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桜月夜 〜誓い 六〜
微かに耳に届く遠雷の音に、千鶴は窓の向こうに広がる暗い空を見上げた。
降り出した雨は少しずつ勢いを増し、やがては大雨となる兆しを見せている。
雷の激しい音が苦手な千鶴は、これ以上荒れなければ良いのだけれど、と不安そうに瞳を揺らした。
窓の傍では風間が同じように外を見ていたが、彼の視線は空ではなく地上に注がれていた。
雨の中を慌しく走る人間達を見下ろしながら、彼は不快げに眉を寄せる。
窓の下を行き交う彼らの髪は、真っ白に染まっていた。
■■■■■
「では貴方は変若水の効果を消す研究をしているということですか」
研究所の内部を網道の案内で見学しながら、歳三達は彼の話を聞いた。
語り終えた網道に真っ先に質問を返したのは敬助だ。
「ええ。前世の記憶を元に、狂気を抑えられるよう、変若水の力を薄めることはできました。そしてゆっくりではありますが、その毒を消すこともできるようになっています」
網道が幕末の時代に何をしたかを知る歳三達は、一概に彼の言葉を鵜呑みにはできなかった。
それに網道が過去を悔い、過ちを正すためにこの研究所にいるというのが事実だというのなら、腑に落ちないことがある。
「どうして新見さんを雇ったんだ? あの人がどんなに危険か知っているはずだろう?」
「それにあいつは四年前に子供を誘拐した罪で指名手配されている、犯罪者だ」
不信感も露な歳三と左之助の詰問に、網道はあの頃と同じ感情を見せない無表情のままに頷いた。
「存じています。ですが彼は現世でも変若水に関わっています。そこに上層部が目をつけ、彼を引き入れたのです。私も、彼を放置するよりは、ここに置いて監視する方が良いと判断しました」
「成る程な」
一応筋は通っているようだ。
新見の危険性を知るが故に、近くで監視するという言い分は解る。
そして前世で羅刹を生み出した者の一人として、現代でも生み出され続ける羅刹を救うことが、彼なりの贖罪の形というのも解る。
だが、それでも彼に対する複雑な気持ちは消えない。
特に彼の生み出した新型の羅刹との死闘の末に命を落とした左之助の、彼を見る眼は厳しい。
「あんたは千鶴を悲しませた。あいつはあんたのために、女の身でたった一人京までやって来た挙句、何度も危険な目に遭ったんだ。それでもけなげに頑張ってきたあいつを、あんたは最悪の形で裏切った」
日の光を恐れず、死ぬことを恐れず、傷つくことを恐れない狂気の集団を作り出したのは網道だ。
その化け物達を粛清しようとしていたのは、風間を始めとする“鬼”達。
新八が語った記憶によれば、自分達とはぐれた後、風間に守られていたという千鶴は網道の所業を全てその眼で見ていただろう。
狂った父の姿に彼女がどれほど傷つき、苦しんだかを思うと胸が痛む。
その時に彼女の傍にいなかったこと、守れなかったことが心から悔やまれた。
「俺達にはあんたを責める資格はないが、あんたのせいで苦しんだ娘がいることだけは忘れんじゃねえぞ」
左之助と歳三の言葉に、網道の瞳に動揺が浮かぶ。
どうやら彼は千鶴に対する情は持ち得ているようだ。
「貴方方は千鶴を・・・」
網道が何かを言いかけた時、けたたましくこちらに近づいてくる複数の足音が聞こえた。
四人の視線がそちらに向かい、曲がり角から現れた男と視線が合う。
「いたぞ、こっちだ!」
男の後ろからさらに数人の男達が現れる。
全員が、警備員の制服を纏っているが、その髪と眼は羅刹のもの。
「何事ですか」
「雪村さん、その者達から離れて下さい」
「こいつら理性があるのか」
狂気を感じさせない羅刹の声は、ごく自然に網道と言葉を交わしていた。
すると、白い髪の集団の後ろから、黒い髪の男が前に出てきた。新見だ。
どうやら歳三達のことを思い出し、羅刹を引き連れて戻って来たようだ。
「雪村さん、そいつらは以前私の研究施設に乗り込んできた奴らです。危険ですから排除しなければなりません」
ギラギラと憎しみに満ちた視線が歳三と左之助に注がれる。
「危険なのはお互い様だ。俺達はあんたに攫われた仲間を取り戻しただけなんだからな」
不敵に笑みながら、歳三と左之助は手にした木刀を構える。
対する羅刹達は拳銃を取り出し、銃口を彼らに向けた。
だが、すぐに撃つ気はないようだ。
姿形は羅刹でも、彼らの精神はまともな人間のままだ。
狂ってもいない者を殺すわけにはいかず、これではこちらも迂闊に刀を抜けない。
「網道さん、この施設のセキュリティを解く方法を教えてくれ」
「何をするつもりです?」
「施設の外に待機している仲間を呼ぶんだよ」
「逃げないのですか?」
ここを立ち去れば羅刹が彼らに危害を加えることはない。
網道と話すという目的を果たした今、彼らがここに留まる理由はないはずだ。
しかし、歳三達は羅刹達を見据えたまま構えを解こうとはしない。
「敵に背を向ける気はねえよ。あんたらの親玉がどうだろうと、新見さんは裁きを受けなければいけない。こいつは何人もの人間を傷つけたんだからな」
「やはり私を追って来たのだな!? 私を殺しに来たのか!!」
血走った眼で叫び散らす新見の姿は、羅刹に囲まれた中で彼だけが狂気を纏っているようで、あまりにも異様な光景だ。
彼は何をしでかすか解らない男だ。
まだ全てを信用したわけではないが、網道をこの場から遠ざけなければ。
そう判断し、歳三は背後の敬助に言った。
「敬助さん、網道さんと一緒にここから離れてくれ。そして総司達を呼んでくれないか」
「わかりました」
歳三の意思を汲み、敬助は網道を促す。
逡巡しながらも従うことを決めたのか、網道は敬助に連れられて少しずつ距離を取る。
「できれば、羅刹達を殺さないで下さい」
歳三と左之助の背中にそう声を掛け、その場を離れて行った。
敬助達が立ち去る気配を感じながら、羅刹と対峙する二人は困ったような笑みを交わす。
「無茶言ってくれるぜ」
「でも俺達より総司辺りに言った方がいいんじゃねえかなって思うけどな」
そんな軽口を掻き消すように、新見の半狂乱となった声が響く。
「そいつらを殺しなさい!!」
羅刹化した警備員は戸惑いを浮かべたが、一人が発砲した。
弾丸は左之助の腕を狙っていた。武器を振るえなくして、抵抗を封じるためだ。
だが、彼は弾丸の軌跡を瞬時に見切り、あっさりと避ける。
驚きを浮かべる羅刹達の目の前には、二人の“鬼”が立っていた。
■■■■■
敬助と共に管理室に向かった網道はセキュリティを解除した後、携帯電話で仲間達に連絡を取る敬助を残して自分の研究室に戻った。
「何があった」
扉を開くや、風間が問いかけてくる。
異変はすでに彼らも気付いているようだ。
「研究員の一人が暴走して羅刹を動かそうとしています。そう簡単に狂うことはないはずですが、すぐに止めなければ」
そう言って網道は部屋に入ると、陳列された様々な薬品の中から目的のものを手に取る。
「それは?」
「鎮静剤です。これを投与すれば、羅刹は動かなくなります。彼らが血に狂う前に眠らせたい」
言葉を切り、網道は風間に向き合うと深々と頭を下げた。
「力を貸して下さい」
人を超えた力を持つものを制するには、さらに強い力を持つ者の助けが必要だ。
“新選組”であった歳三達もそれなりの力を有しているだろうが、やはり純血の鬼である風間の力を借りたかった。
「仕方ない、か。南雲、貴様も来い」
「・・・・・・わかったよ」
不本意そうな沈黙の後渋々と頷き、網道の手から鎮静剤を受け取る。
そのまま部屋を出て行こうとした二人の後を、千鶴が追いかけてきた。
「私も行きます」
「「駄目だ」」
同時に諌められ、困惑の表情で立ち尽くす千鶴に風間はさらに続けた。
「網道と共にここにいろ」
「ですが・・・」
言い募ろうとした千鶴だが、風間と薫から向けられる咎めるような目線に言葉を封じられる。
「お前は荒事には向かないんだから、おとなしく待ってなよ」
羅刹の数も状況も解らない以上、千鶴を危険な場所に行かせられるわけがない。
わかってくれ、と薫に優しく言い聞かせられ、千鶴は寂しげに頷いた。
残される不安はあるが、彼らの足手まといにはなりたくない。
「二人とも、気を付けて・・・」
扉の向こうに消える二人の背中に、ただその言葉を紡ぐことしかできなかった。
網道の研究室を出た風間と薫は、玄関ホールに降りた。
そこにはすでに数人の羅刹が倒れているのが見え、駆け寄って様子を調べる。
全員気絶しているだけのようで、これ幸いと薫は羅刹の口の中に薬を放り込んだ。
ホールに倒れている羅刹に一通り薬を与え終わり、周囲を見渡してみるといつの間にか風間の姿がなかった。
その代わりに、と言うべきか。
こちらを見つめる視線に気付き、振り返った先に嫌な面影を見る。
「へえ? こんな所で会うとは思わなかったなあ」
「・・・沖田総司・・・?」
木刀を手に子供のように無邪気な笑みを浮かべて薫を見ていたのは、見覚えのあり過ぎる男だった。
その後ろから訝しげにこちらを窺う男も、話したことはないがあの頃千鶴の傍にいた連中の一人に酷似している。男の名は確か 。
「斎藤一、か?」
「どこかで会ったことが?」
以前の名で呼ばれた一だが、彼自身には薫に見覚えがなかった。
そんな彼に総司は冗談めかした口調で説明する。
「一君は知らないだろうけど、向こうは僕達を知っているんだよ。何しろこの人、千鶴ちゃんのストーカーだから」
すとーかー?
意味は判らないが、総司の挑発するような笑みと一の不愉快そうな表情から、それが悪い意味を持つ言葉だということは何となく想像できた。
「千鶴は俺の可愛い妹だよ」
苦々しげに言うと、二人の表情に驚きが浮かんだ。
だがすぐに、納得したと言いたげに「ふうん」と総司が薫を凝視する。
「“雪村の双子鬼”ってわけか」
「何故その言葉を知っているんだ?」
薫がその言葉を知ったのはほんの数時間前だ。
かつての“雪村の里”に立つ石碑に刻まれた言葉を、何故総司が知っているのか。
総司と一を問い詰めようとした薫は、二人の背後に蠢くものを捉えて声を上げる。
「おい、後ろに」
しかし言い終わる前に、二振りの木刀が迫り来るものを打ち据えた。
反撃する暇もなく意識を失って倒れたのは、羅刹と化した男だ。
「殺すなって、無茶な命令だよね。羅刹を気絶させるのがどんなに大変か、網道さん解ってるのかなあ」
飄々とした口調で零す総司と無言のまま立つ一の、一瞬で変化した姿に薫は言葉を失う。
白い髪、金色の瞳、額に浮かぶ二本の角。
羅刹とは違う異形の姿は、彼にとって珍しいものではなくとも、ここで眼にするとは想像だにしないものだった。
総司と一が羅刹の相手を引き受けてくれたことによって開けた道を、平助と新八は歳三達のもとへと急いでいた。
やがて狂ったように叫ぶ声が耳に届き、通路の奥に大勢の羅刹の後姿を捉える。
「っしゃー! 新八っつあん行くぜー!」
「望むところだ! どっちがたくさん倒せるか競争するぞ平助!」
能天気なほど明るい声と共に羅刹の群れに突っ込んで行った二人は、木刀を振り回して暴れ始める。
「てめえら遊んでんじゃねえ!」
「な、何ですか君達は!!」
聞き慣れた怒声と共に、聞き覚えはあるが不愉快な声が上がった。
「あんた、こんな所にいたのかよ」
そう言って睨みつけてくる少年が、かつて新見が誘拐した子供の成長した姿だと気付くのに時間は掛からなかった。
自分から全てを奪った憎い者達が、再び目の前に現れた。
羅刹とは似て非なる力を有し、羅刹を上回る力を持つ彼らの存在に、新見の中に滾るような怒りと憎しみが溢れ出す。
「このガキ共を捕らえなさい! 捕まえてこいつらを解剖してやる!!」
「相変わらず悪趣味な人だよな」
呆れたように呟き、一人、また一人と羅刹を気絶させていく。
だが、回復力の高い羅刹達は時間が経てばすぐに起き上がってくるため、新見を捕らえる隙を見出せなかった。
「キリがねえな」
どうしたものか、と思案する歳三は、倒れた羅刹の傍でしゃがみ込む人物に気付いた。
「おい不知火、何してやがる」
「風間から羅刹共を眠らせる薬を預かったんで飲ませてるところだ。それよりいいのか? あの男どこか行っちまったぜ?」
「何?」
不知火が指差した方向には、確かに新見が背を向けて走り去って行くのが見えた。
「ここは俺が引き受けるから、追えよ」
「悪いな、後は頼んだぜ」
不知火の言葉に甘え、歳三、左之助、平助、新八は羅刹達を蹴散らしながら新見の後を追って駆け出した。
通路を駆け抜け、玄関ホールに近づくにつれて何やら言い争う声が聞こえてくる。
茶々を入れるように弾む声は総司だが、もう一つは知らない声だ。
ホールに入ると、その場に立つ三人の視線が一斉にこちらに向いた。
そこにいたのは総司と一、そしてどこか愛しい少女に似た細身の青年だ。
「お、お前らもか!」
千鶴とよく似た顔立ちながら、彼女なら絶対に見せないような表情で青年が叫ぶ。
男の正体を確かめたいところだが、今優先すべきは新見だ。
「おい総司、一、新見さんが来なかったか?」
「新見さんなら先程その階段を駆け上がって行きましたが」
「何か凄い形相で急いでましたよ」
歳三の問いに一が答え、 他人事のような口調で総司が続ける。
「追うぞ!」
声と同時に歳三が階段に向かい、その後を追って総司達も駆け出した。
「あ、おい、そっちは!」
引き止めるような声を無視し、六人は階上に消えた。
すぐさま彼らの後を追おうとした時、背後から静かな声が響いた。
「南雲、追うな」
振り返れば、入り口に風間と天霧の姿があった。
今まで建物の外にいたのか、二人とも雨に濡れている。
「どうしてだよ! あいつら千鶴を見つけるかも知れないじゃないか!」
「会わせてやれば良い」
「あいつらに会ったら千鶴を連れて行かれるかも知れないんだぞ?」
「それは千鶴が決めることだ。いい加減会わせてやっても良い頃だろう」
「あいつらにそんなことしてやる義理は・・・」
「千鶴さんのためですよ」
尚も食って掛かろうとする薫に、風間の背後に立つ天霧がふと言った。
「・・・?」
「貴方も見てきたはずです。彼女がどれほど彼らに会いたがっていたか」
「あの娘はずっと耐えてきた。褒美くらい与えてやれ」
「・・・・・・っ」
悔しげに唇を噛む。
嫌だ、ふざけるな、と喉元まで込み上げきた言葉は声にならなかった。
風間と天霧の言葉が真実であると、彼自身もよく解っていたからだ。
“新選組”を想って人知れず泣いていた妹の姿を見る耐え難い辛さを思えば、彼らに会わせてやるのが一番良いのだと薫も解っている。
だが、会わせてしまえば、千鶴が自分の傍からいなくなってしまう気がして、胸が苦しかった。
〈次〉
12.7.20up
登場人物多過ぎでした(汗)。
ようやく千鶴ちゃんとの再会です。
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