異能の剣 二十八





鋭利な刃を伝う紅い筋。
美しいまでの真紅の雫が落ちていく先は、更なる深淵の紅。


「これで研究が進められますよ、ありがとうございます」

一滴、また一滴と紅い液体の入った瓶に落ちていく雫を満足げに見つめながら、雪村網道は傍らに立つ男に声を掛けた。

「いや。しかしあの娘は何者だ。まさか異能を使って抵抗してくるとはな」

ビリビリとした痛みと痺れの残る腕を擦りながら、男は窓越しに外を見やる。

先程までの騒ぎは新選組によって鎮静化された。
未だ興奮冷めやらぬ雰囲気はあるものの、日常の風景が戻りつつある。
騒乱の中で傷を負った娘は隊士の一人に連れられ、もうあの場にはいない。

当初、男は娘を連れ去るつもりだった。
網道の前に娘を連れてくる。それが無理なら少量でも良いから血を持ち返って欲しい、というのが依頼だ。

網道の娘、千鶴が新選組と行動を共にするようになってから、ずっと彼女を新選組から引き離す機会を窺ってきた。
しかし向こうもこちらを警戒しているらしく、千鶴の傍には常に幹部の姿があった。
認めたくはないが、剣の腕も異能も並外れた力を持つ彼等に正面から挑んでも勝てる見込みは低い。
故に、こちらは策を弄する必要があった。

千鶴が新選組の巡察に同行し始めてから、巡察の経路や検分を行うであろう場所を徹底的に検証した。
そしてこの日、ならず者達に金銭を渡し、隊士達が検分の為に千鶴の周囲から離れた時を見計らって街中で騒ぎを起こさせた。

いくら幹部とはいえ、大勢が騒ぐ中をたった一人ではすぐに騒ぎを収めることはできない。
目論見通り喧噪に巻き込まれた千鶴は幹部と離され、男は彼女を捕らえることに成功した。
驚いた彼女は男の手を振り払おうと抵抗したが、所詮はか弱い女の力だ。男の力には敵わない。
後はこのまま網道のもとへ連れて行くだけだ。

ところがその瞬間、娘を捕らえていた手から凄まじい衝撃が全身に奔った。

まさか異能の中で最も扱いが難しいと言われる雷の力を保有しているとは想像だにしなかった男は、まともに衝撃を受けた反動で思わず手を離してしまう。
その隙に逃げ出した娘を咄嗟に懐に忍ばせていた短刀で斬りつけるのが精一杯だった。


小娘一人攫うくらい簡単な仕事のはずだったのに思いがけない反撃を食らい、結局少量の血を持ち返ることしかできないとは。
最低限の任務は果たせたものの、己の油断が招いた情けない結果に苛立ちが隠せない。

(あの娘もただの娘ではないということか)

通りで網道が執着するわけだ。
不気味な程感情を表さない男がほんの僅かな血を前に興奮している様子からも、如何に彼女が特異な存在であるかが窺い知れる。


「さて、この変若水の効果を試してみますか」

そんな彼女の血が混ざり合った変若水がどんな効果を発するのか。
男の中にも興味が湧いた。





■■■■■





治療を終えた千鶴を良順のもとに残し、幹部達による話し合いは場所を土方の部屋に移していた。
議題はもちろん千鶴の処遇である。

この先も千鶴を巡察に同行させるべきか否か。
彼女を狙う者達が千鶴を傷つけることも厭わない連中であることが判明し、意見は真っ二つに分かれた。

千鶴が望むなら巡察に連れて行けばいい、という意見は沖田と永倉、山南のもの。
しばらく様子を見るべき、という慎重な意見は平助と原田、近藤のものだ。
ただ、平助はもしまた千鶴が巡察に同行する時には今度こそ守りきってみせると息巻いてもいる。

千鶴にも先程同じ問いをしたが、彼女の意思はこれからも巡察に同行させてもらいたいというものだ。
昼間の騒動の中で一瞬だが網道らしき人物を目撃したことが引っ掛かっているのだろう。
ただ今回新選組に迷惑を掛けたと気に病んでいるようで、土方達の決定には従う意思も見せている。


「斎藤、お前の意見は?」

「俺は局長と副長の判断に従います」

話を振ればいつもの平淡な口調が返る。しかし・・・。

(ならその殺気を引っ込めやがれ)

声に出したいのを必死に抑え、土方はきつく口を引き結んだ。
さっきから全員がちらちらと斎藤に困ったような視線を向けているのを、彼は気づいているのだろうか。

静かに佇む斎藤の全身から溢れる禍々しいまでの殺気。
今にも腰に手を当てて刀を抜き放ちそうなほどの緊張。
涼しげな目元はきつく眦を吊り上げ、瞳は凍りつく程の怒りを湛える。

斎藤にとって千鶴は特別な存在だ。
左利きの武士としての彼を受け入れたのは試衛館だが、“水使いの武士”を最初に認めたのは幼い頃の千鶴。
しかも彼女は水の異能の可能性を示し、斎藤に“氷の異能”を与えた。

斎藤から昔話を聞かされた時、浮かんだのは近藤の顔だった。
武士になりたくてもなる術もなく、ただ足掻いていた若き日の土方の前に道を拓いてくれた大切な存在。
斎藤にとって千鶴はそんな存在なのだろう。

ただ近藤と違うのは、千鶴が稚い娘だということだ。
異能に関してはここにいる誰よりも秀でているが、彼女は武士ではない。
己を守る為に異能を使うことはあっても、誰かを傷つける目的で行使はしない。
背中合わせに戦うのではなく、男の背に守られて当然の弱き娘。
痛い思いも怖い思いもさせたくなかったのに、理不尽な暴力は彼女を狙った。

平助や斎藤達ほど千鶴と関わっていない土方ですら彼女を傷つけた相手に怒りを覚えるのだ。斎藤が怒らないはずがない。
もしも今目の前に下手人が現れれば、誰よりも真っ先に刀を抜くのは間違いなく彼だ。そう確信する。

とりあえず話題を変えようと一つ咳払いした土方は、緊迫した空気の中で居心地悪そうにしている一人の男に眼を向ける。

「井吹、お前に訊きたいことがあるんだが」

「な、何だ?」

気詰まりな緊張から解放される!
そんな期待に満ちた井吹龍之介の目が土方に向けられる。

「八木さん家にいた頃、屯所までの帰り道で会ったとかいう侍の顔は覚えているか?」

「?」

言われて思い当たるのは一人の侍だ。
まだ桜の蕾も固く閉ざされていた春先、龍之介は一人の侍とすれ違った。
出会い頭にいきなり「生きていたのか」などと言われては忘れようもない。

屯所に戻ってから永倉や原田等にその話をした後、その人物が共に江戸から上京してきた者ではないかと推測した原田達は一応土方達にも報告していた。
“清河”の名が浮上した時、その記憶が土方達の脳裏に浮かんだのだ。
ここに千鶴に関しては蚊帳の外だった龍之介を呼んだのも、その話を訊く為である。

「お前絵が得意だろ? 解る範囲でいいからそいつの顔とか、特徴とか描けねえか?」

土方の言葉を継いだ永倉の問いに、戸惑いつつも龍之介は頷いてみせる。

「あ、ああ。そいつとはあれからも何度か会ってるから描こうと思えば描けるが・・・」

「何度も会ってる?」

「芹沢さんのお供で島原に行くと時々そいつも現れるんだよ」

(ああ、それで芹沢さんはあんなことを言ってきやがったのか)

数刻前の芹沢の発言を思い出す。
ということは芹沢は以前から“清河”と言葉を交わしていたということか。
それを今まで一切自分達に黙っていたことに苛立ちを覚えるも、あの人がわざわざ親切に教えてくれるわけがないとどこかで諦めている自分も居た。

では何故今頃言う気になったのだろう。
そんな疑問が浮かんだ時、龍之介が何かに気づいたように斎藤をちらりと見た。

「そういえば、あいつも南雪を気にしてたな・・・」

瞬時に周囲の気温が一気に下がった。
蒸し暑い夏の夜が、まるで極寒の雪国のように凍りつく。

「落ち着け斎藤!」

「どうどう、一君どうどう!」

「な、な、どうしたんだ斎藤!?」

「どうせならこの部屋凍らせてみてよ一君」

「総司! てめえは黙ってろ!」

必死に斎藤を宥める永倉と平助。
慌てる龍之介。
煽る沖田と怒鳴る土方。

部屋に本来の蒸し暑さが戻ったのは、しばらく後のことだった。





■■■■■





「へっくしょん!」

盛大なくしゃみの音が厨に響き渡る。

「だ、大丈夫ですか? 原田さん」

「ああ平気平気、昨夜ちょっと冷え込んだせいだろ」

「・・・え?」

そんなに冷え込んだだろうか、と千鶴は寝苦しかった夜を思い出す。
冗談だろうか? たぶんそうだと思うが、妙に真実味があるような・・・?

「あの、具合が悪いのでしたらお休みになった方が・・・」

「んなわけにはいかねえよ。今朝の当番は俺と新八なんだから」

とはいえまだ新八の野郎は来てねえが、と苦々しげに吐き捨てる。
そしてはたと気づいて千鶴を見下ろした。

「というか、何でお前は厨にいるんだ? 今朝の当番は俺と新八だろ!?」

先程と同じ台詞を確かめるように繰り返す。
厨にいるのがあまりにも自然で見落とすところだったが、何故千鶴まで厨にいるのだろう。

「お手伝いします」

「いや、駄目だろ。お前は怪我人なんだから」

いつもなら是非ともと喜ぶところだが、千鶴は昨日怪我をしたばかりだ。
いくら何でも炊事仕事などさせられない。

「傷ならもう治りましたよ」

ほら、と見せられた白く細い腕にはもう包帯は巻かれていない。
恐る恐る触れて確かめれば、うっすらと赤い跡が残るだけだ。

「すげえな」

すぐに治る、という彼女の言葉は真実だったのだ。
それにしても治りが早い。

「しばらくしたら跡も消えてると思います」

「そうか、そりゃ良かった」

優しい手つきで傷跡を撫でる。

女の柔肌に傷が残らずに済むのは良いことだ。
だが、それを当たり前だとは思いたくない。

(すぐに治ったとしても、こいつが血を流したのは事実なんだ)

袖口が真っ赤に染まっていた着物。
相当深い傷だったのは間違いない。

(怖かっただろうな)

大きな手で頭を撫でてやると、はにかんだ笑みを浮かべる千鶴。
あどけなさを残す可愛らしい顔が、理不尽な暴力を受けて痛みに歪められたのだ。

(絶対に許せねえ)

胸の内から湧き上がってくるのは、炎のように燃え盛る怒りだ。

昨夜は静かに深く怒り狂う斎藤が何をしでかすか解らず自分の感情は二の次になっていたが、自身もこれ程までに怒りを感じていたのだと実感する。



〈次〉

15.6.10up

第二十八話です。
斎藤さんも原田さんも激おこです。平助君もだけど(←)



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