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捜シ者 前編
「千鶴ちゃん、巡察に行くけど一緒に来る?」
洗濯を終えたばかりの千鶴の前に現れた沖田総司は、開口一番にこやかにそう言った。
反射的に頷きかけた千鶴だが、ふと重大な問題に気づいて沖田に問いかける。
「沖田さん、寝てらっしゃらなくて良いんですか?」
彼がしかめっ面した土方に「おとなしく寝ていろ」と何度も念を押されていたのは、ほんの数刻前の朝餉の席でのこと。
それから幾許も時は経っていないのに、沖田はそんなことはなかったかのように平然と千鶴に巡察に誘う。
「土方さんの言うことなんて気にする必要ないよ。それにいつまでも部屋で寝てる方が身体に悪いと思わない?」
「ですが・・・」
「さ、行くよ」
躊躇う千鶴の手を取り、強引につれていく沖田。
千鶴の心配や抗議の声など意にも介さず、彼は上機嫌に屯所を出るのだった。
新選組の姿を見ると、町の人達は大半が彼らを遠巻きにしながら眉を顰める。
後ろ暗い事情を持つ者は敵意を込めて睨み付けるか、彼らに見つからないように物陰に潜むかだ。
しかしこの日の一番組の巡察では、恐れを知らぬ無邪気な声が響き渡った。
「総司ーっ」
「総ちゃーん!」
「やあ、元気?」
元気良く歓声を上げながら駆け寄って来たのは、沖田にも千鶴にも馴染みのある子供達だった。
浅葱色の集団を見ても物怖じせず、子供達は沖田のもとに集まる。
「総司、最近来ないな。また一緒に遊ぼうよ」
「総ちゃんがいないとつまんないよー」
「うん、また今度ね」
一頻り言葉を交わし、子供達は満足したのか「じゃあねー」と手を振ってどこかへ走り去る。
その後姿を見送りながら、沖田は隣に立つ千鶴にぽつりと零した。
「八木さんの子供達、大きくなったよね」
「そうですね」
走り去る子供達の中にいたのは、八木家の子供だった。
八木邸は沖田達が京に来てから西本願寺に移るまでの間、屯所として使わせてもらっていた邸だ。
千鶴にとっても、京に来て初めて長く滞在した家であり、あの頃のことを思い出すと今でも恐怖に身が竦む。
いつ邪魔者だと判断され、斬り捨てられるか解らずに怯えた日々。
頼れる者も、心を許せる人もおらず、恐怖と不安だけが渦巻いていた。
今でこそ、千鶴の存在を受け入れてくれている沖田だが、あの頃は彼が最も恐ろしかった。
にこやかに微笑んでいても、彼女を見る目は冷たく、いつでも殺せるのだと事ある毎に彼女を脅してきたものだ。
八木邸は千鶴が最も辛い日々を過ごした場所であり、同時に新選組の皆と少しずつ歩み寄った特別な場所でもあるのだ。
八木家の子供達の成長は、そのまま千鶴と新選組の関わりの長さをも表しているように思う。
「千鶴ちゃんはあのくらいの年の頃はどんな子だったの? 外で遊ぶ活発な子? それとも家の中で遊ぶおとなしい子?」
「どちらかというと後者でしょうか。父様の傍でいつもお手伝いをしていました」
その言葉に一瞬ハッとした沖田は、バツが悪そうに眼を逸らす。
父親のことを思って少し暗い顔になっていたのを見抜かれてしまったようだ。
「今度、千鶴ちゃんも一緒に皆と遊ぼうか」
沖田なりに気を遣ってくれたのだろう。冗談めいた口調で誘ってくれる。
だが、千鶴は思わず難しい表情になった。
「沖田さん、土方さんに叱られてしまいますよ?」
「土方さんの言いつけはね、破るためにあるんだよ」
それはどうだろう。
子供達と遊び呆ける沖田を鬼の形相で怒鳴り散らす土方の姿が容易に思い浮かぶ。
近いうちに確実に現実となるであろう光景。
しかし千鶴にはそれを回避させる術はない。
(でも・・・)
千鶴は気遣わしげに沖田を見上げた。
土方や山崎が口を酸っぱくして「寝ていろ」と言うだけあって、彼は今や健康な身体とは言えない。
本当なら、この巡察すら出られる体調ではないはずだ。
けれど、体調を理由に嗜めると、天邪鬼な彼は却って意固地になってしまうのだろう。
(せめて、沖田さんが無茶をしないように、いつでも手をお貸しできるように傍にいようかな)
そんなことを考えていると、不意に沖田が千鶴を見下ろした。
思いっきり目線が合ってしまい、思わぬ事態にうろたえる。
「何ぼーっとしてるの、千鶴ちゃん」
「あ、いえ、何も・・・っ」
「ぼんやりしてると置いて行っちゃうよ?」
「は、はいっ」
すでに一番組の隊士達は千鶴達の随分前方を歩いている。
彼らに追いつくために足早になる沖田に、千鶴も置いていかれまいと必死についていった。
その途中、“彼女”に気づいたのはほんの偶然、それも一瞬の視線の交差だった。
(薫さん?)
瞬きの間だけ見た南雲薫は、とっくに千鶴に気づいていたのだろう。
笑みを浮かべる彼女の顔に浮かぶのは、千鶴にはよく解らない感情だった。
「千鶴ちゃん!」
沖田の珍しく鋭い声が響き渡る。
直後、鈍い衝撃を感じると同時に千鶴の意識は暗い闇の底に落ちていった。
「千鶴ちゃん、千鶴ちゃん」
呼びかけても、彼女はぴくりとも反応しない。
脇道から突然現れた男の気配に、何故気づかなかったのか。
力なく横たわる千鶴を抱え、沖田は悔しげに唇を噛み締めた。
千鶴が沖田から遅れた僅かな隙に、突如物陰から現れた男が棒のようなもので千鶴を殴り付けた。
倒れる彼女の身体を咄嗟に抱きとめた沖田は、駆け去る男を追うことができなかった。
こちらの異変を察して隊士達が駆けつけてくる頃には、すでに追いつけないほど男との距離は開いてしまっていた。
己の迂闊さが腹立たしい。
行き場のない怒りを抱えたまま、沖田は千鶴を近くの医者のもとへと運んだ。
■■■■■
西本願寺の一室では、幹部達が一様に厳しい表情で座していた。
ここは雪村千鶴に宛がわれた部屋だ。
彼女一人で使うには充分な広さだが、大の男が何人も入ると流石に窮屈に感じる。
部屋の中央に敷かれた布団の上では部屋の主である少女が懇々と眠り続けていた。
枕元では山崎が彼女の様子を見守り、周囲を囲むように土方、沖田、斎藤、藤堂、原田、永倉が座す。
「で、そいつはただの通り魔って奴か?」
土方の問いに、沖田は「さあ」と首を振る。
「いきなり現れて千鶴ちゃんを殴り倒した後、すぐに逃げちゃったんですよ」
男の目的がただ誰かを殴りたかっただけの衝動的なものなのか、千鶴に狙いを絞ったものだったのか、それとも新選組に一矢報いたいと思ったのか。犯人を捕らえられなかった為、真相は解らない。
「千鶴を狙ったのか、新選組への恨みかは知らねえが、明らかに一番弱い奴を狙ったのは許せねえな」
怒りも露に吐き捨てる原田の言葉に、同じく険しい表情の永倉や平助も頷く。
相当酷く殴られたらしい千鶴の側頭部には大きな瘤が出来、濡れた手拭いを当てて患部が下にならないよう彼女は横向きに寝かされていた。
自分が付いていながら、彼女をこんな風にしてしまうなんて。
己への怒りに、沖田は膝に乗せた拳をぎゅっと握り込む。
「・・・ん・・・」
微かに聞こえた声に、男達の視線が一斉に千鶴に向けられる。
「千鶴!」
平助が思わず上げた声に呼応するように、ふるりと震えた瞼がゆっくりと持ち上がる。
「・・・・・・?」
状況が飲み込めないでいるのか、千鶴はぼんやりと彼女を覗き込む山崎の顔を見つめる。
「雪村君、俺が解るか?」
「山崎さん・・・?」
続いて山崎は千鶴の眼の前で指を立てて見せる。
「何本に見える?」
「二本・・・です」
答えにほっと山崎の表情が緩む。
「君は頭を強く打っている。しばらくは安静にしているんだ」
「頭・・・?」
「そうだぜ、不運だったな、千鶴。頭痛いだろ?」
「うん、少し・・・」
平助に答えながら、千鶴は彼の後ろに見えた原田や永倉に気付いて眼を丸くする。
「聞きてえことがある」
後ろから土方が声を発すると、千鶴の肩がびくっと強張った。
横向きに寝かされている彼女の視界には、後ろに座る土方や沖田、斎藤の姿が見えていなかった。
「お前、自分を殴った男を見たか?」
「殴られた・・・?」
「覚えてねえか・・・」
落胆交じりの声。
心なしか、千鶴の顔色がどんどん青くなっていくのに気付き、山崎は「どうしたんだ?」と問いかけた。
「わ、私、何かしてしまったんでしょうか・・・?」
「?」
わけが解らず眉を顰めると、千鶴の肩が小刻みに震えだす。
「何かした、じゃなくて、君はいきなり殴られた被害者だよ?」
不思議そうな沖田の声に、山崎は触れた手から彼女の震えが酷くなるのを感じた。
いったい何が、と疑問が浮かんだ時、千鶴がよろよろと身体を起こそうとする。
「千鶴、無理をするな」
気遣う斎藤の声にも、千鶴はただ震えるだけだ。
そしてやっと上体を起こすと、彼女の眼が土方と沖田を捕らえる。
彼女の潤んだ瞳に浮かんでいたのは “恐怖”。
色濃く滲むその瞳を向けられ、土方と沖田は言葉を失った。
何も言えずにいる彼らに、千鶴は深く頭を下げる。
「申し訳ありません・・・っ」
カタカタと震える細い肩が、彼女の恐怖の深さを表す。
「ど、どうしたんだ、千鶴ちゃん?」
「今は無理せず寝てろ」
永倉や原田が慌てて彼女に手を伸ばすが、山崎がそれを手で制した。
「申し訳ありません。皆さん、部屋を出て下さい」
反論を許さぬ厳しい声音に、誰も異を唱えることができなかった。
今ここでもっとも発言力があるのは山崎だ。
幹部達は戸惑いつつも、黙って彼の指示に従った。
■■■■■
広間は重苦しい沈黙だけが漂っていた。
誰もが無言のまま、山崎が戻るのを待ち続ける。
「失礼します」
時間にしてそう長くはなかっただろうが、張り詰めた緊張の中では永遠にすら感じられる時が過ぎ、やがて待ち望んだ人物が広間に現れた。
「山崎君、千鶴は大丈夫か?」
待ちきれないとばかりに声を上げたのは平助だ。
山崎は土方と向き合うように腰を下ろすと、口を開いた。
「怪我自体は酷くはありません。しばらくは安静にする必要がありますが、痛みと腫れは直に引きます。ですが・・・」
言い淀む山崎の様子に、深刻な事態が窺えた。
土方は冷静な口調で「言え」と先を促す。
「どうやら雪村君は、数年分の記憶を失っているようです。彼女の中では、まだ屯所に来て間もない頃のようで・・・」
水を打ったように静まり返る広間。
だが、誰もが納得したような表情で俯いていた。
「それで、か」
思わず零れ出たのは、千鶴の尋常ではない怯えの理由を理解したからだろう。
新選組屯所に連れて来られて間もない彼女は、自分達に酷く怯えていた。
特に、土方と沖田に対して。
「何てこった」
千鶴が一番辛かった頃に時間が逆戻りしたことに、永倉や原田は痛ましげな表情となる。
あの頃は、自分達も彼女に冷たい態度を取っていたのを思い出したのだ。
「平助、千鶴のことはお前に任せる」
「わかった」
千鶴に当初から優しく接していたのは、この中では彼だけだ。
平助も土方の言いたいことを汲み取り、しっかりと頷く。
「お前と山崎、あと源さんと島田辺りか。千鶴のことはこの四人に任せる。他の連中、特に総司はしばらくあいつに近づくな」
「御意」
「・・・仕方ないか」
「・・・はあ・・・」
原田や永倉はあからさまに肩を落とし、斎藤も無表情ながらも落胆を隠せないようだ。
そして沖田は、無言のまま静かに立ち上がる。
「解ったな、総司。俺とお前はあいつを悪戯に怯えさせるだけだ。なるだけ顔を合わせない方がいい」
「解ってますよ」
感情のない声で土方に答え、沖田は広間を出て行った。
そんな彼の後姿に、見送る面々は掛ける言葉が見つからなかった。
広間を出た沖田は、そのまま自室に戻った。
簡素な部屋の中に入ると、腰の刀を置いてごろんと横になる。
そのまま眼を綴じ、己の中でうねる感情の波にじっと耐える。
つい先程、彼女に向けられた怯えに満ちた瞳が頭から離れない。
ほんの数刻前には花のような笑顔を向けてくれていたのに。
じくじくと胸の奥が痛む。
何故こんなにも苦しいのだろう。
答えの解らぬ不快さを抱え、沖田は覚めない悪夢の中にいるように感じていた。
〈次〉
13.3.10up
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