桜廻り 〜前編〜





擦り切れ、踏みつけられ、無残な形となって地面に打ち捨てられていた、愛しく懐かしい面影。

彼らが最後まで心に掲げていた【誠】の旗を両腕で抱きしめ、私はただ涙を流し続けた。


遠ざかっていく背中を懸命に追い続け、北の果てまで辿り着いたけれど。
私を待っていたのは、彼らの名残を留めたぼろぼろの旗だけだった。

激動の時代を命の限り駆け抜けた彼らは、最後の最後まで歩みを止めることはなかった。

もう会えない。追いつくことができない。
その事実を受け止めるだけで精一杯で。

一つの時代の終焉は、私の大切なものとの永遠の別離となった。





どれだけ時が過ぎ去ろうとも、私は彼らと過ごした日々を忘れることはない。


夏には京の蒸し暑さと送り火を、秋には落ち葉で焼き芋をしたことを、冬には雪と戯れたことを想う。


そして春は・・・桜に彼らの姿を重ね、散りゆくさだめに涙する。



そうやって、大切な思い出と共に永い時を過ごしてゆくのだろう・・・。



そう、思っていたのだけれど   





■■■■■





江戸の町のとある一角に建つ雪村診療所。
雪村網道という蘭方医が経営していたその診療所は、いつの頃からか無人となったまま数年間が過ぎ去った。

その診療所が、ある日ふらりと帰ってきた網道の娘によって再開されて半年が経つ。

物心ついた頃より父親を手伝っていたこともあって、昔からの患者や近所の人々は彼女が医者として診療所を継いだことを歓迎した。
父親を見て培ってきたものに加え、行方不明となった数年間に得た経験や知識、江戸に戻ってからも怠ることなく勉強をした彼女は文句なく良い医者だ。
さらに容姿の美しさや心根の優しさ、人柄の良さで誰もに慕われ、かなりの評判になっていた。

あんな器量の良い娘にはどのような男が相応しいか。
というのが最近のご近所のおば様方の井戸端会議で、必ず出てくる議題にまでなっている。
是非うちの息子の嫁にと望む人は多いが、如何せん高嶺の花を射止めるほどの度量が息子にはないと嘆くのが常例の結論である。

彼女の相手はそんじょそこらの男では務まらないのではないか。
そう思わせる何かが彼女にはあった。


彼女の名は雪村千鶴。

かつて京で名を馳せた新選組と呼ばれる浪士集団と、行動を共にしてきた娘であることを知る者はいない。





「千鶴ちゃん、お久しぶり!」

夕暮れ時。
この日最後の患者の診察を終えた千鶴が診療所を締めようとした時、聞き覚えのある明るい声が彼女を呼んだ。

慌てて振り返ると、大切な友人が満面の笑みを浮かべてこちらに小走りで駆け寄って来る姿が視界に飛び込む。

「お千ちゃん!」

千鶴の表情も、久しく浮かべていなかった明るい笑顔となる。

「元気だった? お医者さんは大変でしょう?」

「うん、でもやり甲斐はあるから」

答えながらお千の後ろからこちらに近づいてくる人達の姿を捕らえ、千鶴は首を傾げた。
お千の同行者は二人居た。一人は君菊だが、もう一人は・・・。

「薫・・・さん?」

以前、京で新選組と行動を共にしていた頃、度々顔を合わせた少女がそこにいた。
だがその姿は、随分と様変わりしている。

「久しぶり、千鶴」

浮かべる笑みは柔らかい。
しかし雰囲気が京で会った時と全く違う。

髪が随分と短くなっているからか。
華やかな着物ではなく、旅姿だからか。
何より決定的な違いは、彼女が少年にしか見えないことだ。

けれど、千鶴には今の薫の姿が懐かしく感じられた。


「俺を憶えている?」

問いかける声に不安が混じる。
薫の問いが、京で度々会ったこととは違うというのは、彼やお千の様子から見て取れる。
答えは、もう千鶴にも解っていた。

「薫・・・でしょう? 私の双子の兄弟・・・」

千鶴の言葉に、薫は心から嬉しそうな笑顔となった。

「ようやくお前と会えた」

震える声でそう言って、薫は千鶴を抱きしめた。

「ずっと待っていたよ。お前が俺を思い出してくれる日を」

「忘れていて、ごめんなさい・・・」

千鶴の謝罪に、薫は首を振った。
辛い記憶なのだから仕方がない、と寂しげに呟く。
だが、一時的に忘れることは許せても、忘れたままでいて欲しくなかったから、思い出してくれて嬉しいと言って、千鶴を抱く腕に力を込めた。



再会を喜ぶにしても往来でいつまでも立ち話するわけにもいかないと、千鶴は三人を家の中に招きいれた。

「千鶴ちゃん、何かあった?」

差し出されたお茶を一口啜った後、ふいにお千が問いかけた。
意味を測りかねて目を瞬く千鶴に、お千は考え込む様子を見せながら言葉を重ねる。

「千鶴ちゃんからは強い鬼の力を感じるって前に言ったでしょ? 今はその時以上に鬼の気配が強くなっている気がするの。もしかして、“変化”した?」

お千の言う“変化”の言葉に千鶴の表情が曇る。
お千と薫からの先を促す視線に背を押され、千鶴は重い口調で語り始めた。

「夢を、見るの。私達の家や村が・・・炎に巻かれる夢・・・」

痛ましげに表情を歪ませ、お千と薫の手が慰めるように千鶴の肩を抱く。その存在が心強かった。



千鶴が夢を見始めたのは、診療所に戻ってきた頃からだ。

それは幼い頃、両親と兄と共に過ごした幸せな毎日が突如壊された日の記憶。
ずっと心の奥深くに封印していた、恐ろしくて哀しい日。


思い出す切っ掛けとなったのは、新選組とはぐれ、風間と天霧の庇護のもと彼らを追い続けた年月に遡る。
敗走を重ねる新選組を追って北へ北へと移動して行く日々の中、会津の地で風間と共に訪れたのはすでに滅んだ村だった。
その場所がかつて千鶴が生まれ育った地であることを知った日、幸せだった幼い頃の記憶の封印が綻びをみせた。

それからしばらくの間は新選組のことで頭がいっぱいで、風間が傍にいたこともあってか、それ以上記憶が甦ることはなかった。
しかし風間と別れ、江戸に戻ってから育ての親である網道の診療所を受け継いで医者として暮らすうちに夢を見るようになり、徐々に思い出されていったのだ。

初めは優しかった両親と双子の兄との幸せな日々だった。本当の両親や兄の顔を思い出せたことは、とても嬉しくて同時にとても哀しかった。

ずっと続くはずだった優しい日々が、夢の中で過ぎ去ってゆく。

やがて、両親や周りの大人たちが難しい表情で考え込むことが多くなり   


恐ろしい炎の夢となった。



「炎の中で泣いていた私を、誰かが抱えて逃げているの。多分、あれは父様だと思う。暗い山道を逃げる間、父様はずっと“人間が憎い”って繰り返していた・・・とても、怖い声で・・・」

「網道おじさんのことは聞いたよ」

静かな声で薫が言った。

両親を失った千鶴を育て、彼女が父として慕っていた網道。
彼は力に固執し、鬼の誇りを捨てて羅刹に狂った末に風間の手によって命を落とした。

網道が憎しみと変若水への執着に支配されてしまったのは、間違いなく村が滅びたあの日が始まりだろう。

幼い千鶴を抱いて夜の山道を走りながら、彼はずっと呪いの言葉を吐いていた。
人間達への怨嗟に満ちた言葉は千鶴の胸をも黒く塗り潰そうとする。
それが怖くて、哀しくて、千鶴は悲鳴を上げて夢から覚めるのだ。


「そして、夢から覚めたら・・・私の姿が変わっているの・・・」


夜の闇の中でもはっきりと解る真っ白な髪、額には触れればそれと解る二つの突起。
それは、かつて網道と羅刹と対峙した時に風間と天霧が見せた、本来の鬼の姿だ。
夜毎姿が“変化”する度に、自身が本当に純血の鬼であることをまざまざと思い知らされる。


お千は不安げな眼差しで千鶴を見つめた。
あの悲惨な記憶が戻った今、この優しい親友が変わってしまいはしないか、それが心配だった。

そんなお千の不安を煽るかのように、薫が優しさの中に激情を含んだ声音で問いかける。

「ねえ、千鶴はどうしたい? 俺達の村を滅ぼした人間達に復讐したいのなら、俺はお前に手を貸すよ」

「ちょっと、何言ってるの!」

薫の物騒な言葉に、お千は気色ばんで声を荒げた。

「私はそんなことをさせるために、貴方を千鶴ちゃんに会わせたわけじゃないわよ!」

掴みかからんばかりの剣幕のお千に向ける、薫の視線は冷ややかだ。

「部外者は黙っててくれる」

お前に俺達の気持ちが解るものか。

険しく眇められた薫の目には、本物の憎しみがあった。

以前の千鶴なら、その目を怖いと感じただろう。
だが今は、薫の気持ちも解るからこそ、真っ直ぐに彼の目を見て首を振った。

「復讐は考えていないわ。村を滅ぼした人間が憎いって気持ちがないわけではないけれど・・・」

身勝手な理由で他者を踏みにじる人間は多い。
でも、そうでない人達もたくさんいるということを、千鶴は知っている。
そんな彼らに顔向けできないような真似をするわけにはいかない。

「それでも私は、復讐なんてしない」

凛とした千鶴の言葉を受け止めた薫はふと目を伏せ、そして苦笑を浮かべた。

「仕方ないね。可愛い妹がそう言うなら」

応えるように千鶴が微笑むと、険悪だった雰囲気が和らいだ。

哀しみも憎しみもしっかりと受け止め、前を向こうとする千鶴の姿勢にお千は安堵した。
彼女と友人であることを誇りに思う。
だからこそ、彼女のことは守りたい。


「あのね、千鶴ちゃん。私達はあなたを迎えに来たの」

かつて、新選組の屯所に訪れた時に言った台詞と同じ言葉がお千の口から再び紡がれた。

「千鶴ちゃんは、ここにいない方がいいと思うの。鬼の存在を知る人間達はその力を利用しようと、必ず鬼を探そうとする。千鶴ちゃんは新政府軍で羅刹の研究をしていた網道さんの娘だし、あなたほど鬼の力が強いと絶対に利用されるわ。だから、早いうちに私達とここを離れない?」

お千の言葉を継ぐように、ずっと控えていた君菊が声を発する。

「千姫様と風間千景の号令で日本中の鬼が姿を隠しつつあります。私達も、これからはもう人里に降りることはほとんどなくなるでしょう。そうなると、あなたを守ることも難しくなります。ですからどうか、あなたも私達と共に来て下さい」

二人が心から自分を案じてくれていることが感じられ、千鶴の胸にあたたかな火が灯る。

自分のもとに、鬼を利用しようとする者の手が伸びてくる可能性を考えたことがないわけではない。
雪村網道を知る者ならば、千鶴の存在に辿り着くかも知れない、と。

蝦夷で別れた風間千景も、千鶴はこれから鬼として追われるだろうと警告をしていた。
この場所に留まることは、危険だろう。

千鶴は薫に視線を向けた。

「薫はどうするの?」

「俺は千鶴と居るよ。ずっとね」

そう言って優しく微笑む。

ようやく兄妹に戻れたのだから、二度と離れたくない。
強い想いを込めて、薫は千鶴の手を握った。

「南雲家やその傘下の鬼達も隠れたよ。俺は千鶴が行きたいところに行く」


二人の会話を面白くなさそうに見ていたお千は、千鶴の肩越しに視線が合った薫がフフン、と優越感に満ちた笑みを浮かべる様を捕らえて口元を引き攣らせた。

(何こいつ! 私の大事な友達にベタベタしてるんじゃないわよ!)

怒りのままにお千は千鶴に抱きつく。

「お願い千鶴ちゃん、私と一緒に行こう! 皆で静かに暮らしましょう」

感情を込めてそう叫びながらも、薫に向かってべーっと舌を出す。
薫の米神にピキピキと青筋が浮かび上がった。

(何だこいつ! 俺の可愛い妹に馴れ馴れしくするな!)


バチバチバチッ


二人の間に凄まじい火花が散った。

その攻防の一部始終をしっかり見てしまった君菊は内心でダラダラと冷や汗を流しながら、二人の間に挟まれる千鶴に懇願に満ちた視線を向ける。

(お願いです、千鶴ちゃん。二人を止めて下さい!)

その願いが通じたのか、千鶴はお千と薫ににっこりと笑顔を見せる。

「うん、お千ちゃんと薫と一緒に行く」


その瞬間、部屋中に花が咲いた。





お千達と共に行くと決めはしたが、いきなり診療所を閉めるわけにはいかず、しばらくは家に留まることになった。
その間にお千達の手を借りて処分すべきものは処分し、近所の人々や患者達に別れを告げて旅支度を整えていく。

そして出立の日、千鶴は"雪村診療所”の看板を外した。
網道と親子二人で長年暮らした家を改めて見つめ、深々と頭を下げる。

この家で過ごした数々の思い出が胸に込み上げてきて、千鶴の目の奥がつん、と痛んだ。
あのような最期を迎えたとはいえ、網道を父と慕った年月は千鶴にとってかけがえのない日々だ。

親も兄も家も失い、記憶も失ってしまった千鶴を育ててくれた存在。
網道がいてくれたからこそ、今の千鶴が在る。
けれど、千鶴の存在は網道を癒すことはできなかったのだろうか。

幼い千鶴に向けてくれた優しい微笑みも、温かな手も、静かな声も全て覚えている。
この診療所で医者として、多くの人の命を救ってきたことも事実なのに。
そんな日々の中にあっても、彼の心はあの恐ろしいまでの憎悪に満ちていたのだろうか。

   だとしたら、何て哀しい人だろう。


(さよなら、父様・・・)


多くの思い出を秘めた家に背を向け、千鶴はお千や薫と共に歩き出した。





■■■■■





鬼達が隠れ住むその里では、穏やかな時間が過ぎていった。

その場所は何の作用か時間の流れがとてもゆっくりで、一ヶ月振りに人里に下りてみれば、人の世界では数年が過ぎていて初めの頃は驚いた。

千姫や雪村の直系である千鶴と薫が居ることで、強い鬼の力による結界のようなものでも張られたのではないか、というのは時々訪ねてくる天霧の言葉だ。
千鶴達の住む里よりずっと西の地では風間の治める鬼の隠れ里があるが、その里も風間の存在によって時間の流れが非常に遅いらしい。
風間家や雪村家、そして千姫が永い間血統を守ることができたのも、それが関係しているのかも知れない。



隠れ里で数年の月日が経つ頃、日本は明治から大正、昭和へと元号が移り変わっていった。

時代は急激に流れゆき、外国の文化を吸収して発展していく日本はみるみる力をつけ、世界の列強国に名を連ねるようになった。

そして世界は戦争への道を歩み始める。


風間や天霧などは人間の争いに介入する気はなく、静観を決めたようだが、人里に住む鬼や隠れ里の鬼の中には戦禍の中に身を投じる者も出ていた。
静かに穏やかに暮らせれば良かったのだが、日本が欧米に占領されてしまえば自分達の生活も脅かされる。
日本に住む者として、日本を守りたいと思うのは人も鬼も変わらないのだ。
その気持ちを知るが故に、風間もお千も彼らを止めようとはしなかった。


そうして戦地に赴いた鬼から、やがて見過ごすことのできない情報が齎される。


“敵軍ニ羅刹在リ”


その報せはまず風間の元に知らされ、天霧から千鶴達に告げられた。


「どうして羅刹が!?」

信じられない思いで、千鶴は声を上げた。

「考えてみればおかしな話ではありません。変若水は元々フランスから渡ってきたもの。他国でも同じような研究が為されていても不思議ではありません」

いつもの淡々とした口調でそう言いながらも、天霧の表情は険しい。

「それにしても、あんなものまで持ち出すなんて・・・」

呟くお千の声にも嫌悪が滲む。
そんな千鶴達を安心させようとしてか、天霧は力強く言った。

「風間と不知火が羅刹を作り出している者達を捜索しています。やがて潰すでしょう」

彼らならやるだろう。
それだけの力を持っている。

報告を終えた天霧もこれから風間達を手伝うため人里に降りると言う。

彼を見送った後、千鶴は自分の中に不安が込み上げてくるのを感じた。
天霧の言葉が何度も頭の中で繰り返される。

変若水は他国から渡ってきたもの。

では、これからも羅刹が生み出される可能性があるのではないのか。
新選組を苦しめ、網道を狂わせ、何の力も持たない人々を脅かした変若水。
あれは決して世に出してはならないものだ。


床の間に飾られている二対の刀が目に映る。
雪村家に伝わる大通連と小通連。
薫と千鶴が腰に差さなくなって久しいが、手入れを怠ることはなかった。
剣の稽古も薫や里の鬼達とともに欠かさずやってきたが、それはあくまで身体を動かすことが目的のただの稽古だ。

小太刀を抜くことも考えなければならないかも知れない。


ふと薫の顔を見ると、彼は何もかも解っている、と言いたげに不敵に微笑んだ。



それからしばらくして、風間達が敵軍の羅刹の研究組織を潰したという報せが入ってきた。
だが、彼らが非人道的な研究をしていたことは、決して公表されることはなかった。


そして、戦争は終わりを告げる。





敗戦後の日本は、瓦礫の中から世界を驚嘆させるほどの復興を遂げることとなる。


時は流れ、平成の世   

日本人から戦争の記憶が風化しつつある時代。


再び白き魔物が蠢き始めようとしていた。



〈次〉




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