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異能の剣 二十
「あんたはもう覚えていないだろうが、俺はあの時の娘はあんただと思う。多異能者を見たのは後にも先にもあの娘だけだったからな」
「覚えて・・・います」
忘れるはずがない。
幼い頃出会った、寂しげな眼をした年上の少年のことは、ずっと気掛かりだったのだ。
千鶴の答えに一瞬驚いたように眼を丸くした斎藤は、「そうか」と嬉しげに口元を緩めた。
「あんたに会いたかった。会って、礼を言いたかった」
やはりあの娘は彼女だったのかという安堵が、自然と素直な気持ちを声に乗せる。
「俺が今氷使いとして新選組の役に立てているのは、あんたのお陰だ。ありがとう」
己の異能を誇れるようになったのは、あの少女が水の力の可能性を示してくれたからだ。
その道は決して平坦なものではなかったが、彼女の言葉とあの時眼にした光景が斎藤を支え続けた。
何の衒いもない感謝の言葉に、千鶴は頬に熱が集まるのを感じた。
今が夜で良かった、と心底思う。
「それは斎藤さんが努力なさったからですよ」
居た堪れなくなりながらも、何とかそう返す。
だがそれは決して謙遜などではない。
切欠は確かに千鶴の言葉だっただろうが、それ以外は斎藤自身の努力で手に入れたものだ。
異能の性質を変える。
それが人間にとってどれだけ大変なことか、千鶴は知らなかった。
一族と共に人里離れた山奥の集落で暮らしていた幼少の頃、異能は身近なものだった。
皆当たり前のように色々な異能を使っていたし、子供にとっては遊び道具だった。
だから、人間が鬼ほど異能を使いこなせないことも、制御を誤れば己の身に降り掛かってくることも知らなかったのだ。
あの日、名も知らぬ少年との出会いを、千鶴は無邪気に養父である網道に話した。
すると、いつも温和な網道が厳しい口調で千鶴の軽はずみな行動を叱った。
人間の前で異能を使ってはいけない。使えるのだと悟らせてはいけない。人間と関わってはいけない。
異能を持つ人間は少ない上に、それなりに扱える者とくれば極僅かだ。
しかも千鶴は複数の異能を使えることまで明かした。
それが人間達に知られれば、鬼の力を利用するために千鶴を捕らえようとするだろう。
いつになく険しい顔で網道は千鶴にそう言い聞かせ、名や住まいを明かさなかったことがせめてもの救いだと、すぐに宿を発つ準備を始めたのだ。
養父の反応から、自分の行いが褒められたものではないことは解った。
こんなにも網道を怒らせてしまうのなら、二度と人間の前で異能は使わないと幼心に誓うものの、不思議とあの少年に異能を見せたことを悪いことだとは思えなかった。
暗く、寂しげな表情の少年。
何故かずぶ濡れで現れた彼の打ちひしがれた様子に、どうにか元気付けてあげられないかと千鶴は必死に考えた。
水の異能を厭う彼に、水を好きになって欲しくて色々な形に変えて見せた。
江戸ではあまり見られなくなってしまった雪は、家族と暮らした故郷を思わせてくれる大切な風景だ。
冷たくて、時に恐いけれど、こんなにも綺麗なものに水は変化できるのだと知って欲しかった。
すると、それまで暗澹としていた少年の眼に光が灯った。
千鶴の言葉でみるみる生気を取り戻し、やっと微笑んでくれた時は嬉しくて仕方がなかった。
その後も千鶴に優しくしてくれた彼が、網道の言うような恐い人間だとは思えなかった。
ただ、彼が異能の性質を変える為に苦しい思いを味わうのだとしたら、自分の無責任な言動を申し訳なく思う。
そして時は流れ、千鶴と斎藤は思い掛けない形で出会う。
「あの夜、助けて下さったのは斎藤さんですよね」
羅刹が人間を襲った現場での偶然の出会いにより、二人の道は再び交差した。
斎藤があの時の少年だとすぐに解ったわけではないが、間近で彼の顔を見た時、千鶴はどこか懐かしい気がした。
次の瞬間、羅刹に放った異能の力に予感は確信へと変わった。
風間が言ったように、氷の異能を持つ人間はいない。
刀を持つ者ならかつての斎藤のように、水の異能を悪しきものとして封じるからだ。
百姓や町人ならばあえて水の性質を変えることに意味を見出さず、そんな発想すらしないだろう。
「氷を使えるようになったところを、あんたに見せられて良かった」
水を厭う彼に残酷な夢を見させてしまったのが良かったのか悪かったのか、その答えは今目の前に在る。
彼がどれほどの苦労を重ねたのかを窺い知ることはできないが、斎藤は見事に氷の力を己のものとし、あの時の少年が目指した武士としてここに立っているのだから。
「あんたはどうだ? あの後、火の力を扱えるようになったのか?」
「はい、斎藤さんに言われた通り、お料理に使っていたら上達しました!」
今では弱火も強火も思いのままです、と誇らしげに続けると、斎藤はくくっと喉の奥で笑った。
「そういえば、あんたの味噌汁は美味かったな。豆腐の切り方も見事だった」
・・・もしかして平助が言っていた豆腐にこだわりを持つ隊士とは彼だろうか。
二人は川原から上がり、診療所への道を再び歩き始めた。
もう、沈黙を気詰まりだとは感じない。
それどころか、どこか気分がふわふわとしていて、斎藤の隣を歩くだけで心が温かく感じる。
「前もこうしてあんたを送り届けたのだったな」
「あの時は名乗りもせず、お名前を尋ねることもできませんでしたけれど」
「そうだったな」
せめて名前だけでも聞いておけば良かったと、問う機会を逃して聞きそびれてしまったことを後で随分と悔やんだものだ。
だからこうして数年の時を経て隣を歩いている今が嬉しい。
「では改めて名乗ることにしよう。俺は新選組三番組組長、斎藤一だ」
先程、壬生寺で互いに名乗ってはいたが、この自己紹介には数年分の時を感じた。
だから千鶴も斎藤に向き合い、言った。
「雪村千鶴です。先日は助けて下さってありがとうございました。そしてお久しぶりです」
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千鶴を診療所に送り届けた後、斎藤は屯所までの帰り道をゆったりとした足取りで歩いていた。
何故か帰り道を急ぐ気になれない。
別れ際に千鶴から礼とともに返された襟巻きには彼女のぬくもりが残っていて、二人で過ごした短い時間の余韻に浸るように今夜の出来事と過去の出会いに思いを馳せる。
今の自分があるのは幼き日の千鶴のお陰。
それは紛れもない事実であり、斎藤にとって大切な思い出だ。
しかし水を氷に変異させる、と言葉にするのは簡単だが、並大抵の努力では為し得なかった。
幼い千鶴は難なく様々な形に変えていたが、同じようにしようとして出来るものではないのだと数日経たずして痛感したものだ。
まずは水の球体を作って氷に変えようと試みたが、何の反応も無かった。
水の量を減らしたり、増やしたりしてみても水は水のまま。
何度も試すうちに、水の力すら上手く操れていないことに気付いた。
それまで水の力を厭い、封じることばかり考えていたせいだろう。安定しない水は意のままにはならない。
少女が言った“水を嫌わず仲良くする”ことが出来ていない状態なのだ。
それからの斎藤は暇を見つけては水の力を操る努力をした。
ようやく水の中に氷が混じった霙状になったのは数年後のことだ。
ただそれも暑さや寒さに影響されるようで、ある程度寒くならなければ霙にすらならない。
暑さを少しでも長く避ける為に一時は本気で山篭りを考えたが、それでは剣術の方を疎かにしてしまう。
その剣術も、右差しの斎藤の剣を認めてくれる道場はどこにもなかった。
どの道場でも斎藤の剣は否定され、強さを認められない。
このまま自分は武士になれないまま朽ち果てていくのだろうか。
そんな不安が日に日に大きくなっていたある日、斎藤は“試衛館”に辿り着いた。
近藤勇が道場主を務めるその道場は、斎藤がこれまで見てきた中で最高の剣客達が揃っていた。
中でも沖田や永倉の実力は、何故名が知られていないのか不思議なくらいだ。
試衛館では右差しの剣も、水の異能もあっさりと受け入れられた。
初めて斎藤の力を認めてくれる場所に出会えたのだ。
水の力に関しては山南の存在があったのが大きい。
彼は水使いの剣客として生きるのを覚悟した男だった。
あらゆる液体の性質を知る彼は、斎藤が水を氷に変化させようとしているのを知ると嬉々として協力してくれた。
それは斎藤にとって大きな助力になる。
山南はまず普通の水の力と、霙状の力を徹底的に分析し、斎藤の力の流れ、その性質を調べ上げた。
彼の理論的な助言によって、それまで自分の感覚が頼りだったところに知識が加わわった。
剣で、異能で、試衛館の面々と心置きなく戦えたのも良い刺激になった。
右差しも異能も否定されず、屈指の実力者達と思いっきり打ち合える環境が斎藤に充足感と余裕を与えた。
そうして斎藤は試衛館で氷の力を完成させたのだ。
水に氷が混じったものではなく、完全な氷を形成できた時、試衛館の皆は我が事のように喜んでくれた。
氷の力は攻撃力が高い上に、防御にも優れている。
使用方法は地の異能に近いため、近藤や永倉を参考にしながら斎藤は氷の異能を己のものとした。
幼い少女に切っ掛けを与えられ、試衛館の仲間達の力を借りて作り上げた異能。それが斎藤の力だ。
仲間達には感謝してもし足りない。
夏場に涼を求めて色々注文された時は脳天に氷の塊でも落としてやろうかなどと考えたりしたが、そうしたやり取りも楽しかった。
やがて“羅刹”と呼ばれる化け物が人を襲うようになると、異能を持つ武士達の力が求められた。
生死が分かれる戦場では右差しも水の異能も関係ない。
仲間達と共に戦うこと。己が剣と異能で羅刹を倒すこと。それが全てだ。
ふと気付けば、もう八木邸は目の前だ。
門を潜ると、その足で副長室に向かう。
千鶴を無事送り届けたことを報告する為だが、同時にもう一つの報告をしたかった。
今夜、風間の襲撃によって“鬼”というものの存在が明らかになった。
これまで松本良順の関係者であり、変若水研究の助手という立場の千鶴がその一員であると解り、土方は彼女への警戒心を強くしている。
しかし斎藤にとって彼女は特別な存在だ。
少しでも千鶴への心証を良くする為にも、過去の出来事を報告しておきたい。
そして出来ることなら。
千鶴の助けになりたかった。
〈次〉
14.11.30up
第二十話です。
氷の力は斎藤さんの努力と山南さんの探究心の結晶です。
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