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鬼姫は眠る 五
夜闇の竹林に身を潜め、薫は板橋の陣屋を囲む松明の火を眺めていた。
何故ここまで来てしまったのだろう、と何度目かの自問が浮かぶ。 陣屋の中に捕らえられているらしい人物を助けることなど、できないのに。 千鶴が辛い思いをするだけなのに。 どうして、最後に顔を見に行くか、なんて言ってしまったのだろう。
(人間なんて、何人死のうがどうでもいいんだけどな)
千鶴さえ無事なら、他の誰がどうなろうが知ったことじゃない。 戦争が起きようが、羅刹に襲われようが関係ない。 自分達から家族を奪った人間も、助けてくれなかった同胞の鬼も、誰が傷ついたって微塵も気にならない。 その思いは今も変わらない。
ただ、ほんの少しだけ。 近藤勇という人間を見直す出来事があった。ただそれだけなのだ。
新選組から離れて実家に戻った千鶴のもとには、この三ヶ月あまりの間に三人の人物から手紙が届いた。
一人は松本良順という蘭方医。 定期的に近況を報せてくれる松本からの手紙は、新選組や旧幕府軍の動向に触れられており、こちらにとっても良い情報源となっている。
一人は新選組局長の近藤勇。 江戸を発った後、新政府軍に捕縛されるまでの間に認められたらしい手紙は、松本良順を経由して診療所に届けられた。
結局綱道を見つけられなかったことや、長く新選組に縛り付けたことへの謝罪が綴られているだけでなく、まとまった金子が一緒に送られてきたことには流石に驚いた。 千鶴以外はどうでもいいと豪語する薫ですら、文面から窺える近藤の誠実そうな人柄と、千鶴への真摯な態度に少しだけ好感を抱いたものだ。
だから、その近藤が新政府軍に捕らえられたと知って落ち込む妹に、思わず提案していた。 最後に一目だけ、顔を見に行ってみるか、と。
それは実体を持たない、今の千鶴だからできること。 話すことも助けることもできない、ただ辛いだけの一方的な面会だとしても、千鶴は「ありがとう」と言って陣屋の中に駆けて行った。
(きっと、泣きながら戻って来るよな)
悲しい顔なんてさせたくはないが、今日ばかりは仕方ない。
ちなみに、手紙の送り主の残りの一人は伊庭八郎という人物だ。 彼はどうやら遊撃隊と共に戦う道を選んだらしく、近々江戸を離れると文で報せてきた。
千鶴を気遣う言葉に溢れた文は、どうか幸せに、という一言で締め括られていた。 妙に親しげな内容がどうにも引っかかり、「この伊庭って男は何者なんだ?」と問うと、千鶴は彼について話してくれた。 そして伊庭が、薫と同じように幼い千鶴の記憶の奥に封印された存在だったことを知った。
離魂したことによって思い出した、千鶴が失くしていた記憶の数々の中に、伊庭との時間があった。 何故彼のことをほとんど忘れていたか、その理由も解ったという。
『せっかく思い出したのに、それを伝えられないままになっちゃった・・・』
そう言って、千鶴はせつなげに目を伏せた。
この伊庭八郎という人物に、薫は複雑な思いを抱かざるを得なかった。 自分が千鶴と別れた後、幼い彼女にとって“兄”のような立ち位置にいたという彼に。
ふわりと、音もなく半透明の少女が空から舞い降りた。 魂魄となった千鶴は、自分に体重がないことでふわふわと空を浮遊することを覚えていた。 元の身体に戻った時、癖で空を飛ぼうとして転んで怪我をしないか心配だ。
「戻ったのか」
予想に反し、千鶴は泣いてはいなかった。 それどころか切羽詰った様子で、薫に縋り付いてきた。
『お願い! 少しだけ手を貸して欲しいの!』
「?」
■■■■■
流山で近藤が新政府軍に投降した後、土方は近藤を助けるために昼夜走り回った。 これ以上新政府軍を刺激したくないという幕臣達を必死に説き伏せ、交渉に交渉を重ねた結果、ようやく助命嘆願を引き出すことができた。
相馬主計は、土方から託された近藤の助命嘆願を手に、板橋の新政府軍の駐屯地を訪れたのだが、その頃には身分を偽って投降した近藤の正体が敵側に知られており、相馬は新政府軍に捕らえられた。 そこには近藤に付き添って共に捕らえられた野村利三郎もいて、二人は敵地で再会した。
その後、嘆願は聞き届けられずに、近藤勇は罪人として処刑された。
「くそ、何でだよ! 何で局長が斬首されなきゃならねえんだ!」
近藤の訃報を知った二人は、悔し涙に濡れた。 腹を斬ることも許されず、罪人として首を斬られた近藤の無残な死。 長年、誠の武士を志して必死に努力してきた近藤は、武士として死ぬことすら許されなかった。
「土方副長に、何としても伝えなければ。どうにかしてここを出よう」
捕らえられてからというもの、相馬と野村は何度も脱走計画を話し合ってきた。 これまではどうにかして近藤を助けられないかと試行錯誤していたのだが、それが叶わなくなった今、ここに留まる理由はない。 一刻も早くここを出て、土方に近藤の死を伝えなくては。
暗闇に紛れ、二人は謹慎させられていた場所から逃げ出した。 簡単には追って来られないよう、そして誰かに見咎められないように、雑木林の中の道なき道を選んでひた走る。
「これからどうすんだ? 江戸の町はもう新政府軍に占領されてるんだろ? どうやって江戸を出る?」
ここまで来れば大丈夫だろう、と走るのをやめて歩き始めると、話をする余裕も生まれた。
自分達が目指す先ははっきりしているが、それまでの手段がない。 新選組はすでに会津に向かっているから、二人には頼れそうな存在が何もなかった。
そうだな、と相馬が何か言おうとした時。
「本当に脱走してきたのか」
「「!!」」
突如掛けられた聞き覚えのない声に、二人は咄嗟に刀を抜いた。
まさか追っ手だろうか。いくら何でも早過ぎる。 しかも夜闇に紛れてとはいえ、これほど近づかれてもまったく気配を感じさせないなんて。
「何者だ・・・!」
「騒ぐな。お前ら新政府軍から逃げたいんだろう? 付いて来いよ」
女にしては低く、男にしては高めの声は、性別の判断が難しい。 暗闇で顔は見えないが、その人物を象る影は随分と小柄な印象を受けた。
「あんた誰だ? 新政府軍の追っ手じゃないのか?」
「雪村千鶴に頼まれて、お前らを手助けしに来たってところだ」
「雪村先輩に?」
意外な名前に、相馬と野村の警戒心が緩んだ。同時に疑問ばかりが浮かぶ。 何故、実家にいるはずの千鶴が自分達の状況を知っているんだ?
問いかけようにも、謎の人物はさっさと先を進み、相馬と野村は戸惑いつつもその後に続いた。 信用したわけではないが、千鶴の名を出されたことで、その真偽を確かめたかったのだ。
木立を抜けて拓けた場所に出ると、木々に遮られていた月の光が優しく降り注ぎ、前方の人物の姿をほのかに照らした。 月明かりに浮かび上がったその人物は――。
「ゆ、雪村先輩!?」
相馬と野村は驚愕のあまり、思考が停止した。 その人は確かに雪村千鶴の顔だった。だが、髪はばっさりと切られ、何故か旅装束に身を包んでいる。腰に差した刀も小太刀ではなく、太刀だ。
「雪村先輩? え、男!? いや先輩は男装した女で、でも男? いつ女をやめて男になったんすか!?」
「な、何があったんですか先輩! どうしてこんな、何故!?」
二人は大混乱に陥った。特に相馬の衝撃は大きい。 彼は、江戸の実家で娘姿に戻った千鶴を見ている。 京にいた頃、少年のように結い上げていた髪は娘らしく綺麗に結われていたのに、その髪を切り落としてしまうなんて。 まさか世を儚んで出家でもするつもりなのか、と何故か泣きそうなくらい胸が痛んだ。
「おい、落ち着けよ。俺が千鶴じゃないって発想はないのか」
「え!? あ、でも確かによく見れば先輩じゃない、ような・・・?」
「そういえば声も全然違う・・・。でも先輩にこんなにそっくりな人がいるなんて・・・」
「そっくり?」
相馬が零した言葉を聞き咎め、彼は何故か得意げに胸を反らした。
「ふっふっふ、そうか。そうだろうな。俺と千鶴はよく似ているだろう。お前ら見る目があるじゃないか。この美しい顔立ち、楚々とした立ち振る舞い、全身から滲み出る可憐さは隠しようもないからな」
「・・・・・・いや、そこまでは言っていませんが」
「何か言ったか?」
「先輩の顔で凄むなよ! それよりあんた何者なんだ? どうして雪村先輩そっくりなんだよ!」
「そんなの、俺と千鶴が兄妹だからに決まってるだろ」
「「は!?」」
――言われてみれば確かに。 顔がそっくりな人間がいる理由なんて、血縁関係か単なる他人の空似かのどちらかしかないわけだが。
「先輩にお兄さんがいたのか・・・」
「何で先輩の兄貴がこんな所に? いや、それより何してんだ?」
「さっきも言っただろう。千鶴がお前らを助けたいって言うから、仕方なく手助けしてやってるんだよ。俺と千鶴に感謝しろ」
感謝する気が失せる言い方はやめて欲しい。 だが彼の不遜な態度にも、生真面目な相馬は折り目正しく頭を下げた。
「助力感謝します。俺は雪村先輩の後輩で、局長付小姓を務める相馬主計と申します」
「同じく、野村利三郎・・・」
相馬に続き、野村も渋々という態で名乗る。
「俺は南雲薫だ」
「どうして先輩と兄妹なのに姓が違うんだよ? 第一先輩の家族は父親だけなんじゃねえのか?」
「色々事情があるんだよ、察しろ」
「どうやって!?」
無茶振りにも程がある。 顔は千鶴そっくりだが、性格は何だか沖田のような捻くれ方だ。
「さっさとここを離れないと、追っ手が掛かるかも知れないな。ついて来い」
そう言って走り出す薫の後を追って、相馬と野村も駆け出した。 行く先に待つであろう千鶴に会って、詳しい話を聞くために。
相馬と野村を連れて診療所に辿り着いたのは、翌日の夜遅くだった。 洋装の二人は目立つから人目を避けての移動だったため、時間が掛かったのだ。
「ここが先輩の実家かあ」
「あの、雪村先輩の姿が見えませんが、どちらに?」
二人を家に上げると、自分達以外に人の気配がないことに気づいた相馬が問いかけてきた。 まあ、不審に思うよな、と心の中で呟き、薫は横目で隣にいる千鶴を見た。 実は彼女は自分達とずっと一緒に行動していたのだと言って、この二人は素直に信じることができるだろうか。
(無理に決まってるよな。こいつらには視えないんだし)
しかし彼らをしばらくここに置くなら言っておくしかないかと考え、薫は簡単に事情を話した。 ちょっとした事情で魂が身体から離れた状態でここにいる――と。 千鶴が『端折り過ぎだよ・・・』と苦言を呈してくるが、薫は素知らぬ顔で聞き流す。
一方、突拍子もない話を聞かされた二人は、当然ながら薫への不信感を深めてしまったようだ。
「魂の状態でそこにいるって、そんなことあり得ねえだろ・・・」
「・・・・・・・・・」
助けてもらった手前、相馬は口を噤んでいたが、その目には困惑の色しかない。
「千鶴、何か証明できそうな話はあるか? 京にいた頃のこいつらとの印象的な出来事とか」
『えっと、そうね・・・。一番印象に残ってるのは、二人が幹部の皆さんに指摘されるまで、私が女だって気づかなかったことかな』
「はあ? こいつらお前の下手くそな男装に気づかなかったのか? 目、大丈夫か?」
「「ううっっ!!」」
どうやら見事に二人の痛いところを突いたようだ。 ということは、本当に千鶴の男装に気づかなかったのか。何て鈍い奴らだ。
「他にはないのか? お前しか知らないような日常のこととか、こいつらの失敗談とか」
『失敗談と言われても・・・。相馬君はとても真面目な人で、幹部の方達からも気に入られて・・・。あ、確か野村君は境内に生えていたきのこを食べて、腹痛を起こしたことがあったっけ』
「道端のきのこを食べて腹痛? 子供でもしないぞ、そんな阿呆な真似」
「うぐっ!」
『野村君は好奇心が旺盛だから、たまにそういう失敗をしてたの。平助君が永倉さんに取られないために隠して、そのまま忘れちゃったお団子を野村君が見つけて食べたら、それが傷んでいてお腹を壊したり、山崎さんが調合した塗り薬を、何故か飲み薬だと勘違いして飲もうとしたり』
「それ好奇心旺盛で片付く話なのか? 傷んだ団子で腹壊すとか塗り薬を飲み薬と勘違いって、単なる間抜けな馬鹿じゃないか」
「ぐはあっ!」
『いつだったか野村君が食事の当番だった日、山で山菜を採ってきたって言って、水仙やあせびの葉を料理しようとした時は焦ったよ』
「毒草と山菜の区別も付かないのかよそいつ。新選組の連中、お前がいなかったら今頃食中毒で死人を出してたかもな」
「あの、すいません。野村が死にそうなんで、そろそろやめてあげてくれませんか?」
「『あ』」
おずおずと口を挟んできた相馬の声に、千鶴と薫は二人そっちのけで話し込んでいる自分達に気づいた。 ふと見れば、野村が虫の息になっている。
「おい、しっかりしろ、野村」
「だ、大丈夫、だ。軽い致命傷で済んだ・・・」
致命傷に重いとか軽いがあるのだろうか。
『ご、ごめんね、野村君!』
千鶴が慌てて野村の傍に膝を付いて謝るが、姿も見えず声も聞こえないのだから意味はない。
「と、とにかく、先輩がそこにいるというのは解りました」
気を取り直すように咳払いしながら、相馬はそれを認めた。 すべてを鵜呑みにしたわけではないが、薫の言葉の端々から確かに千鶴の存在が感じられたのだ。 未だ信じられないという思いもあるが、ここに“千鶴がいる”と認めるしかない。
「しかし、何故先輩は身体と意識が分かれてしまったのですか?」
千鶴の存在を認めた以上、気になるのはその理由だ。 ちょっとした事情で魂が身体から離れた、と薫は言ったが、離魂するような“ちょっとした事情”とはいったい何なのか。
「先輩を助ける方法はないんですか?」
「それは今俺達が探っているところだから、お前らは気にするな」
「ですが!」
「お前らは自分の役目があるだろ。江戸を出るまでは手助けしてやる。そこから先は自分達で何とかしろよ」
言い募ろうとする相馬に、薫は突き放すようにそう告げた。
やるべきことがあるのなら、こちらの事情にまで深入りするな。 そう言われてしまうと、相馬には反論の術がなかった。
〈次〉
17.2.10up
五話目です。相馬君のターン!
・・・のはずが、薫と野村君のせいでコメディに・・・。
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