|
異能の剣 二十九
島原。
人々が一夜の夢を買うその場所では、今夜も艶やかな妓女達が華やかに夜を飾る。
琴や三味線の音色に混じって客達の笑い声が漏れ聞こえる中、角屋のとある一室は妙に静かだ。
その部屋の前で一人の芸妓が立ち止まり、妖艶なる笑みを浮かべて障子に手を掛けた。
「お晩どす。君菊どすえ」
部屋の中には男が二人、君菊を待っていた。
どちらの顔にも見覚えがあるが、珍しい組み合わせだと内心で疑問を浮かべる。普段はどちらも別の連れと来るのだが。
「よく来てくれたな、君菊さん。さっそくで悪いが話がしたいんだが」
「いややわ、原田はんともあろう方が無粋なこと言わはって。お酌もさせてくれまへんの?」
部屋に入るなり本題を切り出され、呆れ混じりに笑う。
「悪い、気が急いていてな。今夜は芸者遊びに来たわけじゃねえんだ。君菊さんの持つ情報が欲しい」
「島原の女は問われて開くような軽い口は持ち合わせておりまへんえ」
随分とらしくない振る舞いだ。
島原での遊び方をこの男 原田左之助は熟知しているだろうに。
妓女の口を割らせようとするのは愚の骨頂である。
「千鶴のこと、と言えば協力してくれるか?」
「千鶴ちゃんの?」
「ああ。昨日、巡察中に千鶴が何者かに襲われた」
「!」
原田が花街での暗黙の掟を犯すほどに焦っていた理由がこれか。
千鶴の名を出されては、何もせずに傍観しているわけにはいかない。
「八番組の巡察中、町で乱闘騒ぎが起きて千鶴が笠を被った男に連れ去られかけた。千鶴は咄嗟に抵抗して男から逃げたが、腕を斬り付けられて負傷した」
淡々と話しながらも、原田の表情には堪えきれない怒りが滲んでいた。
「下手人の目処は付いてますのん?」
「いや。ただ、千鶴は以前から何者かに狙われていたし、屯所預かりになってからも不審な人物が周囲をうろついていたからな。おそらくそいつらだとこちらは見ている」
千鶴が新選組屯所に匿われることになった経緯は君菊も知っている。
いつぞやは羅刹にまで狙われたと言うから、千鶴を守る力を持つ新選組のもとに身を置くのは千鶴の為にも良いだろう、というのが君菊の主人である千姫の言葉だ。
「そしてある男が一連の出来事に関与しているのではないかと土方さんが言い出したんだ」
そう言って原田はもう一人の人物に眼をやり、「龍之介」と名を呼んだ。
呼ばれた男、井吹龍之介は懐から折り畳まれた髪を取り出して君菊に差し出す。
受け取った紙に描かれていたのは、男の似顔絵だった。
「清河八郎。あんたには見覚えがあるはずだ」
確かにある。最近芹沢鴨の座敷に出た折、彼を訪ねて来たことがあった。
いつも芹沢に同行して来る井吹の手前、否定の言葉は口にしない。
「こいつは俺達が江戸から京へ上京する切欠を作った奴なんだが、意見の違いから浪士組には参加せず江戸に戻ったと思われていた。だが、今は京にいる」
そうだろう?と真摯な眼が問いかける。
原田が求めている情報とは、この男に関するものかと合点がゆく。
「・・・お話の前に、一つよろしおすか?」
「ん? 何だ?」
「あんたはん方は千鶴ちゃんをどないなさるおつもりですのん?」
「どない・・・とは?」
「千鶴ちゃんは千姫様の大切なご友人どす。そして一族にとっても貴重な存在。そんなお方を傷つけるような者は、絶対に許しまへん」
千鶴に何かあれば日本中の鬼が黙ってはいないだろう。
そんな存在と彼等はこれからも関わり続ける覚悟はあるのか。
君菊の言外に潜む脅しに、しかし原田は顔色一つ変えなかった。
「そりゃ新選組も同じだな。千鶴に害為す奴は絶対に許さねえ。それが鬼だろうと羅刹だろうと、な」
真っ直ぐに君菊の眼を見据えて答える声に一切の迷いはない。
突然緊迫した空気に、状況が理解できていないらしい井吹は見つめ合う二人をおろおろと交互に見る。
やがて目を逸らしたのは君菊の方だった。
「よろしおす。千鶴ちゃんの為なら協力致しまひょか」
清河に関してはこちらも気にしていた。この状況は渡りに船とも言える。
ようやく緩んだ緊張の糸に、一番安堵したのは井吹だろう。
涼しい表情の原田の隣で、彼はすっかり顔色を失くしていた。
新選組の一員であっても、どうやら彼は普通の人間のようだ。
内心で怯えさせてしまったことを彼に詫びながら、君菊は先程の空気を払拭させるべく話し始めた。
「清河はんについて、どしたな。芹沢はんと何を話されとったかはご本人に訊かれはったらよろしいんちゃいますの?」
「それができりゃ世話ねえな」
「芹沢さんが教えてくれるわけねえよな」
芹沢と清河が話をする場に居合わせたことがあるのは四人だけ。
座敷に呼ばれて酌をした君菊と南雪。共に飲んでいた風間。そして強引に連れて来られた井吹。
井吹はいつも芹沢達から離れて座っていた為、会話の内容はほとんど聞いていない。
風間には新選組側から会う方法がないし、会っても素直に教えてくれるような性格の持ち主ではない。そして南雪 南雲薫も同様。
つまり、最も頼りになる情報源が君菊なのだと言う。
清河と最も近くで詳しい話をしたのが自分達の局長筆頭だと言うのに話が聞きだせないとは、新選組の内部は色々と複雑な人間関係があるようだ。
「そうどすなあ。清河はんはしきりに芹沢はんの気を引こうとしてましたなあ。芹沢はんの人脈を欲しがっておられました」
「芹沢さん、顔が広いからなあ」
「何故そんなことをする必要があったのかが疑問だな」
「ある研究をしているから、ですやろなあ」
その一言に原田は瞬時に顔色を変えた。
やはり彼等も疑っていたのだろう。
「清河が“そう”言ったのか?」
「うちには“そう”聞こえただけどす」
研究の内容まで耳にしたわけではない。
決定的な言葉を欲していた原田の方は幾分落胆したようだが、疑いは一層濃くなったと言えよう。
「実はこちらでも少し厄介なことが起きておりますのや」
「というと?」
「最近、南雪ちゃんが妙な男はん方に付け回されてるらしくて・・・」
「? さっき原田が言ったこととどう違うんだ?」
口を挟んだのは井吹だ。
心底不思議そうな表情をしているところを見ると、彼は千鶴と南雪を混同しているようだ。
「ああ、龍之介は知らなかったんだったな。南雪は二人いるんだ」
「はあ???」
益々意味が解らないと困惑の声が上がる。
だが原田はさっさと話しを進めたいらしく、「それで?」と君菊を促す。
不審な男達に関しては風間達が調査中だ。
そしてそこにも清河八郎が関わっているという見解もある。
何しろ、南雪 南雲薫の周囲が尾行されるようになったのは、清河と出会ってからだ。
「清河はんは南雪ちゃんをえらい気にしとりましたからなあ。真っ先に疑われましたわ」
「それで実際どこまで解ってるんだ?」
南雪を見張る連中は複数人いて、交代しながら監視していた。
そこで交代した監視者を今度はこちらが尾行して向こうの情報を掴もうと、風間の仲間達が動いている。
しかしそれ以上の情報はまだ君菊のもとには届いていなかった。
「天霧九寿と不知火匡。この二人の名前を覚えといておくれやす」
敵を探るうちに鉢合わせた時、間違っても敵対する状況に陥らないように。
共通の敵がいる以上、鬼と新選組が揉めるのは得策でない。
「解った、皆にも伝えておく」
「それから・・・」
聞きだせる情報はこれくらいかと原田が話を切り上げようとするのを思わず遮っていた。
この先を言うべきか否か。
清河の話を聞くうちに、君菊の中では一つの可能性が浮かび上がっていた。
そして今夜、原田から千鶴が負傷したと聞かされて、それは現実味を帯びてきたのだ。
雪村網道は清河と共にいる と。
■■■■■
島原からの帰り道。
暗い夜道を二人分の足音が静寂の中に溶け込む。
会話の無い道中は重苦しい沈黙が圧し掛かり、少し後ろを歩く井吹は気詰まりなことこの上ないだろう。
いつもなら同行者にそんな思いをさせないよう気を遣うことのできる原田だが、今は井吹のことまで気が回らなかった。
彼の脳裏を支配するのは、先程の君菊との会話ばかりである。
網道と清河が共に居る。
それは土方や山南も予想していたことだ。
千鶴を狙う者はしきりに網道の名を出して彼女を誘き出そうとしていた。
彼らが網道の身柄を拘束している可能性は否定できなかった。
だが君菊は網道は拘束されているのではなく、協力関係にあると言ったのだ。
『何故そう思うんだ?』
問いに、君菊は逡巡しながら口を開いた。
彼女にもはっきりとした自信はないのだろう。声には迷いが滲んでいた。
『千鶴ちゃんが傷つけられたからどす』
原田からその話を聞いて、君菊の中に恐ろしい一つの考えが浮かんだという。
即ち 鬼の血が狙われた、と。
『網道はんならよう解っとりますやろ。千鶴ちゃんに流れる血がどれほど特別なものであるか』
変若水の研究にのめり込めばのめり込むほどに、あらゆる可能性を確かめようとするかも知れない。
そこで網道が目をつけたのが千鶴の血だとすれば・・・?
『馬鹿な。網道さんは千鶴の父親だろう? 子供を傷つける親がどこにいるんだ?』
『雪村の眷属であっても、網道はんの鬼の血はかなり薄うなっております。ほとんど普通の人間と変わりまへん』
だが千鶴は違う。
今や純血と言える鬼は数える程しかおらず、女鬼ともなれば千鶴と千姫くらいしか残っていないらしい。
鬼の血が濃ければ濃いほど力が強く、使える異能の数も多い。
千鶴や風間が多異能者だと知った時、原田も仲間達も心底驚いた。心のどこかで羨んだのも確かだ。
けれど自分達には己の力量に自信を持ち、過ぎた力を求めるほど愚かでもない。
(だが、誰もがそうではない)
鬼の血が薄く、異能も人間と同じように一つしか持たないという網道。
彼は純血の女鬼であり、いくつもの異能を有する千鶴をどんな眼で見ていたのだろう。
(だからと言って、網道さんは千鶴の養い親だろう?)
千鶴が心から網道を慕っているのは、短くはない付き合いで原田もよく知っている。
素直過ぎる性格やおっとりとした立ち振る舞いからも、彼女が網道に大事に育てられたのは明らかだ。
清河の方はどうだろうか。
直接話したことはほとんどないが、彼の言動を考えれば変若水の研究に手を出すのは不思議ではない。
そして千鶴の血に興味を持つであろうことも想像できる。
しかしそれには千鶴の血が特殊であると知らなければならない。
だとすれば、やはり君菊の予想は当たっているのだろうか。
(くそ、こんなこと絶対に千鶴には言えねえな)
苛立ち紛れに蹴り飛ばした小石は、虚しく道の向こうに転がっていった。
〈次〉
15.7.1up
第二十九話です。
京言葉は難しい・・・。
|