|
異能の剣 三十一
憎しみなどという感情から誰よりも縁遠いと思っていた少女の口から零れ出た言葉に、斎藤は一瞬言葉を失った。
けれど「人間を憎んでいる」などと苛烈なことを言いながらも、その表情はやはり憎しみとかけ離れた哀しげな色に彩られ、憎んでいる というよりも憎んでいるのだと自分に言い聞かせているかのようだ。
心を落ち着けようとしているのか、眼を閉じて深く息を吐く桜色の唇に視線が吸い寄せられる。
この唇から語られる内容がどんなものでも、自分はきっと彼女を嫌うことも憎むこともできないだろう。例え千鶴が本当に人を憎んでいたとしても。
「私と薫が生まれたのは雪村の里という小さな村です。江戸よりも北の地の山奥にありました」
「会津か」
江戸よりも北の地といえば会津や仙台といった雄藩が真っ先に浮かぶ。
確か彼女や雪村網道は会津藩と縁があったはずだ。
「詳しい場所は覚えていませんが、会津藩との関わりはあったそうです」
とても美しくて穏やかな村だった、と彼女は愛しげに語る。
千鶴と薫は東で最大の鬼の一族雪村家の当主の子供として生を受けた。
決して裕福ではなかったが、皆が助け合って仲良く平和に暮らしていたのに、そんな日々はある日突然壊された。
夜も明けきらぬ暗闇を裂くように轟いた大砲の音で強制的に眠りから起こされた幼い千鶴は、何が起きているのかわからぬまま薫とともに家の裏口から放り出された。
いつも穏やかな父が怖い顔でお前達は生きろ、と二人に家宝の刀を託し、優しい笑顔の消えた母が哀しげな表情で抱きしめてくれたのが、今は顔もおぼろげな二人を見た最後の記憶。
怒号と悲鳴が飛び交い、炎に巻かれて燃え盛る村から薫に手を引かれて必死に逃げた。
幼い二人は小さな足で懸命に走ったが、いつしか繋いでいた手が離れて互いを見失ってしまった。
それでも父の言い付けを守って、当てもなく走り続けて 気が付けば千鶴は網道に連れられて見知らぬ地にいた。
「あの夜のことは忘れたくとも忘れられません」
繰り返し、繰り返し夢に見るのだと千鶴は言う。
炎に巻かれる村に響く、親しかった人達の苦痛に満ちた叫び。
後ろから迫りくる怒号と轟音への恐怖。
十数年経った今も、それらが脳裏に焼き付いて消えない。
「人間がすべてあの日の怖い人達と同じだとは思っていません。江戸の町では皆さんが親切にしてくれて、その人達のお陰で今の私が在ります。でも・・・」
江戸の町に移り住んだ千鶴達に、近所の人達は優しかった。
網道が医者であること、千鶴が母のいない幼子であることが主な理由だろうが、たくさんの人達から親切を受けたことを千鶴は決して忘れない。ただ、それでも・・・。
「私達の村を襲い、家族を殺したのもまた人間なんです・・・」
静かに、平和に暮らしていた家族の命を奪った人間達への怒りを失くすことはできない。
無関係の人々にその怒りを向けるつもりはないが、夢から覚める度に行き場のない悲しみと憎しみが込み上げてくるのだ。
この感情が自分でも抑えられないほど大きくなった時、優しくしてくれた人達や、千鶴を仲間だと認めてくれた新選組の人達まで“人間である”というだけで憎んでしまうのではないか。そんな不安を否定できないでいる。
素直で優しい性質は千鶴の美徳だが、その性格が裏目に出てしまったようだと斎藤は分析する。
養父である網道が医者を営んでいるということで、彼女自身も人間と深く関わってしまった。故に人間に対して恐れや憎しみ以外の感情も抱いたのだ。そのせいで相反する感情に苦しんでいる。
風間や薫のように「人間は弱くて愚かだ」と言い切ってしまえれば楽だっただろうに。
「許せぬ者を許す必要は無い」
話を聞き終えた斎藤は一言、そう言った。
「幻滅・・・しないんですか?」
「お前は村を滅ぼした人間とそうでない人間の区別がついているだろう。それなら良い」
千鶴はいつか人間すべてを憎む日が来るのを恐れているようだが、斎藤はそうは思わなかった。
彼女は人間への憎しみを持て余しているのではなく、幼い頃に受けた理不尽な暴力による傷が癒えぬまま、今も血を流し続けているのだ。そんな痛々しい姿に誰が幻滅などするというのか。
不安に満ちた瞳に宿るのは嫌われることへの恐怖。
いつか優しかった人達が、村を滅ぼした人間達のようになってしまうのではないかと無意識に恐れているように見える。
「鬼だろうと人間だろうと、お前は俺の恩人であり、新選組が守る者だ」
ならば自分は何度でも言い聞かせてやるだけだ。
新選組は決して彼女に刀を向けたりしない。
彼女を狙う者達がいるのなら、必ず守り抜いてみせる。
それだけの価値が彼女にあるのだと。
「お前を大切に想っている。俺も、総司も、平助も、左之も皆、お前を守りたいと思っている」
相手が例え千鶴が最も信頼を寄せる者であろうと、彼女を傷つけるのなら容赦はしないと思える程に。
斎藤の静かながらも強い意志を秘めた言葉は千鶴の心にすうっと染み込んでいった。
その包み込むような優しさに胸の奥が熱くなる。
戦う力など持たず、新選組のためになる有力な何かもさほど持っていない。
なのに厄介ごとばかり背負っている自分なのに、それでも彼らは受け入れてくれる。
「忘れるな、千鶴。この刀に掛けて俺はお前を守ると誓う。だから」
お前はここにいろ。
悪夢によって募る不安にも、毎日のように続けられる正体不明の相手からの揺さぶりにも屈することなく、新選組を信じて欲しい。
ここにいて良いのだと、安心させてくれる力強い言葉が何度でも繰り返される。
迷いの無い眼差しは千鶴の中の不安や恐怖をまるごと包み込んでくれるようだ。
「ありがとうございます、斎藤さん・・・」
感極まって震える声に、斎藤の表情が少しだけ柔らかく綻んだような気がした。
それにしても、と千鶴が落ち着いた頃、斎藤はわだかまっていた一つの疑問を口にした。
「何故お前の村は襲われた? 雪村の里の場所を漏らした者がいるということか?」
“鬼”という特殊な一族の存在を知る人間は極僅か、居場所までもとなれば幕府や各藩の上層部でもそうは居ない。
斎藤も土方達も千鶴や風間と出会うまでは、鬼の存在など御伽噺の中だけのものだと思っていたくらいだ。
なのに雪村の里は人間の軍勢によって滅ぼされたという。これはいったいどういうことだろう。
「幕府やどこかの藩の中の鬼を知る者、もしくは一族の誰かが裏切ったのだろうと風間さんは言っていました」
推測ならいくらでもできるが、残念ながら明確なことは何も解らないのが現状らしい。
雪村家が滅んだことは今では鬼の一族に知れ渡っているが、調査が行われたのはすべてが終わって長い時間が経ってからで、その時にはもう現場に証拠などは残っていなかった。
一番疑わしいのは会津藩だったという。しかし後に会津軍の関与は否定される。
藩の中に裏切り者がいたかどうかは解らないが、少なくとも藩は関わっていなかった。
他に雪村の鬼の存在を知るのは限られているし、裏切り者の存在の有無も今となっては特定できない。
(網道さんはどうだろうか)
村に攻め込んできた軍勢がどこの藩の者か、幼かった千鶴や薫が解らないのは仕方ないが、雪村の生き残りはこの二人だけではない。果たして雪村網道はどこまで関わっているのだろう。
先程の副長室での出来事があってか、どうも彼に対して穿った見方をしてしまう。
だが網道に関しては解らないことが多過ぎるのだ。
「幕府が網道さんに変若水の研究を命じたのは何故だ? 鬼であることを知っていたのか?」
斎藤の問いに、千鶴は何故そんなことを訊くのだろう、と不思議そうな顔をした。
「ごめんなさい、私にもよく解りません・・・」
幕府の命で京に行くと言って網道が旅立った頃、千鶴は変若水のことなど何も知らなかった。知ったのは、京に来てからだ。
それまでの過程がどうだったのか、千鶴には知る由もなかった。
「父様と連絡が取れなくなって、私は京に来ました。そして松本先生と会って初めて薬の存在を知りました」
松本は網道と同様幕府から研究を依頼されたが、変若水がどんなものかを知るや早々にそれを断ったらしい。
網道が上洛して来て結局巻きまれる形となったものの研究は主に網道のみが行い、松本は結果を聞くくらいしか関わっていなかったようだ。
だが、ある日突然網道が失踪し、松本のもとには彼が行ってきた研究の詳細を記した資料が残された。
引き継ぐことも処分することもできず、途方に暮れていたところに現れたのが、彼からの連絡を受けて上洛してきた千鶴だ。
資料を眼にしてすぐに事の重大さに気付いた千鶴は、京の鬼達に事情を話して協力を仰いだ。
「父が研究する薬のことを知って、私達は羅刹を人間に戻すための研究を始めました。父は変若水の強すぎる毒性を薄めようとして、その成果が現れていたようなので、無くすこともできるかも知れないと考えたんです」
鬼の力を以ってすれば、羅刹が暴れても難無く取り押さえることができる。
羅刹と呼ばれる紛い物のことは鬼の間でも問題になっており、多くの鬼達が千鶴に手を貸してくれた。
変若水の研究に末端とはいえ同族が関わっているとなれば、尚更見過ごせない、と言ったのは風間だ。
羅刹に関して鬼の一族が動き出したことは千姫の家を通して朝廷に伝わり、その守護に当たっていた会津藩、長州藩、薩摩藩にも極秘に伝わった。
薩摩と長州は千鶴の協力者である風間や不知火と関わりのある藩である為、話は早い。
複雑なのは会津藩だ。
この十数年、会津藩は雪村家を滅ぼした疑いが最も濃厚な藩だったからだ。
雪村の里を滅ぼしたのが会津藩の軍であった場合、鬼達は会津の敵となる。
そこでまず京の鬼の一族が会津藩に接触した。
そして会津藩が雪村の里の滅亡に関わっていないことが解り、やっと千鶴の存在が彼らに明かされた。
雪村の里が滅んだことを後になって知った会津藩は生き残りがいたことも知らなかったようで、千鶴と薫が雪村の血筋であると告げられて酷く驚いていたらしい。
その後会津藩から千鶴や松本のもとに変若水の研究に関して正式な要請が下りた。
それは以前松本や網道に幕府から届いた命令書ではなく、羅刹を根絶させたいという鬼達の意思を尊重し、許可するというもの。
薩摩藩や長州藩が風間家や不知火家と協力関係にあるように、会津藩が雪村家への協力を約束したのだ。
同時に、その頃にはすでに会津藩は新選組という組織を庇護していた。
必要であれば彼らにも協力させるという一文もあったが、それは風間や薫が人間の力などいらん、と拒んだ。
「結局、皆さんには助けて頂いていますけど」
小さく苦笑を零す千鶴。
「俺達がお前を助けるのは当たり前だ」
会津藩が彼女の仇でなくて良かったと、斎藤は心底思った。
もし会津が雪村の里を滅ぼしたのなら鬼達はこぞって会津を敵と見なしただろう。
羅刹以上に厄介な相手を敵に回して、いくら新選組といえど無傷ではいられまい。
何より会津か千鶴かの二択を迫られた時、斎藤は酷く苦しむ羽目になる。
比重で言えば新選組を庇護してくれる会津藩の方が重く、斎藤もこちらを選んだはずだ。しかし、だからと言って千鶴を敵として扱えるかは別だ。
斎藤にとって恥でしかなかった異能を誇れるものとしてくれた大切な恩人。
そんな少女をこの手で傷つけるような真似はしたくない。
だが幸いにも千鶴と新選組は会津藩を介して協力関係にある。
私的にも公的にも、斎藤は千鶴を守れるのだ。
「お前が望むなら、いつだって俺達はお前を助ける」
先日のように、血に染まった彼女の姿など二度と見たくない。
あの時のような無力感や行き場のない怒りを覚えるのは一度で充分だ。
「私もです。私だって助けられるばかりじゃなくて、皆さんのお役に立ちたいです」
ああ、やっといつもの彼女に戻ったようだ。
暗い色の消えた真っ直ぐな瞳に見上げられ、内心で安堵の息を吐く。
「ならばもう寝ろ。明日の食事当番は俺と総司なのだからな。あんたの助力が必要だ」
千鶴の料理の腕はもちろん、総司のとんでもない味付けから食材を守るためにも。
斎藤の言葉にくすくすと笑う千鶴の笑顔は、闇夜を照らす月のように綺麗だった。
〈次〉
15.8.20up
第三十一話です。
進展したかな。
|