鬼姫は眠る 三





一枚一枚、花びらが開くように記憶が蘇る。

千鶴が元から持つ記憶は、網道の娘として江戸で暮らす、普通の町娘の自分。
離魂することによって蘇ったのは、雪村家の女鬼として生を受けた小さな頃の自分。
しかし燃え盛る里から薫に手を引かれて逃げた後、網道の娘となるまでの間の記憶が何故か抜け落ちていた。

それが今、薫の言葉とともに空白の記憶が埋まっていく。
事実として受け入れても、どこか実感が伴わないのは“その時の自分”が切り離されてしまっているからだろうか。


「お前が記憶を失くして間もなく、土佐の鬼の一族である南雲家から綱道に手紙が届いた。雪村の娘は自分達が育てるから引き渡せ――と」

『え?』

「南雲家は長い間女鬼が生まれず、血が薄くなるばかりだった。その為、どうしても純血の女鬼であるお前が欲しかったんだ」

吐き捨てるような口調には、隠し切れない嫌悪が滲む。
当時のことを思い浮かべる度に、苦い思いが蘇るのだ。

血が絶えることへの危機感はわからないでもないが、南雲家には雪村家への哀悼の念がまったく感じられなかった。
同族が理不尽に滅ぼされたことよりも、彼らはただ女鬼を手に入れられれば良いという態度を匂わせていた。
しかも手紙には数人を迎えにやると記されており、断れば力尽くで連れ去るつもりなのが明らかだった。

「けれど、自分が鬼であることも忘れてしまったお前を南雲にやるわけにはいかない。何をきっかけに記憶が蘇って、心が壊れるとも知れなかったからな。だから俺がお前の代わりに南雲家に行ったんだ」

そうして俺達は離れ離れとなった。

何気ない口調でそう締めくくる薫だが、当時の彼の心情を思うと申し訳なさが押し寄せる。

薫の話によれば、南雲家が求めていたのは“女鬼”である千鶴だった。
なのに実際に現れたのは“男鬼”の薫。
当てが外れた南雲家の彼に対する待遇は、良いものではなかっただろう。
幼い子供が見知らぬ地でたった一人、どれほど不安だったことか。

『ごめんなさい。兄様は私を守ってくれたのに、私はずっと兄様のことを忘れて・・・』

「お前は自分の心を守っていたんだろ。それに、今は俺を兄と呼んでくれてる。それで充分だよ」

千鶴はぎゅ、と唇を噛み締めた。
確かに当時の千鶴の精神状態を思えば、薫の取った行動は彼にとって当然だったかも知れない。薫が身代わりになってくれたから、その後の十数年を穏やかに過ごせたのも事実だ。
けれどそのために彼を辛い境遇に追いやり、それを知らずに安穏と生きていた自分自身が不甲斐なかった。

こうした状況にならなければ、一生兄の存在すら知らぬままだったかも知れない。
なのに薫は“兄様”と呼びかけるだけで、まるでたくさんの贈り物をもらった子供のように笑うのだ。

記憶が蘇っても、実体もなく何もできない自分が彼のためにできることは――。

千鶴は半透明に透ける手を伸ばし、自分にそっくりな顔にそっと触れる。
そして真っ直ぐに薫を見つめ、万感の思いを込めて言った。

『ずっと守ってくれてありがとう、薫兄様・・・』

一瞬瞠目した後、くしゃりと薫の顔が歪んだ。

「千鶴・・・」

報われた。そう心から思った。
千鶴の身代わりとして南雲家に行き、耐え続けた年月は無駄ではなかったと。

頬に触れる手に片手を添え、もう一方の手を千鶴の頬にやる。

「馬鹿だなお前。今自分がどんな状況にいるか忘れてないか?」

意識して触れないとすり抜けてしまいそうな程、不安定な魂魄。
千鶴に自覚があるのかは解らないが、今の彼女の状態は幼い頃と別の意味で危ういのだ。
なのに彼女からは不安などではなく、薫への想いだけを感じる。

(ああ、やっと)

きょうだいに戻れた――。

じんわりと染み渡る、あたたかな幸せを噛み締める。


「それで、これからお前はどうするんだ? 何か策はあるのか?」

もうしばらく余韻に浸っていたいが、状況がそれを許さない。
浮遊霊状態の千鶴を何とかしなければ。

『ここでお千ちゃんが来てくれるのを待ちます。父が何をするつもりなのかわからないけれど、お千ちゃんや土方さん達に父様と私のことを報せないといけないと思うから』

「確かに綱道の動向は気になるな。奴は西国諸藩に取り入って、変若水の研究を続けていたらしいし」

『変若水・・・』

強張る千鶴の表情に、彼女も少なからず変若水と関わっていたのだと察する。
綱道の最初の実験場は新選組だ。彼が去った後も変若水との関わりを断ち切らなかったのなら、屯所で暮らしていた千鶴も無関係ではいられなかったということか。

千鶴を巻き込んだ新選組に対する怒りが込み上げるも、ここはぐっと我慢する。
変若水について詳しく語る必要がないのは手っ取り早い。

「当初はどの藩も力を強化する薬に興味を抱いたが、その危険性はすぐに知れ渡り、藩の高い地位にある者達は危機感を抱いて研究を中止させた。だがその頃には綱道は研究資料を持ったまま行方を眩ませたようだ」

『また別の場所で研究を続けていたということ?』

「力を求める人間は大勢いる。特に鳥羽伏見の戦の後から遅れて新政府側に付いた者達は功を焦っているからな。新型の武器を持たない連中にとって、人間の力を何倍にもできる薬は喉から手が出るほど欲しいはずだ」

『そんな・・・』

「問題は、綱道がお前をどうするつもりなのか、だ」

人間が変若水を飲んで血に狂おうがどうでもいいが、その研究をしていた綱道が何故千鶴を連れ去ったのか。
わざわざ“鬼姫”を呼び覚ましてまで、彼が何をしようとしているのかは気に掛かる。
正直なところ気は進まないが、千姫や風間達の力を借りることになりそうだ。

「だけどまずいな。長い間体から離れていると、お前の魂の方がどんどん弱ってしまう」

一刻も早く千鶴の魂を身体に戻すべきなのだが、千鶴の身体は網道のもとにある。
真意が見えない相手に迂闊に近づけるわけにはいかない。

「とりあえず、俺を依り代にしろ」

『え?』

依り代――。
実体を持たず、このまま意識だけの状態が続けば消えてしまいかねない千鶴が、この世に留まり続けるための、仮初の身体。

「性別の違いはあるけど、俺とお前は実の兄妹。しかも双子だ。この世で誰よりもお前に近い存在なんだから、依り代としてこれ以上なく相応しいだろ」

『でも、あなたに何か影響はないの?』

「多少はお前の存在の維持のために生気を吸われるだろうが、俺達は鬼なんだ。生命力は人間の何倍も強いから問題ない」

生気を吸う、という言葉に躊躇する千鶴に、薫は不敵な笑みを浮かべて言葉を重ねる。

「このまま何もせずに消えるわけにはいかないだろ? 利用できるものは利用しろよ」

千鶴はしばらく逡巡したのち、申し訳なさそうに頷いた。

『ごめんね、兄さま・・・ありがとう・・・』

「兄が妹を助けるのは当たり前だろ」

差し出した薫の手に、千鶴の手が重なる。
触れた部分から、すぅ、と千鶴の魂が薫と溶け合っていく。
それと同時に、薫は己の身体がずん、と重くなるのを感じた。

一人の身体に二人分の魂が同居する。
それは身体にも精神にも負担を与えるらしい。

けれど、不思議と薫は満たされていた。
ずっと離れ離れになっていた妹の存在が、こんなにも近くに感じられるのだから。





■■■■■





数日後、千鶴と薫の一つの身体での共同生活に少しずつ慣れてきた頃、雪村診療所にお千が訪ねてきた。

出迎えた薫と半透明の千鶴の組み合わせに、薫とお千が一触即発の空気になったが、千鶴と君菊が必死に双方を止めて何とか治まった。

ピリピリと緊張感を漂わせながらではあるが、表面上は落ち着きを取り戻した四人は情報を交換し合う。
千鶴は綱道のことや一時的に薫と同化していることを説明し、お千からは新選組が甲府の戦で敗北したことを知らされた。
新選組が負けたなんて信じたくはないが、お千が嘘を言うわけがない。だとしたら事実なのだろうか。

(皆さん、無事なのかしら・・・)

先日訪れた原田と永倉のことも気に掛かる。
二人はまるで新選組を脱退したかのような会話をしていた。
甲府での戦の後、彼らに何があったのだろう。

しかしお千達の関心は、新選組よりも網道に向いていた。

「雪村綱道については私達も調べてはいるけど、まさかすでに江戸に来ていたなんて」

半透明の千鶴を痛ましげに見やり、お千はきつく拳を握り締める。
千鶴を守りきれなかった。それが悔しくて溜まらなかった。

「それで、今の千鶴ちゃん・・・“鬼姫”だっけ? その子は危険な存在なの?」

「“鬼姫”自身は、恐怖と混乱に囚われて泣いてる小さな女の子だ。だけど、だからこそ危うい。あの子なら綱道に簡単に操られてしまうだろうからな」

“雪村千鶴”の記憶を持たない“鬼姫”は、その幼さ故に綱道の意のままとなるだろう。
そして純血の女鬼を手に入れた網道が何をしでかすか。

「雪村綱道が羅刹の実験を続けているのなら、より多くの血を求めるわね。そして新政府軍はこの江戸を目指している。だったら網道はまだ近くにいるはずよ」

これから流される血を求めて。

『あの、私の身体の居場所なら追えるから、父様もきっとそこにいるはずですよね』

魂と身体は決して切れない繋がりがある。
今も千鶴は場所はわからなくとも、自分の身体の存在を感じていた。
それを辿れば網道に行き着くことは可能だろう。しかし――。

「お前が自分の身体に近づくと、すぐに中に引き戻される。迂闊に奴に接触するのは危険だ」

「そうよ、千鶴ちゃん。綱道さんのそばにはきっと羅刹もいるわ。そんな危ない所に行かせるわけにはいかないわよ」

お千は後ろに控える君菊を見やる。

「この手は使いたくなかったけど、お菊、風間達に連絡を頼める?」

「承知致しました」

深々と臣下の礼を取った直後、君菊の姿が掻き消えた。

「結局風間に頼ることになるのか」

「仕方ないわ。あなたは千鶴ちゃんの依り代になったんだからあまり無茶はできないでしょ」

反論できないのが悔しいが、お千の言う通りだ。
薫にとって何より優先すべきなのは千鶴なのだから。

『ごめんなさい。お千ちゃんにまで迷惑を掛けてしまって・・・』

「何言ってるのよ。友達を助けるのは当然でしょ。それに雪村綱道がまだ羅刹に関わっているのなら、鬼の一族として放ってはおけないもの」

変若水や羅刹の存在は人心を狂わせ、この世の理を捻じ曲げる。
それに関わっているのは末端とはいえ鬼の一族の一人だ。
鬼を統べる者の一人として、お千は彼を見過ごせない。
それは風間達も同様だろう。

事実、彼は何度も新選組屯所を襲撃した。
そこには千鶴を連れ去る目的と共に、羅刹を根絶やしにする意思もあった。
現状を知れば意気揚々と羅刹殲滅に乗り出すだろう。それはもう嬉々として。

「まあ正直ちょっと・・・かなり・・・・・・いえ、相当不安はあるけど、戦力としては申し分ないからね」

言いながらも迷いが隠せないのは、彼の性格を思えば当然といえよう。

とりあえず、できるだけ千鶴は風間に近づけないようにしよう。
無言のうちに薫とお千は意思を疎通させ、頷き合った。



それからさらに数日後。

雪村診療所には傲慢な笑みを浮かべながらふんぞり返る、西の鬼の頭領とそのお供達の姿があった。



〈次〉

16.9.21up

三話目です。
敵に回せば恐ろしく、味方にすれば面倒臭い男。
それが風間さん(笑)。



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