異能の剣 三十三





異能を使う羅刹がいる。
その可能性が浮上した事件から数日、京の町は重苦しい空気に包まれていた。

道行く人達の表情は暗く、夕刻を迎えて次第に暗くなりゆく空を見上げて怯えの色を滲ませながら足早に駆けて行く。
どんよりと厚い雲に覆われた空は、まるで人々の恐怖と悲しみの念そのものを表しているかのようだ。

新選組屯所である西本願寺の境内に佇んで参拝する人々を眺めていた千鶴は、一様に悲壮な面持ちで去って行く彼らの姿に胸が痛んだ。
この数日で参拝客は格段に増えている。聞けばどこの寺社も同様らしく、それも無理の無いことだ、と親しい人達は口々に言う。

この所の羅刹による被害は異常だ。
夜が明けると京の至る場所に血を失った死体が転がっている。その多くが腕に覚えがあるであろう剣客達だ。
京の現状を憂い、羅刹を狩る者達が殺される。その数は日増しに増え、街の人々も何か恐ろしいことが起きているのだと気付き始めていた。

剣客達ですら敵わぬ脅威が身近に存在する恐怖。神仏に祈りを捧げることだけが、戦う力を持たぬ人々のささやかな安寧となっているのだ。


「日が沈むな」

傍らに立つ斎藤が独り言のように呟いた。
空を見上げる彼の表情は厳しく、長い“夜”という時間の訪れに警戒を強めているのが解る。
以前は素直に美しいと感じた夕焼けが恐ろしいものとなったのはいつからか。

黄昏時の別名は逢魔が刻。
あの世との境が曖昧になると言われるその言葉の通り、日が落ちれば狂気の鬼が血を求めて蠢きだす。
ひたひたと迫り来る闇から逃げるように、人々は急ぎ足で家路につく。

「中に戻るぞ」

「はい」

「すまない、今はこれくらいしかお前を外に出してやれぬ」

「いえ、ちゃんとわかっていますから」

街で何者かに斬り付けられた事件の後、千鶴を巡察に連れて行くか否か、幹部達の間でも意見が分かれていた。
そんな矢先の異能を使う羅刹の出現に、何が起きるかわからない状況で連れ歩くのは危険だと判断された。
昼間の巡察の道中にも死体が転がっているような光景を見せたくないという配慮もあり、千鶴は当分の間屯所の外に出ないように言いつけられている。
それでも親しい幹部達は閉じこもってばかりでは気が滅入るだろうと、時間を見つけてはこうして屯所の周辺だけではあるが、外に連れ出してくれる。今はそれで充分だ。

確かに自由は制限されているが、千鶴はまだ安全な場所にいると言っていい。
むしろ心配なのは無防備な街の人々であり、危険な任務を担う新選組の皆の方だ。

「斎藤さんは今夜、巡察に出られるんですか?」

「ああ。俺と左之の隊が夜番だ」

「どうか、ご無事で・・・」

様々な感情に溢れるひたむきな眼差しに、斎藤はふっと笑みを零す。
彼女が明日も笑っていられるように、決して死ぬわけにはいかない。そう奮い立たせてくれる存在。
それは斎藤だけの想いではなく、沖田や平助、原田も永倉にとっても同様だろう。

「明日は豆腐の味噌汁を頼む」

「はい・・・っ」

やっと綻んだ控えめな笑顔を目に焼き付ける。
この笑顔をこれ以上曇らせはしないと固く決意を秘めて   



屯所に戻った斎藤と千鶴が広間に顔を出すと、談笑する賑やかな三人組がすぐに二人に気付いた。

「千鶴、千姫から手紙が届いてるぞ」

「お千ちゃんから?」

受け取った手紙には、何か硬質な物が同封されていた。

「これは・・・」

現れたのは美しい細工が施された簪だ。
銀で造られたそれは、一目で高価なものだと解る。

「お、綺麗な簪だな。お前に似合いそうだ」

「でも、どうして?」

新選組の屯所では千鶴は男装をしていることを知っているはずなのに、どういうつもりで簪など送ってきたのか、疑問に思いながら手紙を読む。

「・・・・・・・・・」

文字を追ううちに千鶴の表情が驚きに彩られたかと思うと、次第に困惑へと変わる。
その様子に、どうした、何かあったのか、と口々に問われ、戸惑いに満ちた顔で幹部達を見上げた。

「この簪は護身のためのものらしいです」

「どういうことだ?」

「お千ちゃんがひょんなことで銀の簪で羅刹を刺したら、羅刹が苦しみだして傷もなかなか治らなかった、と」

羅刹を刺すようなひょんな状況って何だ?

「その後君菊さんがその辺の羅刹を刺して回っても同じだったそうです」

「怖い女達だな・・・」

羅刹が無差別に人を襲うのはいつものことだが、その逆は初めて聞く。いや、彼女達は人ではなく鬼だが。

「以上のことから、羅刹にとって銀は毒と同じ効果があるのではないかと考えられるそうです」

「成る程、そういえば銀には邪気を祓う効力があると聞いたことがある」

「つまりこの簪は、もしもの時はこれで羅刹を刺せってことか・・・」

職人が丁寧に細工を施した美しい簪が凶器に見える日がくるとは思わなかった。
よく見れば先が針のように鋭く削られているのは、より深く突き刺さるように研がれたのだろうか。

「だが羅刹の弱点を知ることができたのは収穫だ」

この事実を世間にも知らしめれば、羅刹に対抗し得る手段が増えるだろう。
戦う力を持たない人々にとって、怯えるだけの夜を照らす光明となるかも知れない。

斎藤は早速このことを土方や山南にも伝えるべく、千鶴を連れて副長室に向かった。





■■■■■





深淵の闇に覆われた夜。
厚い雲に覆われた空に月の姿はなく、僅かな光も見えない。
闇を好む羅刹には格好の狩り日和だ。

『今夜辺り、お目に掛かれるかも知れねえな』

共に屯所を出た十番組を率いる原田が好戦的な笑みを浮かべて呟いた言葉が、斎藤の脳裏を掠める。

新選組はまだ問題の羅刹、もしくは異能者と遭遇したことがない。
最初の被害者が平隊士の一人だという以外、まるで羅刹の方があえて新選組を避けているかのように巡察の進路と羅刹の被害が交わることがなかった。

しかし、今夜なら。

後ろを歩く三番組隊士達から伝わってくる張り詰めた緊張感からも、闇の支配が強いこの夜が漂わせる不気味な気配を感じずにはいられない。



バン!


突然、夜闇を裂いて銃声が響き渡った。
バン、バン、と続けざまに鳴り響く音に、斎藤は瞬時に駆け出した。その後を三番組の隊士達も続く。

(銃声はどこからだ?)

断続的に鳴る音は近いようで遠い。
しかし次第に色濃くなる血の匂いが羅刹の存在を確信させる。

不意に、複数の足音と共に見慣れた隊服が近づいて来るのが見えた。
どうやら十番組も銃声を聞いて駆けつけたようだ。

「斎藤、銃声は!?」

「この先だ!」

速度を落とさぬまま短い会話を交わし、合流した三番組と十番組が路地を駆け抜ける。

ざあっと強い風が吹いた。
厚い雲が千切れ、雲間から煌々とした月明かりが降り注ぐ。

「よう、新選組」

笑いを含んだ声が緊迫した空気に割り込んできた。
一斉に足を止め、刀を抜く隊士達。
周囲を見渡すが人の姿は無い。しかし異様な気配は確かに在る。
素早く視線を奔らせた斎藤は、鋭い目線を上に向けた。

「何者だ?」

月を背に、屋根の上に立つ二つの人影。
一人の手には拳銃が握られている。
周囲に満ちる血の匂いは人間のものか、それとも羅刹のものなのか。

「俺様は不知火匡」

「私は天霧九寿と申します」

「不知火に天霧? もしかして君菊が言ってた奴らか?」

二人の名前に原田が反応する。
この名前を覚えておけと君菊から聞かされたのが、まさに二人の名前だ。

「ああそうだ。一応お前らとは協力関係にあるみてえだな」

軽々と屋根から飛び降りた二人が斎藤達の目の前に立つ。
人間離れした身体能力。流石は“鬼”というところか。

「さっきの銃声はお前か?」

「紛い物共が集団で人間を襲ってたんで片付けたんだが、何人かは逃がしちまった」

忌々しげに不知火が吐き捨てる。

「羅刹の集団・・・」

嫌な記憶が蘇る。

千鶴が新選組預かりとなったのは、羅刹の集団が松本良順の診療所を襲ったからだ。
それまで羅刹が集団で活動することはなかった。例外と言えば血を流す人間に群がる時くらいだ。
しかしあの日は明らかに診療所を襲うという一つの目的のために集団で行動したのだ。
果たして不知火達が遭遇した羅刹達は血の匂いに引かれて集まっただけか、それとも。
いや、今はそれよりも気になることがある。

「その羅刹の中に異能を使う者はいたか?」

「いたぜ。他の紛い物共とは明らかに違ってやがったな」

「確かに。あれ程の血の匂いの中でその者は理性を保っていましたね」

斎藤と原田は互いに視線を交わし、苦い表情を浮かべる。
やはりこれまでとは違う羅刹が存在するということか。

「異能の力も人間にしちゃあ強かったよな。ま、俺達に敵わないと知って仲間を置いて逃げ出したわけだが」

「考えられる要因は限られますね」

天霧の言葉に斎藤と原田の視線がそちらに向けられる。
まったく表情を動かさないまま、彼は平淡な口調で続けた。

「鬼の血を得た。我々はそう考えています」

「!」

「まさか、あの時の・・・」

「何だ? 心当たりがあるみてえだな」

二人の反応に、得心がいったと不知火がにやりと笑い、天霧が静かに目を伏せた。

「なるほど、つまり雪村千鶴が傷つけられたというわけですね」

「先日、巡察中に浪人に腕を斬り付けられた」

「おいおい、大の男が何人もいて女一人守れないとか、何やってんだよ」

「・・・っ」

返す言葉もなく、悔しげに唇を噛む。
千鶴を守りきれなかったのは事実なので、反論の余地はない。

「風間と南雲の報復を覚悟してろよ」

楽しげな口調でさらりと恐ろしい台詞を吐かれ、知らず知らず斎藤や原田の表情が引き攣った。
あの性質の悪い二人を思うと、冗談で片付けられる内容ではない。
しかも不知火はさらに追い討ちを掛けてくる。

「お前らんとこに姫さんが身を寄せてるって知って南雲が荒れに荒れててなあ。勘弁して欲しいぜ」

その言葉の端々から、彼らも何らかの被害を受けているのが窺えた。
そして自分達に向けられるであろう彼らの怒りはその比ではないだろう。

沖田や土方、斎藤を同時に相手にしながら尚も余裕を見せていた風間と、実力はまだ知らないが多異能者であるのは間違いないであろう南雲薫。どちらも敵にすると厄介な相手だ。


「組長」

周囲を検分していた隊士が呼ぶ。

向かった先には夥しい数の死体が転がっていた。
通りで血の匂いが濃いわけだ。

だがその中に未だに息がある羅刹が居た。
咄嗟に刀に手を掛けるも、傷の治りが速いはずの羅刹が倒れたまま苦しみ続けているのに気づく。

「どういうことだ?」

心臓を貫くか首を刎ねない限り、羅刹の負った傷はすぐに治ってしまう。
しかしこの羅刹の受けた傷は腹に受けた銃創だけだ。

「銀が羅刹の弱点だってのは知ってるか?」

「? ああ」

それはつい先刻、千姫からの手紙で知ったばかりの情報だ。

「俺の銃は特別製でな、銀で出来た銃弾を使っているんだ」

「銀の銃弾?」

まだ試作の段階だがな、と言いながら不知火は手のひらに銀の銃弾を数個載せて見せる。

「今夜、銀の銃弾が羅刹に有効であることが実証されました。これから人間達の間で量産されるでしょう」

それは、人々にとって一筋の光明とも呼べる報せだった。
羅刹を倒せる手段が広がれば羅刹による被害も減らせる。
暗雲立ち込める京も、かつての賑わいを取り戻せる。

そして千鶴も   ・・・。

彼女の顔が脳裏に浮かんだ時、斎藤は一つの懸念も同時に思い出した。

彼は真っ直ぐに天霧と不知火を見据え、問う。

「雪村網道氏はどこだ」



〈次〉

15.11.30up

第三十三話です。
少しは話が進んだかな。



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