唄ウ声 前編





その日、小さな村は大きな喜びに包まれた。

ある夫婦の間に産まれた、二つの小さな命。
一族の、そして種族にとっても待望の新しい命の誕生に、歓びの声が広がる。

我らが頭領のみどりごを拝まずやと集いしは、姿なきもの。
健やかに育て、と謡う人ならぬもの達の宴は飽きることなくいつまでも続いた。

子供達の元気な声を聞きながら、その成長を目を細めて見つめる幸せな日々。

この先も幾年月巡る季節、老いて消えゆく命と新しく産まれる命を見守っていくのだと   そう信じていた。





■■■■■





「うーん・・・」

自室前の濡れ縁に腰掛け、千鶴はぼんやりと空を見上げながら考え込む。

目線はずっと空にあるものの、彼女の意識はそこにはない。
別に雲の形が何かに似ていて、それが何だったのかが思い出せず悩んでいるわけでも、夕餉の献立をどうしようかと迷っているわけでもなく、ただふとした時に頭の中で繰り返し流れる旋律が気になって仕方がないのだ。

どこかで聞いたことがある、けれどどこで聞いたのか、いつ頃から千鶴の記憶の中にあるのかもわからない旋律。
幼い頃はよく唄った記憶があるけれど、最近まですっかり忘れていた。

時々夢の中でその唄の記憶が蘇るようになったのは、新選組の屯所が西本願寺に移った頃からだったか。
夢だから覚めれば忘れてしまうのだが、何度もその夢を見るうちに何となく耳に残っていた。

(確かこんな感じの・・・)

おぼろげに残る唄を小さく口ずさむ。
旋律に歌詞を載せると、不思議なほどなめらかに流れ出た。

それは歓びの唄。
命の誕生を祝う、愛情に溢れた願いの唄。
生まれた命と、これからも繋ぐ未来への希望を謳った、言祝
(ことほ)ぎの唄。


「へえ、綺麗な唄だな」

「!!」

唄い終えるや、頭上から声が聞こえてはっとなる。
慌てて見上げると、いつの間にかすぐ傍に人が居た。

「は、原田さん? いつからそこに!?」

「ついさっきだよ。聞き慣れねえ唄が聞こえたからな」

「そ、そうですか・・・」

別に悪いことをしたわけではないが、さすがに恥ずかしい。

「歌詞から察するに祝福の祝
(ほ)ぎ唄ってやつか? 聞いたことのないものだが、町で流行ってるのか?」

「どこで聞いたのか覚えていないんです。ただ頭に残っていて」

「江戸にいた時に聞いてたのかもな。赤ん坊が生まれたことを祝う、いい唄じゃねえか」

「はい、私もそう思います」

褒められて、気恥ずかしく思いながらも千鶴は嬉しかった。
まるで自分の存在そのものを認められたかのような、そんな気分だ。

「赤ん坊、か。嫁さんと子供がいる暮らしって、どんなだろうな」

不意に原田が独り言のように小さく呟いた。
その表情は、手の届かぬものに焦がれるような、憧憬に満ちたものだった。

「お嫁さん・・・」

「お前はいい嫁さんになると思うぜ」

「えっ?」

原田なら良い夫、良い父親になりそうだと考えたところで思いがけず当の本人にそんなことを言われ、目を丸くする。

「気立ても良いし器量も良い。家事は万能で度胸だってある。男なら誰もが嫁に欲しいって思う女だよ」

「・・・っ」

掛け値なしの褒め言葉に千鶴の頬が赤く染まった。
動揺する千鶴を余所に、原田はさらに追い討ちを掛けるかのように問う。

「誰か心に想う男はいないのか?」

「い、いませんよっ。それに私、今は男ですし・・・」

「そういやあそうか。今のお前は惚れた腫れただの言ってられねえんだったな。もったいねえな」

心底残念そうな原田の言葉に居た堪れなくなる。
彼が本心から言っているのは短くない付き合いからもよく判っているのだが、こんな風にあからさまに女の子扱いされると反応に困ってしまう。

「けど、お前が恋をしたら今よりずっと綺麗になるだろうし、そうなったら男だと誤魔化すことが難しくなるか」

「も、もう、原田さんたら・・・っ」

真っ赤になって困り果てている千鶴の様子に、原田は苦笑しながら「別に世辞や冗談で言ってるわけじゃねえからな」と頭を撫で、どこへともなく去って行く。
その後姿を見送った後、千鶴は居た堪れない空気から解放されてほっと息をついた。

「恋・・・か」

千鶴も年頃の娘だ。そういったものに憧れめいた気持ちがないわけではないが、今はそんな心の余裕はない。

千鶴が男装してまで新選組と共にいるのは、行方不明の父を捜すため。
その先のことは、まだ考えられない。
そもそも父が見つかった後、すんなり解放されるかどうかも定かではないのだ。

(それに私がお嫁さんになんて・・・)

きっと無理な話だ、と自嘲する。
置かれた境遇を別にしても、自分の特異体質を思うと誰かを好きになるのを躊躇う。

傷を負ってもすぐに癒える、不可解な身体。
“羅刹”と呼ばれる者達と同じこの力のことを知れば、新選組の人達の千鶴を見る目も変わるのではないかという不安は常に付き纏う。

この体質を理解してくれる男の人なんて、存在するのだろうか。
   と、考えた途端、浮かんできた顔があった。

(いるにはいるけど・・・ちょっと・・・)

そう言えば千鶴の体質を知り、尚且つ嫁に来いと言った男がいた。
それはもう、これでもかと迫ってくる男が、一人。
しかし千鶴は浮かんだ顔を振り払った。

(やめよう。あの人のことを考えたらどこからともなく出て来そうだから)

現れたら最後、のどかな昼下がりが一転して阿鼻叫喚の地獄絵図だ。くわばらくわばら。





■■■■■





異変は前触れもなくやってきた。

「・・・?」

千鶴は首を傾げ、辺りを見回す。
特に変わったところはない、いつもの厨の風景なのだが、何故か違和感が拭えない。

下拵えするために並べておいた野菜を見ても別に増えてもいなければ減ってもいない、並べておいたままの状態だ。
調味料が見知らぬ何かに換えられていることもないし、皿や椀が勝手に動かされている形跡もない。
そもそも今厨にいるのは千鶴一人で、他の誰かが出入りした気配すらない。

なのに、この違和感はいったい何なのだろう。

原因はやがて思い当たる。
今日は屯所が静かだなあと感じていたが、それこそがまさに異変だ。

(静か過ぎる・・・?)

屯所内がこれほど静かなのは、むしろ不自然だ。
男ばかりの大所帯。いつもならどこからか威勢の良い声が聞こえてくるのに、今日は誰の声もしない。
巡察や所用で出掛ける隊士は多いが、屯所に誰も残っていないなどということはないはずなのに。
何より今日の夕飯の当番である藤堂平助や永倉新八は、もう厨に来て準備を始めている頃だ。

疑問に思っていると、バタバタと慌しい足音が聞こえてきた。

「悪い、千鶴! 遅れたっ」

「あ、平助君、そんなに息を切らせてどうしたの?」

ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す平助に水を差し出すと、ぐいっと一気に飲み干した彼はやっと一息つけたとばかりに深く息を吐いた。

「何だか知らねえけど、廊下を歩いてたら水を引っ掛けられたり、鳥の糞が降って来たり、山南さんの研究室からあの薬の小瓶を咥えて飛び出した猫を追いかけたりしてて、なかなかここに辿り着けなかったんだよ」

「そ、それは大変だったね・・・」

「新八っつあんもさっき、突風に飛ばされていく洗濯物を追いかけてたし、あの分じゃしばらくこっちに来れねえかもな」

「え? お洗濯物が飛ばされたの?」

そんなに強い風が吹いたことさえ気付かなかった。

聞けば、突風はかなり狭い範囲でだけ吹いたようだ。
平助が見たのは、おそらく厨に向かう途中らしい永倉が平隊士に洗濯物を取り込んでおけと命じたところ、局地的な竜巻が起きて洗濯物が飛ばされた場面だという。
数も多く、遠くまで飛ばされたものもあるらしく、永倉も慌てて回収に走ったとのことだ。

「不思議なこともあるのね・・・」

「ったく、今日は厄日だぜ」

次から次へと災難に見舞われた平助は、疲れきった様子でぼやく。


どうやら、今日は静かだと感じていたのは千鶴だけのようだ。
夕餉の席では今日一日がいかに慌しかったのか、皆が口々に話題に乗せた。
その目まぐるしさたるや、自分だけのんびりまったりと時間を過ごしたことが申し訳なくなる程だった。


その後も、屯所内では不可思議なことが相次いだ。
毎日毎日どこかで何かしらの騒ぎが起き、隊士達はあちこちで走り回る。
だがどういうわけか千鶴の周りだけはいつも静かで、屯所の騒ぎを千鶴が知る頃にはすべてが終わっているのだ。
さすがに何かがおかしいと疑問に思うものの、どう対処するべきかわからず時間だけが過ぎる。

(皆さん、日に日に疲れが溜まっているみたい)

新選組を襲う不運は屯所の中だけに留まらず、巡察に出たら行く先々で騒動に巻き込まれて隊士達は疲労困憊の様子で戻ってくる。
命に関わるような不運でないのが幸いだが、これでは彼らの身が持たない。
千鶴に出来ることといえば、せめて精が付くように美味しいご飯を作ることと、少しでも助けになるよう雑用をすることくらいだ。

その日も千鶴は、日課となっている屯所周りの掃き掃除に取り掛かった。

今日も隊士達は疲れ果てて帰って来るのだろうか。
そんな心配を抱えながら、少しでも彼らにとって居心地が良くなるよう屯所の中や周囲を清潔にするため箒を動かす。

(・・・ん?)

不意に、どこからか子供の泣き声が聞こえてきた。
手を止め、声を探して周囲を見回すと、やがて境内の方に赤子を背負う少女を見つけた。

弟か妹の子守をしているのだろうか。
何度も背中の赤子を揺すってあやそうとしているが、泣き声は一向に止まない。

「ねえ、泣き止んで? どうして泣いてるの?」

困り果てた少女の声に、千鶴はそちらに足を向けていた。

「どうしたの?」

問いかけに、少女は驚いたような表情で千鶴を凝視する。
若衆姿の千鶴は、少女の目から見ると若い侍だ。まさかこんな風に優しく話しかけられるとは思ってもいなかったのだろう。
だが耳元で泣き叫ぶ声に、助けを求める目を千鶴に向ける。

「泣き止んでくれないの」

途方に暮れた少女は、今にも泣き出しそうだ。子守ができる年頃とはいえ、おそらくまだ十にも届かない年齢だろう。

千鶴はいくつか少女に質問しながら赤子の様子を見る。
少し前に乳を飲んだというから腹を空かせているわけではなく、粗相もしていない。
姉の背に負ぶわれたのは初めてではないから、居心地が悪いわけでもないだろう。
ざっと触診しても、どこかが痛くて泣いているのでもないようだ。

(うーん、特に異常はないみたいだけど・・・)

しかし何が気に入らないのか、赤子は火が付いたように泣き続ける。
とにかく泣き止んでもらわなければ、少女の方が参ってしまいそうだ。

赤子を落ち着かせる方法を考えて、千鶴はあの唄を口ずさんでいた。
すると、優しい旋律に泣き声はやがて小さくなり、いつしかしゃくり上げるだけになった。

「わあ・・・」

感嘆の声を上げ、少女がほっとした笑顔で千鶴を見た。

「ありがとう、お兄ちゃん」

「どういたしまして」

まさかこんなに効果があるとは思わず、驚いたのは千鶴も同様だ。
この唄には心を落ち着ける何かがあるのだろうか。

そんなことを考えていた時、背後に誰かが立つ気配を感じた。

誰だろう、と何の気もなく振り返った千鶴は、そこに立つ思いもよらぬ相手に目を瞠る。

「か、風間さん!?」

風間千景。
西国、薩摩藩の協力者であり、自らを鬼と名乗る男。
これまで幾度も新選組と刀を交え、千鶴を同胞と呼んで連れ去ろうとする強敵。

何故この男がここに?
身構える千鶴に、しかし風間はどこか思案げな様子で問うた。

「何故その唄を唄った?」

「え?」

「無意識か。だが・・・」

ふと、風間が遠くを見やる。
つられて視線を追うと、その先の西本願寺の本堂がぼんやりと柔らかな光に包まれているのが見えた。

「?」

目の錯覚だろうか。
ぱちぱちと何度も目を瞬かせてみるが、どう見ても光っているのは変わりない。

「お前の言祝ぎの唄によって神気が増している」

「え?」

「最近、身の回りで何か起きているのではないか?」

「??」

風間の言っていることがさっぱりわからない。
困惑する千鶴の様子に風間は再び視線を本堂に向け、呟く。

「お前に害はないだろうが、向こうの真意がわからぬから何とも言えんな」

とりあえず、用心はしておけ。

それだけを言い残し、悠然とした足取りで立ち去る。

その背を追ってどういう意味か問い質したい気持ちはあるが、なし崩しに連れ去られる恐れがあるため、風間を追うのを躊躇う。
千鶴が迷っているうちに、風間の姿は見えなくなった。



〈次〉

16.4.30up



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