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異能の剣 三十八
その冷気の波動が千鶴のものだと、斎藤はすぐに解った。
彼女の身にいったい何が起きたのか。
考えるより先に、走り出していた。
すぐに追いついてきた沖田の風の力で、自分の足で走るよりずっと速く移動しているというのに、彼女までの距離が焦れったくて仕方ない。
(早く、速く行かなければ・・・っ)
徐々に近づく光の柱を睨み据え、拳をきつく握り締める。
(千鶴・・・どうか無事でいてくれ!)
それだけを願って 。
光に包まれた氷の柱。それが謎の光の正体だった。
町外れにひっそりと建つ一軒の平屋を突き破り、天に向かって伸びる巨大な氷柱。
夏も終わりに近いとはいえ、まだ残暑厳しい蒸し暑さにも関わらず、氷は溶けることもなくそびえ立つ。
その下では建物の残骸が散乱し、浪士風の男達が怒声を上げながら異能の力を氷にぶつけている。
氷を攻撃する浪士達の何人かは、羅刹だ。
「てめえら、ここで何をしていやがる!」
原田の声に一斉に視線がこちらを見上げた。
三人が纏う浅葱色の羽織に、浪士達が眼に見えて動揺する。
「し、新選組!」
「もうここに来たのか!」
あからさまに、後ろ暗いことがありますと宣言しているような反応だ。
「これはいったいどういうことだ。説明しろ」
怒気を抑えつつ、斎藤は極力冷静な声で詰問する。
「これはこれは新選組の方々。お騒がせして申し訳ありません」
場にそぐわない丁寧な詫びは、剃髪の男から発せられた。
浪士達の中でただ一人、侍には見えない出で立ちの男は妙に目立っていた。
「もしかして、雪村網道さん? 千鶴ちゃんの養い親の」
ぴくりと男の貼り付けた笑みが歪んだように見えた。
「あんた、清河さんか。それにそっちは武田さんに見えるな」
雪村網道と思われる男の周囲の浪士達を見渡した原田が、抑揚のない口調で言う。
確かに、斎藤も見知った顔や、井吹の似顔絵で見た顔が眼下にある。
「武田観柳斎。新選組五番組組長がここで何をしている?」
問いに、武田は悔しげな表情で黙り込む。
しかしこちらも答えなど要らなかった。
山南の言葉と、今彼がこの場にいること。それが全てなのだから。
今、斎藤達の関心事は一つだけ。
千鶴の安否だ。
「貴様ら、雪村千鶴に何をした」
ふつふつと胸の内側から溢れ出る怒り。
冷静になれと自分に言い聞かせながらも、男達への殺意が膨れ上がる。
「さて、何のことでしょう? 見ての通り、ここには私達しかいませんよ。これは仲間の力が少々暴走してしまい・・・」
「嘘は良くねえな。氷の異能が使える人間なんて、この斎藤以外にいねえよ。いるとしたら、人間を超越した奴らだけだ」
「そう、たとえば可愛い鬼の女の子とかね」
「・・・・・・」
網道の顔から作り物めいた笑みさえ消えた。
その感情のない無表情は、とても千鶴が慕う養父とは思えないほど冷たい。
「千鶴はこの氷の中にいる。彼女はお前達から己の身を守っているのだ。いったい千鶴に何をした!」
強固な防壁。己が身に触れるものを拒絶する意思の強さが、熱さに溶けることも、攻撃に壊れることもない氷を作り出している。
その中心には、守るべき少女の気配が確かに感じられた。
まるでそれは、かつて斎藤が山南に命じられて羅刹を閉じ込めた、氷の棺のようだ。
一つ違うのは、千鶴は死んではいないということ。
だが、いつまでも氷の中に閉じ込められていては、鬼の身体といえどどうなるかは解らない。
一刻も早く千鶴を氷の中から出さなければならないが、それにはまず彼女の脅威を取り除く必要がある。
「雪村網道、羅刹を作り、京に厄災を持ち込んだ容疑で詮議させてもらう。そこの羅刹共々新選組がその身を預かる」
「神妙にしやがれ!」
地面に降り立つや斎藤と沖田が刀を抜き、原田は槍を突きつける。
対峙する浪士達も次々に刀を手に身構え、抵抗の意思を示した。
「たった三人で、我ら全員を相手に敵うと思っているのか!」
いくら新選組幹部とはいえ、たったの三人。対してこちらは強化された羅刹が複数いる。
以前、新選組隊士が挑んで、手も足も出ずに負けた事実も記憶に新しい。
浪士達は己の優位を疑わなかった。
「誰が三人と言った?」
突如、声と共に浅葱色の羽織を着た人物が新たに降り立った。
逸早く反応したのは沖田だ。
「何で土方さんまで来たんですか?」
「お前らだけだと不安だからに決まってるだろうが」
「ほう、八瀬の姫までいらしたのですか」
新選組副長の出現にも網道は動じる気配もなく、むしろその目は土方と共に現れた少女を捕らえて輝いた。
「雪村網道ね。あなたには訊きたいことがたくさんあるわ」
「京の古き鬼の姫。貴方と千鶴がいれば、我らの計画はより完璧なものとなる・・・!」
「貴重な女鬼達を、お前達のような下郎にやすやすと渡すとでも思うか」
また別の声が聞こえた。
前触れもなく現れたのは風間、天霧、不知火、そして南雲薫だ。
「か、風間様・・・っ」
初めて網道に焦りの色が浮かぶ。
人間相手なら羅刹の優位は揺ぎ無かったが、鬼が相手ではさすがに分が悪い。
しかも、一人一人がそれぞれの一族の頭領を務めるほどの強力な鬼達だ。
浪士達から氷の柱を守るように、新選組と鬼が光を背に立ちはだかった。
「網道、これはどういうことか説明しろ」
命令することに慣れた風間の威厳に満ちた問いが、偽りを許さぬという響きを声に滲ませる。
その覇気に気圧され、浪士達が思わずといった様子で後ずさった。
網道も一瞬怯んだものの、やがて口を開いた。
「人間共に復讐するのですよ。我が雪村家を滅ぼした奴らに、鬼の恐ろしさを思い知らせてやるのです」
「紛い物は鬼ではない」
「では貴方方は何故動いて下さらなかったのです? 雪村一族が人間に滅ぼされたのに、同胞であるはずの鬼達は何もしなかった! ならば自ら鬼を作り出して復讐するしかないでしょう」
網道の言葉に鬼達は互いに視線を交わし合い、静かな口調で風間が語りだす。
「かつて雪村の里が滅んだ後、京の鬼達が焼け落ちた村を訪れ、弔いの儀を行った。その際、雪村家当主の魂を喚び出し、里に攻め込んだのはどこの軍かを問うた」
それは網道も薫も初めて聞く話だった。
確かに京の古い鬼の力なら、死者の魂と語り合うのも可能かも知れない。
薫が千姫を見やると、その視線を受けた彼女ははっきりと頷いた。
「当主の魂はただ“真相を突き止めてほしい”とだけ言い、どこの藩の襲撃なのかを明かすことはなかった。彼はひたすらに我が子らの身を案じていたという」
(父上・・・)
薫の脳裏に、遠い過去の記憶が浮かぶ。
自分に大通連を、千鶴に小通連を託し、逃げろと言った父と母。
死した後も、ずっと自分達を想ってくれていたのか。
共に里から逃げる途中で離れ離れとなってしまった双子の妹とは、十年以上の時を経てこの京で再会した。
その妹が作り出した氷の柱を見上げ、そっと手を伸ばす。
薫が氷に触れた瞬間、キン、と大通連が鳴った。
「お館様がそのようなことを・・・」
網道の声が震える。その表情に浮かぶ動揺は、何を思ってのことか。
「つまり、どこの藩が攻めたにせよ、その背後には何らかの思惑があったということだ」
だから鬼達は安易に人間達への復讐に走らなかった。
雪村家当主がそれを望まなかったのだから。
風間はそこまで言うと、改めて網道を厳しく見据えた。
「故に我らは貴様を捜していた。幼い兄妹以外に生き残った雪村の眷属ならば、何かを知っているのではないかと考えたからだ」
「そ、それは、確かに私の浅慮がことの発端ではありますが・・・」
網道は千鶴にしたのと同じ説明を語った。
酒の席で口を滑らせてしまったが為に、鬼の存在を知られてしまったこと。
そこに運悪く幕府の関係者がいたことで、鬼に対する脅威が幕府内で高まったこと。
当初は鬼の力を利用しようと考えたが、雪村家当主が人間と関わることを拒んだため、滅ぼされてしまったこと。
「私のせいです。私が鬼の存在を明かしてしまったせいで・・・」
「・・・違う」
網道の声を遮るように、ぽつりと呟く声があった。
「どうしたのよ、薫」
「違う。そんな理由で滅びたんじゃない・・・」
ぼんやりとどこか遠くを見ながら、薫は虚ろに言う。
彼の腰に差す大通連が光を纏って淡く輝いていた。
それは氷を囲む光と同じもので、まるで戯れているかのように舞い踊りながら、しゃらしゃらと澄んだ鈴のような音が鳴り響く。
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千鶴は柔らかな光の中にいた。
さらりと頬に触れた髪は銀色に色を変え、自分が異形の姿へと変じているのが解る。
新選組を侮辱された怒りと、理不尽な暴力に晒された恐怖と悔しさで、激情のままに力を放ってしまった。
それを他人に向けないだけの理性はまだあったが、建物はきっと壊れただろう。
外がどうなっているか気になりはするが、この姿で外に出ればまたあの欲望に満ちた視線で見られる。
白銀の髪、金色の瞳、額には二本の角。
鬼の本性については風間や千姫から聞かされていたが、千鶴が変化したのはこれが初めてだ。
その姿で放った異能の威力は、自分でも驚くほどのものだった。
凄まじい冷気の波動は、瞬く間に千鶴の周囲に強固な氷の壁を作り上げていた。
千鶴の周りだけ小さな空間があるが、氷がどれほどの分厚さと強度を持つか、自分でも解らない。
だが、この中にいれば安全なのは確かだ。
風間や薫は、気付いてくれただろうか。
新選組の人達も、風の力を持つ沖田や平助なら解ってくれるかも知れない。
彼らが来てくれるまで、この氷の中でじっとしているしかなさそうだ。
変化して力を使ったこともあって、氷の中には濃密な鬼気が満ちている。
自分が作り出した氷だからか、普通に呼吸もできるし、不思議と冷たさも感じない。
むしろどこか懐かしい気配すら感じた。
しゃらん
どこからか鈴の音に似た澄んだ音色が聞こえた。
何だろう、と見渡してみると、下の方に何かを見つけた。
千鶴の小太刀、小通連だ。
確かそれは千鶴が眼を覚ました時には腰に差していなかったが、すぐそばに無造作に放置されていたはずだ。
力を放った時、一緒に氷の中に閉じ込められたらしい。
どうやったら小太刀に手が届くのだろう。
しかし悩むまでもなく、千鶴の思いが伝わったかのように小通連は光に包まれて千鶴のもとまで運ばれた。
しゃらんしゃらん
鈴の音は小通連が発していた。
千鶴の鬼気の中で眼を覚ましたかのように、何かを話しかけてくるが如く。
鬼の本性へと変化した時、有り得ないはずの異能を使えるようになる。“光”もその一つだ。
ならこの現象も、そういった未知の力の一つなのかも知れない。
そんなことを考えながら小通連に触れた瞬間、頭の中に何かが流れ込んできた。
それは、どこかの家の中の風景。
無邪気に遊ぶ二人の子供と、優しく見守る人達の幸せそうな様子だ。
これは何なのか疑問に思う前に、子供達が自分と薫だと直感した。
周囲の人々は、すでに顔も覚えていないはずの両親や家人だ。
穏やかに過ぎていく日々を、一点の視点から見守っている映像。
誰の視点だろうか。
部屋の様子を、この視点から見ていたのは誰だっただろう。
不意に浮かんだのは床の間に飾られていた、二本の刀。
雪村家に代々伝わる宝刀、大通連と小通連だった。
ああ、これは刀の記憶だ、と何の疑問もなく受け入れる。
すると、穏やかな日常が突然不穏な空気を纏った。
父の声が苦悩を帯び、家人達の様子もおかしい。
いったい何があったの?
千鶴は神経を集中して、その記憶を“視る”。
『いったいどういうことだ。何故幕府はこんな文を?』
『わかりません。彼らが何を言っているのか、私達にもさっぱりで・・・』
『網道はちゃんと先方に、こちらの意思を伝えたのでしょうか?』
困惑を隠せない声の中に、養父の名が出てきたことが気になった。
(確か父様はお酒の席で鬼の存在を明かして、幕府に伝わったって言ってた。でも・・・)
ずっと引っ掛かっていた疑問があった。
幕府が“鬼”の存在を知らなかったはずはないのだと。
特に雪村家は戦国の時代、徳川側に立って戦ったはずだ。
徳川の世になった後も、会津藩や仙台藩とは現在まで繋がりがあった。
軍を動かせるほど地位が高い者であれば、それを知らないわけがない。
なのに何故今更、幕府は雪村家を脅威と見なしたのか。
(まさか、父様は・・・)
『網道を呼べ。直接問い質す』
当主の厳しい声がそう言った。
それから間もなくのことだった。
幕府軍が雪村の里に攻め込んだのは。
幕府軍が里に向かっていると報せを受け、雪村家当主は重苦しい雰囲気の中、家人達の前に座っていた。
刀からの視点では表情までは解らないが、家人達は一様に覚悟を決めたかのような強い目で当主を見ている。
『私の力不足で幕府の誤解を解くことは敵わなかった。しかし、私は最後まで鬼の誇りを貫く所存だ』
人間を傷つけない。人間の争いに介入しない。必要以上に人間と関わらない。
それは徳川によって天下統一が為されてから、東も西も関係なく鬼達が定めた誓いだ。
『我らはお館様と共に在ります』
家人達は雪村家と共に逝くことを選ぶ。
その後、当主は苦渋に満ちた表情でこちらを 刀を見つめていた。
『大通連、小通連。どうか我が子らを守ってくれ』
せめて幼い兄妹は無事に逃げ延びて欲しい。
父の、母の、そして家人達の願いが刀へと込められる。
轟音鳴り響く闇の中、大きな手から小さな手へと渡される刀。
やがてすべてを包み込む炎の中に、思い出は掻き消えた。
〈次〉
16.2.20up
第三十八話です。
次回、網道さんと決着が着くかな。
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