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桜月夜 〜覚醒〜“永倉新八”1/2
“千鶴ちゃんは俺の大事な妹分だからな!”
誓いと共に固い約束を交わし、細い指に自分の指を絡ませて口ずさんだ童唄。
自分よりも遥かに小さくて華奢な少女をこの腕で守ると、守れると信じて疑わなかった。
そんな優しいひとときからほんの数日後。
圧倒的な力の前に、約束は果たされることなく泡のように儚く消えた。
女の子一人守れないほど、俺は弱かったのかよ・・・っ
剣の腕も、体力も、人並以上であると自負していた。
薩長の連中がどんなに強かろうとも、彼女のことを守れると思っていた。
他の連中もきっと同じだろう。
それほど、俺達は強かった。強いと思っていた。
だが、薩長の連中は、それよりもずっと強かったんだ。
一人一人の剣の腕で言うならば、俺達の方が強かったはずだ。
兵士の数も、幕府軍が圧倒的だった。
だが討幕軍は西洋式の戦闘技術を得て、士気も錬度も覚悟も、全てが幕府軍を凌駕していた。
結局まともに薩長と戦うこともできずに敗走するしかなかった新選組。
その中に俺達が守るべき大事な少女の姿がないと気付いたのは、大阪城に辿り着いた時だった。
江戸に向かうと決まった後も、俺達はギリギリまで彼女を待った。
源さんの死は確認されたが、彼女の死体はなかったという報告に一縷の望みを抱いていた。
きっと彼女はこちらに向かっているはずだ。そう信じて、待ち続けた。
平助や左之は自ら迎えに行きたいという衝動を抑えるのに苦心していたほどだ。
しかし時は無情にも彼女を待たせてはくれなかった。
断腸の思いで下した決断は、彼女を置き去りにして江戸に戻るというものだ。
だが、その江戸ではただ無為に時間が過ぎ去るだけ。
俺達が安穏と酒を飲んでいる間も、彼女はたった一人で戦場を彷徨っているかも知れない。薩長軍か寝返った幕軍に酷い目に遭わされているかも知れない。
嫌な予感ばかりが脳裏を過ぎり、尚のこと酒を煽らずにはいられなかった。
酒の力で気を紛らわせなければ、京に向かって走っていただろうから。
そんな状態に耐えられなくなったのは、誰よりも彼女を大切にしていた左之助だ。
あいつは女を守ろうとする気持ちが人一倍強い。それが何年も共にいた仲間であれば尚の事、彼女のためならば己の命すら懸けられる奴なんだ。
俺と共に新選組を離脱し、靖兵隊を結成した後も、左之は時間を作っては彼女を探し回っていたらしい。
彼女を大事に想い、その身を案じていたのは誰しも同じだが、土方さんや斎藤は己の志と責任を優先した。総司はそもそも病で動くことも侭ならず、平助は“羅刹”という縛りから新選組を離れることができない。
そんな彼らの葛藤をその腕に引き受け、旧幕府軍が北上していく中で左之助は彼女を探すために一人江戸に戻った。
そうして俺の傍から背を預け合った仲間達がいなくなって、幾年が過ぎただろうか。
長い人生の中で俺が新選組であったのはほんの数年間だけだが、江戸と京で過ごした仲間達との時間は何にも代え難く、どれほど時を重ねようとも決して色褪せることなく燦然と光り放つ記憶として胸の中にある。
左之は彼女に会えたのだろうか、と戦の最中、道を別たれた盟友を思う。
もう確かめる術もないが、この青空の下で二人が夫婦として幸せに暮らしていればいいと、心から願う。
そして、先に逝ってしまった仲間達の分も俺は俺の人生を生きよう。
命尽きる日まで 。
■■■■■
その日、新八はいつものように授業が終わると同時に左之助や島田魁と共に剣道部の部室に向かった。
これから胴着に着替えて、思う存分竹刀を振るうのだと思えば自然と足取りは軽くなる。
途中「廊下を走るなー!」という教師の怒声が飛んだが、彼らの耳は都合の悪い音はシャットアウトするという便利な機能を発揮する。
しかし新八の耳は教師の声は聞こえずとも左之助に注がれる少女達の黄色い声はしっかりとキャッチし、弾んでいた気分が一気にどん底に落ち込んだ。
この鬱憤を左之助に叩き付けたいのは山々だが、残念ながら剣の腕で左之助に敵わなくなって久しい彼は他の部員にぶつけるしかないのがもどかしいところだ。
剣道部の部室に辿り着くと、まずは新入部員らしく一年生達は雑用を始めた。
男子の剣道部にはマネージャーが居らず、部室も道場も部員以外の出入りを固く禁じられている。
かつて敬助が入部した頃から見目の良い彼に恋をする女生徒が道場に押しかけることが増え、歳三が入部した時には色々と騒ぎになった為、女生徒の接近が禁じられてしまったらしい。歳三が引退すればその規制もなくなるかと思われたが、左之助の入部で継続が決まったのは言うまでも無い。
しかし左之助が卒業しても春には総司、さらに翌年には一が入部するであろう未来を思うと、剣道部に女生徒が足を踏み入れるようになるのはまだまだ先の話になりそうだ。
雑用を終えてさあ練習だ、と意気込んでいると部室の扉が開いて剣道部の部長であり、新八達のリーダーである歳三が飛び込んできた。
「おい、左之助、新八、すぐに帰る準備をしろ!」
「「は?」」
これから練習だというのに何故いきなり帰宅?
新八や左之助だけでなく、部員達全員が目を丸くして歳三を凝視する。
周囲の様子には目もくれず、歳三は足早に新八と左之助の傍まで来ると声音を落として告げた。
「さっき、一から電話があった。平助が誘拐されたらしい」
「「はあああ!!??」」
二人の素っ頓狂な叫びが部室にこだました。
「何で突然平助が誘拐なんてされてんだよ?」
素早く着替え終えて学校を飛び出し、三人で駅に向かって走りながら左之助が前方を走る歳三に問い掛ける。
「正確には誘拐されそうになっていたのは龍之介だ。平助はそれを助けようとして一緒に連れ去られたらしい」
「龍之介ってことは芹沢さん関係か?」
「さあな。それを確かめるためにも芹沢さんに会う必要があるだろうな」
龍之介は平助のクラスメイトで、数年前に地元の名士である芹沢家に養子として引き取られた少年だ。
芹沢家の子供になる前は平助に連れられて、歳三達の家の道場に顔を出していたこともある。本人は嫌がっていた上に、ろくに腕も上がらなかったが。
現在は芹沢家で使用人の如く扱き使われ、忙しい毎日を過ごしていると平助が言っていたのを覚えている。
まあ、どのような扱いを受けていても龍之介が芹沢家の一員であることは事実で、彼を人質に取って芹沢から大金をせしめようなどと企む者も出ないとは限らない。
「で、一はどうしてるんだ?」
「総司に報せに行っている。あいつの中学校からなら芹沢さんの家に近いからそこで待てと言ってある。それと、芹沢さんに連絡を取ってすぐに会えるようにしろと総司に伝えろとも」
「ただのガキの言葉に向こうが応じてくれるのか?」
芹沢といえば文句なく名士の家系だ。
家柄や付随する権威ならば新八達の家も決して引けは取らないが、如何せん総司はまだ中学生に上がったばかりの子供だ。芹沢家が相手にしてくれるだろうか。
新八の疑問に歳三は「心配ねえよ」と返す。
「俺と総司は何年も前から爺さんや親父と一緒に社交界に出ているからな。芹沢さんとも何回か顔を合わせている。ガキとはいえ東雲の跡取りの言葉なら聞いてくれると思うぜ」
「なるほど」
歳三の言葉に左之助も新八もあっさり納得した。
言われてみれば将来一族を背負う総司と、その補佐をする歳三や敬助は幼い頃から後継者としての責任を負ってきた。社交界に出るのもその一環だ。
(立場がある奴ってのは面倒だなあ。まあ、お陰で人脈ってのを得られるんだろうけれど)
そんなことを考えていると、左之助がふと呟いた。
「芹沢さんてのはあの人だよな?」
「ああ、あの人だ。記憶はねえが前と同じだな。相変わらずそりが合わねえが、前よりは話しやすい」
新八には解らない会話を交わす二人に、思わず眉を顰める。
いつ頃からか、仲間達が一人また一人と不思議な変化を見せ始めたのはもはや一族の誰もが知る事実だ。
変わってしまった仲間を複雑そうに見ていた者もいつしか同じような変化を見せ、今では仲間内で“変わらない”のは平助と新八の二人だけになっている。
平助は酷く思い悩んでいるようだが、新八は彼ほど焦りを感じていなかった。
確かに面白くないとは思うが、どこかで納得している自分もいる。
全ての始まりは四年前の春の夜に出会った一人の女性。
彼女を守りたい、彼女のために強くなりたい。
その強い思いは新八の中にもある。
新八はどう見ても年上の彼女に“妹”を思う兄のような感情を抱いたが、他の面々はそれよりも遥かに強い想いを抱いているのは、彼女のことを語る時の彼らを見ればよく解る。
彼らが見せた変化も彼女を想うが故のものであるならば、何となく微笑ましくもあるのだ。自分よりも剣の腕が飛躍的に上がるのだけは頂けないが・・・。
一時間ほど電車に揺られ、降りた駅から中学校まで自転車で移動する。
しばらくすると、一ヶ月前までは新八や左之助が三年間通った校舎に到着した。
「で、総司と一はどこにいるんだ?」
解りやすいように校門で待っているかと思ったが、二人の姿は校門の傍にはない。
校舎の中にいるのだろうか。
三人が総司や一の姿を探して視線を巡らせた時。
《さしむかう〜こころはきよき〜みずかがみ〜》
「? なんだ?」
突然聞こえてきたのは拡声器越しの声。しかもやたら聞き覚えがある。
《つゆのふる〜さきにのほるや〜いねのはな〜》
「・・・これは、まさか・・・」
「何だ、解るのか左之?」
横を見ると、何故か青褪めた親友の顔があった。
そして彼の視線の先には、小刻みに震えを帯びる歳三の背中。
《うらおもて〜なきはくんしの〜おうぎかな〜》
「総司! てめえかあああ!!!」
凄まじい怒声に、すぐ傍に立つ左之助と新八はもちろんのこと、通り過ぎようとしていた下校中の在校生達までびくっと身を竦ませた。
《てのひらを〜すずりにやせん〜・・・あ、発見》
拡声器を手に校舎二階の窓から顔を出したのは、やはり総司だ。
歳三に剥き出しの怒りを向けられても、そよ風のように受け流せるのは彼と敬助くらいだろう。
「発見、じゃねえよ! 何してやがるんだてめえは!!」
「皆を待ってたんですよ。それにいくら母校でも僕達がどこにいるかなんてすぐには解らないでしょう? だから見つけやすいように豊玉発句集を詠み上げてたんじゃないですか」
「だから何でそれを詠む必要があるってんだ! だいたいてめえらが大人しく校門で待ってれば探す手間も掛からなかったんだよ!!」
「そういうわけにもいかないんですよ。いいから三人とも視聴覚室に来て下さい。場所覚えてます?」
「当たり前だろうが。一月前まで俺らも通ってたんだぜ」
呆れたように返す左之助に笑みを返し、総司は窓を閉めて校舎の中に引っ込んだ。
「何だってんだ?」
何の説明もせず言いたいことだけ言って去って行った総司に、歳三は疲れたようなため息をつく。
そんな彼に、新八は疑問を口にした。
「で、歳兄、ほうぎょく・・・なんとかって何だ?」
ギンッと音が聞こえそうなほど鋭く尖った視線が突き刺さる。
「新八、さっきのことは今すぐ忘れやがれ・・・」
低い、あまりにも低い声には紛れもない殺気が満ち溢れていた。
命の危険をひしひしと感じ、新八は声にならない悲鳴を上げながら何度も頷くしかなかった。しばらく悪夢にうなされそうだ。
三人が校舎に入ると、生徒達の視線が集まった。
あれだけ大騒ぎしていれば注目されるのも仕方が無いが。
二年生や三年生の女子生徒は三月に卒業していった左之助をしっかり覚えているようで、そこかしこから黄色い声が聞こえてくる。
ここでもかっと新八が苦々しい気分を味わっていると、彼の名を呼ぶ声も上がり始めた。
「新八先輩、こんにちはっすー!」
「あ、本当だ、新八先輩ーっ」
「新八、お前男に人気あるよな」
「嬉しくねえよ!」
「君達!」
左之助と新八が口論になりかけた時、生徒達の間を縫って現れたのは厳しい表情の教師だ。
咎められるのだろうか、と身構えた三人の前に立った教師は、歳三達を睨んでいたかと思うと突然うるうると目を潤ませた。
「よく・・・よく来てくれました! どうか彼を・・・総司君を何とかして下さいいいいい!!!」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」
いったい何やらかしやがった、あいつは・・・。
総司が中学校に入学してまだ二週間も経っていないというのに、かつての左之助や新八を凌ぐ勢いで黒い伝説を打ち立てているようだ。
総司の手綱を取れる一が入学するまで一年。何とか教師達には持ち堪えてもらいたいものである。
視聴覚室には、総司と一の他に思いがけない人物が三人を待っていた。
「あんたは・・・」
驚きに声を失う歳三と左之助の傍で、新八の中に湧き上がってきたのは激しい闘争心だ。
「てめえ!」
衝動的に殴りかかろうとする新八を、咄嗟に歳三と左之助が抑える。
「何してやがる新八!」
「左之こそ何言ってんだよ! こいつは平助を・・・!」
言いかけて言葉が途切れる。続くはずの言葉が何故か出てこない。
そんな新八を、男は静かな瞳で見つめていた。
「成る程、不知火に聞いていた通りのようですね」
「あんた確か天霧だったか。何故ここにいるんだ?」
後半の問いは総司と一に向けられた。
答えた一の説明によると、小学校から総司の中学校に向かう途中で、一達の家に向かっていた天霧と偶然出会ったのだという。だが急いでいた一は、話があるという天霧を共に連れて中学校に訪れ、ちょうど下校しようとしていた総司と合流した。
浅黒い大男がランドセル背負った小学生をつれている光景に教師達が動揺していたのが面白かった、という総司の感想で説明が終わる。
「君達に贈り物を届けに来ました」
平淡な声でそう言いながら、天霧は机の上に置かれた大きな包みを手で示す。
歳三がそれに近づき、包みを剥がすと六本の木刀が現れた。
天霧はその中の一振りを手に取って柄と刀身の境を僅かに弄り、二つに割った。
「「「「「!!??」」」」」
現れた剥き身の刃に五人は息を呑む。
「一見ただの木刀に見えますが、刀身と柄の間の仕掛けを外せば刀となります。鍔はありませんので必要ならばご自分達で用意して下さい」
淡々と説明し、刃を鞘に戻すと歳三に手渡す。
受け取りながらも、歳三は厳しい目でじっと天霧を見据えていた。
「何故俺達にこれを?」
「千姫様からのご要望です。君達が武士として目覚め、“彼女”を守る意思を持つならばこれを使って欲しい、と」
「千姫から・・・?」
「今の時代、昔のように刀を腰に差すことはできません。ですが、木刀ならばまだ携帯しやすいでしょう」
言いながら天霧は懐を探って一枚の紙を取り出すと、歳三に差し出した。
開くと、誰かの名前や住所、電話番号が記されていた。
「この刀を作った刀剣商の連絡先です。千姫様の名を出せば話を聞いてもらえるでしょう」
場に沈黙が下りた。
五人の視線が木刀に注がれる。
先程目にした、紛れもなく人を殺すための武器たるものの美しくも危うい輝きを放つ刃が思い浮かび、新八は身を震わせた。恐怖からくる震えなのか、それとも別の何かなのかは解らないが、新八以外の仲間達の表情に宿るのは“歓喜”だ。
“彼女”を守るための武器。“敵”を殺すための道具。それが目の前にある。
各々木刀を手に取り、その重さや形状を確かめるように柄や刀身を握る。
新八も一振りを手に取ったが、木刀をちらと見た後は険を含む目を天霧に向けた。
「何故これを俺達に渡す? てめえは敵だろうが」
彼に対して湧き上がってくるのは純然たる怒りだ。
こいつのせいで平助が、彼女が、仲間が傷つけられた。そんな思いが消えてくれない。
初対面であるはずの相手なのに何故これほどまで敵意を抱くのか、自分自身の感情が解らなかった。
「確かに以前は立場上、君達とは敵対していました。しかし、現在の君達は我々の同胞。敵対する理由はありません」
「そうだな、お前の言うとおりだ。礼を言う」
新八が何か言うより先に、一がそう告げた。
「それでは私はこれで。君達も急いでいるのでしょう。彼の無事を祈っています」
厳つい顔を僅かに綻ばせ、天霧は一礼すると教室を出て行った。
天霧の後姿を見送った後、歳三は総司に視線を向ける。
「芹沢さんに連絡は取ったか?」
「取りましたよ。会ってくれるそうです」
「そうか、それじゃあ行くぞ」
歳三の号令で五人は教室を出た。
何故か総司は拡声器を持ったまま 。
〈次〉
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