鬼姫は眠る 四





「つまり綱道は、未だに紛い物を生み出し続けているということか」

一通りの説明を聞き終えると、風間は忌々しげに吐き捨てた。
その語気の鋭さに、千鶴は内心たじろぐ。

風間の後ろには、天霧や不知火の姿もある。
彼らに害意や敵意はないが、これまで何度も新選組と敵対し、千鶴を連れ去ろうとした相手を目の前にすると、やはり落ち着かない。

「甲府の惨状を見て、もしやと疑っていましたが、どうやら懸念していたことが当たってしまいましたね」

『甲府?』

深慮に満ちた天霧の言に、思わず問い返していた。
甲府といえば、新選組が敗戦した地だ。そこで何かあったのだろうか?

「甲府の戦の後、死体を切り刻んで血を啜ってる羅刹共がいたんだよ。そこにいた連中は俺と天霧の旦那で始末したが、たぶん他にもいたはずだ」

夥しい数の死体が無残に切り刻まれていたからな、と呟く不知火は目の当たりにした惨状を思い出したのか、少し顔色が悪い。

「血を啜っていたのは数人。本隊はすでに移動した後だったのでしょうね」

不知火と天霧の説明に、千鶴はもちろん薫やお千の表情も固く強張った。

『父様は・・・?』

「その場にはいなかったが、そいつらは新選組の羅刹じゃなかったからな。十中八九、綱道が作り出したやつだと思うぜ」

「奴等は次の戦場を求めている。幕府と新政府軍の交渉の結果によっては、江戸が戦場となるだろう」

『そんな・・・っ』

「大丈夫よ、千鶴ちゃん。そうならないために、幕府は手を尽くしているんだから」

「ええ。今、幕府の実権を握っているのが恭順派なのは幸いです。交渉が上手くいけば、無駄な争いを避けられるでしょう」

「こういう場合、徹底抗戦を叫ぶ連中は邪魔だからな。新選組を江戸から追っ払って、あわよくば甲府で全滅してくれりゃあ万々歳ってとこだったんだろうな。いい判断だと思うぜ」

『・・・・・・・・・・・・』

複雑な気分だった。
江戸で戦を起こさないために、不穏分子を遠ざける。
江戸に住む町人の一人として、幕府のその判断を一概に責める気にはなれない。
けれど、そのために切り捨てられたのは新選組。
今まで彼らは幕府のため、将軍のために命を掛けて隊務に当たっていたのに、こんな扱いを受けることになるなんて。

(皆さん、今頃どうしているのかな・・・)

きっと辛い思いをしているはずだ。
信じてきたものに裏切られ、傷ついた彼らに自分が何ができるわけでもないし、むしろ千鶴の方が心配されるだろうが、彼らのことが気がかりだ。
新選組はこの先、どうするのだろうか。

だが、今は新選組のことに気を取られていられる状況ではない。
千鶴が優先すべきは、綱道のことだ。
新選組が頼れない以上、綱道の件を任せられるのは風間達しかいない。

『あ、あの、父様を見つけるために、力を貸して下さい。お願いします』

「俺からも頼む。あいつ、千鶴の身体を使って何かろくでもないことを企んでいるに違いない」

薫の言葉に、風間の目が千鶴を捉えた。
人間の目には見えない今の千鶴だが、この場の者達は全員彼女が見えている。
彼らが只者ではないという、何よりの証だった。

「人の世の歴史に関わってはならぬというのが、鬼の掟。にも拘らず、羅刹などという外道の策を用いて人間に取り入る愚か者を、見過ごすことはできまい」

「じゃあ、私達に協力してくれるのね?」

だが、と千鶴を見据える紅玉の眼が、刃の如く鋭く細められた。

「我々は綱道を殺す。それを止めることはできんぞ」

『・・・わかっています』

風間の助力を乞うということは、綱道を殺すこと。
綱道が未だに変若水を研究し、羅刹を増やしているのなら、生かしておく方が危険だ。
鬼の道にも人の道にも反した彼を、風間達が粛清するのは当然の理。
そう頭で理解はしていても、感情は別だ。

(でも、それでも私は・・・)

隣に座す薫の励ますような視線に背を押されるように、風間と向き合った。

『私はこの通り、何のお役にも立てませんが、せめて雪村の者として見届けなきゃいけないって、そう思うんです』

千鶴の返答に満足したのか、風間の口元が僅かに弧を描く。

「女鬼を守るのは男鬼の性。それも東国最大の鬼の一族、雪村の姫の頼みとあらば風間の頭領として引き受けねばなるまいな」

天霧や不知火もその決定に異はないようで、さっそく今後の方針へと話題は移った。

「問題は綱道の行方ですね。江戸で戦が起きると踏んで近くにいるのか、別の場所で戦を起こそうとしているか」

「それについては、ちょっと気になることがあるの。最近、江戸の町に夜な夜な辻斬りが出るって噂があるらしくて」

『辻斬り?』

お千の言葉を継いだのは、後ろに控える君菊だ。

「下手人の手口は相当残酷なもののようです。死体を切り刻み、全身から血を抜き取ったかのような有様だとか。もしかしたら・・・」

「羅刹が血を求めて人を襲ってるってことか?」

「はい・・・」

「ま、新選組の羅刹の仕業って可能性もあるけどな」

「・・・・・・」

お千と君菊は、気まずげに口を噤んだ。
彼女達もその可能性を否定できなかったから、これまで千鶴に明かせなかったのだろう。

「どちらにしろ、手がかりとなりそうなのはその辻斬りか」

「だな」

風間、天霧、不知火は音もなく立ち上がると、ちらりと千鶴達を一瞥した。

「夜の探索は我らが請け負う」

そう言い置いて、三人は雪村診療所を後にした。





■■■■■





日が暮れて、夜の帳に包まれた江戸の町を、明かりも持たずに歩く男がいた。
ほのかな月光は地表を照らすには弱いが、彼にとって明かりとなるものはそれで十分だった。

(春の月、ですか。土方君が昔から好んでいましたね)

今は月を愛でる余裕などないだろうけれど、と山南敬助は最近の新選組を思って気分が沈むのを感じる。

甲府での敗戦。
大勢の隊士の戦死。
永倉、原田の離隊。
そして将軍慶喜公の謹慎。
新選組を取り巻く状況は、日に日に厳しくなるばかりだ。

(我々、羅刹の使いどころは、もうないのでしょうかね・・・)

夜道を歩きながら、山南は自嘲気味にそう一人ごちる。

新選組のために力を振るいたくとも、羅刹隊は甲府での戦には参戦できなかった。
その後も変若水の研究そのものを禁じられ、羅刹の強化もできなくなり、ただ無為に発作に苦しむ日々を送るだけ。
新選組は江戸を脱し、会津に向かうことになったが、その先で羅刹隊が戦う道はあるのだろうか。

それに、最近江戸の町に出没する辻斬りの存在も気になる。

京にいた頃、屯所から脱走して辻斬りを行う羅刹隊士が数人いた。
今回もその類かと考えた山南は、夜毎江戸の町を巡察していたのだが、これまで始末した辻斬りは新選組の羅刹隊士ではなかった。
そもそも鳥羽伏見の戦でほぼ壊滅に追いやられた羅刹隊士の生き残りは、ほんの数人。山南と平助の目から逃れて脱走するのはまず無理だ。
何より、顔も名前も、人となりもよく知る彼らは吸血の衝動に負けて辻斬りを行うような者達ではない。

けれど、山南が見つけた江戸の辻斬りは“羅刹”だった。
新選組隊士ではない、羅刹――。
これはいったい何を意味しているのだろうか。

(我々以外でも羅刹を生み出している勢力がある? そんなことができる人物の心当たりは、一人しかいませんが・・・)

できれば江戸を離れる前に、この一件を片付けておきたい。
あの男を捜し、接触するにはどうすればいいだろう。

(雪村君を巻き込みたくはありませんが、接点といえば彼女だけですね)

何しろ雪村千鶴は、新選組に変若水を持ち込んだ男――雪村綱道の娘。
五年もの間、姿をくらましたままの男がそう簡単にひょっこり現れるとは思えないが、一度彼女と会っておこうかと考えた時――。

冷たい夜風に乗って、血の匂いが届いた。

匂いを追って駆け出した山南は、一際濃い血の匂いが立ち込める場所で、意外な人物を目にした。

「おや、意外な場所で会いますね」

「貴方は・・・」

一度だけ、会ったことのある男の顔。たった一度とはいえ、忘れようはずもない。
かつて、京で幾度となく新選組と刃を構え、屯所に襲撃すら掛けたことのある者達の一人。
確か、名は天霧と言っただろうか。

「鬼である貴方が何故ここに?」

「この羅刹は新選組の者ですか?」

問われて、天霧の足元に倒れる白髪の男に気づく。
すでに絶命しているらしく、見る間にその身体は灰となって崩れていった。

「いいえ、見たことのない顔です。これはいったいどういうことですか? 最近、新選組の者ではない羅刹が辻斬りを働いていますが、貴方方と関わりがあるのですか?」

「成程。ではやはり、綱道が作り出した羅刹だと考えた方が良さそうですね」

「綱道さんの・・・?」

やはり彼の仕業か。では綱道は江戸に来ているのか。

「詳しい話を聞かせて頂けますか?」

眼鏡の奥の決然とした目に、天霧は我知らず感嘆した。
確かこの男も、自分達鬼が“紛い物”と蔑む羅刹となった身。
足元で灰と化した男と同じ存在なのに、一線を画した何かが感じられた。



「なるほど」

天霧の話を聞き終え、山南は一言だけそう言って眼鏡を直す仕草をして高ぶる気を落ち着ける。

甲府で命を落とした隊士達の死体が、羅刹達に食い荒らされていた。
そんな話を聞いて冷静に受け止められるほど無情にはなれない。
しかもその羅刹達は、江戸の町でも罪のない人々を襲っているのだ。
これが綱道の仕業だとしたら、いったい彼は何が目的なのか。

「我々はこの江戸に留まり、綱道を捜します。しかし彼らは戦場を追うことも考えられる。十分に気をつけるといい」

「ご忠告感謝します。私もできる限り協力しましょう。ところで雪村君は・・・・・・いえ、何でもありません」

言いかけた言葉を飲み込み、首を振る。
せっかく新選組から解放されたのだ。彼女にはこの先、穏やかな人生を歩んでもらいたい。

鬼達の存在が影を落とすが――確か風間とすら対等に渡り合える京の鬼、千姫という少女がいた。
彼女がついていれば、新選組にいた時のように力づくで奪うような真似はしないだろう。

「私達新選組は間もなく江戸を発ち、会津を目指します。江戸で戦が起きずとも、東北はこれから戦渦に見舞われる。綱道さんは必ず来るでしょう」

見つけたら必ず殺します。
そう断言する山南に、天霧は雪村千鶴のことを伝えるべきか悩んだ。
魂魄は南雲薫と共にあるが、身体は綱道のもとにある。
それを伝え、綱道を見つけたらこちらに連絡するように言うべきか。

しかし逡巡する間もなく、誰かの足音がこちらに向かってくるのが聞こえ、天霧は闇に溶け込むようにその場を去った。

「山南さん!」

「おや、藤堂君」

駆け寄って来たのは藤堂平助だ。
彼は先程まで天霧が立っていた場所に残る、崩れた灰の塊を見ると眉を寄せた。

「また羅刹が現れたのか?」

「ええ」

「くそ、いったいどこのどいつが・・・」

言いながらも、彼自身答えは解っているのだろう。
ただ、そうでなければいい、と強く思っていることも、山南にはわかった。

(雪村君、どうか君は何も知らぬまま、平穏に暮らして下さい)

きっと今も診療所で父親の帰りを待ちながら、自分達の無事を祈ってくれているであろう少女を思い、心の中で囁く。

けれど、その願いが敵わないことを――山南はのちに知ることになる。





新選組が江戸を経ってしばらくして、新選組局長近藤勇が新政府軍に捕縛された。

間を置かずして、江戸城は無血開城された――。



〈次〉

17.1.30up

四話目です。
山南さんは今後も活躍してくれそうです。



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