異能の剣 十九





新選組屯所から診療所への帰り道。
今や慣れ親しんだその道程を、今夜は行きも帰りも慣れない同行者と共に歩く羽目になり、千鶴はどうも落ち着かない気分だった。

原田はまだ気さくに話し掛けてくれたが、斎藤はまったく口を開く様子が無く、気詰まりな沈黙が漂う。
横目で窺い見ても彼の表情は動かぬまま、ざくざくと地面を踏みしめる二人分の足音以外に物音も無い。
一人で反省するために歩くことを選んだのに、隣を歩く男が気になって考え事どころではなかった。

いったい何故斎藤は自分を送ろうなどと思ったのだろう。
もし何か話があるのなら言って欲しい。
こちらから気軽に話し掛けられる雰囲気ではなく、勇気を振り絞って口を開こうとしては、斎藤の静謐なる空気に気圧されて結局口を噤むという行為を繰り返しながら、切実にそう思う。

この緊張感のまま診療所まで戻らなければならないなんて、いったい何の苦行だろうか。


ふと、微かな水音が耳に届いた。
この先を流れる川のせせらぎの音だろう。
川に掛かる橋を渡れば診療所まではもうすぐだ。

「雪村」

橋に差し掛かろうとした時、不意に足を止めた斎藤が千鶴を見た。

「少し付き合ってくれ」

「え?」

聞き返す間もなく、斎藤は川原に下りて行く。
その後姿を千鶴も慌てて追った。

「斎藤さん?」

「風が冷たいな。これを」

そう言って斎藤は首に巻いた布を外して千鶴の肩に掛けた。
斎藤の体温の残るそれは、優しい温かさで千鶴を包み込む。
思わずほっとなる千鶴だが、次の瞬間慌てて斎藤を見上げる。

「これでは斎藤さんが冷えてしまいます」

「俺はいい。あんたに風邪を引かれては困るのだから、おとなしく巻いていろ」

有無を言わさぬ口調に、「はい・・・」と素直に従うしかなかった。

それにしても何故こんな場所に立ち寄ったのだろう。
昼間ならいざ知らず、こんな夜の暗闇の中では景色を楽しむことなどできないのに。
提灯のほのかな明かりだけでは、せいぜい足元を照らすだけだ。

「俺の人生が変わったのも、こんな川辺だったな」

どこか遠くを見ながら、斎藤が独り言のような呟きを落とした。
彼の視線を追って見上げた夜空には無数の星が瞬き、吸い込まれそうなほど美しい。

「あんたは江戸の出身だと聞いた」

「あ、はい、生まれたのは北の地ですが、幼い頃に江戸に移り住みました」

夜空のような深い瞳がじっと千鶴を見る。
伸ばされた細い指が何かを確かめるように髪や頬に触れた。

「昔、ある少女と出会った。元服間もない俺よりずっと幼かった娘だが、今はあんたくらいだろうな」

千鶴を通して遠い過去に想いを馳せるように、斎藤は静かに語り始める。

一人の少年の運命が変わった、一つの出会いの話を   





■■■■■





斎藤は生まれつき左利きだ。
幼少時より武士の嗜みとして剣術を学び、才能を開花させたが、左利きであることを理由に実力を認められなかった。
江戸に数多く存在するどの道場でもそれは同じだ。

しかし斎藤はあえて剣の腕を落としてまで利き手を修正する必要性を感じず、己の姿勢を変えることはなかった。
異端扱いされ、卑怯者と蔑まれても、頑なまでに信念を貫き続けた。


その日も他流試合で勝利したにも関わらず、邪道だと罵られた斎藤はやり切れない思いを抱えながら帰路に着いていた。

いい加減慣れたとはいえ、罵られても蔑まれても何も感じないわけではないのだ。
自分の誇りを否定されるのは、何度経験しても辛い。
ここも駄目だった、という落胆が足取りを重くさせる。

不意に後ろから複数の足音が聞こえた。
振り返ると、先程の道場で斎藤と打ち合った門弟達が殺気だった様子でこちらに走って来るのが見えて足を止める。
彼らが目指すのは斎藤だ。
またか、と思わず溜息をついてしまう。

「何か用か」

問いかけながらも、彼らの答えは解りきっていた。

「さっきはよくもやってくれたな!」

一斉に竹刀を構える門弟達。
大勢でたった一人を囲むことを卑怯だと認識できる冷静さを失くしている。

左利きの斎藤に負かされた事実を恥だと感じ、復讐しようとする者は少なくない。
彼らも自分達の敗北に納得できず、勝負は終わったというのに斎藤を叩きのめして己の勝利を確信する為に追って来たのだろう。

愚かだと心底思う。
あの道場はいったい門弟達に何を教えているのか。

「そちらがそのつもりなら、俺も容赦はせん」

斎藤は布袋に入れていた竹刀を取り出し、構えた。
鋭い視線に射抜かれ、その迫力に一瞬怯んだ門弟達だが、少しでも動揺したことが許せないとばかりに怒りを露にする。

「ほざけ!」

「こっちは多人数だ。お前がどんなに卑怯者でも勝てるわけないだろ」

いったいどちらが卑怯だというのか。

猛々しく声を上げながら一斉に襲い掛かってくる門弟達。
彼らは自分達の勝利を疑っていなかった。
相手はたった一人だ。多少は抵抗されるだろうが、すぐに地面に倒れ伏すだろう。

だが、一太刀も浴びせられずに地に伏せたのは、彼らの方だった。
斎藤が左利きであることばかりに気を取られ、門弟達は彼との力の差を全く量れていなかったのだ。

読みやすい太刀筋、隙だらけの構え、統制の取れていない連携。
どれを取ってもお粗末に過ぎた。

痛めつけるはずが返り討ちに遭い、倒れた門弟達を一瞥した斎藤は竹刀を仕舞うと彼らに背を向けた。
もう何も話すことはない。むしろあの道場に通う門弟の程度が知れて良かったとも思う。
次こそはもっとまともな剣士のいる道場に辿り着きたいものだ。


一人を相手に複数で挑んでおきながら、手も足も出なかった門弟達は屈辱と怒りに打ち震えた。
これは敗北ではない、相手が左利きなどという邪道の剣客だったせいだと言い聞かせるも、一矢報いることすらできなかったのは事実。
これ以上あの男にこだわるべきではないと、悔しさに歯軋りしながらも認めるしかなかった。

そんな中で一人だけ、“別の方法”でならあの生意気な男に痛い目を見させられると、行動に出た者がいた。
彼は道場でただ一人の“異能使い”だ。
他の誰にもできない攻撃が彼には出来る。

己の行為がどれほど愚かで卑怯かなど、頭に血が上った彼に考慮しようもなかった。
ただただ気に入らない相手を痛めつけられればそれで良かった。

「食らえ!」

遠ざかる背に向け、異能を放つ。


背後の異様な気配に、斎藤はすぐに気付いた。
まだあの者達が醜い悪あがきをしようとしているのかと呆れつつ背後を振り返った時。

「っ!」

こちらに向かって今まさに放たれようとしている、巨大な火の球が見えた。
斎藤を火に巻くことに何の躊躇いもない、攻撃的な力。

それが放たれた瞬間、斎藤は思わず異能を発動させていた。
咄嗟に発動した為制御しきれなかった力は広範囲に広がり、斎藤と門弟達をまるごと飲み込むように水が降り注いだ。
じゅわ、と音を立てて火の球が消える。

「右差しの上、水の異能なんて使いやがって! 貴様それでも武士か!」

「・・・っ」

痛烈な言葉だった。

左利きであることは恥ではない。しかし、異能だけは違った。
武士の魂といえる刀を錆びさせる水の力は、武士にとって恥ずべき力だと言われている。
刀を愛する斎藤もその例外ではないが、何の因果か彼の異能は水だ。

(こんな力、欲しくなどなかった・・・)

異能など自分にはないのだと振舞っていても、先程のように突然異能で攻撃されれば咄嗟に使ってしまう。
それは自分の命を守るための防衛本能なのだが、異能を厭う斎藤にとっては己の弱さを露呈しているようで、右差しを蔑まれた時以上に悔しかった。

剣でも異能でも勝てないことを悟ってすっかり戦意を喪失した門弟達に今度こそ背を向け、斎藤は足早にその場から立ち去った。


一層重くなった足取りで帰路に着く斎藤は、大きな川沿いの道を歩いていた。
今は川を流れる水さえ目にしたくないが、帰り道なのだから仕方がない。

しばらく歩いていると、土手に草や木々の色の中に異色を見つけた。
目を凝らしてみると、それが人間であることに気付く。しかも随分身体が小さい。

(子供か)

特に興味を持ったわけではないが、何となく子供を視界に入れながら歩を進めた。
長めの髪といい帯の高さといい、子供は女の子のようだ。
年の頃は十に届くかどうかというところか。

川辺にしゃがみ込み、少女はじっと手元を見つめている。
すると、ぽんっ、という音と共に小さな両手から煙が立ち昇った。

「やっぱり、だめ・・・」

「何をしている?」

思わず問いかけていた。
少女ははっとしたように振り返り、目を丸くして斎藤を見上げる。

「お兄ちゃん、どうして濡れてるの?」

斎藤の着物はさっき水を被った時のまま、ずぶ濡れだ。
少女が驚くのも無理はない。

どう答えるべきかと逡巡していると、不意に温かな風が斎藤を包んだ。
髪や着物に吹き付けてくるそれは、どうやら少女が発しているもののようだ。

「風使いか」

まさかこんな幼い少女が異能を使えるとは。
風の力は多彩な使い方ができるのが特徴で、使いこなせば空さえ飛べるような能力だ。
攻撃力の高い雷と並んで、斎藤が欲しいと願った力でもある。

「火も使えればもっと早く乾くけど、火の力だけは怖くて使えないの・・・」

「火の力だけ? 風の他にも使えるのか?」

複数の異能を使う者など聞いたことがない。
いったい何を言っているのかと問う間もなく、少女は斎藤の着物から水分を分離させていく。
どうやら水の力と風の力を同時に発動させているようだ。

こんな異能の使い方は初めて目にした。いやそもそも二つの異能を扱えること事態ありえない。
そういえば先程の煙は火の力を発動させようとして失敗したものだったのか。
もしやこの少女は雷や地の異能も扱えるのだろうか。

「あんたが羨ましい・・・」

誰かを羨んだのは初めてかも知れない。
こんなに当たり前のような何気なさで風や水を使いこなす少女を、心底羨ましく思う。

自分も複数の力を得られれば、水の力もその一つだと受け入れられただろうに。

そんな呟きを落とすと、少女はきょとんと首を傾げた。

「水が嫌い?」

「俺が百姓や町火消しであれば重宝しただろうが、俺は武士だ。侍の命といえる刀を錆びさせる力は害にしかならぬ」

こんな子供に愚痴を言っても仕方のないことだと解っているが、誰かにこの悔しさを吐き出したかった。
左利きを罵られ、水の異能を蔑まれた後だから余計に、荒んだ胸のうちを聞いて欲しかった。

巻き込まれた少女にとっては災難だっただろう。
けれど彼女は真剣に斎藤と向き合おうとしていた。

「水は、色々なものになれるよ」

そう言った少女の小さな手の平の上に現れた水の球が、斎藤の目の前でその姿を変える。

「これは・・・」

「お空から降ってくるのは雨だけじゃなくて、冬には雪が、春には霙が、夏には雹が降るの。でも皆空に浮かぶ雲が落とす水なんだって」

手の上でふわふわと踊るのは小さな雪達。
一粒が斎藤の手に触れると、体温に融けて水となった。触れた箇所に一瞬の冷たさを残して。

「冬の朝、桶に張った水が氷になってるの見たことある? でも融ければまた水に戻るの。水は色々な形に変わるのよ」

「・・・・・・」

氷。
その言葉に天地が引っ繰り返るかのような衝撃を受ける。
異能の性質を変えるなんて考えたこともなかった。

(氷ならば、俺も異能の剣士として誇れる力となる)

例えば攻撃。氷柱のような氷の刃なら、十分な武器となるだろう。
例えば防御。地の能力が作り出す防壁を、氷で作り出せるかも知れない。
簡単に融けない氷ならば、刀を錆びさせることもない。

「俺にも、できるだろうか?」

「水を嫌わないで仲良くして?」

子供らしい言葉選びだが、要は水の力を否定せずに向き合えということか。

目の前に大きな道が拓けたかのような感覚だった。
すぐにでも何か始めたいと、気持ちが逸る。
己の異能に可能性を感じたのは初めてだ。

その道を指し示してくれた存在に目を向けると、大きな丸い眼が斎藤を見ていた。

多大な恩を受けたというのに、何も返さずに別れるわけにはいかない。
とりあえず自分のことは横に置き、斎藤は少女のことを考える。
彼女もまた自分とは違う理由から異能を持て余しているようだ。
複数の異能を使えるのに、火だけは使えないと先程口にしていた。

「あんたは何故火が使えぬのだ?」

先程の彼女の言葉から、懸命に少女が火と仲良くするためにこんな川辺で練習をしているのであれば、何か心情的な原因があるのだろうか。
斎藤の問いに、少女はしゅんと表情を曇らせる。

「火が怖いの。前にお家が燃えてしまったから・・・」

火事に遭ったことがあるのか。
こんなに幼いのに火の恐ろしさを目の当たりにしたのなら、恐怖を覚えるのも当然だ。

火は攻撃性に優れた異能だが、彼女はその攻撃性に怯えている。
その不安を失くす手伝いをしてやるにはどうするべきか。

「あんたは料理をするか?」

「? はい」

「火は料理に必要だ。湯を沸かしたり、食材を焼いたり、炒めたりする。火の加減も大事だな。それによって米の炊き方に大きな差が出る。自分の力で美味い飯を作ることができれば、幸せになれないか?」

「はい」

困惑気味だった少女の顔が少し明るくなった気がする。
女の子であれば母親の料理の手伝いなどしているのだろう。

「火は確かに恐ろしい。だが夜の暗闇を照らすのも、寒い冬に身体を温めてくれるのもまた火だ。生活に火は欠かせない。それを自在に操れれば非常に便利だろう」

こくりと頷いた少女の顔には笑みすら浮かんでいた。

先程少女は斎藤の着物を乾かすのに火が使えれば、と発言した。
どうやら少女は異能を生活における便利な道具扱いしている気がする。
それが何とも新鮮だった。

「あんたの力は何かを壊すのではなく、生み出すためにあるようだ」

斎藤が嫉妬を覚えてしまうくらいの能力に恵まれた少女。
けれど、そのお陰で斎藤に一つの大きな道を拓いてくれた。

「ありがとう、お兄ちゃん!」

自分が目の前の男の人生を変えてしまったことに気づいていない少女は、斎藤に無邪気な笑顔を見せた。

「いや、俺の方こそ礼を言う」

少女につられるように、自然と緩やかに笑む口元。
つい数刻前まで沈んでいた心も、今は熱く高揚している。


その後、斎藤は少女を父親と泊まっているという宿に送り届けた。
医者である父親の仕事で随分遠い地に来ていたらしい。
まだ幼い少女は診療所の場所を上手く説明できず、改めて訪ねるのは難しい。
斎藤自身も家は遠くにあり、次に向かう道場はまた別の地域だ。
彼女との出会いは奇跡にも近い偶然であり、おそらく二度と会うことはないのだろう。

(氷の力が完成すれば、改めて礼を言いたかったのだがな)

かなり残念に思うが、仕方ない。

いずれ、今日のように奇跡的に再会できる日を神に祈るしかなさそうだ。



〈次〉

14.11.20up

第十九話です。
斎藤さんの人生が変わった日の出来事でした。



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