〜SIDE:天流〜
空が白み始めた頃、僕は眠りから覚めた。
僕が寝ているのは、自宅の自分の部屋。自分の寝台。
おかしなことに、それが照れくさい。
服を着替えて愛用の棍を手に庭に出てみると、早朝のひんやりとした空気が肌を刺す。
まだ薄暗い空には雲はなく、今日は快晴になりそうだ。
軽く身体をほぐした後、棍を構えて型を作る。
鋭く空気を裂く音が響く。
早朝の素振りは幼い頃からの日課だ。
それは旅の間も続けられていた。
染み付いた習慣は、簡単に抜けるものではない。
一通り身体を動かし終えた頃には、空には朝日が昇っていた。
邸内に戻っていつもの紅い胴着に着替え、汗に濡れた胴着は洗濯物の中に放り込む。
そして向かったのは厨房だ。
この邸のもう一人の住人であるクレオは朝に弱いため、朝食を作るのは僕の役目になっている。
子供の頃からグレミオの後を付いて回っていたので、家事は一通りこなせるので不自由することはない。
クレオは初めの頃こそ恐縮していたけれど、今では慣れたようだ。
テーブルに朝食が並んだ頃、クレオが起きてきた。
「おはようございます、坊ちゃん」
クレオはいつも嬉しそうに、そしてほっとしたような笑顔で僕を見る。
「おはよう、クレオ」
たぶん、僕の表情も同じだろう。
僕達にとって、お互いだけが唯一の家族。
だからこそ、こうしてこの家で挨拶を交わし、二人で食卓を共にするのは“日常”でありながらも“特別”なことなのだ。
食事の後、僕は自分の部屋に戻って机に置いてあった読み掛けの本を読むことに時間を費やすことにした。
階下からは微かに水音がする。
クレオが食器を洗っている音、それとも洗濯だろうか?
小さな水の音と、窓の外から聞こえる小鳥の囀りを耳にしながら、僕は目の前の文字の世界に入り始めた。
本を読み終えるのに然程の時間は掛からなかった。
もう朝とは言えない時間だけど、太陽はまだ東寄りだ。
さて、今日の時間をどう使おうか。
遠出でもしてみようかな。
久しぶりにコボルトやエルフの村に行くのも良いかも知れない。
そんなことを考えながら、腰掛けていた椅子から立ち上がったその時。
「坊ちゃん、ユアンくん達がいらっしゃいましたよ」
来客を告げるクレオの声が届いた。
〜SIDE:ユアン〜
朝早くから僕達は本拠地を出た。
今日のメンバーは僕とナナミ、フッチにサスケにカスミさんだ。
行く先はもちろん、天流・マクドールさんの邸。
サスケは不本意そうだけど、彼以外は嬉々として付いて来てくれた。
皆、ティエンさんに会いたいんだよね♪
「「「こんにちはーっ!」」」
僕とナナミとフッチが声を揃えると、少しして扉が開き、クレオさんが出迎えてくれた。
「こんにちは、クレオさん。ティエンさんいますか?」
訊くと、クレオさんはにっこりと笑って、
「いますよ。ちょっと待ってて下さいね」
ティエンさんが現れるまで、たいして時間は掛からなかった。
「よく来てくれたね、皆」
静かだけどよく通る澄んだ声と共に、ティエンさんが階段を下りて来る。
その姿に僕達は思わず見惚れてしまった。
貴族であり、武道家であるティエンさんは、立ち居振る舞いがしなやかで優雅だ。
階段の下り方すら僕とは全然違う。
言葉を失くしてしまった僕達に、階段を降りたティエンさんの不思議そうな視線が注がれる。
あ、いけないいけない、呆けてる場合じゃないんだ。
気を取り直して深呼吸を一つ。
「一緒に戦ってくれますか?」
この邸に来ると必ず言う言葉。
返すティエンさんの言葉もまたいつもと同じ。
「いいよ」
クレオさんに見送られて僕達は来た道を引き返して行った。
道中、僕達は目に見えて浮かれていた。
いつも冷静なカスミさんすら頬をほんのりと染めたりして。
サスケだけは面白くなさそうだったけど。
でも仕方ないよね。ティエンさんと一緒。ただそれだけなのに、嬉しいんだ。
こんなに物静かな人なのに、色んな感情を掻き立てられる。
安心感とか、高揚感とか、様々な思いが混ざって、でも不快じゃなくて。
あのルックですら表情を和らげるほどの存在。
それが、天流・マクドールさん。
デュナンまで続く道にはたくさんのモンスターが出現する。
だけど、ティエンさんが居てくれるから、僕達は来た時よりずっと短時間でバナーの村まで辿り着き、本拠地に戻った。
これからパーティーを再編成して、ティエンさんと一緒に各地を回るんだ。
そう思っていた矢先。
「ユアン殿!」
本拠地のホールに入るなり、シュウの不機嫌な声が轟いた。
その形相は、一言で言って“般若”・・・。
怖くなってティエンさんの後ろに隠れた僕の耳に、地の底を這うような低い低い声が届く。
「よもや今日の軍議の存在はお忘れか?」
あ・・・忘れてた・・・。
〜SIDE:ルック〜
しばらく前からホールの入り口で仁王立ちしていた軍師が怒声を上げた。
どうやら猿が帰って来たようだ。
何やら問答した後、軍師は猿軍主の首のスカーフを掴んで大股で歩き去ろうとした。
「ティエンさあ〜ん! 帰らないで下さいねえ〜っ!!」
引きずられながら必死に叫ぶ小猿。
その視線の先に居る天流・マクドールは穏やかな微笑で頷いた。
まったく、人が好いんだから。
定位置である石版の前で一部始終を眺めながら、僕はため息をついた。
そんな僕の傍に、ティルがゆっくりと歩み寄る。
「やあ、ルック」
「また小猿のお守り? 大変だね」
僕の言葉にティルは苦笑を浮かべる。
おそらく軍主を“小猿”呼ばわりしたことに。
だけどティルはそのことに触れるでもなく、
「突然暇になってしまったから、しばらく時間を潰すことにするよ。後で一緒に遊ぼう」
僕が頷くと、ティルは踵を返して、まだホールに居たフッチやカスミと言葉を交わしてホールを出て行った。
たぶん行き先は道場だろう。
彼がこの城で行く場所と言えば道場や図書館、石版の前――つまり僕の傍。
ずっとここに居たって構わないけれどね。彼なら邪魔だなんて思わないから。
でも、ティルは『自分が居ると人が寄って来ることが多いからルックに迷惑が掛かる』と言って石版の前で長居することがない。
君のせいではないのに。
それに、他人が寄って来たって追い払う自信はあるんだけど。
遠慮深いのは君の長所だけど、もっと我を通してもいいんじゃない?
“一緒に遊ぼう”なんて、到底彼には似合わないような砕けた言葉。
でも、その意味は僕と論議しようってことだ。
お互いに様々な書物を読み漁っているため知識は広く、それでいて僕達は自分の意見をはっきりと持っているので、よく題材を決めて意見を交換する。
同じ見解を持つ時はその話に花が咲き、意見が食い違うととことん論争するのだ。
後者の場合、第三者から見ると険悪で恐ろしい舌戦らしいけどね。
だが、僕達にとっては充実した楽しい時間だ。
まあ、普段無口な部類に入る僕達の舌戦は、初めて見る者にはかなり衝撃的なものらしい。
解放軍時代には青いヤツが顔色まで青くして、大口開けたまま唖然と突っ立ってたこともあった。
思い出して口元が緩むのが解る。
ただ、タラシ男だけは慣れたもので、おもしろがってその様子を見ていたりする。たまに会話に入ってくることもある。
僕とティルが一緒だと、ふらふらとあいつも寄って来るのだ。
それも構わない。“遊んでいる”間ならば別に邪魔にはならないしね。二人の時間を邪魔されると話は違うけど?
僕は、僕とティルさえ楽しければそれでいいんだ。
さあ、僕達の論争で今日は何人の人間がショックを受けるかな?
今日は退屈せずに済みそうだ。
〜SIDE:マイクロトフ〜
道場では、青騎士団所属の騎士達の気合の入った声と、木刀を打ち合う音が響く。
俺は、彼ら一人一人の様子に目を光らせていた。
現在我々が身を置く同盟軍は比較的平和なのだが、それでも戦争中だということに変わりは無い。
気を抜くことは大事だが、怠惰になることは危険だ。
戦場では、僅かな隙が命取りとなるのだから。
ふと、道場に入って来る者の姿を目の端に捕らえ、視線を向けた。
その先に居たのは、小柄な少年だ。
「ティエン殿」
いらしていたのか。
慌てて駆け寄ると、ティエン殿は礼儀正しく俺に頭を下げられた。
「騎士の皆さんの訓練中に申し訳ない。道場を少しだけお借りしても宜しいでしょうか?」
「もちろんです。ご自由にお使い下さい」
ティエン殿は済まなそうに礼を述べ、道場の端に移動する。
彼の遠慮深さにはいつも感心させられる。
だが、ティエン殿は解っておられないようだ。
彼が来ることを歓迎する者はあっても、疎ましく思う者など一人も居ないということを。
その証拠に、訓練中の騎士達の意識は知らず知らず彼へと向けられる。
注意が逸れているというのに、彼の存在が邪魔だという考えは浮かばない。むしろ、良い刺激になるのだ。
ティエン殿は武器である棍を構え、まずは型から入る。
基本的な型から、やがて高度なものへ。
それはあたかも舞を舞っているかのように、流麗だ。
何度見ても飽きることはないその動き。あまりの美しさに、見惚れる。
天流・マクドール。
トランの英雄と称えられる彼が同盟軍に来たのは最近のこと。
初めは予想外の幼さに、俺を含めた彼を知らぬ者達は驚いた。(特に俺とカミューはある事情によって彼の性別自体勘違いしていたので、そちらの意味でも仰天したのだが・・・)
しかし、行動を共にするうちに外見の幼さなど気にならなくなった。
彼は“英雄”の名に相応しい実力を備えていた。
体術、紋章力、兵法に至るまで全てが一流なのだ。
高いカリスマ性は、同盟軍の軍主であるユアン殿を遥かに凌ぐ。
おそらく同盟軍の中で彼に勝る実力を持つ者はいない。
『忠誠を捧げる対象として、これほど素晴らしい存在はない』
いつか、カミューがそんなことを言っていた。
俺もまた同じ意見だ。
騎士として一度、彼の指揮の下で戦ってみたかったものだ。
余韻を残しながら、ティエン殿の動きが止まった。
しばらく息を整え、やがて俺の元に歩み寄って来た。
「場所をお貸し頂き、ありがとうございました」
謝辞を述べ、俺や騎士達に深々と頭を下げる。
礼を述べたいのは、こちらの方だというのに。
彼が去った後、刺激されてさらに気合の入った声が道場に響いた。
〜SIDE:フリック〜
長い軍議が一段落着いたところで、俺とビクトールは昼食を摂るために食堂に向かった。
軍議に大幅に遅刻してくれやがった馬鹿軍主ユアンは、お仕置きとばかりにシュウから渡された大量の書類に埋もれて動けなくなっている。
『ティエンさんと約束したのに〜〜っっ!!』と涙を浮かべていたが、まあ自業自得というやつだろう。あいつの遅刻のお陰で、午前中で終わるはずだった軍議が結局午後も続くことになってしまったのだからな。
食堂に入り、腰掛けたところで熊が俺の後ろを見やって笑顔を浮かべた。
「お、ティエンじゃねえか」
振り返って見ると、確かに食堂の入り口にティエンの姿があった。
俺達に気づき、ティエンが近づいてくる。
「お前も昼飯か? まあ座れよ、一緒に食おうぜ」
ビクトールの言葉に、ティエンは俺に視線を向ける。
他人を尊重するこいつのこと、俺の意思を確認したいのだろう。
「座れよ」
ティエンの前の椅子を引いて促すと、ようやく頷いて腰を下ろした。
その様子を見て俺達は苦笑を浮かべる。
まったく、俺達が迷惑だとか思うわけねえってのに、こいつは・・・。
そんなところも可愛いんだけどな。
やがて運ばれてきた料理。
目の前の二人の食べ方は、あまりにも対照的で何だかおもしろい。
ビクトールはというと豪快に流し込んでいる。
頬張ってるなんて次元じゃない。食べているって言うよりは、まさしく“流し込む”。
一方ティエンは上品に箸を動かし、料理を味わっているようだ。
こうして見ると、こいつは本当にお坊ちゃんなんだなと思う。
行動の一つを取っても優雅で気品が漂う。
とても武器を振り回して戦う戦士には見えない。
身体だって小柄で、華奢と言っても過言じゃない。
父親であるテオ・マクドールは屈強な男だったから、ティエンは母親に似たのだろうな。色も白いし、顔立ちも少女のようだ。
順調に成長すれば男らしさも身に付いたかも知れないが、それももう叶わない。
本当ならばティエンは二十歳に届く年齢だが、どう見ても14〜15歳の少年。
周りの時間に取り残され、こいつはいったい何を思うのだろう。
俺達はティエンに何度も力を与えてもらったというのに、俺達がこいつにしてやれたことは・・・。
いつの間にか料理は空になり、食後の緑茶を啜っている俺達。
「さあて、戻るか」
ビクトールが立ち上がる。
そういえば午後も軍議があったな。
渋々、俺も立ち上がった。
「ご苦労だな、二人とも」
柔らかな表情で労わりの言葉を掛けてくれるティエン。
たった一言なのに、表情、言葉、その声と気遣い、全てが嬉しくて。
ほら、俺達はこんなにも、お前に力をもらっている。