恋ウ心 前編





なんで・・・?

なんで来てくれへんの・・・?

ずっと、ずっと、待ってたのに。


待って、待って、待ち続けて   

ようやく現れたんは、待ちわびたあの人やなくて、見たこともない男達。

怖い顔の浪士達は、刀を手にうちを追いかけてくる。


これが、あの人の答えなんやろか?


どこか遠い所で二人で生きていこう、て。

そう言うてくれたんは、嘘やったんやろか?



うちのことが邪魔やと思うとったんやったら

せめて、あの人の口から聞きたかった   ・・・。





■■■■■





「はぁ〜、すっかり遅くなったなあ」

隣を歩く本山小太郎の言葉に、伊庭八郎は夕暮れの空を見上げた。

日が落ちて間もない空は、まだかろうじて西に茜色を残している。
急げば町が完全に夜闇に覆われる前に、宿へ帰れるだろう。

段々日が長くなる時期とはいえ、もっと早く切り上げるべきだった、と伊庭の胸に自責の念が込み上げる。

「すみません、本山」

「お前が謝ることじゃないって。それにしても今日のはしつこかったよな」

うんざりした口調になるのは、出向いた先でのやり取りを思い出したからだろう。

この日、二人は公用でとある藩邸を訪ねた。
話し合い自体はそう時間は掛からなかったが、問題はその後だ。
用を終えて帰ろうとする二人を、先方が散々引き止めてきた為、随分と帰りが遅くなってしまった。

「断っても断っても次から次に、この娘はどうだ、あの娘はどうか、せめて一目だけでもって、きりがなかったな」

もしかして今日の会合の目的はこれだったのかと疑ってしまうほど、手を変え品を変えて自分や親類縁者の娘達を怒涛のように薦められた。
未だ修行中の身だからと断っても、ならば婚約だけでもと食い下がられ、伊庭と本山は精神的にかなり消耗してしまった。

若くして幕臣の地位に在り、旗本の身分を持つ二人は彼らにとって格好の婚姻相手だ。
世情が不安定な今、少しでも己の立場を磐石にしたいという思惑は理解できないでもないが、標的にされた方は堪ったものではない。
それに何よりも   

(僕にお嫁さんなんて・・・。こんな気持ちを抱えたままでは、相手の方にも失礼だし、自分も苦しくなるだけだ)

修行中というのは事実だし、まだ嫁を娶るには未熟すぎる自覚はあるが、最たる理由は伊庭の胸の中に刻み込まれた一人の少女の存在だ。

十年に及ぶ長い初恋。
それが叶えられる希望がある今、他の誰かに眼を向けるなんて考えられない。

「それにしてもお前は、好きな娘がいるって言えば良かったんじゃないのか?」

伊庭の想いを知る本山が問う。

「そんなことを言ったら、どこの誰かとか根掘り葉掘り訊かれるじゃないですか」

「あー、そうか。十年以上会ってないと知られたら、どうせ相手は忘れてるから望みはないって判断されるか」

「・・・う・・・っ」

悪気のない言葉が深く胸を抉る。

(確かに最初は忘れられていたけど、もう思い出してくれてますっ!)

そう声を大にして言いたいのを、必死に耐える。

「で、お前はいったいいつになったらその初恋の娘に会いに行くつもりなんだ? 向こうはもう年頃なんだろ? 早く捕まえとかないと、他の奴に掻っ攫われるぞ」

もう会って、仲を深めている最中だ。
なんて正直に答えたら、きっと彼は大騒ぎするだろう。
どこの誰だ会わせろ話をさせろ紹介しろ、と今日の会合相手以上にしつこく追求されるのが目に見える。

(実は一度会っているんですけどね)

先日、彼が新選組屯所まで伊庭を迎えに来た時のことを思い浮かべ、こっそりと笑う。
本山は“彼女”を小姓の少年と思い込んでいるが、それこそが伊庭の想い人だと知ると、どんな反応をするだろう。

「にしても十年以上も一人の女を忘れないって、すごい根性だよな。相手が嫌な女になってる可能性だってあるのに」

「彼女なら大丈夫ですよ」

「何だよその自信は」

呆れ混じりの視線に、伊庭は自信に満ちた笑みを返す。

(だって、彼女はあの頃のまま、素直で優しい素敵な女性に成長していましたからね)

彼女と再会してから、幼い頃の淡い初恋が熱を伴ったものへと変化するのを自覚していた。

けれど、まだ早い。
彼女が抱える問題も、これから自分達に降り掛かるであろう問題も、何一つ解決していない現状。
この想いを告げても、きっと彼女を困らせるだけだ。

「いずれ、時期がくれば・・・」

それがいつになるかは解らないけれど。

本山はそれ以上の追及はせず、二人の話題は別のものに代わる。
気心知れた二人の間に話題は尽きず、主に本山が話すことに伊庭が相槌を打ちながら、暮れ行く道を二人は歩き続けた。

川に掛かる橋に差し掛かった時、ふいに視界の端に何かを捕らえて伊庭は足を止めた。

「どうしたんだ?」

「人が倒れています」

「え?」

伊庭の視線を追って橋の下を見ると、生い茂る水草の中に異質な色を見つけた。
草や動物のものではない、人の手が作り出した色合い。女物の着物の色だ。

「どうしました? 大丈夫ですか?」

呼びかけながら伊庭は河川敷を滑り下り、倒れている女に駆け寄る。
後に続き、その肩越しから女の姿を見下ろした本山は、薄闇の中に浮かび上がる黒に息を呑んだ。

「い、伊庭、こ、これって・・・」

うつ伏せに倒れる女の背を袈裟懸けに染め上げる黒。
身体を反転させると、前も同じ色に染まっていた。日の光の下で見れば、それは赤黒い色として眼に映るだろう。
あまりにも無残な姿に、思わず目を背ける。

「この娘は・・・」

「し、知り合いか?」

「いえ、でもどこかで会った気がします」

恐る恐る見た女の顔は意外と若く、歳の頃は自分達とそう変わらなそうだ。身なりからして、普通の町娘だろう。

「お前、よく町に甘味を食べに行ってるから、そこで見たんじゃないか?」

「甘味・・・、ああ、そうだ、どこかの茶屋で働いていた娘さんだったはずです」

「茶屋の娘が何でこんな所で斬り殺されているんだよ」

「暴漢に襲われたのでしょうか。とりあえず、奉行所に報せましょう」

「そ、そうだな」

立ち上がろうとした伊庭は、娘の手から何かが落ちた気配に視線を落とす。

「櫛?」

拾い上げたのは、若い娘が好みそうな華やかな模様をあしらった赤い櫛だ。
娘の持ち物だろうか。

開かれたままの目を閉じさせ、組ませた手の中に櫛を差し入れると、遺体に手を合わせる。

彼女が安らかに眠れるように。
彼女をこんな目に遭わせた下手人に、裁きが下されるように願いながら   


その後、奉行所に娘のことを伝え、二人は発見者としての役目を終えた。

そう、思っていた。





■■■■■





「あれ、何だか境内の方が賑やかだな」

たった今巡察から戻ってきたばかりの八番組組長、藤堂平助は、好奇心に満ち溢れた表情で境内の方を見やった。

巡察に同行して、同じく屯所に帰ってきた直後の雪村千鶴は、元気が有り余る彼の様子に苦笑とともに感心する。
京の町を歩き回った後だというのに、まったく疲れを感じさせないところは流石だ。

平助は隊士達に解散を告げると、軽い足取りで境内に向かう。
千鶴も何となくその背に続いた。


「よう、お帰りー」

「お疲れさん」

「お帰りなさい、千鶴ちゃん」

境内では永倉新八の二番組と、原田左之助の十番組が稽古をしていたようだ。
そこに、最近ではすっかり馴染んだ人物も混ざっていた。

「八郎、来てたのかよ」

「こんにちは、伊庭さん」

伊庭が新選組の隊士達と剣の稽古を行うのは、もう見慣れた光景だ。
心形刀流を修め、江戸では講武所教授方を務める伊庭の剣の腕前は新選組幹部達も認めるほどで、彼の手解きを受けたいと望む隊士達は多い。

どうやら稽古は終わったようで、隊士達は道具の後片付けをしている。
もうちょっと早く帰れば良かった、と平助が地団太を踏みながら悔しがる。

「けど、今日の八郎の剣はちょっとキレが悪かったな。何か悩みでもあるのか?」

「いえ、悩みではないんですけど、昨夜色々あったので」

「何だ、問題が起きたのか?」

「問題というか・・・。実は昨夜、公用の帰りに河川敷で若い娘さんが斬り殺されていたのを見つけたんです」

「女が?」

途端に原田の顔に怒りが浮かぶ。

「その娘は何も武器を持っていないのに、何度も刀で斬られた様子でした。とても酷い有様で、年の頃も千鶴ちゃんと変わらないくらいだったので、貴方の無事な姿を見なければ安心できなかったんです」

そう言いながら伊庭は千鶴を見た。
彼の真っ直ぐな眼で見つめられると、落ち着かない気分になる。

「下手人は捕まったのか?」

「現在、町方が捜査しています。見つけられればいいのですが・・・」

近年、京の治安は良いとは言えない。町の人間が殺されるような事件も、決して珍しくはなかった。
捜査はするが、下手人を捕らえられるかは解らない、と奉行所の役人すら弱音を零すほどだ。

伊庭の苦しげな表情に気付いた千鶴が心配そうに彼を見ると、いつもの穏やかな笑みが返る。

「君も、気をつけて下さいね。決して一人だけで行動しないように」

「はい」

素直に頷く千鶴に少しだけ安心するが、おとなしく見える彼女が実は状況によって突飛な行動をしてしまう一面もあるのを知る伊庭は、どうにも不安を拭いきれない。

その時、カシャン、と何かが落ちる音が聞こえた。

「おい八郎、これ何だ?」

逸早く落ちた物を見つけたらしい永倉が身を屈め、拾い上げたそれを見せる。
落ちたのが伊庭の足元だった為、彼のものだろうと判断したらしいが、その正体に伊庭を含む全員が驚きに目を丸くした。

「櫛? 何で八郎がこんな物持ってるんだ?」

「え? あれ、どうしてこれが?」

「おいおい、お前まさかどこかから無断で持ち出したんじゃねえだろうな」

「いえ、これは亡くなった娘さんが持っていた物です。遺体に返しておいたはずなんですが」

その言葉に、平助や永倉の顔がサーッと潮が引くように青褪める。

「お、おい、怖いこと言うなよ・・・っ」

「き、きっとお前が間違って懐に入れちまってたんじゃねえのか?」

「そうでしょうか・・・」

「でも、綺麗な櫛ですね」

腑に落ちない気分で櫛を見下ろしていると、隣で千鶴がぽつりと言った。

「櫛に興味があるんですか? 今度千鶴ちゃんの好みに合うものを買いに行きましょうか。簪でもいいですよ。お兄さんが何でも買ってあげ」

「こらこらこら、どこの不審者だてめえは!」

突然水を得た魚の如く元気になった伊庭の口を、原田の手が無理矢理塞ぐ。
このまま言わせたら幕府直参旗本にあるまじき台詞が飛び出しそうだ。

「とりあえず、この櫛は仏さんに返しといてやれよ」

永倉から櫛を受け取ろうとすると、何故かその手から櫛が滑り落ちた。
慌てて全員の手が櫛を掴もうとして、千鶴の手の中にそれは収まった。

「・・・っ!?」

櫛に触れた瞬間、千鶴の全身を悪寒が駆け抜けた。
衝撃にふらりと傾ぐ身体を、すかさず伊庭の腕が支える。

「千鶴ちゃん、どうしました?」

「どうした、どこか痛むのか?」

「大丈夫か、千鶴!」

腕の中の千鶴は真っ青な顔で、力なく伊庭に身を預けている。
何か言おうと唇が震えるが、漏れ聞こえるのは細い息の音だけ。

立ち眩みを起こしたのだろうか。
とにかくすぐに横になれる場所に運んだ方が良さそうだ。

そう判断して千鶴を抱き上げた時、誰かの足音がこちらに近づいて来た。

「これは、厄介なものに取り憑かれましたね」

現れたのは初老の僧侶だ。
彼は節くれだった手を千鶴に伸ばし、口の中で何やら唱える。
すると、みるみる千鶴の顔に赤みが差してきた。

「千鶴ちゃん、大丈夫ですか?」

「あ、はい、体が軽くなりました・・・」

答えながら、千鶴は自分の状態に気づいて頬を赤らめた。
伊庭の腕にしっかりと抱き上げられてしまっている。
重くないだろうか、という心配が真っ先に来るのは、やはり若い娘にとって何より重大な問題だからだろう。

「い、伊庭さん、あの、下ろして頂いて大丈夫、です、から・・・」

「あ、すみません」

地面に下りると、今度は自分の足で立つことができた。
さっきの悪寒と、その後の体の不調は何だったのだろうか。

「もう大丈夫なようですね」

柔和な笑みを浮かべる僧侶。
事情はよく解らないが、彼が助けてくれたようだ。

「ありがとうございます。あの、いったい何が起きたんでしょうか?」

「この世に強い未練を残した霊魂が、貴方に憑依しかけていたんですよ」

「れ、霊・・・!?」

平助、永倉、そして千鶴の表情が強張る。
凍りついた三人に代わり、原田と伊庭が僧侶に頭を下げた。

「この子を助けてくれてありがとうございます」

「よくわからねえが、世話になった」

「雪村さんにはいつも境内を掃除して頂いていますから。そのお礼ですよ」

それでは、と立ち去る僧侶を見送った後、伊庭は手に戻ってきた櫛を鋭い目で見つめた。

(これは、千鶴ちゃんに近づけない方が良さそうだ)

何故これがここにあるのかは解らないが、あの遺体に返した方が良いだろう。

挨拶もそこそこに、伊庭は足早に屯所を後にした。





■■■■■





伊庭が奉行所の門を潜ると、中から獣の咆哮のような音が聞こえてきた。
いや、建物の中で声が篭っているからそう聞こえただけで、どうやら正体は男の泣き声だ。
何か辛いことがあったのだろうか。喉が潰れるほど泣き叫ぶ声は、聞く者の胸まで苦しくさせる。

「あ、伊庭殿」

見知った役人が伊庭に気付いて挨拶してくる。
彼は伊庭と本山が河川敷での出来事を報せた時、話を聞いてくれた人だ。

「何かあったんですか?」

「ええ、実はあの娘さんの恋仲だという男が現れまして・・・」

彼が視線で示したのは、泣き叫ぶ男だ。
男の前には茣蓙を掛けられた遺体が横たわっている。それは昨夜、伊庭が見つけた娘のようだ。

今朝から役人達があの河川敷で現場検証している最中、慌てた様子で駆けつけた男が娘の遺体を目にした途端、悲鳴を上げて泣き崩れたのだという。

男の名は信吉
(しんきち)
小間物問屋の次男坊らしい。

そして死んだ娘の名は、お春
(はる)
伊庭の記憶通り、茶屋で看板娘として働いていた町娘だ。
茶屋の主人や家族にも連絡が取れて、本人だと確認された。

「遺体は検分が終われば家族のもとに返されます。ただ・・・」

娘の遺体に縋りついて泣き続ける信吉が、いったいいつになれば落ち着くのか。
娘の身元が判明したのは良いが、その後の捜査は遅々として進んでいない。

「恋う人を亡くしたのですから、彼が哀しむのも当然ですね」

「そうですが、同時に彼は容疑者でもあります」

「というと?」

「お春が河川敷にいたのは、彼との約束のためらしいのです」

お春の家族の話によると、彼女は信吉との逢引のために出掛け、そのまま戻って来なかったらしい。
夜になって心配した両親が信吉の家を訪ねたが、彼に会うことは叶わず、彼の家族も行方を知らないと言われたという。

「となると、信吉さんは昨日、どこにいらしたんでしょう?」

「それを訊きたいのですが・・・」

あの通りで、と役人は疲れた表情で首を振る。
もう何時間も信吉は泣き続けているようだ。役人達が疲弊するのも無理はない。

「それで伊庭殿は何の御用で奉行所に? この状態ですからあまり捜査は進展していませんが」

「あ、いえ。僕はこれを・・・・・・あれ?」

「どうしました?」

「櫛が・・・」

「櫛?」

懐に入れたはずの櫛が、ない。

「確かに懐に仕舞ったはずなんですけど・・・」

「く・・・し・・・?」

ふと、泣き声が止んだ。
掠れた呟きと共に、涙に濡れた目が伊庭を見上げる。

「櫛・・・て・・・」

「あ、ええ。お春さんの物らしき櫛を誤って僕が持ち歩いてしまったので、返しに来たんです」

「・・・それ、もしかして牡丹の模様をあしらった赤い櫛ですか?」

「そうです。やはりお春さんの持ち物なんですね?」

「俺が、お春ちゃんにあげた物です・・・っ。求婚する時に・・・うっ・・・」

求婚の贈り物とは。
双方にとってかなり思い入れの深い物ということか。

「すみません、大切なものなのに、どこかに落としてしまったかも知れません」

何度懐を探っても、袖を振っても、それらしき感触は無い。
しかし、予感めいたものが伊庭の中に閃き、彼は「探して来ます」と言い置いて奉行所を出た。



〈次〉

16.5.30up
16.6.10加筆



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