鬼姫は眠る 十





夏になると、新政府軍と旧幕府軍の戦の舞台は東北に移った。
特に戦渦が激しい会津では各地で争いが繰り広げられ、新選組も会津兵と共に戦い続けていたが、戦況は徐々に新政府側に傾きつつある。

そして会津藩から何度目かの白河城奪回の出陣要請が下った頃、本隊とは別行動を取っていた相馬と野村が、ようやく新選組に合流した。


「それ、本当なのかよ」

相馬達が齎した報告に、藤堂平助は顔色を失った。

数ヶ月振りに再会した二人の後輩は、互いの無事を喜ぶ間も惜しいとばかりに江戸での出来事を語った。
二人から聞かされた話は、どれも信じられないようなものばかりだ。

近藤勇の斬首、原田左之助の戦死、そして雪村千鶴にまつわる鬼達の動向。
特に三つめに関しては現在進行形であり、千鶴の現状に関してはどうにも信じ難い。
しかし、相馬や野村がそんな性質の悪い冗談を言うような人間ではないことは、平助にもよくわかっている。

現に、相馬も野村も報告の間、何度も言葉に詰まっていた。
彼らも江戸で経験したことが荒唐無稽なものだと、よく解っているのだろう。
どう説明すれば正確に伝えられるか試行錯誤する様は、とても嘘を吐いているようには見えない。

(じゃあ本当に千鶴の意識と身体が離れちまってるってことか?)

千鶴の窮状に居ても立ってもいられないが、果たして自分達に何ができるのか。
土方や山南の策略も、自分や斎藤の剣の腕も役に立ちそうにない異常な状況では、対処の仕様がない。

共に報告を聞いた斎藤は、しばらくの沈黙ののち、二人に問い掛けた。

「あんた達を送り届けた鬼はどうしたのだ?」

「不知火さんでしたら、おそらく先輩を捜しに向かったのだと思われます」

鬼達は千鶴を助けるために行動している。そのついでに相馬達を護衛してくれたのだ。
ここまで同行してくれた不知火は、新選組と合流する前にいつの間にか姿を消していた。
きっと今頃は風間達と共に千鶴を捜していることだろう。

「千鶴は、たぶん白河城にいると思うぜ」

「え、そうなのですか?」

「山南さんが戦の最中に綱道さんと千鶴を見たって言って、今白河城に潜入してるんだ。あれから何日も経つのに、未だに戻って来ないってことは・・・」

南雲薫とやらの話を信じるなら、綱道と共にいるという千鶴は普通の状態ではないということ。
山南といえど迂闊に動けないのかも知れない。

「一君、俺白河城に行ってみるよ」

「ああ、頼む」

斎藤が頷くと同時に駆け出した平助は、あっという間に見えなくなった。
彼が消えた先を見据えたまま、斎藤は表情を険しくする。

「我々は間もなく白河城を攻める。雪村綱道が羅刹を量産する前に、奴を捕らえねばなるまい」

「そうですね・・・」

これ以上、変若水による被害者を増やさないために。
そして戦に巻き込まれる前に、千鶴を助け出す。
その想いは誰もが強く抱いていた。





■■■■■





全身に走る激痛に、千鶴は身体を小さく丸めて耐えていた。
身体の内側も外側も、至るところが痛い。呼吸すらも苦痛だ。

(いたい、いたいよ・・・)

きつく閉じた目から涙が溢れ、頬を伝う。
それを、そっと拭ってくれる優しい指を感じて目を開けると、心配そうに覗き込む男の人が見えた。
暗くて怖い城の中で、唯一人優しくしてくれる人だ。

「苦しいのですか?」

返事もままならず、再び目を閉じて痛みに耐える。
丸めた背中を、その人の手が優しく撫でながら、普段千鶴に向けるのとは比べ物にならない険しさを帯びた声を発した。

「綱道さん、これはいったいどういうことです?」

「身体が変若水を拒んでいるのだよ。君達も多少は拒否反応を起こしただろう? 千鶴は鬼だから、反発が強いのだろうね」

「苦痛を和らげてあげられる方法はないのですか?」

会話の意味はわからないけれど、優しい男の人と怖いおじさんが自分のことを話しているのは解る。
自分の身に何が起きているのか、何故二人が言い争っているのか。
何もわからず、痛みが襲い来る度に身体の内側から得体の知れない怖いものが溢れて、自分が自分でなくなるような不気味な感覚が、痛みの辛さよりも恐ろしいと感じる。

(たすけて、兄さま・・・!)

いつだって千鶴を守ってくれる存在を、強く想う。
当たり前のように傍にいてくれたのに、どうしてここに居ないのだろう。

彼が傍に居ないことが、不安で堪らない。
真っ黒な何かに、暗い闇の中へと引きずり込まれそうだ。

しっかりと繋いでいたはずの手は、いつ離れてしまったのだろうか――。





疲れ果て、気絶するように意識をなくした千鶴の寝顔を、山南はやりきれない面持ちで見つめていた。
結局、眠ることでしか彼女を苦痛から逃がしてやることができなかった。

変若水への拒否反応。
それは山南自身も薬を飲んだ直後に経験した。
自分や平助は数日でその苦痛から解放されたが、千鶴は今でも苦しんでいるのだ。

これまで山南の前で苦しむ姿を見せなかったのは、幼いなりに心配を掛けないようにと思っていたのだろう。
他人に気を遣って自分のことをおろそかにするのは、昔も変わらないらしい。
今日、姿が見えない千鶴が気になって捜しに来なければ、この事実を知らないままだった。

しかし、綱道は千鶴が拒否反応に苦しんでいるのを知っていた。
知っていながら、ただ黙ってそれを眺めていた。

(彼には、雪村君への情がまったくないのか?)

苦しむ千鶴を前にしても淡々としていた彼の様子を思い出すと、苦いものが込み上げる。
誰よりも変若水の危険性を熟知する男。
こんなことで心を痛めるようなら、そもそも娘に変若水を飲ませるわけがないのだ。

鬱々とした気分を少しでも晴らしたくて部屋の障子戸を開ければ、夜の涼しげな風が吹き込んだ。
京にいた頃は、夜風でさえねっとりとまとわりつくような不快さを感じたが、ここは気持ちの良い風が吹く。

その風に乗って、何かの気配がした。

瞬時に抜き放った刀が空を裂く。
直後、手元に感じた衝撃に山南は目を見開いた。

剥き出しの刃は、信じ難いことに“素手”に受け止められていた。
そして、視線の先には思いがけない人物。いや、彼は“人”ではなかったか。

「天霧、九寿?」

人間離れした業を見せ付けてくれた男の名を、茫然と呟いた。





■■■■■





ぽろぽろと、小さな欠片が零れ落ちていく。
これ以上崩れないように両手に抱きしめても、次々に奔る亀裂をもはや止める術が無い。

(どうすればいい? どうすれば壊れるのを止められる?)

欠片を拾い集めようにも、粉々になってしまったそれを掴むことができない。

(このままじゃ壊れる――!)

焦りばかりが募り、彼は声の限りに叫んだ。

千鶴を助けて、と。

その声に応えてくれたのは唯一人。しかし千鶴を壊したのもまた、その男だ。
けれど彼にはもう頼れるものが何も無かった。

『これを使ってみよう』

そう言って差し出されたのは、小さな木箱だった。
壊れかけた“千鶴”を中に入れて蓋を閉じ、厳重に錠を掛けると、ようやく亀裂の音はしなくなった。

(これで、いいんだ)

木箱の中に仕舞い込まれたのは、彼にとっても大切なものだけれど、このままただ消えるくらいなら隠した方がまだマシだ。
少なくとも、一番大事なものは守れた。
だから、これでいいのだと自分に言い聞かせる。

『あなたはだあれ?』

無邪気に問う少女の中から、自分という存在が消えてしまっても。

(俺は、千鶴を守らなきゃいけないんだ)

己の心が上げる悲鳴を懸命に押し込んで、薫は愛する妹の前から去った。



ふと目を覚ますと、隣に横たわる半透明の娘がこちらを見つめていた。
さっきまで夢に見ていた彼女よりも大人びた姿に一瞬戸惑うも、すぐにこれは“現実”なのだと思い至る。

「起きてたのか」

未だ夜が明けきらぬ闇に、ほんのりと光を纏う千鶴の姿は幻想的ともいえる。
魂が自分の中に同化している感覚がなければ、今にも消えてしまうのではないかと不安になるくらいだ。

『怖い夢、見てた?』

心配に彩られた表情。魘されていたのか、それとも何か寝言を口にしたのか。
もしくは薫が抱える内心の痛みを、同化したことによって千鶴も感じ取ったのかも知れない。

「昔の夢だよ」

真っ直ぐにこちらを見てくれる目が、虚ろに染まっていた頃の。
ぼろぼろに壊れそうな心を抱えた幼い千鶴は、今どうしているだろう。

ふわりと白く透ける手が頬に触れた。

『大丈夫? 私のためにここまで来てくれたけど、兄様も辛いよね。なのに私、何もできなくてごめんね・・・』

今の千鶴は依り代となってくれた薫がいなければ何も出来ないどころか、彼の生気を分けてもらえないと存在すら維持できない。
薫に掛かる負担はかなりのものだろう。

しかし薫は気にするな、と笑う。

「お前を元に戻すためなら何でもする。ただ・・・」

千鶴と同じように、彼女の頬に手を添えた。
微かに感じられる感触はとても儚くて、慎重に触れなければすぐに擦り抜けてしまう。
今の千鶴はとても脆い。あの頃と同じように。

「あの頃、お前の心は壊れる寸前だった。その時の記憶をお前が思い出したらと考えると、不安になるんだ」

記憶を失くしたことで、彼女は何も辛い思いをすることなく成長してこれた。
それでも潜在的にあの小箱への恐怖は抱えていた。
すべてを思い出し、“鬼姫”を自分の中に取り込んだ後、果たして千鶴は千鶴のままでいられるのか。

『兄様、私・・・』

千鶴が何か言いかけた時、不意に衣擦れの音がした。
少し離れた処で木の幹に背を預けて眠っていた風間が、突然立ち上がったのだ。

理由はすぐに解った。
暗闇の中から音も無く、天霧と不知火が現れたから。

「よう、風間と南雲の当主がこんな所で野宿か?」

『不知火さん、相馬君達は無事に新選組と合流できたんですね?』

「ああ、ちゃんと戻してやったぜ。ただ新選組や会津藩は、白河城奪還のために間もなく出陣するらしい」

「では一刻の猶予もないな。天霧、白河城の様子はどうだったのだ」

「雪村綱道と雪村千鶴の姿を確認しました。そして雪村千鶴はやはり実験に使われているようですね」

その言葉に風間は不快げに眉を顰め、不知火も苛立ちを露にするように舌打ちした。

「あいつ・・・っ!」

怒りを燃え立たせる薫の隣で、千鶴は目を伏せた。
やはり、と諦めにも似た気持ちが過ぎる。もう、綱道は優しかった父ではないのだ。

「彼女の傍には山南が付いていますから、戦に巻き込まれて怪我をすることはないでしょうが、周囲で大量の血が流された時どうなるかは解りません」

純血の鬼が変若水を飲んだ例はない。薬の毒が鬼の身体にどんな影響を及ぼすのかは、まったくの未知だ。
しかし山南が傍に居る、という言葉に千鶴はいくらか安堵した。
例え血に狂ったとしても、彼ならきっと上手く対処してくれるはずだ。

「あの愚か者は、どこまで雪村の名を穢す気だ」

風間の声音には本物の怒りが滲んでいた。
彼が雪村一族のために感情を露にする様に、千鶴は不思議な心持ちになった。

『風間さんは、雪村家のことをどう思ってらっしゃるんですか?』

わざわざ山奥まで里を訪ねようと思ってくれたということは、悪い感情は抱いていないのだろう。
同族への思い入れが強いのは自分への執着からも見て取れる。
しかしそうやって全力で同族を守ろうとする彼の目には、滅びた一族はどんな風に映っているのだろうか。

真意を測るかのように千鶴を見つめた後、風間は静かに言葉を紡いだ。

「雪村家は命を懸けて鬼の誇りを守り抜き、その結果、滅びた」

ぐっと、薫はきつく拳を握り締めた。

「彼らは我々に身を以って示した。例え鬼の側に敵対する意思がなくとも、人間共は脅威と見れば容赦なく攻め入ってくると」

『え?』

「薩長が【錦の御旗】を掲げた時点で、我らの役目は終わった。今までは協力関係にあったが、西の鬼もいずれ脅威と見なされ、雪村と同じ運命を辿るだろう。そうなる前に姿を消さねばなるまい」

利害が一致している間は良い。だが新政府軍が旧幕府軍を討伐し終えた後、次に矛先が向かうのは鬼の一族だ。
鳥羽伏見の戦の前後から、風間達が手を引きつつあるのを彼らは察しているはず。
協力を望めないと解れば排除する。それが人間のやり方だと、雪村一族が教えてくれた。

「此度里を訪ねたのは、謝意を示すためでもある。彼らが遺した教訓を無駄にはしないと」

二度と悲劇を繰り返さないために、西の鬼達は隠れる準備を進めてきた。
戦が終わった後、人間達が鬼の里を攻めようとしても、そこに鬼はいないだろう。
そうして鬼達は人間と関わらず生きていく。

「お前達はどうするつもりだ」

不意に問われ、千鶴は目を瞬いた。

「お前達二人は純血の鬼だ。人間の世では生き辛いだろう。鬼は鬼と共に在るべきだ」

声音にも言葉にも、以前新選組の屯所に押し入った時のような強引さはない。
だが、あの頃よりも強く千鶴に選択を迫っていた。“鬼として生きる”ことを。

「よく考えておけ。元の身体に戻った後、どうしたいのか。己のいるべき場所がどこなのか」

その言葉を最後に話を終わらせ、風間は天霧や不知火と何やら話し合いを始めた。


元に戻った後、どうしたいのか。
風間の問いは、不思議なほど深く心の中に染み込んできた。

(私の、いるべき場所・・・)

薫に視線を向けると、彼もまた千鶴をじっと見つめていた。





■■■■■





「まさか鬼と協力し合うことになるなんてな」

白河城の一室で胡坐をかき、平助はしみじみと呟いた。
部屋にいるのが見慣れた顔ぶれとはいえ、敵地で堂々とくつろぐ様子に山南は苦笑を浮かべた。

相馬達からの報告を山南に報せるために城に忍び込み、敵に出くわすことなく山南のもとまで辿り着けたまでは良かったが、そこには目的の人物以外に意外過ぎる男がいた。
それが、天霧九寿という鬼である。

この部屋に入った平助が目にしたのは、向かい合って茶を啜る山南と天霧、そして山南のそばで丸くなって眠っている千鶴という光景だった。

あの時、思わず叫び声を上げなかった自分を褒めてやりたい。
というより、頭が真っ白になって声を発することもできない状況ではあったが。

「複雑ですか?」

「そりゃまあ、あの天霧とは因縁あるし・・・」

言いながら平助は額に手をやった。
今はもう痕跡すらないが、以前天霧には池田屋で出くわした時に額を割られたことがある。
あの時の衝撃と悔しさは、忘れようにも忘れられない。

その後も鬼達は何度も新選組の行く手を阻み、あるいは千鶴を狙って襲撃を仕掛け、散々こちらを翻弄してくれた。
“鬼”と名乗るだけあって、その実力は桁外れだ。
人間を超えた身体能力を持つ羅刹ですら、彼らに歯が立たなかった。

そんな強大な敵だった彼らが、今回はこちら側に付いてくれるという。
正確には彼らはあくまでも千鶴の味方なのだが、綱道の新型羅刹を相手に戦うことを考えれば鬼達の助力は有難い。
彼らなら必ず千鶴を守ってくれる。

「それにしても、意識が身体から離れているとは。通りで何も覚えていないわけですね」

千鶴の寝顔を見下ろしながら山南は納得したように頷く。
平助の報告の前に天霧から事情を聞いていた山南は、相馬達からの報告もすんなりと受け入れていた。
“今の千鶴”の魂が身体から離れているなら、身体に残った意識に記憶がないのも納得できる。

問題は、この幼い千鶴の心がとても脆いということだ。
共に過ごしていた間に、山南も彼女の危うさには気付いていた。
彼女を無事に逃がすには、まず幼い千鶴が最も信頼を寄せる“兄”、南雲薫を待たなければならない。

(南雲君には、彼女が吸血の衝動を起こす前に来て頂きたいものですが)

果たして、間に合うのだろうか。

「ん・・・」

くぐもった声を漏らし、千鶴が身じろいだ。

「あ、起きたみたいだな」

平助が覗き込むと、千鶴は目を丸くした。
彼女にとっては見知らぬ顔に覗き込まれているのだから無理は無い。

「・・・・・・だれですか?」

「俺は平助。藤堂平助って言うんだ」

「とーどーへーすけおにーちゃん?」

「あ、ああ・・・」

何だか物凄く間抜けな発音をされた。
思わず微妙な顔になる平助の隣で、何故か暗雲が立ち込めてきた。

「おにーちゃん・・・。おにーちゃん、ですか」

「山南さん?」

いつになく低い声に振り返り、後悔する。

(すっげー黒い笑顔になってる!?)

「いいですね、藤堂君は。実際はいい歳だというのに五歳の女の子におにーちゃんと呼んで頂けるほど子供染みて、いえ若く見られるなんて。歳相応の落ち着きのなさが成せる業ということでしょうか。まったく羨ましいとは思いませんがね、ええまったく」

「な、何でいきなり不機嫌なんだ!?」

むしろ思いっきり馬鹿にされて、怒っていいのは俺の方だよな?
そう思いつつも、山南に面と向かって抗議する勇気はない。

(ていうか、いい歳って俺まだ二十半ばなんだけど)

いったい何が山南の逆鱗に触れてしまったのかは解らないが、下手に逆らわない方が良さそうだ。
そんな平助の心情を知ってか知らずか、山南はにこやかに千鶴に言った。

「へーすけおにーちゃんなんて言い難いでしょう? 略してへーちゃんと呼んで差し上げてはどうです?」

「へーちゃん」

「頼むからやめてくれお願いします」

自尊心をかなぐり捨て、平助は畳に額を擦り付けて懇願した。



〈次〉

17.5.20up

十話目です。
山南さんの心の傷は深いのです。



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