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鬼姫は眠る 六
江戸城が無血開城された頃、新選組本隊は会津にいた。 近藤の助命嘆願のために本隊を離れた土方に代わり、隊を率いるのは斎藤一だ。
四月も終わりとなって、斎藤の元には新選組の白河口へ参陣の要請が下った。 現在、白河城を押さえているのは会津側だが、新政府軍の攻撃に徐々に押され始めているという。 そして新選組が参陣する頃には新政府軍によって白河城は占拠され、会津側は撤退するしかなかった。
深夜、斎藤は陣幕を抜け出して雑木林の中で一人佇んでいた。 すると、どこからともなく現れた気配が、彼に近づく。
「一君」
「平助、山南さんはどうした?」
現れたのが彼一人であることに怪訝を浮かべる斎藤に、平助は言い難そうに口ごもる。
「それが、さ・・・」
「何かあったのか?」
問いに平助は困った顔で頷き、話し始めた。
山南と平助は羅刹隊と共に本隊より先行し、一足先に白河城の様子を調べていた。 そこで二人は、新政府軍に羅刹が混ざっていることに気づいた。
羅刹がいるということは、必ず近くに雪村綱道がいると考えた二人は彼の姿を捜していたのだが。
「山南さんが、綱道さんに接触するって言いだしたんだ」
「雪村綱道は、見つけ次第殺すはずではなかったのか?」
「それが、綱道さんの傍に千鶴を見たらしいんだよ」
「雪村だと? 何故、彼女がここにいるのだ?」
「そんなの俺に聞かれてもわかんねえよ。俺だって、山南さんの見間違いだろって思ってるんだからさ」
だが、千鶴が綱道と共にいると言った時の山南の顔は、嘘や冗談を言っているようには見えなかった。
新選組から解放され、江戸の実家にいるはずの千鶴が何故綱道といるのか。 まさか家に戻った後、自分達が知らない間に彼女に何かあったのだろうか。 どうか、山南の見間違いであって欲しい、と平助は祈る気持ちでそう思う。
「そんなわけだから、山南さんは羅刹隊を連れて綱道さんの所に行っちまった。今は向こうからの連絡を待つしかねえよ」
そう言って、平助は白河城の方角へと視線を向けた。
一方、山南は白河城の中にいた。
綱道と接触した後、新政府軍の羅刹隊内部に入り込むのは簡単だった。
五年前、自分が行方不明となった後も新選組で変若水の研究を続けていた山南のことは、綱道の方も興味深く思っていたらしく、交渉はすんなりと進んだ。
新選組の羅刹達のためにも綱道が持つ知識が欲しいと言えば、ちょうど使える手駒を欲しがっていた綱道は上手く山南の話術に乗ってくれて、二人の間に相互協力の関係が築かれた。
信用はされていないだろうが、山南が仲間のためにも自分に従うしかないと綱道は高を括っているだろう。そう考えるように、仕向けたつもりだ。
それに、綱道の知識に関心があるというのは別に嘘ではない。積極的に知りたいというほどでもないが。 ただそれ以上に気掛かりなことがあったから、口実に使わせてもらったのだ。
ふと、通り掛かった部屋の中から押し殺した声が聞こえ、足が止まった。 耳を澄ませて声の正体を探ってみる。 漏れ聞こえるのは、若い女の泣き声だ。
「失礼」
一声掛け、その部屋の襖を開けた。 日の光を遮るように閉ざされた部屋は暗く、行灯のほのかな明かりだけがぼんやりと照らしていた。 その傍で座り込んでいるのは、見覚えのある娘。
「やはり、あなたでしたか。雪村君」
山南自身、平助以上に見間違いであってくれればと思っていた人物が、そこにいた。
戦場で綱道の傍らにその姿を垣間見た時は、確信を持っていたわけではなかった。
遠目に一瞬見えただけで、確かめるために綱道と接触した時にはすでにいなくなっていたから、安堵すらした。 こうして白河城の中を探索していたのは、戦場で見た彼女が己の目の錯覚だという確信が欲しかったから。 一通り調べ終えたら、やはり見間違いでした、と平助や斎藤に報告するつもりだったのに。
「どうしてこんな所にいるのか、説明して頂けますか?」
涙に濡れた黒目がちな目が、じっと山南を見つめる。 千鶴が新選組から解放された後、一度も会っていない山南にとっては三ヶ月ぶりの再会だ。 女物の着物を着ているからだろうか、記憶にある彼女よりも儚げな印象を受けた。
「・・・だれ?」
「少し会わない間に忘れてしまいましたか? 私ですよ。新選組元総長で、羅刹隊隊長の山南です」
千鶴はふるふると首を振り、「しらない」と呟いて頬を濡らす涙を手の甲で拭う。
様子がおかしい、と山南は形の良い眉を顰めた。 山南の知る雪村千鶴という少女は、か弱げな見た目の割に気丈で、己の命が危険に晒されている時ですら涙をぐっと堪える意志の強さを持つ。 なのに、今の彼女からはその強さが感じられない。例えるなら、迷子の子供のように頼りなげだ。
(本当に私のことがわからないのか?)
記憶喪失、という言葉が浮かぶ。それとも、よく似た別人か?
「貴方の名前は、雪村千鶴ですよね?」
問いに、彼女はこく、と頷いた。 本人に間違いないはずなのに、山南に向けた瞳はまったく知らない人間を見る目だ。
「兄さまは、どこですか?」
「兄様?」
千鶴に兄がいるという話は聞いたことがない。 もしや、千鶴と幼馴染だったという伊庭のことだろうか。
「兄さま、どこにいっちゃったの・・・?」
“兄”を呼びながら立ち上がろうとした千鶴だが、途端にぐらりと体勢を崩して転びかけた。 咄嗟に抱きとめると、腕の中の彼女は困惑しきった顔でもがいている。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「はい、ごめんなさい・・・」
山南の腕に掴まりながら何とか立ち上がったものの、足元はふらふらとおぼつかなくて危なっかしい。 これではまるで、自分の身体に慣れていないかのような安定の悪さだ。
(まさか・・・)
ふと予感が過ぎり、山南は千鶴に訊ねた。
「あなたは今何歳ですか?」
「五つです」
「・・・・・・五つ」
さしもの山南も二の句が継げなくなった。 自分の知る千鶴より幼いと感じていたが、まさか幼児だとは。
「新選組を、覚えていますか?」
きょとんとした不思議そうな顔が答えだった。 新選組での四年間は、千鶴の中からきれいさっぱり消えている。
つまり彼女の記憶は退行しているということだろうか。 いったい何故こんな状況になったのか問い質したいが、今の千鶴に説明を求めるのは難しそうだ。
(どうしたものでしょうかね)
心底困り果て、天を仰ぐ。 暗い天井しか見えないが、別に空を見たいわけではないからどうでもいい。 それにしても、五歳の子供に宛がう部屋にしては暗過ぎる。これでは心細さに怯えて泣いても仕方ない。
とりあえず、自分に対する警戒を解いてもらうことから始めるべきかと、山南は穏やかな笑みを浮かべて千鶴と視線を合わせた。 これでも子供の扱いは得意だ。沖田総司という性質の悪い子供と、何年も付き合ってきた実績は伊達ではない。
「私は山南敬助です。呼んでみて下さい、山南、ですよ」
「さんなん・・・おじちゃん・・・?」
ピシッ、と空気が凍った。
(お・・・おじちゃん・・・ですか)
実年齢すら一回り以上年が離れているのだから、今の千鶴にとって山南はさらに年上に感じているだろう。だから“おじさん”と言われても、仕方ないかも知れない。かも知れない、が――。
「せめてお兄さんと呼んで頂けませんか? お兄さん、と」
精一杯笑顔を維持したつもりだが、千鶴の表情がびくっと強張った。失敗したようだ。
「お、おにいさん・・・」
「よくできました、千鶴ちゃん」
こんな風に彼女を呼ぶのは初めてだ。 優しく頭を撫でると、ようやく強張っていた表情が緩んだ。
打ち解けるはずが少しばかり怯えさせてしまったようだが、これからいくらでも挽回できる。 相手は幼くとも千鶴だ。沖田に比べると遥かに素直で可愛い。
そうして山南が千鶴を懐かせるまで、然程の時間は掛からなかった。
■■■■■
相馬と野村は千鶴の実家に潜伏し、江戸を出る機会を窺っていた。 早く会津に向かいたいのは山々だが、江戸城が無血開城されてからというもの町には新政府軍の兵が溢れていて、思うように動けないでいる。
昼間は外に出られない二人に代わり、日中に町へ出て情報収集をしてくれているのは南雲薫だ。 千鶴も常に彼と共にいるらしいが、残念ながら相馬達にその姿は見えない。
ちなみに、町に出る時の薫は女装している。 近所の目を誤魔化すために千鶴に扮しているのだが、これがまたよく似合っており、相馬が以前一度だけ目にした娘姿の千鶴と瓜二つだった。
「どこの関所も警備が厳重だな」
「くそ、いつになったら江戸を出られるんだ」
江戸の町の地図を広げ、相馬と野村は頭を抱えた。 二人は毎夜、暗闇に紛れて江戸の町を走り回り、逃げられそうな隙を探し回っているのだが、成果は芳しくない。むしろ日毎状況が悪くなっているような気がする。 このまま江戸を出られないままとなってしまうのかと、日に日に二人の焦りも募っていた。
そんなある日のこと。
突然、診療所に二人の若い女が訪れた。
「あら、お客さんがいたの?」
相馬達が身を隠す間もなく中に入ってきた女達は、こちらを見ても動じる様子もなくそう言った。 珍しい洋装姿の見知らぬ男なんて、怪しいことこの上ないはずなのだが。
「あ、千鶴ちゃん、元気?」
相馬も野村も、薫すらも一言も発していないというのに、彼女はにこにこと何もない空間に話し始める。
「ふぅん、千鶴ちゃんの後輩なの。こちらが相馬さんで、そちらが野村さんなのね」
「「!?」」
名乗る間もなく、あっという間に素性を知られた。 どうやら彼女には“千鶴”が見えているようだ。
(本当に、雪村先輩はここにいるのか)
薫の言葉だけではいまいち信じきれずにいたものが、妙な真実味を帯びてきた。
「私は千、千鶴ちゃんのお友達よ。こっちはお菊っていうの」
「そ、相馬主計です」
「野村利三郎っす」
友好的に挨拶してくれるお千に、相馬と野村も居住まいを正して挨拶を返す。 何だかよくわからないうちに自己紹介が成立した。
すると再び入り口の戸が開いて、今度は三人の男達が入ってきた。
「邪魔をするぞ。ん? 何だ、貴様らは」
「あんたは・・・っ」
三人の顔には見覚えがあった。直接話したことはないが、京の屯所を何度か襲撃し、幹部達をも圧倒する力を振るっていた男達だ。 確か土方達は、彼らを“鬼”と呼んでいた。
咄嗟に刀へと手を伸ばす相馬と野村に、冷めた視線が向けられる。
「やめておけ。貴様ら非力な犬風情、俺の相手にはならん。命が惜しければ馬鹿な真似はするな」
「何だと!」
激昂する相馬達の視界を遮るかのように、彼らとの間にお千が立ち塞がった。
「上野の寛永寺の周辺に戒厳令が敷かれてるみたいだけど、あの辺はどうなってるの?」
「あそこには今旧幕府軍が大勢集まってるからな。新政府軍の連中は、反乱の目は潰しておきてえって思ってるだろうな」
「彰義隊を潰す気か」
薫の問いに、長い髪を無造作に縛り上げた男が「そういうこと」と頷く。
「綱道の羅刹が血を求めて現れる公算が高い場所だ。我々は上野に向かう」
「そう、わかったわ。薫は上野に行っちゃだめよ。綱道がいるなら、千鶴ちゃんもいるかも知れない。そうなると魂が身体に引き寄せられて、千鶴ちゃんは戻されてしまうわ」
「わかってる」
薫は相馬達の方に向き直った。
「近いうちに戦が起きる。その混乱に乗じてなら、江戸から脱出する隙があるだろう」
確かにまたとない機会となり得る状況だ。 しかし、相馬はそれ以上に彼らの会話が気になった。
「いったい、貴方達は何をしようとしているんですか? 雪村先輩に何があったんですか?」
綱道、羅刹、千鶴――。どれも新選組とも縁の深いものだ。
そして雪村綱道といえば、千鶴の父親であり、新選組でも長年捜し続けてきた者の名。 何故彼らがその名を口にしているのか。 しかもお千の言葉から察するに、千鶴の今の状況とも関連があるように聞こえた。
彼らの目線が、ある一点に向けられる。
「ねえ、どうするの千鶴ちゃん。彼らにも事情を話しておく? 新選組の人達も無関係ってわけじゃないし」
「必要あるまい。新選組なら山南とかいう者と天霧に繋がりがある。こ奴らはたいした役には立たぬ」
「風間の言い様はどうかと思うが・・・。まあ姫さんの好きなようにすればいいんじゃねえか」
皆当たり前のように千鶴が見えているらしく、何もない空間に向かって話し掛けている。 相馬は、意を決して口を開いた。
「雪村先輩、そこにいらっしゃるんですね?」
彼らが見つめる先に視線を据える。やはり、何も見えない。
「教えて下さい。貴方の身に何が起きたんですか?」
「おい、前にも言っただろう。こちらの事情に深入りしたって、お前らにできることなんて何も」
「何もないなんて、決め付けないで下さい」
凛とした声が、薫の発言を遮る。
「京にいた頃、俺は雪村先輩にとても世話になりました。その先輩が困っている時に何もできないなんて、嫌なんです。せめて何が起きたのか教えて下さい」
「知ったところでどうなる。貴様らはさっさと仲間のもとに行け。そのために江戸を出ようとしているのだろう」
「確かに新選組は大切です。でも、俺にとって雪村先輩も大切な存在なんです!」
風間から発せられる圧しつけるような覇気にも、相馬は臆することなく立ち向かう。 彼の真っ直ぐな言葉と眼差しに、薫は思わず心を揺さぶられた。
自分以上に千鶴を大事に思う存在などない。そう確信していたが。 近藤といい、伊庭といい、この相馬といい、薫ですら認めてしまうほど、彼女への想いを真摯に伝えてくる人間がいるなんて。
千鶴と兄妹に戻る前の自分なら、殺意を覚えるほど嫉妬しただろう。 人間ごときが千鶴を知ったような口を利くな、と。
だが、今は少しだけ嬉しく思うのだ。 愛する妹は、周囲の人達にも大切に愛されているのだと。
だからこそ、綱道の行為が許せない。
『兄様』
千鶴が自分を呼ぶ声。 兄と呼びかけられる度に、幸せな気分になる。
『相馬君達に事情を話して欲しいの』
その願いに、苦笑が零れる。
「お前ならそう言うと思ったよ」
仕方ない。可愛い妹の願いなら、聞かないわけにはいかないだろう。
だからまずは。
「そこに座れ」
と命令する。
だいたいどいつもこいつも背が高いのだ。俺を上から見下ろすな。
〈次〉
17.2.20up
六話目です。
ようやく鬼姫千鶴ちゃん登場。子守は山南さん。
何でこうシリアスになりきれないのか・・・。
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