異能の剣 二十五





静かな眠りに付く朝の島原。
一夜の夢から覚めた者達は昨夜の余韻に浸りながら帰路に着き、豪奢な装いを解いた女達はまた訪れる夜に備えて家事に稽古に精を出す。


夜の妖艶とした姿とは打って変わった雰囲気を漂わせる島原を、共も連れずに慣れた足取りで歩く一人の女がいた。
桜の模様をあしらった着物がよく似合う美しい娘。
芸妓であれば夜ともなるとどれほど煌びやかな艶姿を魅せるのかと、擦れ違う男達が胸をときめかせる。

そんな熱の篭った視線に気付くことなく、どこか憂いを帯びた表情の娘は物思いに耽りながら楚々と歩く。

(ったく鬱陶しいったらないな。いやらしい眼で俺を見てるんじゃねえぞ人間共!)

・・・・・・否、女装の少年は心の中で罵倒しながらずんずん歩く。

こういう好色な視線に晒したくないから、可愛い妹には“南雪”をさせたくないのだ。
かと言って自分の目が届かない所で新選組と馴れ合うのも嫌だし、でも妹のためにも雪村網道は探し出さなければならないし。
ああもう、この身体が二つあればいいのに。

南雲薫は妹、千鶴への愛と新選組への呪詛とその辺の男共への侮蔑を頭の中に繰り広げつつ、ある場所を目指す。

辿り着いたのは一軒の家だ。
揚屋などの広さはないが、十分立派な建物である。

ガラリと引き戸を開けると、中にいた人物の視線が集まる。

「お疲れ様です」

礼儀正しく会釈してくれるのは浅黒い肌の大柄な男だ。
奥には寝そべりながらスルメを噛みつつ、だらしない格好で本を読む奇抜な姿の男もいる。

「風間は?」

「あー、まだ寝てんじゃねえの?」

答えたのは奇抜な格好の男、名を不知火匡という。
そしてもう一人、天霧九寿は音もなく立ち上がり、窓の外に鋭い視線を向けた。

「今日もいますね」

「いつもいつもご苦労なこった」

「いい加減鬱陶しいけどね」

この家は千姫が用意してくれた“南雪”の家だ。
男である薫がまさか他の芸妓や舞妓達と共同生活を送るわけにはいかず、薫と千鶴のために貸してくれたものだが、今やすっかり鬼の隠れ家として定着している。

その家の周囲に不審者が現れ始めたのはいつからだったか。
毎日毎日飽きもせず“南雪”を尾行する“誰か”。
当初は“南雪”に懸想した島原の客かと思ったが、どうも違う。
薫はもちろん天霧達も注視していたが、どうやら一定の人数が交代で常に“南雪”を見張っているようだと最近結論着いた。


「さて、何が狙いなのやら」

「南雪を嫁にでも欲しい大店の子分とかじゃねえの」

けらけらと笑う不知火をギロリと睨み、薫は長い溜息を吐く。

連中の目的がはっきりしない間は迂闊に千鶴に会えない。
こうしているうちにも沖田の奴が千鶴に変なちょっかいを掛けたりしているかも知れないのに。
その他の奴らも油断がならない。
いつあの連中が千鶴に手を出すか解らないのだ。

(掟なんか無視して連中を残らず消し炭にしてやりたい)

そんな物騒な手段まで企んでしまう。


“南雪”を付け回す不審な男達。
その正体を探ることに集中している間に千鶴にも不審な手が伸び、大事な妹が憎き新選組の屯所に預けられることを薫が知ったのは、それからしばらく後のことだった。





■■■■■





寒さが和らいで桜の蕾が綻び始めたと思ったら、いつの間にか梅雨も明けて今は夏の盛りである。
じっとしていても息苦しくなる暑さの中、盥に張った水に足を浸して涼を取りながら千鶴は目まぐるしく過ぎた数ヶ月を振り返っていた。


始まりは夏の暑さなどまだ遠い先の話だった春先の夜。
いつもと変わらないはずの夜が、一転して恐怖と緊張に満たされた。


『松本先生、雪村君、羅刹がこの近くに現れた!』

明日の診察の準備を終えたところに突然駆け込んできた山崎が緊迫した声で告げた言葉が、その直後の恐怖への前触れだった。

新選組と関わるようになってから千鶴に護衛が付けられたことは知っていた。
けれど彼らは千鶴に普段と変わらない生活を送って欲しいと言って、屯所までの行き帰り以外は姿を現すことがほとんどない。
しかし千鶴の身に危険が迫っていると判断した場合は別だ。先日、千鶴が不審な侍に声を掛けられた時や、今この時のように。

『羅刹は外を歩く人間を襲う。家の中にいれば安全だとは思うが万が一ということもあるからな』

山崎の指示で家の戸締りを確認し、三人は一つの部屋に集まって羅刹が遠ざかるのを息を潜めて待った。
静寂の中、外から聞こえてくる足音が怖くて風の防壁を作り上げ、どうか誰も羅刹に襲われませんようにと祈った。

羅刹がこの場所から離れれば山崎が新選組に彼らの出現を報せる。
誰の命も奪われることなく、新選組の手で羅刹の恐怖から京の町が守られるはずだ。

そう自分に言い聞かせて気を紛らわせていた時、バンッという衝撃音が聞こえた。
それは立て続けに何度も起き、いったい何が起きているのかすぐには解らなかった。

『どういうことだ?』

戸惑いを含んだ山崎の声に我に返り、千鶴は風の防壁をさらに強化させる。
繰り返し響く音は、“何か”が防壁に当たって弾かれる音だ。
聞こえてくる唸り声や奇声はもはや人間のものではない、不気味な声。

羅刹がこの診療所に押し入ろうとしている。

頭でそれが解っても理解が追いつかない。

『何故羅刹がここを狙う!?』

その疑問に答えを返せる者は居ない。

恐怖と混乱に身体が震えた。
目の前で起きている出来事が、遠い過去の凄惨な記憶を呼び起こす。


突如平穏な暮らしを襲った惨劇。
必死に逃げていた幼い頃の自分と兄。
平和だった村を包み込んだ、真っ赤な炎。


現在の恐怖と過去の恐怖が押し寄せ、平静でいられなくなる。
一人きりだったらきっと我を失って取り乱していただろう。
そんな中、松本や山崎の存在がどれほど支えとなったか。
千鶴の手をきつく握ってくれた良順の手の温かさが、二人を守るように入り口に向かって立つ山崎の背中が、どんなに頼もしく感じたか。

永遠にも感じられた時間は、やがて終わりを告げる。

『諦めたのか・・・?』

いつの間にか音は聞こえなくなっていた。
しばらくは警戒していた山崎だが、慎重に外の気配を探ってようやく終わったと判断したのか、千鶴に防壁を解くように言った。

周囲を確認する為に山崎が外に出てやや経った頃、再び複数の足音が近づいて来たが、それは夜の巡察をしていた新選組のものだった。
羅刹に気づいた山崎は診療所に駆け込む前に火の異能を使って狼煙を上げたのだという。
仲間達がきっと気づいてくれると確信して。

『千鶴、良順先生、いるか?』

息を切らせて現れた浅葱色の羽織を纏った原田を眼にした瞬間、安堵のあまり崩折れそうだった。

一通りの事情説明を終えると、原田は『今夜はもう休めよ』と言って数名の部下と山崎を残して巡察に戻っていった。
とても眠れないだろうと思っていたが、極度の緊張に晒されていた心身は疲弊していたようで、布団に横になるとすぐに眠りについた。


そして翌日から、慌しい日々が始まった。

昨夜の事件はすぐに他の幹部達にも知らされたようで、朝も早くから血相を変えた平助が『千鶴     っっ!!』と叫び声を上げながら駆け込んできた。
それを皮切りに永倉、沖田、斎藤が次々と診療所を訪れ、しばらくここに泊り込みするかなどと準備を始めようとした所に原田と土方と山南が現れて四人を引きずって帰って行った。

その後は診療所の護衛が強化され、連日のように土方や山南が時間を見つけては良順と話し込でいた。
幹部達も巡察の最中に様子を見に来てくれたり、非番の日には診療所に泊まったりと、千鶴達を気に掛けてくれた。

斎藤や平助、原田は心から千鶴達を案じてくれたし、沖田は『やっぱり君がいると楽しいね』と笑いつつも子供達との遊びに連れ出して気を紛らわせてくれた。
お千や君菊も千鶴を心配して頻繁に訪ねてくれた。

そんな日が続くうちに新選組が屯所を西本願寺に移すことが決まり、そこに良順と千鶴も医療方として加わることとなった。
それは羅刹に狙われた良順と千鶴を新選組で庇護するための決定であった。

ただ、新選組屯所も西本願寺も女人禁制である為、千鶴はこれまで新選組に訪れる時のみだった男装を日常的に強いられるようになる。
千鶴も納得しているし、それまでの男装の経験から今や然程の苦にはなっていないのだが――どうも周囲の目が生温かく感じるのは気のせいだろうか。



「あれ? こんな所で何してるの?」

不意に聞こえた声に、意識が現実に引き戻される。

「あ、沖田さん、て・・・あっ!」

沖田は一人ではなかった。
長身の彼に纏わり付く子供達が、千鶴を見て不思議そうな表情になる。

「千鶴お姉ちゃん、どうしてお侍さんになってるの?」

沖田とよく遊ぶ子供達は千鶴とも顔見知りだが、男装姿で会ったことはない。

「えっと、あの、それは」

何と言えば言いのだろう。
女だとばれないようにしろと土方にきつく厳命されていたのに、こうして顔見知りの子供達に会った時にどうすればいいのか考えていなかった。

診療所の患者達にはどう説明していたのだろう。
何故か誰も何も言わなかったから、良順がどう誤魔化したのか解らない。

いったいどうして沖田はこんな所に子供達を連れてきたのだ。
事前に言ってくれればどこかに隠れていたのに。

おろおろと沖田を見上げると、何とも楽しげな笑顔があった。
明らかに千鶴が困っているのを面白がっている様子に、沖田さんが連れて来たんだから何とかして下さい!と必死な目で訴える。

千鶴の窮状を楽しむような男だが、彼なりに多少は責任を感じているのか、沖田は宥めるように千鶴の頭を撫でて子供達に向き合った。

「皆、このお兄ちゃんは千鶴お姉ちゃんじゃないよ」

「えー、千鶴お姉ちゃんだよー」

「・・・これは内緒の話なんだけどね」

不意に潜められた声音にただならぬ気配を感じたのか、不満げだった子供達が一様に息を呑んだ。
子供達の目線にまで身を屈めた沖田は周囲を警戒するような素振りを見せつつ、真面目な表情を作る。

「実は千鶴お姉ちゃんは悪い人達に狙われてて、僕達新選組で守ってあげなくちゃいけないんだ。でも屯所に女の子は入ったらいけないから、男の子の格好してるんだよ」

驚きに丸くなったいくつもの幼い瞳がきらきらと輝きだす。

「皆も、千鶴お姉ちゃんが男の格好で屯所にいるなんて誰かに言っちゃ駄目だよ?」

「うん! 絶対言わないよ!」

「約束する!」

子供は秘密や内緒話というものが大好きだ。
新選組の重要な秘密を知ったことに誰もが胸を躍らせている。

「じゃあお兄ちゃんって呼ぶ練習しようか。間違えてお姉ちゃんて呼んだらくすぐりの刑だね」

「おにーちゃん!」

「ゆきむらのおにーちゃん!」

・・・・・・・・・。
何だか既視感のようなものを感じた。
というか、最近自分を見る周囲の目と子供達の目がよく似ている気がする。

それは・・・“男の子なんだよね。うん、わかってるよ。君は女の子じゃなくて男の子だ。そういうことにしておいてあげよう”と言いたげな居た堪れなさを誘う優しい視線。

そ〜っと沖田を窺い見ると、彼は満足気な笑みを浮かべて子供達を見ていた。



〈次〉

15.4.20up

第二十五話です。
女の園で女装する兄と男の群れの中で男装する妹(笑)。



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