桜月夜 〜前編〜





血を守り、力を受け継ぎ、永き時を我らは待ち続ける。

いつか、      が戻られるその時を。


そして、次こそ命懸けて尽くし守り抜く   それが我らが悲願。





■■■■■





満開の桜並木の下を、稽古帰りの少年達が談笑しながら歩いていた。

すでに日の落ちた夜空には煌々と月明かりが灯り、街灯のない道を密やかに照らしている。


「歳三さん、手に持っている懐中電灯は飾りですか?」

幼い声音に棘を含ませ、傍らを歩く子供が歳三を見上げた。
歳三の手には懐中電灯が握られているが、スイッチを入れていないそれは役割を果たしていない。

「月がこんなに明るいんだから、こんなもんいらねえだろ」

答えながら、歳三は自分の胸あたりまでしか背丈がないというのに、態度だけはやたらとでかい子供、総司の頭をわしわしと乱暴に撫でる。
案の定、嫌そうに顔を歪める総司の反応に大人気なく笑った。

「歳兄
(としにい)は春の月が好きだからなあ」

揶揄するように、歳三より少し年下の少年、新八が言った。

「おれ、くらくてもこわくないし!」

舌足らずながらも得意げに胸を張るのは、今年小学校に上がったばかりの平助だ。

「ま、慣れた道だしな。明かりなんて必要ないよな」

新八と同じ年頃の少年左之助の言葉に、平助の次に小さな一が「ああ」と答える。


六人の少年達は先程剣の稽古を終えて、剣道着のまま道場から母屋への道を歩いている途中だ。
山間の広大な敷地には少年達が家族や家人と暮らす大きな屋敷の他、離れが何軒かと広い日本庭園や茶室、道場、厩舎、車庫などが点在しており、無駄に広いため敷地内といえどひたすら歩かなければならない。

彼らは遠からずの親戚同士で、古くからこの地に住む一族の末裔である。
最年長の歳三は中学二年生、続いて新八と左之助が小学六年生。
年少の三人は平助が一年生、一が二年生、総司が三年生だ。

六人の中で一番年上の歳三すら、時代が時代であればようやく元服かというほど幼い少年達だが、皆どこか年相応に見えない大人びた印象を与える。


「それにしても、今年も綺麗に咲いたなあ」

どこまでも続く桜並木を見上げ、左之助が感嘆の声を漏らした。幼くとも端正な顔立ちに懐かしげな表情が浮かぶ。

「だな、帰ったら一杯やるか? 親父の取って置きが・・・」

「飲酒は二十歳になってからだ!」

新八に被さるように、一がきつく咎める。
「かてーこと言うなよー」「ちょっと嘗めるだけだって」と反論する新八や左之助に、「駄目だと言っているのがわからぬか!」と子供らしからぬ叱責が飛ぶ。小学生の会話とは思えない。

騒ぐ新八達を眺めながら、総司はつまらなそうにため息をついた。

「あーあ、この前までは勇兄さんも一緒に道場に通っていたのに」

「しょーがねーだろ。勇さんも敬介さんも高校生になっちまって忙しいんだからよ」

勇と敬介は歳三より2つ年上の、少年達にとって兄のような存在だ。一族の子供達の中で最年長の二人の存在はとても大きく、自由気ままな総司さえ逆らおうとはしない。

そんな二人も今年から高校生となり、今までのように歳三達と行動を共にするのが難しくなっていた。というのも、ただでさえ家は山奥にあるというのに、彼らが通う高校は街を二つ越えた先だ。一番近い駅から電車を使っても、片道2時間以上は掛かる。
しかも大人たちは車を何台か所有している上に運転手まで居るにも関わらず、「獅子の子落とし千尋の谷」かと思わせるほどに厳しい教育によって、山越えには自転車以外の移動手段がない。
勇や敬介は朝早くに家を出て、日がとっぷり暮れた頃に家に帰る日々となってしまったため、剣の稽古は高校での部活に限られる。


とにもかくにも、親達は歳三達を何が何でも強くしたがっているらしい。
そしてその理由も、物心ついた頃より何度も聞かされてきた。

正直、歳三達にとってその理由はあまりに現実感がなさ過ぎて、納得できるものでも信じられるものでもなかったのだが、皆身体を動かすことは好きであり、親達の言うことには特に逆らうつもりもないので受け入れていた。


“言い伝え”が、“現実”のものと知る、この日までは     





ふいに足が止まった。

騒がしかった声も、同時に止む。

「・・・・・・」

沈黙の中、六人は周囲に油断なく視線を巡らせた。

無意識の中に強く警鐘を鳴らす音が聞こえる。
いったい何が起きているのかなど解らないが、彼らの本能が異様な雰囲気を捕らえて離さない。

何かがいる。強くそう感じるのだ。

敵意。悪意。害意。危険を知らせる様々な符号が、彼らに伝えるのは紛れもない“殺気”。
それは歳三達が今まで感じたこと無いものであり、それでいてどこか覚えのあるものだ。


カサリ

地面を踏みしめる微かな音。
ハッと後ろを振り向いた先   暗い夜道にさらに色濃い影が月光に照らされてぼうっと浮かび上がる。

暗い影。だが、妖しく光を帯びる紅い光があった。

一歩、また一歩と近づく足音。

動くこともできず、人影を凝視していた歳三達の背を嫌な汗が伝う。
一刻も早く逃げなければと思うのに、地面に縫いとめられたかのように足が動かない。

ゆっくりと近づいてくる人影。
何か用か、とか、ここは私有地だ、とか。そんな言葉が通じる空気ではない。

その時、歳三の傍らに立つ総司の手が歳三の手から懐中電灯を奪い、人影に向けて光を照らした。

「っ!!!」

全員が息を呑む音が聞こえた気がした。

懐中電灯の光に照らされた人影は、男だ。
だが、普通の人間とは明らかに違うのは、まだ若いと思われる外見にも関わらず老人のように真っ白な髪と、血の塊のような紅く光る瞳。そしてその手には、鮪の解体にでも使いそうな大きな包丁が握られていた。
光に一瞬怯んだかのようにも見えたが、紅い瞳には狂気が宿る。


斬られる!


閃くようにそう悟った瞬間、動かなかった体が自由を取り戻す。


「逃げるぞ!」

叫ぶや、歳三は総司の手を引いて走り出した。
続いて左之助が一の手を、新八が平助の手を引いて歳三に続く。


けーっけっけっけっけ!!


人のものとは思えない、おぞましい哄笑が夜空を切り裂く。

あいつが追ってくる。
恐怖とともにそれを理解した。

懸命に走る歳三達の後ろを、凄まじい圧迫感が迫る。

奇声が背後から聞こえたかと思うと、声は頭上を飛び越えて前方に躍り出た。
人間離れした跳躍で白髪の男は少年達を飛び越えたのだ。

行く手を塞がれた六人は、咄嗟に三方向へ散る。


「うわっ!」

足を取られたのか、平助がバランスを崩した。
新八は平助が倒れる前に足を止め、小さな身体を担ぎ上げて再び駆け出す。

だが、二人が動きを止めた僅かな隙を逃すような男ではなかった。
バラバラに逃げられたことによって惑っていた視線が新八と平助を捕らえる。

「っく!」

男の狙いに気付いた歳三は総司を木の陰に隠し、足元の石をいくつか拾うと新八達の方へ走り出した。

「そいつらに近づくんじゃねえ!!」

叫び、男に向けて石を投げつける。

ガッと鈍い音を立て、投げた石の一つが男の頭部に命中した。

今にも新八を斬り裂こうとした手が止まり、男の身体が傾ぐ。
その隙を逃さず、新八は渾身の力を込めて男の鳩尾を蹴り上げた。

「ぐっ」

衝撃に男はよろけながら後ろに下がる。

石が当たった頭部から一筋の血が流れ、男の顔を伝う。
それを指で拭い、男はニヤリと口角を上げながら血を口に含んだ。


「ひ・・・
ひゃーっはっはっはっは!!


歓喜に満ちた笑いが腹の底から上がる。


血ィ!! もっと、血を寄越せえええぇぇ!!!


「何だよこいつ、血に狂う化け物か!?」

豪胆な新八ですら恐怖を覚えるほど常軌を逸したおぞましさ。

こんな化け物相手にどうすればいいのだろうか。
一通りの武道を習ったとはいえ、本気で殺しにくる相手にどうやって立ち向かえば良いのかなど、平和な時代に生きる子供が知っているわけがない。

焦りと恐怖に足が震える。だが、自分よりも幼い存在を守らなければという一心で、新八は平助を抱えて走った。
背を見せれば己の命の危険が増すだけだと解っていても、逃げるより他に術も無い。


お前の血を寄越せ!!


月の光を反射して光る鋭い刃が新八の背に振り下ろされようとしている。
その光景に、歳三は力の限り叫んだ。


やめろぉ!!


その時。


風が舞った。


ギイイインッッ!!


耳障りな金属音が響き渡る。


歳三の瞳が驚愕に見開かれる。
歳三と同じように新八と平助を助けるためにこちらに向かっていたらしい左之助も動きを止め、ある一点を凝視している。

事態が飲み込めずにいた新八は恐る恐る背後を振り返り、そして同じように目を見張った。


白い髪の化け物の凶刃は、細い手に握られた小太刀によって受け止められていた。

ギリギリと金属の擦れ合う音が漏れ、鋭い音とともに凶刃が弾かれる。


「このような所にいたのね」

澄んだ声が呟いた。

化け物と対峙し、小太刀を構えるのは着物姿の一人の女性。


   否、“女鬼”だ。


夜風に靡く、化け物と同じ真っ白な髪。その絹糸のような純白の中から覗くのは額から生える二本の角、そして夜闇でもはっきりと解るほど金色に光る瞳。
どう見ても異形としか言いようのない風貌ながら、紅い目の化け物のような禍々しさは微塵も感じない。むしろ、神々しくすらあった。


何て美しい女だろう。

状況を忘れ、少年達は彼女に魅入られた。


「目を綴じ、耳を塞いでおいでなさい」

柔らかな声音が少年達に向けてそう言ったが、歳三達は彼女から目を離すことができない。

そうしている間にも、血に狂う男が彼女にゆっくり近づいていく。

このままでは彼女が危ない。

そう思うのに、足が動かない。

その理由は漠然とだが解った。
彼女を助けようとする行為   それはむしろ彼女の邪魔になる。そんな確信があった。


「血を・・・血を寄越せ!」


「今、眠らせてあげます」

狂気に彩られた男の姿を見る眼は、どこか哀しげだ。
しかし、振るう刃に些かの躊躇いもなく。

気付いた時には、深々と男の心臓を貫いていた。


「・・・がっ・・・は・・・っ」


呻き声と共に大量の血の塊が男の口から吐き出される。
ガシャッと音を立てて包丁が地面に落ちた。

女鬼の手にもう一度力が込められ、ズッと刀身が男から引き抜かれる。
心臓を貫かれた男は己を支える力を失い、膝から崩れ落ちた。

動かなくなった男の身体に、はらはらと桜の花びらが舞い落ちる。


人の命が失われた。
相手は狂人とはいえ、これは殺人だ。

年の割に冷静で聡明な歳三ではあったが、この状況で何をすべきか解らなかった。

警察を呼ぶべきなのか? だがどう説明をすればいい?
狂った男が追いかけてきたとか、女の鬼がそいつを殺したとか、そんな話をいったい誰が信じるというのか。

それに他人が来たら、彼女はどうなる。
殺人者として、化け物として、酷い扱いを受けるのでないのか。


そんなことにはさせねえ。絶対に。

俺達は、こいつを守ると約束したのだから・・・。



頭の奥から決然とした意思の声が響く。


声の意味を確かめようとした時、不意に女性がこちらを向いた。
異形の姿であっても、とても優しげで美しい顔立ちだ。だが彼女の着物も小太刀も真っ赤な血に濡れている。

「目を綴じていてと言ったのに・・・」

痛ましげに歳三達を見て、そう言った。

いつの間にか、歳三の傍には総司、左之助、一がいた。女性の後ろには新八と平助がいて、二人も歳三の傍に集まってくる。
誰も声を出すこともできず、ただ茫然と女性を見上げていた。

すると一人一人の顔を見た彼女の顔が、信じられないものを見たように驚愕に彩られた。
しかしそれはすぐに泣き笑いのようなものになる。


何故そんな表情で自分達を見るのだろう。

問いかけようとした時。



「千鶴」



突如、男の声が割り込んだ。



〈次〉




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