異能の剣 三十六





井吹から屯所が襲われたという報せを受け、沖田の風の力で四半刻も掛からず屯所に辿り着いた土方達は、まるで台風の直撃を受けたかのような惨状を目の当たりにする。

「いったい何があったんだよ、こりゃあ」

愕然と原田が呟く。
しかし目の前で起きている出来事に理解が追いつかないのは、土方も沖田も斎藤も同じ。

散乱した瓦礫の後片付けに奔走しているのは、留守番の五番組と六番組の隊士達だ。
その中に組長達や山南、山崎といった上層部の姿がないことが気に掛かった。

「あ、土方副長」

こちらに気付いた隊士達が一様にほっとした表情を浮かべた。

「山南さんや山崎はどこにいる?」

「それが・・・」

言い淀む彼等の様子に嫌な予感ばかりが膨らむ。
そして二人が松本良順のもとで治療を受けていると告げられ、事態は予想よりも遥かに悪いのだと確信せざるを得なかった。



「申し訳ありません。私の失態です」

診療所として使われている部屋には、頭に包帯を巻いた山南がいた。
土方達が部屋に入ると、彼はそう言って深く頭を下げる。

「何があったんだ、山南さん」

「どうやら我が新選組内部に内通者がいたようです」

「何?」

「五番組組長ともあろう者が、狩るべき羅刹側に付くとは」

常に柔和な笑みを浮かべていた山南が、今は眉間に深い皺を刻み、苦々しげに吐き出す。
そしてちらりと隣の部屋に繋がる襖に視線をやった。

「山崎君は隣の部屋で治療を受けています」

「怪我をしたのか?」

「ええ、深い傷です。松本先生が言うには、手は尽くすが覚悟はしておけ、と」

「な!」

唐突に齎された信じ難い言葉に絶句する。

「山崎君は賊から雪村君を守ろうとして、羅刹の異能で負傷したそうです」

「異能を使う羅刹がここに来たのか!?」

羅刹の活動時間は夜のはずなのに、その羅刹は昼間でも動けるのか。
どこまで規格外の羅刹なのだろう。

「千鶴はどうしたんだ?」

山崎が深手を負ったということは、千鶴の身にも良からぬことが起きたのではないか。
逸る気持ちで問い質す原田に、山南は苦渋を滲ませた声で告げた。

「雪村君は、連れ去られました」



それは山南が武田と腹の探り合いを繰り広げていた時のことだ。
突然、屯所中を強い風が吹き抜けた。
部屋という部屋の障子戸や襖が吹き飛ばされ、山南の部屋も滅茶苦茶になった。

風がただの突風ではなく、異能によるものだと瞬時に理解した山南は、すぐさま千鶴の部屋に向かおうとした。
そんな彼を、背後から衝撃が襲ったのだ。

強い力で頭を殴られた山南は、為す術もなく昏倒した。
意識を失っていた時間は長いものではなかったが、非常時においては致命的なものだった。
彼が意識を取り戻した時には、すでに千鶴の姿はなく、彼女の部屋には血を流す山崎が倒れていた。

井上源三郎もその場にいたが、彼は幸い軽症で済んだ。
その井上から事情を聞いた山南は山崎を松本と井上に託し、すぐに賊を追い掛けようとした。
だが、松本に頭を打っているのだから安静にしろと止められ、騒ぎに気付いて駆けつけた井吹に土方達への伝令を託すしかなかったのだ。

そして現在。
隣の部屋では松本と井上が懸命に山崎の治療に当たっている。


「私の部屋には私と武田君以外いませんでした。そして騒ぎの後、彼は姿を消した。彼が間者なのは疑いようもありません」

武田が部屋に来た時点で疑念を抱いていたというのに、彼の前で隙を見せてしまった己が腹立たしい。
油断して気絶などしなければ山崎も千鶴も救えたかも知れないと思うと、余計に自分が許せなかった。





■■■■■





「・・・っ」

薄暗い部屋で千鶴は目覚めた。

(ここ、どこ?)

縄できつく縛り上げられた手首が痛い。
身を起こそうとして、足も縛られていることに気付く。

どうしてこんなことに、と疑問を浮かべると同時に、徐々に記憶が蘇る。

(そうだ、父様が・・・)

突然屯所に現れ、「迎えに来た」と告げたのは、千鶴が鬼の同胞や新選組と共に捜し続けていた人物だった。
記憶にあるままの姿のはずなのに、言い知れない恐怖を覚えた。


思いがけず唐突の再会を果たした父と娘。
散乱した部屋で千鶴が茫然としていると、網道のそばに見知らぬ浪士達が集まってきた。
そのうちの一人が以前見せられた似顔絵によく似ていたのは、気のせいではないはずだ。土方達は確か“清河”と呼んでいた。

『雪村殿、娘が見つかったのなら早く行こう』

『そうですね。さあ千鶴、一緒においで』

差し出された手に反応しない娘を怪訝そうに見た網道は部屋の中に足を踏み入れ、千鶴の前に膝を付いた。

『どうしたんだい? 突然の再会で驚いたのか? だが久しぶりの再会を喜ぶのは後にしよう。新選組の者達が来る前にここを離れなければ』

『どうして父様がここに・・・? その人達は?』

『それは後で説明するよ。とにかく今は・・・』

言いながらこちらに伸ばされた手を、反射的に払ってしまう。

『説明はここでして下さい。私はここを離れるつもりはありません』

彼らに付いて行ってはいけない。
心が、身体が彼らを拒絶していた。

途端、穏やかだった網道の表情がすうっと色を変えた。
千鶴を見下ろす無機質で冷たい目は、本当にあの養父なのかと疑う程だ。

その時、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。

『雪村君!』

息せき切って飛び込んで来たのは山崎と井上だ。
二人は見知らぬ男達に気付くや、刀を抜いて身構えた。

『何者だ!』

厳しく問う山崎の隣で、井上は驚いたように目を瞠っていた。

『君達は・・・』

井上が何事か口にしようとした時、一人の浪士が動いた。
髪を白く染め、赤い目で山崎達を見据えた彼の周りを、明らかに攻撃の意思を持った風が渦巻く。

『駄目!』

咄嗟に上げた叫びと、無数の風の刃が山崎達に襲い掛かったのは同時だった。
遅れて千鶴も風の防壁を二人の周囲に張ったが、防げなかった最初の攻撃によって山崎の身体が真っ赤に染まっていた。

『山崎さん、井上さん!!』

駆け寄ろうとする千鶴を網道の手が引き止める。

『離して!』

振り払おうとするが、女の力では到底男には敵わない。
異能を使うしかないのか。だが相手が父親であることが躊躇いを生む。
そんな迷いを見透かすかのように網道は『少し眠りなさい』と言い、腹部に重い衝撃が襲った。

そうして千鶴は意識を手放した。



あれからどれくらい時間が経ったのだろう。

(山崎さん、井上さん・・・)

二人は大丈夫だろうか。
最後に見た山崎の血に染まった姿に、胸が潰れそうなほどの恐怖が芽生える。

一刻も早く彼らの無事を確かめたい。
だが、自分が連れてこられたのがどこなのかが解らない。
意識を失っている間に網道達が千鶴を運んだのだろうが、どうにかしてこの場所を土方達に伝える術はないか。


「目が覚めたようだね」

何も名案が浮かばぬまま悶々と悩んでいると、不意に襖が開いて網道と数人の男達が部屋に入って来た。

「すまないね、こんな扱いをして。お前がもう少し聞き分けが良かったら、このようなことをせずに済んだのだが」

さも悪いのは千鶴の方だと言わんばかりの物言いに、さすがにむっとする。

「それにしても南雪とよく似ている」

浪士の一人が、千鶴の顔をしげしげと眺めながら言った。

「南雪はこの子の兄弟ですから」

「では南雪の血にも、この娘と同じ効果があるのか?」

「ええ。しかし南雪を捉えるのは梃子摺るでしょうなあ。この子と違って戦う力を持っていますから」

(私の血? じゃあやっぱり異能を使う羅刹というのは・・・)

彼らの会話は、風間達の懸念が的中していたことを千鶴に知らしめるものだった。
やはり彼らは千鶴の血を欲している。

「それにしても、薫君まで巻き込むなんて。お陰で私達はすっかり翻弄されたよ」

「まったくだ。どちらが本物の網道の娘なのか解らず混乱したぞ」

「しかもよりによって新選組などに身を置くなど。診療所でおとなしくしていればいいものを」

口々に勝手なことばかり言う男達。
以前診療所を襲ったのも、何度も千鶴を新選組から引き離そうと画策していたのも、この男達で間違いなさそうだ。

「父様・・・?」

説明を求めるように網道を見ると、彼は千鶴が見たこともないような冷たい笑みを浮かべていた。

「ようやくお前が手元に戻ってきた。これで私の研究はさらに進むだろう」

「研究って、もしかして変若水の・・・?」

「お前も知っているようだね。そう、人を羅刹に変えることのできる妙薬のことだ。お前がいれば、さらに強い羅刹を作り出すことができるのだよ」

「じゃあ、やっぱり異能を使う羅刹というのは・・・」

男達の一人に視線をやる。
彼は先程羅刹と化し、山崎と井上に異能を放った男だ。

「お前の血をほんの少し変若水に加えただけで、俺は従来の羅刹など比べ物にならない最強の羅刹へと変じた」

そう言って狂気に満ちた笑みを浮かべる。

「どうして、こんなことを!」

信じていたかった。
網道は医者として変若水と関わりはしたものの、それを悪用する真似はしないと信じたかった。
けれど、今京の人々を恐怖に陥れている新型の羅刹を作り、誇らしげにしている姿に、彼がもう千鶴の知る網道ではないことを認めるしかなかった。

「どうしてだって? 雪村一族を再興するために決まっているじゃないか」

「え?」

予想もしていなかった言葉に、一瞬怒りも忘れて聞き返していた。
雪村の再興に、何故羅刹が関わってくるのだろう。

「お前も覚えているのだろう。雪村家は人間によって滅ぼされたことを」

「・・・・・・」

「実はあれは私のせいでもあるんだ」

「・・・?」

「私は雪村の傍流筋だが鬼の血は薄く、人間と大差ない。だから私は人里に降りて、人の中で暮らしていた」


網道の母親はただの人間。父親は一応鬼の血筋だが、すでにかなり薄くなっていた。
そんな二人の子である網道は父よりもさらに鬼から遠く、ほとんど人に近い。
それでも東で最大の鬼の一族、雪村家の傍系ということで、網道は鬼の一族とも接する機会が多かった。
やがて鬼と人間の違いに興味を抱いた彼は、それが高じて医学の道へ進む。

そして蘭方医としての地位を確立しつつあった頃、医者仲間の間で一つの噂が囁かれていた。
外国に留学した者から伝わった話で、西洋には人を超えた化け物が存在するというものだ。
その血を飲めば同じ力を得られるが、自分も化け物に成り果ててしまう。
しかし、西洋人達は国力の増強のためにその研究を進めようとしているという。

その話を聞いた網道は、思わず零していた。
日本にもそういう存在がいる   と。

そこが酒の席で、酔いが回って口が軽くなっていた彼は、人間に鬼の存在を明かしていたのだ。
しかもその場には幕府に顔が聞く者達も多く同席していた。
彼らは西洋の脅威に対抗するために、雪村の一族に興味を持った。


「人間の要請を雪村の当主は頑として撥ね付けた。鬼は人間と関わるつもりはないと。しかし自分達に協力しない鬼を脅威と見なした人間達は、軍勢を率いて里に攻め入ったのだよ」

「そんな・・・」

網道の口から語られる事情に言葉を失くす。

あの日、雪村の里を滅ぼしたのは幕府軍だった。
幕府の総意ではないようだが、それなりの地位に立つ者が軍を動かしたということか。
さらにそれから十数年経って、網道に“変若水”の研究を命じたのも幕府。
これは偶然なのだろうか。

「私は人間達の目論見に気づいて里に駆けつけたが、時既に遅かった。やっとのことで森の中で泣いているお前を見つけ、保護したのだよ。そして私は誓ったんだ。いつか必ず雪村の里を再興してみせると」

仄暗い炎が燃え盛るようにも見えるギラギラとした眼差し。
その奥に宿るのは人間への憎しみか、それとも。

「それが、どうして羅刹を作り出すことに繋がるの?」

「変若水は西洋の鬼の血で出来ているからだよ」

「え?」

「西洋の鬼と日本の鬼。その二つの血が交われば、人間でも驚異的な力を身に付けることができる。そう、私でも」

だから、お前の血が必要なのだよ。

そう言って千鶴を見る網道の目は、娘を見る父のそれではなく。
興味深い研究対象を見る目だった。



〈次〉

16.1.20up

第三十六話です。
山崎さん、ごめんなさい。



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