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異能の剣 二十六
蝉の声が響き渡る真夏の京は、木陰さえも僅かな癒しとならないほど蒸し暑い。
炎天下、そんな言葉が相応しい焼けるような空のもと、歩き続ける千鶴の足が思わずふらついた。
「千鶴、大丈夫か?」
隣を歩く斎藤が気遣わしげに問い掛ける。
「は、はい・・・」
余計な心配を掛けたくないのに、応える声に力がない。
滲み出る汗は拭っても拭ってもきりがなく、 じりじりと降り注ぐ強烈な日差しが体力と気力を奪っていく。
隊服を纏う新選組の面々に比べて薄着の自分が音を上げるわけにはいかないと気力を振り絞るも、意思に反して足取りはおぼつかない。
いつでも手を貸せるように千鶴の歩調に合わせて歩く斎藤は、見たところ汗一つ掻いていないようだ。
黒い着物に隊服を羽織り、その上に襟巻きを巻いた、とてつもなく暑苦しい格好でありながら、何故こうも涼しげな顔でいられるのか、その秘訣を教わりたい。
「すみません、斎藤さん・・・。私、皆さんにご迷惑を・・・」
「気にするな。然程の遅れは無い」
確かに、隊士達は所々で検分や聞き込みをして回る為、巡察の足を引っ張るまではいかずに済んでいる。
だが自分に構っているせいで斎藤の邪魔になってしまっているのは確実だろう。
いくら土方や近藤の許可があり、幹部達も納得していても、足手まといになりかねない自分の存在に苛立ってはいないだろうか。
普段と変わらず感情の読めない無表情の中に己への非難の色を見つけるのが怖くて、千鶴は足元に落とした視線を上げられなかった。
松本良順の診療所が新選組と共に西本願寺に移転してから、千鶴の生活も変わった。
山南や山崎、井上等は暇が出来れば診療所を手伝ってくれるようになり、お陰で空いた時間で千鶴も屯所内の細々とした雑用を担うようになった。
反面、以前より千鶴の行動は制限されるようにもなった。
千鶴と良順が羅刹に襲われそうになった日から、単独での行動を禁じられたのだ。
父を捜す為に町を歩くことはもちろん、ちょっとした買い物も幹部の誰かの同行が必須となったのだが、親しい幹部達や監察方の面々はいつも多忙で、千鶴に割く時間はなかなか取れない。
島原も当面の間は薫に任せるしかなく、網道を捜すことができなくなってしまった。
千鶴が京に来た目的は網道捜しであり、それは幕府との関係が深い松本にも課せられた任務だ。
しかしこのままの状態が続くと、いつまで経っても事態は改善しない。
そんな千鶴に近藤や土方が出した妥協案が、昼間の巡察への同行だ。
羅刹は日中姿を現さないが、羅刹の所為で治安が悪くなりつつある京には不逞浪士と呼ばれるならず者も多く存在する。
そういった者達を取り締まるのも、新選組の役割だ。
羅刹を相手とする夜よりはマシとはいえ、巡察は時に命を落とす恐れのある危険なものだ。
故に千鶴を守れる力を持ち、彼女の事情を知る幹部の隊に限られるが、千鶴が網道を捜せる機会はそれしかない。
そこには網道を捜す為という他に、千鶴が新選組に保護されているという事実を網道や千鶴達を狙う者達に知らしめる目的もあった。
そうして千鶴は新選組の巡察に同行するようになったのだが、折りしも今は真夏。
長時間歩き続けるには非常に体力と気力を要する気候である。
「お前なら異能で涼を取ることができると思ったが?」
不意に不思議そうな面持ちで斎藤が言った。
彼は千鶴が多才な異能を生活における便利な道具として使っているのを知っている。
斎藤ですら暑い夏には仲間達にしつこくしつこくしつこく要求されて渋々異能で氷を作り、沖田や藤堂が風を操って皆で涼んでいたことがある。
千鶴ならその程度のことなら簡単にやってのけるだろうし、もっと上手い方法も使えるはずだ。
しかし彼女は斎藤の言葉にとんでもないと首を振った。
「皆さんが暑い中お仕事を頑張っていらっしゃるのに、自分だけ涼んでいるわけにはいきません」
「しかしそれでお前が倒れては本末転倒だ」
「そ、それはそうですが・・・」
千鶴の言い分も解るが、自分の身体を大事にして欲しい。
やせ我慢を続けても千鶴が辛いだけだし、無理して倒れられたら結局巡察の妨げとなってしまうのだ。
淡々とそう諭すと、千鶴は消沈した声で「はい・・・」と頷いて自分の周囲にほのかに涼しい空気を纏った。
冷気の膜のようなものだろうか。
ほっと息を吐いた千鶴の表情が少し和らぐ。やはり相当無理をしていたようだ。
少しでも彼女が楽になれたのなら良かった。
安堵すると同時に千鶴に向いていた意識が散った分、周囲の様子を捕らえるようになる。
その中に不穏な気配を捉え、斎藤の鋭い視線がその根源を追って素早く巡る。
通りを行き交う人々の中に潜む敵意。
新選組を厭う不逞浪士のものだろうか。それとも千鶴を狙う者か。
どちらにしろ相手の方から行動を起こさない限り、こちらからは手が出せない。
一層周囲への警戒を強めながら、斎藤は千鶴の傍にぴたりと寄り添い、その後も巡察を続けた。
太陽が西寄りに傾く頃、三番組は西本願寺への帰途に着いた。
得体の知れない気配は付かず離れず、どこかに潜みながら執拗に付き纏ってくる。
本能的に何かを感じているのか、時折千鶴が不安げに周囲を見渡すのを横目に捕らえつつ、斎藤は視線に気付かぬ振りを通していた。
屯所に帰り着くと、やっと正体不明の不安から解放された千鶴は雑用をこなすべく喜々とした様子で駆けて行った。
巡察に同行させてもらったことへの丁寧な礼を告げて走り去る後姿を見送り、斎藤は一旦部下達と共に屯所の中に入る。
平隊士達は早速暑苦しい隊服を脱ぎ、汗を流そうと我先に井戸に向かう。
その中を一人、斎藤は裏口を目指す。
新選組屯所として使っている建物の周りを、見慣れない男がうろついていた。
己の身を隠しながら何とか中を窺おうとしている動きは明らかに怪しい。
風体はどうやら侍のようだ。不逞浪士、というには小奇麗な感じがしないでもないが、“私は不審者です”と言わんばかりの様子からでは判断のしようがない。
「何か用か」
足音を立てずに男の背後まで近づき、低い声音で話しかけた。
男はびくっと大げさに身を強張らせ、慌てて振り返った。
「な、いつからそこに!」
ここまで近づいてもまったく気づかない男に呆れる。
余程何かに意識が集中していたのだろうか。
「新選組に何の用だ」
再度問いながら、いつでも刀を抜けるよう柄に手を掛ける。
男は一瞬怯んだものの、忌々しげに表情を歪めた。
「新選組、だと・・・」
口にするのも汚らわしいと言わんばかりに吐き捨てる。
「不逞浪士と変わらぬ武士のなり損ない共が何を粋がっているのか!」
男の目に宿る侮蔑の色に、斎藤は不快げに眉根を寄せた。
「貴様とて元はといえば・・・」
「斎藤?」
男が更に何か言おうとした時、聞き慣れた声が聞こえてきた。
すると、己の不利を瞬時に悟った男は素早く身を翻し、走り出す。
「何だ? 取り込み中だったのか?」
走り去る男と斎藤を交互に見やりながらこちらに近づいて来たのは原田だ。
「屯所の周りをうろついていた。用件を尋ねたのだが、あんたの声で逃げ出した」
「悪い、捕り物の邪魔しちまったのか?」
「いや」
新選組への敵意は感じたが、相手は刀を抜いていなかったし、何の目的でここに来たのかも解らないままだ。
不審者として捕らえるにはまだ理由がない。
今日は諦めるしかないな、と小さく溜息を吐く斎藤の隣で、原田は独り言のように呟いた。
「どこかで見たことがあるような気がするんだがな・・・」
どこでだったか、と腕を組んで考え込む原田。
「知り合いか?」
「いや、違うと思うが・・・」
しばらくう〜んう〜んと呻っていたが、やがて組んでいた両手を解いて頭を掻き毟った。
「駄目だ、思い出せねえ! ちらっとしか見えなかったし、どうせ他人の空似ってやつだろ」
そう言いつつも、思い出せない苛立ちが端正な顔に滲む。
「よし、酒を買いに行くぞ! 今日はお前も付き合えよ斎藤」
苛々を解消するには呑むのが一番だ、と何かにつけて呑んでいる男は今日もまた酒を煽る理由を見つける。
そして斎藤の返事も待たずに、原田は酒を買うために町へと向かうのだった。
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「新選組だと? ふざけやがって・・・っ」
搾り出すように、食いしばっていた口元から怨嗟の篭った声が零れ落ちた。
何故あのような“武士”と呼ぶのもおこがましい連中が幕府に認められるのか。
“斎藤”と言ったか。あの男もどうせ武士にもなれない紛い物だろうに。
(紛い物・・・そうだ、あいつらは武士の紛い物だ・・・!)
いつだったか。
人を超えた能力を持つはずの“羅刹”を、圧倒的な力で屠った化け物が口にしていた言葉が頭の中に蘇る。
『貴様ら紛い物に生きる価値などない』
傲慢な、あまりにも不遜なる声の主は、その態度に相応しいほどの力を備えていた。
何故あのような者が存在するのか、夢でも見ているのかと思ったが、残された羅刹の躯がその者が夢でも幻でもなかったことを物語る。
新選組などという武士とも呼べぬ集団がどれ程の力を持っていようと、所詮人間は羅刹の力に敵わない。
そう確信していた自分達の自信を木っ端微塵に打ち砕いてくれた衝撃は、今も忘れられない。
(紛い物に生きる価値はない? ならばその羅刹より弱い者達は尚更生きる価値などあるまい)
その羅刹を、愚かしくも排除しようとする鬱陶しい武士の紛い物の群れ。
(幕府から名を賜り、庇護を受けるべきは我らであるべきなのに!)
何故男が羅刹を“紛い物”と称したのか。
何故新選組が羅刹と戦い続けるのか。
以前なら理解できていたであろうその理由に思い至る余裕もなく、男はひたすらに新選組への憎しみを募らせる。
〈次〉
15.5.10up
第二十六話です。
斎藤さんは真夏に近くで見たくないかも(笑)。
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