桜月夜 〜誓い 一〜





はらはらと、薄紅の小さな花びらが風に舞う。

雪のように降り落ちてくる花びらは大地を薄らとその色に染め、風に煽られれば一斉に舞い上がる。
風に遊ばれてひらひらと舞い踊る様は、無邪気に戯れる子供のよう。

また一つ、舞い落ちた花びらは土の地面ではなく、大地にひっそりと佇む大きな石の上で留まった。
苔むした石は長い年月を感じさせつつも、大切に扱われていることが周囲の景観の美しさからも感じられる。

そんな風景の中にいつの間にか溶け込むように現れた長身の人影があった。
ゆっくりと石の前に立ったその人物は、表面に流れるような筆跡で刻まれた文字を見つめ、スッと紅玉の眼を眇めた。





■■■■■





春の陽気が心地良い四月初旬。
深緑の山々にも白やピンクの彩りが交じる季節。

まだ風は冷たいが、ようやく春の気配を感じられるようになった東北の山深い地を目指し、歳三達は早朝から数時間掛けて目的地に向かっていた。

すでにアスファルトで舗装されていた道は遥か遠く、でこぼことした砂利道を砂煙を上げて走る二台の乗用車。
前を走る車は歳三が運転し、助手席に一、後部座席に左之助と新八が乗っている。
後ろを走る車は敬助が運転し、助手席に総司、後部座席には平助が座る。
乗り物に弱い者には拷問でしかない悪路が続き、乗り物に弱くなくともいい加減皆の表情にも疲れが滲む。

「フロントガラスが割れたらどうしてくれましょうかね」

充分に車間距離を取っても尚、時折前方から飛んでくる小さな石が車体に当たる音を耳にしながら、敬助は引き攣った笑みを浮かべて低く呟いた。
後部座席の平助はその声にサーッと顔色を青くしたが、助手席の総司はケラケラと笑いながら言葉を返す。

「歳三さんに新車を買ってもらったらどうですか〜」

「総司君、この車は僕が初めて買った大切な車なんです。まだ数年しか乗っていないのに廃車になどできますか!」

「落ち着いてくれって! 歳兄だってわざとじゃないんだし、その時は俺達で修理代払うからさあ」

走行する車のタイヤに弾かれて飛ぶ小石など、意図して抑えられるはずもない。
解ってはいても愛車に次々ぶつかる音に、冷静な敬助でも苛立ちが隠せなかった。
車を降りた時、愛車の傷を確かめるのが怖い。



しばらく砂利道を走りながら山奥へと進むと、やがて乗用車数台が駐車できるほどの平地に辿り着く。

車を停めて降りると、その先は車では進めない山道が続いているのが見えた。
入り口には『私有地』とだけ書かれた看板が立ち、石を積み上げた階段が山の上へと目指している。


「この先か。行くぞ」

歳三の言葉に従い、七人は山道へと入って行った。


山道を登りきった先で、まず真っ先に眼に映ったのは広い敷地の中央に堂々と立つ大きな枝垂れ桜の樹だった。
美しく整えられた日本庭園のような土地に色とりどりの花が咲き誇る中、一際目立つ枝垂れ桜の枝は薄紅の化粧を纏い、大地を包み込むように広く伸びる。
山奥の一角にひっそりと広がる景観に、歳三達は感嘆せざるを得なかった。

「爺さん達、いい仕事してるよなあ」

思わず新八が呟いた言葉は全員の心情でもあった。

歳三達が現代に生まれ育った家は江戸時代初期   正確には戦国時代より続く旧家だ。
そして彼らがこの日訪れた地は明治の頃に当時の一族当主が手に入れ、代々受け継がれてきた“東雲家”の私有地である。
大切に管理して美しい庭園となったものの、ここの存在は一族以外の者は誰も知らない。

管理するのも、東雲を始めとした各家の当主と次期当主に限られるため、跡取りの総司や、彼の補佐役となる歳三や敬助すら、まだ若いということでこの場所のことはずっと知らされていなかった。

“記憶”を取り戻した後、何度もこの地について尋ねていたのだが、現在一族を取り仕切っている者達から“まだ早いわ小童共”とあしらわれてきた。
彼らに厳しい祖父や曽祖父は取り付くしまもなかったが、祖母や曾祖母は幸いにも彼らに甘かった。
当初は困ったように笑いながらもはぐらかされて教えてもらえなかったが、根気良く何年も説得を続けた結果、根負けしてくれたのだ。


ようやく訪れることのできた地。
歳三達は誰が言い出すでもなく、自然と枝垂れ桜の方へと向かっていた。
すると庭園の中にただ一軒だけ建つ茶室の傍に設けられた猪おどしの音が耳に届くまで進んだ時、枝垂れ桜の傍に立つ人影に気付く。

素早く目配せし、この数年ですっかり手に馴染んだ木刀をいつでも抜けるよう構えながら慎重に歩を進める。

桜の樹の傍の大きな石の前に佇む長身の影。
近づいてくる気配に気付いたのか、ゆっくりと振り向いたその人物に歳三達の動きが止まる。

「お前は・・・っ」

「ほう、あの時の仔犬達か」

せせら笑うような口調で怜悧な瞳を細める男。
忘れようにも決して忘れられない相手だ。

「風間千景・・・何故お前がここにいる」

殺気を滲ませた低い声音で問う歳三に、風間は意外そうに眉を上げた後ニヤリと笑む。

「どうやら少しは力を付けたようだな。昔を思い出したのも本当らしい」

「お陰様で。七年前とは違うよ」

不敵な笑みを返し、総司がスラリと刀を抜く。
続いて一、平助、新八も刀の鯉口を切るが、風間は意に介した様子も見せずに言った。

「七年、か。千鶴がお前達と離れた年月もそれくらいになる」

「・・・っ!!」

思いがけない言葉に息を呑む歳三達に、独り言のような風間の言葉が続く。

「我ら鬼の時間では僅か十年にも満たぬ年月の間、人の世は随分と変わった。だが、人の愚かさはいつの世も変わらん。相も変わらず紛い物共を作り続けているようだな」

「それは・・・」

彼らの脳裏を過ぎるのは、三年前に捕らえることのできなかった男。
羅刹の研究をしていた施設を潰し、彼の親族も逮捕されたものの、彼だけは今尚行方を眩ませたままだ。
“前”も“今”も異常なまでに羅刹に固執していた男が、どこかで今も研究を続けている可能性は否定できない。

そして“彼”が携わっているかどうかは解らずとも、今尚羅刹が出没しているのも事実であった。

悔しげに歯噛みする歳三達の後ろから、敬助が風間の方へと足を進める。

「羅刹に関してはこちらも手を尽くしています。それで、貴方は何をしにここに来たのでしょう? ここは私有地ですよ」

「それがどうした。ここは雪村の鬼の里があった地だ。俺は同胞を弔いに訪れただけのこと」

以前訪れた時より随分様変わりしているがな、と楽しげに続けた風間の手には酒瓶が下げられている。そして石の前には酒を流したと見られる水溜り。

彼の傍に佇む石碑には“雪村の里”と刻まれていた。

江戸時代末期、確かにここに一つの集落があったという証。
それは、彼らにとって大切な少女が幼少の頃を過ごした地でもある。


「千鶴は・・・今どうしているんだ?」

苦しげな声に、風間の視線が声の主である左之助に向けられた。

「京の古き鬼や南雲の鬼とともに静かに暮らしている。そろそろ俺の子を生んでもらいたいものだ」

「お前、まだ千鶴のこと狙ってるのかよ!」

風間の言葉に激昂する面々の中、真っ先に声を張り上げたのは平助だ。
続いて新八が刀を抜き、切っ先を突きつける。

「七年経っても千鶴ちゃんはあんたを受け入れてないってことだろ? あの子が嫌がることを認めるわけにはいかねえな」

「この俺と張り合うつもりか」

「必要とあれば、容赦はせぬ」

底冷えするような声とともに、深く腰を落とした一が居合いの構えを取る。
容赦ない殺気を浴びながらも、風間は悠然と構えたまま腰に差す刀に手をやろうとはしない。

「この地で血を流す気はない」

ただ一言紡がれた言葉に、彼らの殺気が霧散する。

確かに、ここを血で穢すのは躊躇われる。
警戒は解かないものの、総司と新八は静かに刃を鞘に戻した。

「俺の用件は済んだ。お前達とはいずれまた会うことになるだろう」

そう言い捨て、風間は歳三達から視線を外し、泰然とした足取りで歩み去ろうとする。
その背を追うように、歳三が呼び掛けた。

「おい風間!」

「まだ何か用か」

視線だけを向ける風間に、歳三は険しい表情のまま不承不承といった面持ちで告げる。

「あいつを守ってくれたことだけは感謝している」

「貴様らは己が交わした誓いも守れなかったな」

嘲りを含んだ言葉は歳三達の痛いところを正確に突いた。
反論の術も持たず、苦しげに眉を寄せる彼らに背を向け、風間は二度と振り返ることなく立ち去った。



風間が去った後、張り詰めていた空気が弛緩するや、不穏な気配に身を潜めていた鳥達の歌声が聞こえてくる。

石碑の前に立った七人は、まずはこの地で命を落とした雪村の一族に黙祷を捧げる。

“雪村の里”と刻まれた石の裏には、さらに文字が刻まれていた。
それは、彼らが繰り返し言い聞かせられてきた昔話だ。



血を守り、力を受け継ぎ、永き時を我らは待ち続ける。

いつか、雪村家の双子鬼が戻られるその時を。


そして、次こそ命懸けて尽くし守り抜く   それが我らが悲願。



最後の一文の後、この石碑を建てた当時の東雲家当主の名で締められていた。


幕末の鬼の誓い   そして彼らの中に刻み付けられた武士としての誓い。
その先にあるのは唯一人、大切な少女の存在だけ。


「千鶴・・・」

愛しい名を呼ぶ声は、吹き抜ける風の中に消えた。





■■■■■





冬が終わりに近づきつつある三月。
春の訪れにはまだ遠く、桜もまだ固い蕾の頃。

石碑に薄らと積もるのは花びらではなく、さらさらとした粉雪だ。
白く染まった庭園に、一人の男が訪れていた。

年の頃は三十代から四十代辺りだろうか。
感情を移さない眼はどこか老成した雰囲気を醸し出す。

だが、その手が雪を払おうと石碑に触れた時、虚ろにも見えた男の眼に懐かしげな光が宿った。


ただ無言で庭園を歩き、やがて静かにその場を後にする。

小道を下りると、駐車していた車から若い男が彼に向かって歩み寄ってきた。

「用は終わりましたか?」

「ええ、お待たせ致しました」

抑揚のない口調で答えた男から、一切の感情は窺えない。

「いったい何の用だったんです? この先は私有地でしょう?」

「いえ、ただ懐かしかったもので。行きましょう」

これ以上話すつもりはない、とばかりに車に向かう男の背を若い男が慌てて追いかけてくる。

何の感情も見せず、話す言葉は最小限。世間話など滅多にしない。
決して付き合いやすい相手ではないが、男は彼に常に付き纏う。
この男の存在は、自分にとって何よりも重要なものなのだから。

「では行きましょうか、雪村さん」

乗り込んだ車のエンジンを掛け、新見錦は運転に集中する。

助手席に座り、無言のまま流れる景色を眺めながら、雪村網道は静かに眼を綴じた。



〈次〉

12.4.10up

風間さん再び&網道さん登場です。
千鶴ちゃんとの再会までに一波乱ありそうな気配・・・(?)



ブラウザのバックでお戻り下さい