異能の剣 三十





清河八郎   

羅刹の台頭と不逞浪士の狼藉によって悪化しつつあった京の治安のため、江戸にて羅刹に対抗しうる力を持つ者達が集められた。その発起人こそ、清河である。
清河の招集に多くの腕利きの男達が集まり、その中に芹沢達や試衛館の面々もいた。

しかし上洛した途端、清河は翻意した。
彼の目的は羅刹の脅威から京を守るのではなく、人を超えた力を得るために羅刹を生け捕りにして研究することにあったのだ。そのために腕の立つ者達を集めたのだと言う。

今では羅刹の研究は新選組でも行うようになったが、山南が目指すのは少しでも変若水の効果を薄め、出来得るなら羅刹を人に戻すことにある。
それは“羅刹”が変若水を飲んだ“人間”であることを知ったが為。

清河が、羅刹がかつて人であったことを知っていたのかは定かではない。
けれど彼は羅刹の持つ人間離れした能力を欲し、それに賛同する者も何人か存在した。

近藤を始めとする試衛館組は当然反発した。
幕府の名の下、京の治安を守るために結成された組織なのに、京まで来ておきながらそれを翻すとは何事か、と普段温厚な近藤も流石に激昂した。

そして清河に賛同する者達と反発する者達とに組織は分裂し、その後二派が互いに顔を合わせることは二度となかった。



   とまあ、こんな感じかな」

沖田のざっくりとした説明に斎藤は「なるほど」と頷いた。

斎藤は江戸から土方達とともに上洛したのではなく、この京で浪士組に合流した為、清河との確執を詳しく知らない。
解っているのは清河が浪士組の発起人であることや、京に着いて早々土方達と決別したことくらいだ。
しかし最近の一連の出来事に清河が絡んでいる可能性が浮上した以上、少しでも情報を得る必要がある。

「つまり江戸に戻ったと思われていた清河は京に居り、網道さんに協力させて羅刹の研究を行っているかも知れないということか」

「とはいえ千鶴ちゃんは清河と面識がないらしいから、憶測の域を出ないけどね」

龍之介が描いた清河の姿絵を見せても、千鶴には見覚えがなかった。
彼女の周辺に現れる不審人物達が清河の関係者であったとしても、現時点でそれを確かめる方法はない。何しろ清河に疑惑が生じたのは昨日のことなのだ。情報が足りなさ過ぎる。

「江戸から一緒に京に来た僕達は顔を知られているから、清河の捜索は任されなかったんだよね。つまんないの」

「今は監察方の報告を待つしかあるまい」

言いつつも気が逸ってしまうのはどうしようもない。
千鶴を狙う者達の手掛かりが得られるかも知れないのだから。

「誰であろうと、千鶴を傷つけた報いは必ず受けさせる・・・」

呟く声に抑えきれない怒りが滲む。
おや、と眉を上げた沖田は「ふうん」と口元に笑みを宿した。

「一君がそんなに怒るなんてね。よっぽど千鶴ちゃんが大事なんだ?」

「あんたは怒りが湧かぬのか?」

「ううん、すっごく不愉快だよ。千鶴ちゃんを苛めていいのは僕だけなのに、怪我なんてさせてくれちゃってさ」

その物言いもどうかと思うが、これが彼なりの親愛表現なのかも知れない。
沖田は興味のないものに対して冷酷だ。傷つこうが死のうがどうでもいいと言い切ってしまえる。
千鶴は沖田にとって、どうでもいい存在ではないということだろう。

それにしても   と誰にともなく沖田が呟く。

「千鶴ちゃんを狙う奴ら、簡単にあの子を傷つけたよね」

千鶴が狙われていることは随分前から解っていたが、こうも躊躇い無く斬りつけてくるとは。
思えば、千鶴達が新選組預かりとなった経緯も、診療所に羅刹が押し掛けてきたせいだ。
利用価値があるのなら、少なくとも手に入れるまでは手荒な真似はしないはずなのに、相手は随分と強引な手段を講じてくる。それによってこちらが益々警戒を強めることは解っているだろうに。

「それだけ向こうも焦っているということかも知れぬな」

だからと言って千鶴を傷つけて良いなどということにはならない。
いったい彼らは千鶴をどうしたいのだろうか。


夜更け、島原から戻ってきた原田から君菊が語ったある仮説を聞くまでは、沖田も斎藤もさほど深刻に捕らえていなかったことを思い知ることになる。





■■■■■





夏の京の夜の蒸し暑さにはいつまで経っても慣れない。

あまりの寝苦しさに眠りを妨げられた千鶴は風に当たろうと部屋の外に出てみたものの、僅かに吹く風はねっとりと生温かく、まとわりつくような不快感しか運んでこない。

寝る前に異能を使って部屋の中を少し涼しくして眠ったのだが、時間が経てば暑さは戻ってしまう。
そして眠りが途中で覚めると、再び穏やかな眠りに着くことができなくなるのだ。

もう一度異能で涼みながら横になるのも手だろうが、一旦冴えた頭がそう簡単に睡眠に切り替わるわけがなく、直前まで見ていた夢のせいもあってすぐに眠る気にはなれなかった。


「どうした、こんな夜更けに」

濡れ縁に腰掛けてぼんやりと月を眺めていると、不意に聞き馴染んだ声が静寂を破った。
顔を上げれば、思いのほかすぐそばにその人は立っていた。

「斎藤さん・・・」

夜闇と同じ色の瞳が静かに千鶴を見下ろす。

「顔色が悪い。怖い夢でも見たのか?」

「えっと・・・」

返す言葉に迷ったのは、斎藤の言葉が的を射ていたからだ。
まさかいきなり言い当てられるとは思わず、否定も言い訳も考える余裕がなかった。

「その・・・ちょっと寝苦しいので風に当たりたくて・・・」

「だからと言ってそんな無防備な格好で部屋を出るな。平隊士に見つかったらどうする」

「あ、ごめんなさい・・・」

言われて自分の格好を思い出し、かあっと頬に熱が集まる。
夜着姿の千鶴は昼間の袴姿の時と違って、一目で女だと解ってしまう出で立ちだ。
こんな所を他の隊士に見られたらどうなるかなど、いくら千鶴でも解る。

「まあ、今は構わないが・・・」

小さくそう言い、斎藤は千鶴の隣に腰を下ろした。

「斎藤さん?」

「気が済んだら部屋に戻れ。それまでは俺がそばに居る」

驚きのあまり目を丸くする千鶴だが、斎藤の言葉を理解するにつれて嬉しさが込み上げてきた。
さりげない彼の優しさが嬉しかった。気分が落ち込んでいた今なら尚更に。

二人の間に落ちる沈黙。
斎藤と共に居て会話が途切れるのは珍しくもなく、当初のような居心地の悪さはもう感じない。
斎藤が醸し出す空気が柔らかなものであることを知っているから。

「昔の夢を見ていました」

心地よい静寂が、不思議なくらい自然に千鶴の口を開かせた。

「とても怖い夢です・・・」

夢の内容を思い出してしまうと、せっかくあたたかくなっていた胸の内が冷たくなっていく。
蒸し暑いはずなのに千鶴の顔色は青白く、膝の上で握り締められた手は小刻みに震える。


斎藤は黙ったまま、彼女の言葉を待った。

「幼い頃から幾度もその夢を見るんです。最近は見ていなかったんですけど、昨日のことがあったせいでしょうか・・・」

無理もない、と胸の内で呟く。
彼女は昨日何者かに浚われ掛けた上、斬り付けられたのだ。
“鬼”とはいえ、これまで争いとは無縁の平穏な暮らしをしてきた娘の心に負担とならぬわけがない。

「あんたは昨日恐ろしい目に遭ったのだ。不安定になるのも仕方ない」

己の身に思いがけず危害が及んだのだから動揺するのは当然だ。
それでも千鶴が懸命に気丈であろうとしているのは見れば解る。
そうやって気を張っていたから、抑え込んでいた恐怖が悪夢という形で表れたのかも知れない。

ふと、ここに来るまで居た副長室での出来事が斎藤の脳裏を過ぎった。

今夜はまだ眠れそうにないと思っているのは千鶴だけではない。
あの場にいたほとんどの人間が同じだろう。

「千鶴」

原田から聞かされた話を千鶴に明かせば、彼女はどうなってしまうのだろう。
千鶴を狙う者達と雪村網道の間に関係があり、しかも網道は捕虜ではなく協力者である可能性がある、などと。

(言えるわけがない)

千鶴が心から父を慕い、その身を案じているのはよく知っている。
その父親が千鶴の“鬼の血”を狙って彼女を襲わせたかも知れないなんて、不用意に口にして良いものではない。
少なくとも現時点では何の確証もない、君菊の推測でしかないのだ。
これ以上千鶴の心痛の種を増やすべきではないと、全員一致で決めたことだ。

「斎藤さん?」

名を呼んだきり口を噤んでしまった斎藤に、千鶴が不思議そうな視線を向ける。

「いや、何でもない。ただこれだけは覚えておけ」

網道の狙いが何なのか、今は考えても仕方がない。
彼が敵でも味方でも、自分達の進む道は唯一つ。

「俺達は必ずお前を守る。相手が誰であろうと、二度とお前に危害を加えさせない」

それだけは決して揺らがない。
月明かりにぼんやりと照らされる少女の瞳をしかと見据え、斎藤は誓いを言葉に乗せた。


真摯な眼差しに真っ直ぐに射抜かれ、どくりと千鶴の胸が高鳴った。

「お前には俺が、・・・俺達がついている。お前が悪夢に魘されない、安心して暮らせる世の中にしていく」

偽りのない言葉と確固たる自信。
斎藤はもちろんのこと、新選組の誰もが類い稀な力を有して日々羅刹と戦っている。皆信頼すべき、尊敬すべき武士達だ。
そんな彼らが自分の身を守ってくれている。これ程心強いことはない。

「ありがとうございます・・・。すごく、すごく嬉しいです・・・」

共に戦うことはできないが、彼らが千鶴を受け入れてくれるのが嬉しくて堪らない。
ここに居て良いのだと、感じさせてくれる。

「でも」

なのに、じわじわと込み上げてくる不安があった。

「私にそんな資格があるのか・・・」

「どういうことだ?」

怪訝そうに眇められた眼を見るのが怖くて俯いてしまう。

(どうしよう・・・)

できればこの先を口にしたくない。
だけど何も言わないまま彼らの厚意を受けてばかりいるわけにはいかない。

今の関係が壊れてしまっても、真摯な言葉をくれた斎藤に黙っていることはできなかった。


「私は新選組の皆さんにこんなにもお世話になっているのに、心のどこかでは人間を憎んでいるのかも知れないんです・・・」



〈次〉

15.7.20up

第三十話です。
やっと恋愛っぽくなってきた。・・・気がする。



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