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桜月夜 〜誓い 五〜
現世で人間として生まれ変わった雪村網道は、最初から前世の記憶を持っていたわけではなかった。
それでも、成長した彼は必然的に医学の道に進み、留学した先で導かれるように“変若水”と出会う。
“エリクサー”と呼ばれていたそれの存在を知った時、胸の奥からどろどろとした感情が沸き上がった。
関わりを持てば後には引けない。そんな強い確信があったが、網道は迷わずそれを手に取った。
やがて、“エリクサー”と深く関わるほどに徐々に思い出してゆく、覚えのない過去。
自分が二人いるような感覚に、気が狂いそうになった。
そんな彼を正気に留めていたのは、一人の少女の記憶だ。
“父様”
自分をそう呼びながら無邪気な笑みを見せてくれる、可愛い娘。
この娘の幸せを守ることが、己の役目なのだと思わせてくれる。
記憶の中でしか会えない少女への愛しさが、記憶の中で狂っていく自分に引きずられそうになるのを繋ぎ止めてくれていた。
そんな愛しい娘がありながら、何故もう一人の自分は狂ってしまったのだろうか。
覚えのない記憶の波にも慣れてきた頃、網道は冷静にもう一つの過去を振り返ってみた。
結果、行き着くのはやはりその“娘”への想いだった。
娘の大切なものを奪った者達への怒りと憎しみ。
娘の大切なものを取り戻すための力。
それらを追い求めた先に、“変若水”があった。
復讐を誓ってその力を求め続け、次第に愛しい娘の笑顔を思い出せなくなったことにも気付かず、気が付いた時には娘は泣きそうな表情で彼の前に現れた。
その時彼女を守っていたのは、変若水によって作り出された“羅刹”など比べ物にならない強大な力を持つ“鬼”だ。
圧倒的な力で、これまで彼が苦心して育ててきた羅刹を捻じ伏せた鬼の白刃に斬り伏せられた時、最後に見たのは懸命に涙を堪える娘の顔だった。
(私はいったい何をしていたのだろう・・・)
それが、彼が最期に思った言葉だった。
前世の己の末路を思い出した時、網道はこれまで以上に“変若水”の研究に力を入れるようになった。
この薬のせいで、多くの人間が苦しんだ。
守るはずだった娘の心にも大きな傷を残した。
ならば、再び関わるようになった自分の手で、この因果を終わらせなければならない。
前世で“変若水”と深く関わり、その恐ろしさを知るが故に、現代でも在るそれを放ってはおけなかった。
「そして私は、この時代でも変若水の研究を続けているのです」
淡々とした口調で語られる網道の話を、千鶴達は無言のまま聞いていた。
雪村の里での再会後、風間、千鶴、薫は網道の運転する車に同乗し、ある場所に向かっていた。
その道中、網道は何故今生でも変若水に関わり続けているのかを彼らに語った。
「変若水は元々他国で作り出されたもの。幕末の頃とは違い、多くの国と交流が出来る現在、どのような形であれ変若水が日本に入ってきてしまうのを止めることはできません」
留学した時の縁から、他国で変若水を研究する機関との接点を得られ、日本での研究施設に潜り込んでから、彼は着実にその場所での重要な地位を確立してきた。今では彼は重役の一人だ。
だからこそ、変若水を日本に持ち込ませないようにする手立てがないことも理解している。
「ですから私は変若水を無くすのではなく、どうすればその効果を消すことができるのかを調べています」
そのために変若水が日本に入ってくる最も大きなルートとなるべき機関に属し、研究に打ち込める環境を得たのだ。
「では、父・・・今の貴方は変若水に狂ってはいないんですよね・・・?」
後部座席に座る千鶴がおずおずと問いかけてくる。
ミラー越しに不安そうな娘顔を見つめ、網道の表情が和らぐ。
「貴方のおかげです。以前の私のように、貴方を哀しませたくない一心で、私は変若水の研究を続けてきました」
かつては娘として自分の手で育てた大切な存在。
もう自分は父親ではないが、彼女が元気で過ごしていると知ることができただけでも満足だ。
前世の自分を自戒しても尚、いずれ狂ってしまうかも知れないという不安が消えていくのを感じる。
彼女が笑っていられるように、自分は決して狂うわけにはいかないのだと決意を新たにする。
「しかし、羅刹は今も生み出されている。その中に、お前達が原因でないものがないとは言えまい」
助手席に座る風間が厳しい口調で口を挟んだ。
「その通りです。私一人が変若水の効果を無くそうとしても、他の研究者はそうではありません。私に賛同して協力してくれる者もいますが、それもまだ極一部に過ぎない」
変若水の効能を知れば、それを悪用しようとする野心の高い者は多い。
そんな中、その力を無くそうとする網道は異端と言える。
味方が欲しい、と彼は思い続けていた。
信頼できる、優秀な人材が一人でも多く欲しい。
だが、そういった良識のある者は進んで危険な道を選ぶことはない。
苦悩に満ちた表情で前を見据える網道の横顔を見やり、風間は思案げに目を細める。
まだこの男を信用したわけではない。
だが、もし本当に彼が過去の自分を悔い、紛い物を無くそうとしているのなら、何らかの助力はしても良いとも思う。
(まずは真実を確かめるのが先決か)
これから向かうのは網道の所属する研究所だ。
その場所を破壊するかどうかは、これから判断する。
ふと前を見やれば、まるでこの先の未来を示しているかのように、黒い暗雲が広がっていた。
日暮れ時、分厚い雲に覆われた空から雨粒が落ちてくる頃、千鶴達を乗せた車は研究所に着いた。
厳重な警備のゲートを通り過ぎると、広い敷地が広がる。
アスファルトの道をしばらく進み、一際立派な建物の傍の駐車スペースで車を止めると、三人は網道に先導されながら入り口に向かった。
「おや、雪村さんじゃないですか」
建物の中に入った時、男の声が網道を呼んだ。
見れば、研究員らしき人物がこちらに近づいてくる。
「新見さん」
男の名だろうか。
彼は網道の後ろに立つ千鶴達に気付くと、あからさまに顔を歪めた。
「困りますね。部外者をここに入れるなんて」
嫌な目をした男だ。
込み上げる嫌悪感に、千鶴は男から距離を取るように身を引く。
「親戚の娘達なのですが、薬学に興味があるというので見学させてみようかと思いまして」
別に嘘ではない。
千鶴は網道の影響で医学や薬学に興味があるのは事実だ。
鬼達との暮らしの中では、特に役に立つものではなくなったが。
「貴方の知り合いなら、まあいいですが、あまり建物の中をうろうろしないで下さいね」
迷惑だ、という内心を隠そうともせずそう言うと、新見は千鶴達の横を擦り抜けようとする。
そして風間と擦れ違った時、彼が手にするものを見た途端に新見の顔色が変わった。
「ちょ、それは、刀ではないでしょうね!?」
金切り声に不快そうに眉を顰めながらも、風間は新見を無視する。
新見に答えたのは薫だ。
「模造刀ですよ。本物を持ち歩くわけないじゃないですか」
「ふ、ふん、私は刀は嫌いなんです! そんなものを持ち歩くなんて、どうかしていますよ!」
感情的に叫び、足音も荒く去って行く新見の姿が見えなくなった頃、風間は薫に殺気を向けた。
「貴様、俺が模造のものを持ち歩くと思うか」
「仕方ないだろ。ああでも言わないと面倒そうな奴だったんだから」
あのまま問い詰められれば風間ならば「本物だがそれがどうした」と答えただろうが、それに対してあの男が騒がしく吠え立てるのを見るのは不快だ。
何より、千鶴はあの男を嫌がっている。
可愛い妹を煩わせるくらいなら、風間に多少の不名誉を被ってもらったところでいったい何の問題があるというのか。
風間と薫の間に一触即発の空気が流れるのを背に感じ、網道は内心で冷や汗を流しながらも、気力を振り絞って声を出す。
「こ、こちらです、行きましょう」
網道が歩き出すと千鶴がそれに続こうとし、睨み合う二人に気付いて彼女が名を呼べば、立ち込めていた不穏な空気がパッと晴れた。
■■■■■
研究所が建つ広い敷地を見下ろす小高い丘の上に、三台の車が停まった。
降り立ったのは東雲家の青年達と天霧、不知火だ。
雪村網道がいるであろう研究所に来たは良いが、この後どうやって彼と接触すれば良いのか。
「さすがにセキュリティが厳しいな」
眼下の建物を見下ろしながら、歳三が呟く。
この場所に来るまでに敷地を囲む壁沿いにぐるりと研究所の周囲を回ったが、新見の研究施設とは比べ物にならないほど警備がしっかりしているのが見て取れた。
ざっと見ただけでも至る場所に監視カメラが設置されていて、忍び込む隙を探すだけで一苦労だ。
数箇所ある出入り口のゲートにも数人の警備員の姿があり、勝手に入ることもできそうにない。
「夜を待って壁を越えて乗り込めばいいんじゃないか?」
「赤外線センサーが通っていましたから、すぐに気付かれてしまいますよ」
左之助の言葉に敬助が答える。
そんな所まで見てたのか、と仲間達から感心の視線を受けながら、敬助は携帯電話を取り出した。
「こうなれば、これしかないでしょう」
そう言って彼が電話を掛けたのは、松本良順から聞いた網道の携帯番号だった。
何度目からコールの後、携帯電話の向こうから応答の声が届く。
見知らぬ番号からの着信に警戒する網道に敬助は自分の名を名乗り、松本の知り合いであることを伝えると、向こうは話を聞いてくれる姿勢となった。
こうなればこっちのものだとばかりに言葉を交わし、流れのままに本題に入る。
「松本先生から貴方の話を伺いまして、是非見学をさせて頂きたいと思いまして」
電話の向こうの相手が逡巡するように沈黙する。
だがやがて、『わかりました』と了承の言葉が返った。
「警備の人には伝えてくれるそうです」
通信を切り、仲間達を振り返った敬助はさらっとそう言って微笑んだ。
「敬兄すげー・・・」
穏やかな口調ですらすらと言葉を紡ぎ、相手を自分の話に引き込む手腕の見事さに、平助から感嘆の声が漏れた。
「じゃあ行くか」と、新八が車に向かおうとしたが、敬助の声がそれを止める。
「全員で行くのは無理ですよ」
「え、何でだよ?」
「こちらはあくまで見学者の立場です。大勢で、しかもまだ高校も出ていない子供やどう見ても医療関係者に見えない風体の人や、ましてキャンピングカーなど、不振がられるに決まっているでしょう」
「う・・・」
確かに年少の三人は若過ぎるし、天霧や不知火や新八はお世辞にも医療関係者に見えない。
そして彼らが乗る三台の車の一台はキャンピングカーだ。
これは、棺桶を乗せられる大きさの車がこれしかなかったためである。
「ですから研究所へは私と歳三君と左之助君で行きましょう。皆は近くで待機していて下さい」
敬助の指示に反論など出るはずもなく、彼らは素直に頷いた。
■■■■■
通信の切れた携帯電話を閉じ、網道は申し訳なさそうに千鶴達を見た。
「申し訳ありません、来客のようです」
研究所内の網道の部屋で彼の研究についての説明を受けていた三人は、通話の後困惑したような面持ちの網道の様子に不思議そうな目線を向ける。
「何か、あったんですか?」
心配そうに問う千鶴に安心させるように笑みを返し、網道は風間達に「この部屋はご自由にお調べ下さい」と告げて部屋を出て行った。
建物の入り口で暫く待っていると、やがて三人の青年達がこちらに近づいて来た。
彼らの顔を見た瞬間、網道は驚愕に眼を瞠った。
「君達は・・・」
「こんにちは、雪村網道さんですか?」
にこやかに微笑む青年と、その後ろに立つ二人の青年。
その誰もに見覚えがあった。
かつて幕末の時代、網道が変若水の研究をするために訪れた場所で出会った侍達。
その面影を残したまま、彼らはあの頃と変わらない強い瞳で網道を見ていた。
動揺を隠せない網道の様子に、歳三達は確信を持った。
彼が“雪村網道”であること。
彼もまた“記憶”を持っていること。
ならば、現世でもまた変若水に関わり続ける彼の真意を確かめなければならない。
口火を切ったのは歳三だ。
「お久しぶりです、と言うべきか? 網道さん」
不敵に微笑む歳三の言葉に、網道も彼に“記憶”があると悟ったのか、サッと顔色が変わる。
「君達も生まれ変わったのですか?」
「そういうことだ。現世でまであんたや変若水に関わるとは思わなかったけどな」
四人の間に広がる張り詰めた緊張感を切り裂いたのは、網道でも歳三達でもなかった。
「また部外者を連れ込んだのですか?」
不快に満ちた鋭い声に、全員の視線がそちらに向けられる。
声の主を眼にした瞬間、歳三と左之助の表情が強張る。
そこに立っていたのは、数年前歳三と平助が取り逃がした男だった。
「雪村さん、あまり部外者をここに入れるのは感心しませんよ?」
「彼らは私の友人の紹介で来られた、優秀な方々ですよ」
「ふん、どうだか」
不機嫌に三人を睨み付けた新見は、ふと怪訝そうに眉を顰めた。
「どこかで、会ったことがありますか?」
「さあ、覚えがありませんね」
数年前とはいえ、面識のある歳三と左之助を新見の眼から隠すように彼の目の前に立ち、敬助はにっこりと笑った。
その笑顔から醸し出される妙な迫力に圧され、新見は一歩後ずさる。
この男は苦手だ、と本能で感じ取る。
「と、とにかく、部外者にうろうろされるのは目障りだと言ったでしょう。君達も、用が済んだらさっさと出て行きなさい!」
捨て台詞を吐いて逃げ去る後姿を苦々しく見送り、歳三は網道に鋭い眼を向けた。
「あの人までいるってことは、あんたはまた変若水で何か企んでやがるってことか?」
厳しい口調で問い詰めながら、手にする木刀の柄に手を掛ける。
場合によっては刀を抜く。その強い意志を秘めて。
一方、歳三達から離れた所まで走った新見は、荒い息を吐きながら立ち止まった。
(いったい何なんですか今日は!)
一時間ほど前に網道に連れられていた者達といい、先程の青年達といい、何故網道はあんな連中をここに入れたのだろう。
彼らに対して、自分でも理解できないほどの恐怖を覚える。
得体の知れないその恐怖は、彼の中に絶えずある白刃の追っ手に対する恐怖と似ていた。
そしてさっきの三人の顔には、何故か見覚えがあるような気がして仕方がない。
眼鏡の青年には苦手意識を感じるし、その後ろに居た二人は 。
(あの二人は・・・)
会ったことがある。
瞬間的にそう閃いた。
(そうだ、あの子供達を誘拐した時、助けに来た奴らだ!!)
そう思い当たるや、新見は血相を変えて駆け出した。
〈次〉
12.6.30up
山南さん大活躍。
次回、新見さんと決着着くかな。
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