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羅刹狩り 四
「弘也、恵太、居るか?」
恵太と茜が家の中に入って屋台で買ったものを食卓に並べていると、不意に玄関の引き戸が開いて誰かが入ってきた。
「あれ? お兄ちゃん」
「何故お前がここにいる?」
現れたのは茜の兄、五十嵐要だ。
互いに予期せぬ形での遭遇に、兄と妹は見合ったまま動きを止める。
いち早くその状態から抜け出したのは兄の方で、彼は妹と恵太に胡乱げな眼差しを向けた。
「どういうことなのか説明しろ恵太」
「え、あの・・・」
十歳も年が離れている要は、恵太や茜にとって逆らうことのできない存在だ。
要に睨まれて思わず竦んでしまった恵太を庇うように、彼に比べれば兄の鋭い眼光に免疫のある茜が前に出た。
「ま、待ってよ、恵太と弘也君は悪くないの。私が強引に押しかけたんだから!」
「お前はここに来る資格がないはずだが?」
「それは、わかってるけど・・・」
口ごもる茜と罰が悪そうな恵太を交互に見やり、要は長いため息を吐く。
「親父や爺さん達からの叱責は覚悟しとけよ」
少し乱暴に二人の頭を撫でると、茜と恵太は揃って安堵に表情を緩めた。
「ところで、要君は何でここに来たんだ?」
危うく忘れるところだった用件を問うと、要は迷うような視線を茜に向けた。
彼女に聞かせて良いのか悩む素振りを見せたが、すぐに気を取り直して簡潔に告げる。
「この近くに羅刹が現れたらしい」
「え? それってこの山の動物羅刹のことじゃなくて?」
「外から来た奴だ。東雲家の人達が追っているらしい」
「し、東雲!?」
「?」
突然大声を上げた恵太を不思議そうに見る茜に、逆に彼の方が驚く。
「茜知らないのか? 東雲って言ったら名門だぞ!?」
「人里に降りた鬼の一族の中でも特に力が強い家だ」
「そ、そうなんだ・・・」
いまいちピンとこない様子の茜に、要と恵太がさらに説明を重ねる。
日本に現存する鬼達で最も力の強い一族といえば西の風間家と、八瀬の古い鬼だ。
明治の初め頃、“鬼”を知る人間達がまだ存在していた時代、その強大な力を利用される懸念を感じた彼らの号令で日本中の鬼達が一斉に姿を消した。
そんな多くの鬼達と違い、人里に残って人間達の中に紛れながら生きることを決めた鬼達もいる。
不知火家の傘下である五十嵐、露原もその一つだ。
しかし、そのような鬼達は人との交わりが増えたが故に時と共に鬼の血が薄まりつつある。
その中で、人間達と共存しながらも未だに強い鬼の力を有している一族がいた。
それが“東雲家”を中心とした東の鬼達だ。
彼らは鬼の血統を守ると同時に人との関わりも濃密で、明治の頃からあらゆる事業に着手し、莫大な財力を築いた。
それらは日本中に存在する鬼達にも少なからず恩恵を与え、茜や恵太達の家も彼らには頭が上がらないのだという。
修行の場として構えたこの山も、かつて東雲家の力を借りて購入することができたらしい。
その東雲家の若き跡取り達が現在羅刹を追ってこの町に訪れているようで、彼らの手助けをするよう要に連絡が入った。
要がこの家を訪ねたのは、弘也と恵太にも協力させるつもりだったからだ。
まさかそこに妹までいるとは思わなかったが。
「まあ、そういうわけだから、恵太も手伝え」
「わかった」
「私も行く!」
「駄目だ! 茜は留守番してろよ」
咄嗟に手を上げる茜に、瞬時に反応したのは恵太だ。
だが一刀の元に拒否され、むっと眉を寄せる。
「何でよ! 捜す人数は多い方がいいでしょ!」
「相手は羅刹だぞ? これから夜になるのに、連れて行けるわけないだろうが!」
「だが、ここに茜を一人残すのも心配だな」
「そ、それは・・・」
これから彼らが追うのは羅刹だ。
夜になれば凶暴性が増し、戦闘になれば手傷を負う危険性がある。場合によっては死ぬかも知れないのに、茜を連れていけるわけがない。
しかし、凶暴になるのは山に放たれている動物羅刹達も同様で、そんな場所に一人残して行くのも危ない。
こんなことになるのなら、兄姉と別行動など取るべきではなかった。
「仕方ない、恵太の傍から絶対に離れんじゃねえぞ」
「わかってるよ、お兄ちゃん」
自分の意見が通ったことにパッと顔を輝かせる茜とは対照的に、恵太はぎゅっと唇を噛み締める。
その様子に何かを察したのか、茜に食卓に並ぶものの片づけを命じた要は恵太を伴って先に家を出た。
■■■■■
懐中電灯を片手に、茜と恵太は人も車も通らぬ道を歩いていた。
自分の車でここまで来ていた要は、弘也と春奈を迎えに祭り会場に向かったため、彼らが戻るまでこの辺を探索するのは二人だけだ。
神経を張り詰めて油断なく周囲を見渡しながらも、茜は内心わくわくと心躍らせていた。
もしかすると自分の手で羅刹を倒すことができるかも知れない。
そうすれば親や祖父達も茜の力を認め、羅刹狩りの許可を与えてくれるかも知れないのだ。
(よーし、頑張ろう)
意気揚々とした足取りの茜の隣を歩く恵太は、ずっと難しい表情で考え込んでいる。
横目でその様子を見ながら、茜は恵太が頑なに自分を羅刹狩りに関わらせないようにする意図が解らずにいた。
弘也も要も春奈も、最終的には茜の意思を尊重してくれたのに、何故恵太はこうも融通が利かないのだろう。
(恵太は私と一緒に戦うのが嫌なのかな)
そう考えると心が落ち込んだ。
生まれた頃から一緒に育ち、何をするにも互いに競い合ってきたのに、何故ここにきて自分を拒否するようになってしまったのか。
ずっと一緒に背を預けあって戦いたいと思っていたのは自分だけだったのかと哀しくなる。
「っ!」
突然、恵太が何かを発見したのか、鋭く息を呑んだ。
そして彼は弾かれたように駆け出す。
「ちょ、恵太!?」
「そこの奴、止まれ!」
「え?」
恵太が声を張り上げると、前方から彼のものではない声が聞こえた。
どうやらその先に誰かいるようだ。
慌てて追いかけた茜は、懐中電灯の光に照らされた人物の姿を見て眼を丸くする。
「あなた、さっきの」
「あ・・・」
それは先程、家の傍に蹲っていた男だった。
去り間際は見るからに体調が悪そうな様子だったが、今は足取りもしっかりしているようだ。
「身体はもう大丈夫なんですか?」
「ええ、ありがとうございます」
「茜、そいつに近づくな!」
「え?」
見知った顔に警戒を解いて踏み出そうとする茜に、恵太の厳しい声が飛んだ。
思わず振り返った茜は、彼がいつの間にか対羅刹用の暗器を構えていることに驚く。
「あんた、さっきよりだいぶ顔色良くなったな」
「はい、お陰さまで・・・」
「陽が落ちたからだろ」
恵太の厳しい視線は、男を見据えたまま動かない。
いつもふざけ合っている幼馴染の、見たことのない表情に茜は立ち竦んだ。
「太陽が沈んだから、体調が良くなったんだろ」
「何言ってるの、恵太?」
「君が何を言っているのか、解らないのですが」
「あんた、追われてるんじゃないか? だから山の中に逃げ込んだんだよな」
「恵太・・・?」
言葉は問いかけだが、彼の声は確信に満ちている。
戸惑う茜が恵太と男の間で目線を彷徨わせていると、不意に男の雰囲気が変わった。
「君達はあの人達の仲間?」
先程までとは明らかに違う声音。
暗い道の先に、ぼんやりと灯る二つの紅い光は何を示すのか。
懐中電灯を手放した恵太は、今や明らかに男に対して武器を構えている。
「あんた、羅刹だろ」
「っ!!」
驚愕する茜の目の前には、白い髪と紅い眼の男が立っていた。
それは紛れもなく、鬼の紛いもの 羅刹の姿。
「俺は、こんな所で死ぬわけにはいかないんだ!」
咆哮し、羅刹が凄まじい速さで恵太に飛び掛る。
その手にはナイフが握られていた。
「恵太!」
男が振り回す刃を素早い身のこなしで避け、恵太の暗器が男に向かう。
男と同様、恵太の姿も人のものではなくなっているが、どうやら速さは両者互角のようだ。
茜では眼ですら追えない速さも、彼らは難なく避けている。
(くそ、こいつ強い・・・っ)
何度か打ち合いを重ねるうちに、恵太は焦りを感じ始めていた。
鬼と化した彼を以ってしても羅刹とは互角。いや、上背と力は羅刹の方が有利だ。
しかも戦いに挑む気迫からして羅刹が勝っているように見える。
弘也との激しい修行を経ても、自分がまだまだ未熟であることを痛感する。
「茜、お前は逃げろ!」
「え!?」
逃げろと言われても、茜はその場を動けなかった。
恵太にとって自分の存在が足手まといになるとか、自分では羅刹を倒すことなどできないとか、冷静になれば解ること。
だが、人一倍羅刹狩りへの憧れを持つ茜は、それを認められるほど大人ではない。
何より目の前の羅刹を、“羅刹”と認識できる程、場慣れてもいなかった。
(だって、あの人は普通の人間で、挨拶もしてくれて・・・)
彼女の中で彼は物腰穏やかな青年で、何故その彼が異形の姿となって恵太と刃を交えているのか理解が追いつかない。
それ故に、茜は立ち竦んだまま動くことが出来ないでいた。
そんな無防備な彼女を放っておくほど、戦場は甘くない。
己の命を守るためならば、他の命を犠牲にするのは生き物が生存するための本能だ。
一瞬の隙をついて、羅刹が大きく跳躍した。
彼が向かう先に気づいた恵太は、声の限りに叫ぶ。
「逃げろ、茜!!」
「!!」
一気に目の前に迫った紅い瞳に込められた殺気に、茜は全身を絡め取られたかのように硬直した。
思考が奪われ、動くことも忘れた彼女はただ羅刹を見つめることしかできなかった。
振り上げられた腕の先で鈍く刃が光った瞬間。
視界の端で何かが奔った。
「・・・・・・」
ナイフを振り上げた姿勢のまま、男が動きを止める。
それを呆然と見つめる茜の目の前で、男はがくりと倒れ込んだ。
「・・・え」
何が起きたのかまるで解らない。
ようやく身体が自由を取り戻した時、茜はへたりとその場に座り込んでいた。
すぐ傍には、倒れる男。離れようとするが、ガクガクと震える脚は思うように動いてくれない。
「あ・・・あ・・・っ」
言葉にならない声を漏らしながら男を凝視していると、場にそぐわない楽しげな声が空気を揺らした。
「あーあ、相変わらず一君は仕事が速いよね」
震える視線を上げると、自分を見下ろす凪いだ湖面のような静かな瞳と眼が合う。
まるで最初からその場にいたかのように佇む、細身の青年。
その後ろからは、どこか人を食ったような笑みを浮かべる長身の青年がこちらに近づいてくるのが見えた。
「殺しちゃったの?」
「いや、峰打ちだ。目覚めぬよう薬を飲ませておかねばな」
細身の青年がそう言いながら、取り出した錠剤のようなものを倒れている男の口に放り込む。
彼が膝をついたことで茜との距離が縮まり、視線に気づいた青年が男から茜へと眼を向けた。
長い前髪に隠されても尚、彼がとても整った顔立ちであることが解る。
ぼうっと彼を見つめていると、背後から刺すような気配を感じると同時に、後ろから鈍色の硬質な輝きが伸びた。
「動くなよ。逆らえば斬る」
鈍色のそれは自分の首元にひたりと添えられ、肌を通じて伝わる冷たさがそれが何であるのか茜に知らしめる。
彼女も手にしたことのあるその感触は、研ぎ澄まされた鉄の刃。
後ろに立つ冷ややかな声の主が明確な意思を持ってそれを引けば、彼女の命は一瞬にして終わるだろう。
背後の人物は見えないが、目の前にいる二人の青年は彼女が刃を向けられていることを解っているだろうに、何の感情も浮かんでいない。
茜は、自分が酷く危うい立場にいるのを今更ながらに自覚した。
「茜!」
聞きなれた声が響き渡り、硬直していた茜の肩がびくりと震える。
二人の青年が後ろを振り返り、長身の青年が「あれ」と小さく首を傾げた。
「どうやら羅刹ではないようだな」
「当たり前だ! 俺達は・・・っ」
「五十嵐君が言ってた協力者かな? あまり役に立たなかったけど」
「じゃあ、あんた達が・・・」
「東雲総司。そう言えば解るよね?」
“東雲”。
その名はつい先程要や恵太から聞かされた名だ。
つまり彼らは・・・。
ふと、首元に感じていた冷たさがなくなっていることに気づく。
背後に立っていた人物が茜の脇を通り過ぎて、前方に来た。
「あ・・・」
刀を鞘に収めながら現れたその人物は、つい数時間前に出会った青年“歳三”だ。
彼は冷ややかに茜を見下ろし、厳しく吐き捨てた。
「覚悟のねえ奴がのこのことこんな所に来るんじゃねえよ」
その視線が、言葉が、茜の心を切り裂いた。
言葉を失う茜に興味は失せたとばかりに、彼は二人の青年に声を掛ける。
「お前らここで待ってろ。車を回してくる」
そう言って歳三はどこへともなく歩き去った。
残された二人はそれぞれ携帯電話を手にし、誰かに電話を掛けている。
会話の端から、どうやら仲間達に羅刹を見つけたことを報告しているらしいことが伺える。
呆然と座り込んだままの茜のそばに、恵太が近づく。
「大丈夫だったか?」
肩に触れる手の温もりと自分を気遣う声に、茜の胸の奥が熱くなる。
凍り付いていた心と身体に一気に込み上げてくる熱い感情に、茜は勢い良く恵太に縋りついた。
優しく抱きしめ返してくれる手に、心から安堵する。
「守れなくてごめん・・・」
ぽつりと耳元に落とされる呟きに、茜はぶんぶんと頭(かぶり)を振る。
彼は何も悪くない。
強引について来たのは自分だ。
むしろ彼は何度も茜に“帰れ”と言ってきた。
それを無視したのは、自分自身なのだ。
これ程までに心身に深い傷を負ったのは、誰でもなく自分の所為だ。
やがて、静寂の中でどこからともなく車の音が聞こえてきた。
恵太から離れて眼を向けると、明るいヘッドライトの光に一瞬目が眩む。
茜達の近くで停車した車から現れたのは歳三だ。
「羅刹は俺達が連れて行く。お前達には明日話を聞くからそのつもりでいろ」
恵太と茜にそう告げ、歳三は二人の青年達に「乗れ」と指示する。
「早く戻りましょうよ。花火が始まっちゃいますよ」
「そうだな、千鶴も待ち侘びているだろう」
「左之や平助には連絡したか?」
「もちろんですよ。歳三さんは五十嵐君に連絡したんですか?」
「ああ。明日こちらに来いと言っておいた」
そんな会話を交わしながら、三人は気絶した羅刹と共に車に乗り込んだ。
やがて車が走り去り、夜道には茜と恵太が残される。
いつまでもここでしゃがみ込んでいても仕方がないと、家に帰ろうとするが、茜の足は未だ震え続けていた。
殺され掛けたショックが抜けきらないのか、一人ではまともに歩けなくなった茜は、恵太に支えられてようやく歩き出す。
あまりにも情けない状態。
羅刹と一戦を交え、茜などとは比べられないくらい疲れているはずの恵太はしっかりとした足取りで自分を支えてくれているのに、自分のこの様はどうだろうか。
恵太と一緒に戦うことを夢見ていた。
要や弘也と共に羅刹を狩ることを待ち望んでいた。
けれどこの夜、茜はずっと抱いていた夢が自分の手の届かない遥か彼方へと遠ざかっていくのを感じた。
〈次〉
13.5.11up
やっと主人公兄登場です。
羅刹の男性の名前はまだないです。
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