞妓や芸妓の人数はかなりのものだ。
長年島原で生活していようと、互いに話をしたことがなくとも不思議ではないのか。
そう訊ねると、小鈴は「へえ、まあ・・・」と曖昧な返答を返しながら困ったように視線を逸らした。
「うちも何度か話したことありますけど、気の優しい良い子どす」
「へえ」
確かに千姫と話していた南雪は普通の町娘のように明るく笑っていたが、龍之介が出会った時の彼女とは随分印象が違うのが気に掛かった。
だが小鈴も舞妓の時と町娘の時では雰囲気が違うのだから、仕事と私生活では表情が違うのだろうか。
(女ってのはわかんねえ生き物だな)
考えあぐねた龍之介が辿り着いた結論はそんなものだった。
■■■■■
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ〜」
「・・・・・・っ」
長く重苦しい沈黙の後、長々と吐かれたため息に千鶴は居た堪れない面持ちで身を竦める。
「薫、千鶴ちゃんが困ってるでしょ。何か言ってあげなさいよ」
見かねて口を挟んだお千をちらりと一瞥し、薫は千鶴に視線を戻してす〜っと息を吸い込んだ。
「この馬鹿妹!! あれだけ言ったのに何新選組と関わってるんだ っっっ!!!!!」
魂からの叫びが部屋中に轟く。
それからは先程までの沈黙が嘘のように長い時間を掛けた薫の説教が始まり、千鶴とお千が言葉を発することができる頃にはとっぷりと日が暮れていた。
「でも網道さんを捜すのに彼らの力を借りるのは良い考えだと思うわよ。そのお礼として変若水の情報をあげるのは理に適ってるじゃない」
お千が擁護するも、薫の勢いは止まらない。
「それであいつらに俺達のことがばれたらどうするんだよ。それに新選組といえば荒くれ者共の巣窟じゃないか。女のお前が出入りしていい場所じゃない。まったく松本先生も何考えてるんだ」
「確かに癖のある人ばかりだけど、悪い人達じゃないよ?」
「それはまだお前に利用価値があるからだろ。散々利用された後、口封じに殺されたり乱暴されるかも知れないんだぞ」
「そんなこと・・・っ」
ない、と断言できるほど彼らを知っているわけではない。
けれど不思議と千鶴は彼らのことが信じられた。
とはいえ、男ばかりの集団に千鶴が出入りするのを案じる薫の心配も解る。
会津藩や松本良順という後ろ盾があるとはいえ、軽はずみな行いであるのは変わらないだろう。
「くそ、こうなったら俺が代わって新選組に行くしかないか」
「え、でも沖田さんは凄く勘が良いから難しいかも・・・」
「やってみないと解らないだろ。とにかく次に屯所に行く時は俺が代わる。いいな」
「「・・・・・・・・・」」
決して譲る気はないという薫に、千鶴とお千は困ったように顔を見合わせた。
後日、薫がこの世の誰よりも沖田総司を嫌うようになったのは言うまでもない。
〈次〉
14.7.10up
第九話です。
お兄ちゃん激怒(笑)。
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