|
視ル眼 前編
精霊やもののけなどといわれる、人ならぬものという存在がある。
無邪気な幼子の頃に視えることがあるが、成長するにつれていつの間にか視えなくなったり、忘れてしまうものだ。
そうやって周りの子供達がいつしかそれらを視なくなっていく中、少年は元服を迎えても尚彼らを視ることができていた。
いや、それだけではなく、彼の眼は“形なきもの”や“かつては人であったもの”の姿まで捉えていた。それは人の思念、そして死者の魂なのだと後に知る。
視えない存在を見、その声を聞くという彼を周囲は奇異の目で見たが、幸いにも寺社の多い地に暮らしていた彼はすぐに理解者を得られた。
特異な能力を理解し、導いてくれる人達に恵まれ、やがて少年は仏門に入った。
出家した彼に与えられた名は 彰月(しょうげつ)。
現在は西本願寺に数多存在する僧侶の一人である。
最近、西本願寺の境内では荒々しい男達の威勢の良い声が響き渡るようになった。
不本意ながら、寺の一部を間貸ししている集団によるものだ。
その集団というのは“新選組”。京の治安維持を担う剣士集団である。
とはいえ、西本願寺の僧侶達は彼らの存在を快く思っておらず、彰月も例外ではない。
新選組がここに住まうようになった経緯を思えば、それも当然だろう。
彰月の目から視た新選組は“穢れ”そのものだ。
多くの人間の命を奪った腰の刀は血に塗れ、犠牲となった者の恨みの念が常に付きまとう。
どんなに柔和な笑みを浮かべていても、子供達と無邪気に遊んでいても、彼らが手に掛けた者達の恐怖と憎悪の念は彼らに取り付いて離れないのだ。
それ程までに多くの命を散らしておきながら、平然としていられる無神経さが理解できない。
仏の庭たるこの寺に、彼らほどそぐわぬ者達はない。
いったいいつになったら、新選組は出て行ってくれるのだろうか。
境内で木刀を振り回す男達を横目で見やりつつ歩を進めていた彰月は、ふと小柄な人物の存在に気づいてそちらに足を向けた。
「精が出ますね」
「あ、こんにちは」
新選組への厳しい眼とは打って変わって優しげな口調で話しかけたのは、一人の少年に対してだ。
穢れに満ちた新選組にあって唯一、清浄な空気を纏う子供。
この頃、彰月が気に掛けている存在でもある。
「いつもありがとうございます。雪村さんのお陰で、我々も丁寧に掃除を心掛けるようになったんですよ」
冗談めかしてそう言うと、雪村と呼ばれる子供は「そんな・・・」と頬を染める。
照れているのだろうか、恥らう様子が可愛らしい。
雪村は新選組と共に西本願寺に滞在するようになった子供だ。
副長である土方歳三の小姓らしいが、彼の立場はどうやら酷く複雑なようだ。
巡察に同行しても隊服は着ず、決まった隊に所属しているわけでもない。
境内で鍛錬する隊士達の中に入ることもなく、黙々と庭掃除や洗濯をする姿をよく見る。
そんな少年に対し、親しげに話しかけるのは幹部の一部だけだ。その他の隊士達とは接触を禁じられてでもいるのだろうか。
いったい何故このような子供が新選組にいるのか。
疑問は尽きないが、彰月を始めとして僧侶達は皆この子供に対しては新選組に対するよりずっと態度が柔らかくなる。
とはいえ彼も新選組の一員という括りなのだから、あまり親しくするわけにはいかないのだが、短い挨拶を交わすだけでも雪村の穏やかな人柄が感じられた。
雪村からは血の匂いがしない。荒々しさもない。
柔和で穏やかな気質は武士より僧侶に近い。いや、厳密に言えば女性的だ。
まだ幼いが故に荒事に加わらないのだとすると、成長すれば彼も血に穢れてしまうのだろうか。
出来れば、そんな日が来なければ良いと思う。
「あっ」
彰月の背後に何かを発見した雪村が、パッと顔を輝かせた。
思わず振り返り、雪村の視線を辿った彰月は対照的に顔が強張る。
「土方さん、お帰りなさい」
「おう」
雪村に答えながらも、鋭い視線は真っ直ぐに彰月を捕らえる。
警戒心に満ちた眼に親しみの色は欠片もない。
新選組副長、土方歳三。
無理矢理、新選組の屯所を西本願寺に移すと決めた張本人だ。
新選組の中でも特に血生臭い男達の一人でもあり、その周囲を取り巻く黒い靄のような怨嗟の念に気分が悪くなる。
ここまで怨みを纏っているのなら、きっとろくな死に方はできまい。
一刻も早くこの男から離れたい一心で土方と雪村に軽く会釈をし、立ち去りかけた時。
「土方さん、埃が・・・」
そう言って雪村の小さな手が土方の着物をパタパタと軽く払うと、まるで埃が落とされるように黒い靄が祓われた。
“埃”が落ちて満足そうな雪村に、土方も柔らかな声で「悪いな」と告げる。
雪村が何をしたのか、当の本人も土方も解っていないようだ。
自然な動作からの無意識の浄化の力に驚く。
あの力を育て上げられれば、彼は多くの人や“人ならぬもの”を救えるかも知れないのに。
やはりあの子は新選組などにいるべきではない。
その認識を新たにするも、どうやって雪村を彼らから引き離せば良いのか。
屯所に向かう土方と、少し後ろを付いていく雪村の後姿を見ながら、彰月は思案を巡らせた。
■■■■■
土方と共に屯所に入った千鶴はすぐに厨に向かい、釜戸で湯を沸かした。
茶葉を入れた急須に湯を注ぎ、土方好みの味になるまで蒸らした熱い茶を湯飲みに淹れると、付け合せと共に盆に載せて土方の部屋を訪ねる。
「土方さん、雪村です。お茶をお持ちしました」
「入れ」
短い応えの声の後障子戸を開けて中に入ると、土方は机に向かって何やら書き物をしていた。
先程屯所に戻ったばかりだというのに、一息つく間もなく次の仕事に取り掛かっているようだ。
「ありがとよ、そこに置いといてくれ」
「はい」
言われた通り土方の邪魔にならないよう盆を置き、千鶴は土方の背中を見る。
無理をしないで休んでください、と言いたいのは山々だ。そして言うだけなら簡単なのだろう。
だが、その言葉は土方にとって煩わしいものにしかならないのも解っている。
口にしそうになる言葉を飲み込み、千鶴は「失礼します」とだけ言って部屋を辞した。
土方の部屋を出てすぐに、こちらに近づいてくる人物に気付いた。
三番組組長の斎藤一だ。
「雪村、副長は戻られたのか?」
「はい、お部屋にいらっしゃいます」
千鶴の答えに「そうか」と頷き、斎藤は土方の部屋へと向かう。
呼びかけるとすぐに応答があり、彼の姿は障子戸の向こうに消えた。
仕事の話だろうか。
土方も斎藤も、いつ休んでいるのか不思議なくらいに働き詰めだ。
彼らのために自分が出来ることとは何だろう。
少しでも役に立ちたいのに、気ばかりが焦っていくら考えても答えなど出ない。
そもそも隊士でもない千鶴に出来ることなど限られているのだ。
ならば限られた中で、精一杯力を尽くすしかない。
結局思いついたのは、屯所の中を綺麗に掃除することだった。
一方、土方の部屋では、斎藤が巡察の報告を土方に伝えていた。
「次に、監察方からの報告にあった例の宿屋の近くを通り掛りましたが、確かにただならぬ気配を感じました。不逞浪士の潜伏場所の一つである可能性があります」
「ああ、あの辺は俺も公用の帰りに通ってみた。俺の顔を知っている奴がいるらしいな。嫌な視線をビシバシ感じたぜ」
不敵に笑んでみせながら、土方は湯飲みを手に取って茶を啜る。
土方好みの渋さが口の中に広がり、好戦的だった表情が緩んだ。
「どうされますか、副長」
「今は何もできねえな。監察方にも見張らせるが、お前達も巡察の折気を付けてくれ」
「はっ」
「ところで千鶴のことだが」
「雪村が如何されましたか?」
土方の口から零れ出た名前に、斎藤は意外そうに目を丸くした。
「さっき、境内で西本願寺の坊さんと話していた。坊主共もあいつとは話をするようだな」
新選組の面々を見るとあからさまに嫌な顔をする僧侶達だが、確かに千鶴に対しては嫌悪を表に出さない。
毎日のように境内を掃除する姿を見れば、嫌な感情を持ち続けられないということだろうか。
「彼女には人の心を和ませる何かがありますから」
「まあな。が、あまり向こうと親しくするのは問題だな。千鶴を疑っちゃいねえが、西本願寺の坊主共は信頼できねえ。不逞浪士と繋がっている奴もいるかも知れないからな」
千鶴はただ挨拶をして少しの世間話をするくらいなのだろうが、向こうもそうとは限らない。
彼女を孤立させるのは胸が痛むが、やはり彼女には限られた幹部以外とは接触しないよう言い聞かせる必要があるだろう。
(あいつ、落ち込むだろうな)
人一倍、他人に気を遣う少女。
土方が言い聞かせれば、素直に従うだろう。
そして彼を煩わせてしまったと落ち込むのだろう。
彼女の表情を曇らせてしまうのは本意ではないが、彼女の置かれた状況はそれほどに危うく、僅かな油断が命取りであることを教えなければならない。
また一口、ずずっと茶を啜った時。
「いやあああああっっ!!!」
「「!!」」
響き渡った悲鳴に、土方と斎藤は瞬時に部屋を飛び出た。
「何事だ!」
声の元を辿って広間に行き着くや、斎藤が声を張り上げる。
そこで二人が見た光景は・・・。
「・・・・・・何してやがる」
意図せず、低い声が漏れた。
広間には千鶴の他に沖田、藤堂、原田、永倉の姿があった。
小さく丸まって震える千鶴を原田が広い胸に抱き寄せ、沖田は永倉に後ろから羽交い絞めにされた上に、前からは平助に口を押さえつけられている。
いったいどういう状況なのか。
「総司、何をした?」
状況を一目見た瞬間、斎藤は沖田に厳しい眼を向ける。土方も同様だ。
二人の出した結論は唯一つ、“総司が千鶴に何かした”だったのだ。
「別に何もしてませんよ。僕はただ千鶴ちゃんに近所の子供から聞いた面白い話を聞かせてあげていただけなのに」
「面白い話じゃなくて、怖い話だろうが!」
悪びれない総司の言葉にいち早く突っ込みを入れたのは平助だ。
「お前、千鶴が怖がるのを楽しんでただけだろ」
千鶴の頭を優しく撫でながら、原田が呆れた口調で続く。
「総司、てめえはいつもいつも余計なことばかりしやがって」
眉間に皺を寄せ、不機嫌も露に睨みつける土方の鋭い視線を向けられても、沖田は飄々とした態度を崩さない。
「だって、千鶴ちゃんに構って欲しいのに、これから床拭きをするなんて言うんだもの。僕より掃除がいいなんて悔しいし〜」
「総司より掃除・・・」
「「「「「・・・・・・・・・」」」」」
斎藤が漏らした呟きは全員に黙殺された。
ゴホン、とわざとらしく咳払いし、原田が場を取り成す。
「と、とにかくだ、総司は千鶴の邪魔するんじゃねえよ。遊び相手なら俺達がしてやるから」
「ごめんなさい、沖田さん。床拭きが終わったらいくらでもお付き合いしますから。怪談以外は」
だから今は許してください、と懇願されると、流石の沖田もそれ以上わがままを口にせず「仕方ないなあ」と折れる姿勢を示す。
何とか場が収まりそうだとほっとしたのも束の間、沖田が何気ない口調で余計なことを呟いた。
「あーあ、つまらないな。なら千鶴ちゃんには後で豊玉発句集でも詠み聞かせてあげようっと」
「だからてめえは余計なことばかりしてんじゃねえ!!」
土方の怒声は、屯所中に響き渡ったのだった。
■■■■■
雪村を新選組から引き離したいと思いながら、良い案が浮かぶわけでもなく翌日を迎えた彰月は、雪村が境内の掃除をしているであろう時間になると彼の姿を探し歩いていた。
目的の人物はすぐに見つかったが、傍に女性の姿も見えた為思わず足を止める。
雪村に話しかけているのは若い娘のようだ。
彼女は雪村に何やら言葉を掛けると、手に持つ文を彼に差し出す。
(恋文を頼まれたのかな)
時折、こういうことがあるのだ。
新選組は荒くれ者の集団だが、中には見目の良い男も居る。
剣の腕があり、容姿も整っているとなれば若い女性が心惹かれるのも当然だ。
そんな想いが高じて恋心を伝えようとする娘達は後を絶たない。
相手に直接渡すのは無理でも、優しげで誠実そうな人物に渡してくれるよう頼むのだ。雪村はその恰好の標的と言える。
いつもなら雪村に少し同情しつつ複雑ながらも微笑ましく見ていられるのだが、その時彰月の目に映っていたのは不吉なまでに黒く渦巻く何かの念だ。
それは雪村と話す女性を取り囲み、渡される文にも纏わり付く。
(あれは何だ?)
目を凝らして正体を見極めようとする。
何かに対する悪意のようなものを強く感じるが、それが誰のもので、誰に対するものかが解らない。
すると、雪村の手が触れた瞬間、文に纏わりつく黒いものが消えた。
女性の周囲は依然として黒く渦巻いているが、文は雪村の手によって浄化されたようだ。
そのことにほっと安堵するも、女性の方は問題だ。
放置していると、彼女の身に良からぬことが起きる恐れがある。
雪村に文を託すことができた女性は、深く一礼すると踵を返す。
そのままどこか急ぎ足で立ち去る彼女が、彰月の方に近づいてきた。
「もし」
呼び掛けると、女性はびくっと肩を竦ませ、恐る恐るといった素振りで彰月を見上げた。
声を掛けたのが僧侶だと解ると、あからさまにほっとした表情を見せる。
「あの、何か・・・?」
呼び止めたは良いものの、何を言うべきだろうかと迷う。
突然、何か厄介ごとにでも巻き込まれているのかなどと問えば、相手は警戒してしまうだろう。
彼女に不安を与えないよう、彰月は慎重に言葉を選びながら穏やかな口調で問いかける。
「顔色があまり良くありませんが、どうされました?」
彰月の言葉に女性は縋るような眼で何かを言いかけたものの、すぐにハッとしたように口を噤んだ。
「申し訳ありませんお坊様、急いでおりますので・・・」
そう言うと、娘は逃げるように走り去って行った。
その背を追いかけようと考えたが、彼女を取り巻く何かの念が彰月に対しても凄まじい敵意を向けたため、一瞬足が竦んだ。
(いったい何なのだろう、あれは・・・)
彼女の身に何もなければ良いのだが。
心配げに女性を見送っていると、彰月の傍に歩み寄る小さな足音が聞こえた。
それが雪村だとはすぐに気づき、視線をそちらに向ける。
「あの方はどうされたのですか?」
「土方さんに文を渡して欲しいと頼まれただけですが、何か気になることでもありましたか?」
「そう、ですか・・・」
雪村の手にあるのは、先程彼女から渡された文。
もうそれの周りに黒いものは視えないが、彼女からの文となれば酷く気に掛かる。
だが、まさか見せて欲しいと頼むこともできず、彰月は胸の中に重い石を飲み込んだかのような不快感を持て余す。
何事もなければいい。
そんな願いも空しく、数日後に彰月は最悪の結末を知る。
“人ならぬもの”をも映してしまう彼の眼は、すでにこの世の者ではなくなってしまった娘の姿を視てしまったのだ。
〈次〉
13.1.20up
|