鬼姫は眠る 七





「つまり、先輩の意識が離れた身体の方は幼い頃の記憶しか持たないまま、綱道さんのもとにいるということですか」

薫や千姫から事情を聞いた相馬と野村は、そのあまりに現実離れした話に困惑を隠せなかった。
とはいえ、頭から否定する気になれないのは、姿は見えずとも確かに千鶴の存在を感じられるからだ。
何より、あの風間さえ薫達と同じように、相馬達に見えない“千鶴”と言葉を交わしている。彼がそんな悪ふざけをするような性格には到底見えない。

(南雲さんやお千さんの話はすべて事実ということか。だとしたら・・・)

「綱道さんの目的は何なのでしょう? 何故先輩にそんな真似を・・・?」

「変若水や羅刹の研究のために、千鶴ちゃんに流れる鬼の血を使うつもりなんだと思うわ」

鬼としての記憶を失くし、普通の人間の娘として育った上に、新選組と関わったことで変若水の危険性を知った千鶴では協力は望めない。
故に綱道は、封印されていた幼く不安定な“鬼姫”を目覚めさせ、己の意のままに操ろうとしている。それが彼らの出した結論らしい。

「けど綱道さんって、先輩の父親だろ? 親が子供にそんな非道なことできるのか?」

「綱道は千鶴の育ての親だが、俺達の実の父親じゃない。それに、千鶴の中に鬼姫を作り出したのもあいつだ」

「そう、なんですか」

「先輩って意外と複雑な生い立ちしてんだな」

「その綱道さんが、羅刹を率いて江戸に現れるかも知れないのか・・・」

現在、上野の寛永寺では将軍警護の名目で集まった彰義隊が武装を続けているという。
江戸城自体は幕府内の恭順派の働きで無血開城の運びとなったが、将軍が謹慎した後も徹底抗戦を叫ぶ者達は少なくない。
新政府軍は不穏の種である彰義隊を潰すため、上野に戒厳令を敷いて町を封鎖し始めている。理由は一つ、彰義隊との戦のためだ。
その戦に、羅刹隊を率いて雪村綱道が現れると考え、風間達は上野に向かおうとしている。

綱道のことは新選組も無関係ではない。新選組隊士として、何より千鶴の後輩としてこのままにはできない。
江戸を出る前に、千鶴のために何かできることはないだろうか。

すると、相馬の考えを見透かしたかのように、不知火が険しい眼差しを投げかけてきた。

「おいおい、まさか俺達と一緒に来るなんて言い出すんじゃねえだろうな」

「えっ?」

野村が驚きの声を上げて相馬を見る。
相馬は何も言わなかったが、決意に満ちた眼が彼の本心を雄弁に語っていた。

「おい、本気か相馬?」

「雪村先輩が元に戻れるよう、俺も手伝いたい」

「足手まといだ。貴様程度の腕では文字通り犬死にするだけだな」

容赦なく風間に一刀両断され、相馬の顔が歪む。
同程度の実力である野村も巻き添えとなり、ぐっさりと心を抉られた。

その言い方はどうかと思うけどよ、と言いつつも不知火も風間に同調するように続けた。

「お前らじゃ羅刹相手にまともに戦えねえだろうが。いいからさっさと江戸を出ることだけ考えてやがれ」

「しかし・・・っ」

「おいやめとけよ。千鶴はお前らを危険な目に遭わせるつもりで事情を明かしたんじゃないぞ」

「そうよ、千鶴ちゃん泣きそうになってるじゃないの」

薫とお千の言葉に決意が揺らぐ。確かに、千鶴なら強く反対するだろう。

「ですが、先輩の窮状を見て見ぬ振りはできません。それに羅刹に関しては新選組も無関係ではないんです」

相馬の頑なまでの生真面目さに、風間ですら呆気に取られた。
そもそもこちらの記憶が正しければ、彼は変若水や羅刹に関わった隊士ではない。
幹部隊士ならまだしも、何も知らずに巻き込まれてしまった彼らに責任を負わせる気はないのに、何故わざわざ自ら新選組の業を背負おうとするのか。

この様子では無視して置いて行っても、強引に上野までのこのこやって来そうだ。
別に人間一人どこで野垂れ死のうが構わないが、この男が死ぬと千鶴が悲しむ。

ふと、それまで黙したままだった天霧が口を開いた。

「羅刹が新選組の問題ならば、尚更君達は江戸を出るべきです」

「え?」

「もしも綱道が上野に来なかった場合、または我々が取り逃がした後、奴が次に血を求めて現れるのがどこか、わかりますか?」

「それは・・・、まさか・・・!」

顔色を変えた相馬に、天霧は重々しく頷いた。

「会津、です」

「「!!」」

人の血を欲する羅刹が目指すのは、大量の血を確実に得られる場所。つまり、戦場だ。

もしも羅刹が会津の戦に参加したら、旧幕府軍は酷く苦しめられるだろう。
いくら新選組幹部達の腕が立とうが、新政府軍と戦をしながら羅刹を相手取るのは、いくら何でも負担が大き過ぎる。
それに綱道が会津に向かった場合、共にいるはずの千鶴も戦に巻き込まれる。一刻も早く捜し出し、保護しなければ。

「雪村千鶴の現状については山南にも告げていません。君達は新選組と合流し、彼女のことを報告して頂きたいのです」

「天霧の言う通りね。千鶴ちゃんや新選組のためを思うなら、貴方達がすべきことは何?」

「・・・・・・わかりました」

しばらく逡巡したのち、相馬は苦渋の面持ちで頷いた。

「では我々はもう行く」

話は着いた、とばかりに風間が玄関に向かうと、天霧や不知火も続いた。

その背を見送る相馬や野村の胸中は複雑だった。
京にいた頃は強大な敵だった彼らに、千鶴や羅刹のことを任せることになるなんて。

しかし、江戸で自分達にできることは、もうないのだ。
上野で戦が始まれば、その隙に乗じて江戸を発って会津を目指す。
それが今の自分達がすべきことだと己に言い聞かせ、相馬は拳をきつく握り締めた。


『風間さん、天霧さん、不知火さん、どうかお気をつけて』

外まで見送りに出た千鶴は、三人に深く頭を下げた。

「姫さんも、あいつら無事に逃がす役目頑張れよ。ちと真面目過ぎるが、人間にしちゃあまともな奴らじゃねえか」

「己の力量も弁えられぬようなら長くは生きれまいがな」

「風間、貴方はいつも言葉が過ぎる」

天霧の苦言にフン、と鼻を鳴らし、風間は千鶴を見据えた。

「わかっているな? 綱道を見つけたら、我々は奴を殺す。我らが守る命はお前のみだ」

羅刹が人間を幾人殺したとしても、救うべき命はたった一つ。
その唯一のためならば、人間を見殺しにするし、紛い物は容赦なく屠る。
同族のよしみで綱道には弁明の機会を与えてやらぬでもないが、抵抗するなら殺す。

千鶴は風間の言葉を噛み締めるように頷いた。
鬼といえど、風間達はたった三人で戦場に向かうのだ。こちらから何かを要求するわけにはいかない。
千鶴が彼らに何かを願えるとしたら、それは。

『父様を、止めて下さい・・・』

これ以上羅刹の被害を増やされるくらいなら、あの日を最期の別れとしよう。
何故羅刹を作ったのか、新選組の羅刹を助ける術はないのか。訊きたいことはたくさんあるけれど、綱道が生きていることで多くの人が犠牲になるなら、すべての禍根を断つ方を優先すべきだ。

『雪村の者として、皆さんにお願い致します』

「風間家の頭領として、その願いを聞き届けよう」

「俺も、不知火の頭領として雪村の姫さんに手を貸すぜ」

「風間の意志に従いましょう」

応える三人の声の優しさに、涙が込み上げそうになった。

京にいた頃は恐ろしいと思っていた人達だが、鬼としての記憶を取り戻した今では彼らの行動の意味も少しはわかる気がする。

鬼は同族への情が深い。
強引にも思えた彼らの行いも、彼らなりの理由があったのだと。

何らためらいなく千鶴の願いを受け入れ、悠然と歩き去っていく後姿を見送るうちに、いつしか彼らを頼りに思う自分がいた。





■■■■■





月明かりも届かぬ深遠の闇の中。
鬱蒼と生い茂る木々の合間を、無数の赤い光が通り過ぎる。

飢えた獣のような呻り声を背に、先頭を進むのは剃髪が特徴の細身の男。
男の名は雪村綱道。白髪に赤い目の化け物、羅刹の集団を作り出した張本人である。

白河城を占拠した後少数の羅刹を城に残し、彼は部隊を率いて江戸を目指していた。
未だ一進一退を続ける東北の戦より、確実に多くの血が流れる戦が江戸で起きる。羅刹の“食事”にはうってつけだ。

(さて、そろそろ山南君は千鶴と会ったかな)

白河城に残してきた二人を思い、歪んだ笑みが浮かぶ。

白河口での戦の最中、偶然再会した懐かしいその男――山南敬助は、五年前、綱道の最初の変若水の実験場となった浪士組という組織で、共に薬の研究を手伝ってくれた一人だ。
もう一人と違って積極的ではなかったが、その冷静さと頭の回転の速さには何度も感心させられた。

彼は綱道が浪士組から去った後も変若水の研究を続け、自らも羅刹となってからも羅刹が生きる道を模索していた。

とても興味深い男だと思う。
三年以上羅刹として生きながら、狂うことなく理性を保ち続けていられている心の強さは、今まで見てきたどの羅刹も持ち得なかったものだ。
大抵のものは一年ともたずに血に狂うか、力を使い果たして灰となるのに。

彼の血と千鶴の血を掛け合わせてみるのはどうだろうか。
強い羅刹と純血の鬼の血なら、より強い羅刹を生み出せるかも知れない。
羅刹を救う術を探しているという彼なら、きっと喜んで協力してくれるに違いない。
彼もまた、変若水に魅入られた者なのだから。

そんなことを考えながら、綱道は夜道を急ぐ。

やることはたくさんある。まずはこの先に待つ血の饗宴に興じるとしよう。





■■■■■





上野の戦は、たった数刻の間に勝敗が決した。
新政府軍の新型の武器の前に、彰義隊はまったく相手にならなかった。
そして日が暮れた頃、山道は彰義隊の死体で埋もれ、血の海になったという噂が一夜にして江戸中に広まっていた。

上野の惨劇を知った相馬と野村は悔しさを抱えながらも、この機に乗じて江戸を出るために行動を起こした。
彼らが目指したのは、ここしばらくの調査で比較的警備が緩いと思われる関所の一つだ。

「先日までに比べれば手薄のようにも見えるが・・・」

「そうだな、今なら抜けられるかも」

建物の陰から関所の様子を窺っていると、どこからともなく薫が現れる。

「千鶴が向こうに回り込めそうな道があると言ってるぞ」

「本当ですか? じゃあ」

闇に紛れ、三人は駆け出した。

木々に身を隠しつつ、関所の脇の道なき道を進む。
明かりといえば関所に設置された松明の炎だけで、時折落ち葉に足を取られて転び掛ける。

不意に、関所の方がざわざわと騒がしくなった。

まさか気づかれたのか?
そんな緊張が走った時、関所を警備する新政府軍から声が上がった。

「お前は、確か不知火?」

「よう、邪魔するぜ」

聞こえてきた声に、相馬と野村は思わず顔を見合わせた。何故こんな所に不知火が?
すると、前を行く薫が小声で二人を叱る。

「さっさと来い。不知火が気を引いてくれてるんだよ」

「な、なるほど」

慌てて薫を追い、二人は早足で駆け抜けた。

関所を通り越してしばらく進んだ先で、ようやく息をつく。

「ここまで来ればいいだろ」

「そうですね、ありがとうございました、南雲さん、雪村先輩」

「ありがとーございました、って、おお!?」

先導してくれた薫に頭を下げた後、再び顔を上げた相馬達は、薫の隣にいつの間にか不知火が立っていることに気づいて思わず後ずさる。まったく気配がしなかった・・・。

「関所破りごくろーさん。ちょっと危なかったぞお前ら」

あれじゃ見つかりそうだったから思わず手ぇ貸しちまったぜ、と呆れた口調で言った後、不知火は苦々しい表情で言った。

「綱道を逃がしちまった」

「! では、会津に向かっているかもしれないんですね?」

「風間と天霧とお前がいて駄目だったのか」

「羅刹の数が多過ぎたんだよ。あのじじい、馬鹿みてえにあんなもん量産しやがって・・・」

「そんなに量産されてんのかよ・・・」

たった一人でも厄介な羅刹が、風間達ですら梃子摺るほどの数がいるとなると、新選組の手にも負えない恐れがある。
相馬と野村の背に、嫌な汗が伝った。
自分達が会津で相手にするのは、新政府軍だけではなさそうだ。

「上野に来た奴らはかなり減らしたんだがな、それでも全滅させられたわけじゃねえ。綱道の野郎は分が悪いと見るや、さっさと逃げやがった」

悪いな、姫さん、と不知火は相馬達の目には見えない少女に話しかける。
薫のすぐ隣に立つ千鶴は、ふるふると首を振って不知火を労った。

『ご無事で良かったです』

「・・・・・・」

『不知火さん?』

険しい表情で黙り込む不知火に、千鶴が不安げな視線を送る。

「新選組に、原田って奴がいるだろ?」

『え?』

「原田さんがどうかしたんですか?」

不知火は一瞬だけ躊躇い、囁くように小さな声を落とした。

「死んだよ。上野で羅刹と戦ってな」

「原田さんが、亡くなった・・・?」

『そんな・・・!』

突然の報せに千鶴や相馬達に動揺が走る。
事情を飲み込めない三人に、不知火はぽつぽつと上野での出来事を語った。

どういう経緯か、原田左之助は彰義隊と行動を共にしていたらしく、周囲を探っていた不知火を偶然見つけて声を掛けられたという。
ここで原田と戦闘になるのも面倒だと判断した不知火が事情を明かすと、彼は共に羅刹と戦うと言い出した。
相馬に対するように「足手まといだからやめとけ」という断りの文句は使えず、無理矢理くっ付いてきた彼と結局共闘することになったのだが、羅刹の数はあまりにも多過ぎた。
正直、不知火ですら一人だったら危なかったかも知れないと思う状況が何度もあった。
その度に原田の振るう槍が彼を救い、また不知火も何度も原田を助けていたのだが――。

「鬼と比べれば、人間なんて弱っちぃもんだよな・・・」

傷を負ってもすぐに治る自分達と違い、人間は深い傷をいくつも負えば、どんなに強靭な身体の持ち主でもやがて死に至る怪我となる。
ただの人間の身で、無数の羅刹を相手に戦うのは、やはり無謀に過ぎた。
不知火と共に凄絶に戦い抜いた原田は、その場の羅刹をすべて片付けたと同時に糸が切れたように倒れ込んだのだ。

「原田さんが・・・」

「何てこった」

重苦しい空気が相馬達を取り囲む。
近藤の斬首から始まって、土方達に知らせなければならない辛い報告がいくつも増えていく。

「上野に千鶴はいたのか?」

「いや、いなかった。風間や天霧の旦那も見てないらしい」

「そうか」

残念なような、ほっとしたような複雑な気分だ。
千鶴を保護できなかったのは残念だが、彼女が上野の惨劇を見ずに済んだのは良かったと思う。

「風間と天霧の旦那はしばらく江戸の周辺で紛い物共を狩るらしい。その後で会津に向かうってよ」

彼らでさえ取り逃がしたというなら、相当の数の羅刹がいたということだ。
風間達の手で多くが始末されたというが、これからまた増えるのは間違いない。
そして、今後綱道と羅刹が現れるのは――。

「俺達も会津に行かなきゃならないみたいだな」

『うん』

薫の言葉に、千鶴も強く頷く。
できれば千鶴を戦場を連れまわすような事態は避けたいが、そうも言ってられないかも知れない。
悔しげに顔を歪める薫の肩を、不知火の手がぽんと叩く。

「会津までの道中は俺もついててやるよ。こいつら紛い物相手に渡り合える腕前じゃねえし、南雲一人じゃ手に余るだろ」

「「・・・・・・」」

こいつら、とは自分達のことかと相馬も野村もすぐに理解した。
事実だが、こうもはっきり言われるとぐさっとくる。

だが確かに彼らの助力は非常にありがたい。
上野から逃れた羅刹が彷徨っているかも知れない道中を、無事に会津に辿り着けるか解らないのだから。

不知火はもちろんのこと、一見女性的で華奢な見た目の薫が意外と高い身体能力を備えていることは、しばらく共に行動していて何となく窺い知れた。
そんな二人の助けがあれば、きっと新選組のもとに戻れるはずだ。

(雪村先輩のお陰だな)

姿の見えない彼女を捜し、視線を巡らせる。

会津に綱道がいるのなら、千鶴の身体もあるはずだ。
彼女が早く元に戻れるよう、自分にできることがあれば何でもしようと、改めて誓う。



〈次〉

17.3.10up

七話目です。
原田さんの死は風間さん√参照。
江戸を発ち、一路会津へ――と見せかけて・・・・。



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