邂逅





その小さな泉を見つけたのは偶然だった。

以前マチルダ騎士団領へと続く道で倒れた時のように、歩く力を失いかけた時、木漏れ日を受けてキラキラと光るそれが木々の間に見えた。
あの時のように長旅の疲れで体調を崩したわけでもないのに、身体の倦怠感が抜けない。
別に身体が弱いわけでもないのに、何故こうも調子が悪いのか。
その答えに気付いていても、天流にはどうすることもできなかった。

一番良いのは、この地を離れること。
それしかないのに、歩き出して幾許もしないうちに身体はそれ以上進むことを拒否する。



泉のそばの木陰で身を休めていた天流は、ぱきり、と地面に落ちている枝を踏んだらしい微かな音に反応して棍を握る手に力を込めた。

近づく人の気配と距離がないわけではないが、離れていても言い知れない威圧感を感じる。
旅人や、近くの村の住民などではない。
軍人よりも遥かに強い。

まるで、皇帝バルバロッサや帝国五将軍にも匹敵するほどの力が、気配だけでひしひしと伝わってくる。

何者だ。
ハイランド軍・・・いや、それよりも・・・。

(・・・まさか)


その瞬間、光が軌跡を描いた。

天流が一拍前まで居た場所に、鋭く光る剣が刺さっている。


「よく避けたな。褒めてやろう」

どこか面白がるような、嘲りを含む低い声が耳に届く。
普通の人が聞けば恐怖に怯えるほどに、力のある声。

木立の向こうから姿を現したのは、鍛え上げられた長身の青年。整った顔立ちは美形と言っていい。だが、その眼を見れば、誰もが足を竦ませることだろう。
それほどに冷たく、研ぎ澄まされた刃のように鋭いものだった。

強い。
その全てがあまりにも強すぎる存在だ。

しかし、天流には脅威にならない。

「これがハイランドの礼儀?」

動揺も怯えも見せない天流に、青年はほう、と感心したように眉を上げた。

「なるほど、興味深い」

地面に突き立った剣を抜き、天流に切っ先を向ける。
他の多くの人間のように泣き叫ぶでも逃げ回るでも命乞いをするでもなく、毅然とした態度で棍を手に身構える少年の姿勢に、青年は愉快でならぬと口元に笑みを浮かべた。


対峙する二人。
棍と剣が今まさに交わろうとしたその時、数頭の馬の蹄の音が二人の間の緊張感を散らした。

「・・・・・・」

青年は無言で戦闘態勢を解き、剣を鞘に仕舞った。
同時に天流も構えを解いて棍を下ろす。

「邪魔が入ったようだな」

言いながらも、青年は別段気にした様子もない。かなり機嫌が良いようだ。
真っ直ぐに見据える天流の視線を受け止め、彼は林道の先を指差した。

「見たところ顔色が悪いようだな。この先に村があるぞ」

行って休んではどうだ、という意味合いだろう。
思いも掛けない優しい言葉と受け取るべきか。不遜な態度と含みのある笑みで言われては判断に迷う。


「ルカ様!」

近くまで走り寄ってきた馬の上から、呼びかける声が響く。

ルカと呼ばれた青年は踵を返して騎馬達の下に歩み寄ると、一頭の無人の馬に跨った。

彼と天流を交互に見やって困惑する部下達の視線も無視し、ルカは何事もなかったかのようにその場を後にする。


後ろを振り返ることもなく。







■■■■■







深い闇に閉ざされた異質な空間。


果てしなく続く大地は息づく気配を感じさせず、枯草のみが地表を覆う。


生命の息吹のない闇と死の世界。


ふと現れる光は迷うように彷徨いながらやがて消えゆく。





もう何度見たか知れない闇の夢の中に佇み、天流はいつしか感じるようになった異変を思う。

かつて300年もの間この世界でたった一人孤独に耐え続けた親友から、時々現れる光の球体が誰かの“魂”だと聞かされたことがある。
迷っているのか、それとも昇華されゆくのかは解らないが、ふとした瞬間に“生と死の狭間”であるこの空間に現れるのだと。


その光が、ここ数日の間に随分と増えている。

今もまた、一つの光が流れて消え、間を置かずに次の光が別の場所に現れた。


何故、こんなにも彷徨う魂が増えたのか。

心当たりがまったくないわけではない。


その“心当たり”のせいもあってか、右手に巣食うものは最近頓
(とみ)に疼く。

闇に薄く浮かび上がる自身の右手を見て、微かに険を刻んだ。





異変が感じられるようになったのは。





――ハイランドに入ってから――。










“ティル!”


懐かしい声に呼ばれたような気がして、夜闇の中天流は眼を覚ました。

彼が眠っていたのは宿屋の寝台だ。
先日泉の傍で出会った青年によって教えられた小さな村に、一軒だけあった。
ここで数日ほど泊まったのだが、心身の疲れは取れない。

起き上がると、全身を薄い光が覆っていることに気付く。
光が漏れるのは胸元からだ。
優しく包み込むような光。
だが、右手だけは禍々しい闇を纏う。

「・・・ありがとう」

翡翠の石を握り締めて小さく呟いた。
今は傍には居ない、大切な友人。石に込められた彼の想いは、いつも天流の心を救ってくれる。

石を見つめていた優しい瞳は、右手の闇を見て険しくなる。

ハイランドに入った時から、頻繁にソウルイーターが疼く。
天流の高い魔力と、風の魔術師の少年にもらった石に宿る風の力によって阻まれているが、少しでも気を抜けばありとあらゆるものを飲み込んでいまいそうなほどに強い闇。

歓喜している。
そう、感じた。

ハイランドの地に足を踏み入れてから、ソウルイーターはひどく機嫌が良い。
じっとしてはいられないとばかりに、天流を意のままに操ろうとまでしている。


「何がそれほどまでに楽しい」


問いかけに、右手を覆う闇が蠢いた。



まるで、笑っているかのようだ。








■■■■■







晴れ上がった空の下、ハイランド軍の武将シードは自慢の駿馬に跨り、遠乗りに出ていた。

皇都ルルノイエから少し行けば、美しい風景の中に小さな村や町が点在している。
王宮内の物々しさとは無縁ののどかな雰囲気に、シードは心が和むと同時に不安が募る。

この平和がいったいいつまで保てるのか。
まだこの辺りにルカの手は伸びていないようだが、気まぐれな彼の皇子が侵攻するのも時間の問題だろう。



ハイランド皇子――ルカ・ブライト。
その残忍さから“狂皇子”とも呼ばれている彼は、シードにとっては主君だ。
しかし、彼に対して絶対の忠誠心を抱いているかというと、素直に頷くことができない。

シードの眼から見ても、彼は確かに高いカリスマ性を持ち、文武に優れていた。希代の名君となる素質は充分に備えている。
だが、その性質は残虐に過ぎた。罪もない人々をまるで虫を殺すかのように簡単に屠り、しかもその行為を楽しんでいるのだ。その神経がどうしても理解できない。
あの温和な皇王アガレス・ブライトの息子とも思えないほどの冷酷さは、人道的に許せるものではない。

彼によって理不尽に滅ぼされた町や村は少なくない。敵の侵攻ではなく、本来守ってくれるはずの帝国からの侵略。
ルカ皇子はただ自分の力を誇示し、残忍な欲求を満たすためというよりも、まるでハイランドを憎み滅ぼそうとしているのではないかと思えてしまう。

彼が心正しければ、きっと自分は命を掛けて彼に仕えられたのに、とシードは嘆息した。

ルカ・ブライトは元来人の上に立つ人物だ。
かつて隣国の地で赤月帝国を治めていた皇帝バルバロッサや、解放軍を率いたトランの英雄にも劣らないほどに。



木立の中を進みながら考え事をしていたシードは、ふと異変に気付いた。

「ん? どうした?」

馬の様子がおかしい。宥めようと首を叩くが落ち着く様子もなく、戦場を駆けても欠片の怯えも見せない勇猛な馬が、静かな森の中でひどく動揺している。

さらに、視線を巡らせた森に動物の気配がないことに気づき、訝しんだ。
小鳥の囀りも、動物の鳴き声もない不自然な静けさ。

ぞくりと肌が粟立った。

ひどく不吉な気配がする。
どこかルカ・ブライトの残忍さにも似た――。

いつでも鞘から抜けるように剣に手を掛け、シードは慎重に歩を進める。


やがて木々の間から小さな泉が現れ、草の上に横たわる人影を見つけた。







夜中にソウルイーターに起こされた後、天流は再び眠る気にもなれずに夜明けを迎えた。

日に日に募る右手の不快感に、いつまでもハイランドに留まっていては危険かも知れないという危機感を抱く。
しかし、村を離れて旅に戻ろうとしても、あまりの身体のだるさに動くことが億劫になってしまう。天流の魔力が如何に高くとも身体は成長過程の少年のもので、こうも心身に負担を掛けられれば疲弊する。

滞在していた村から離れた林道の中、小さな泉のそばで草の上に身を横たえた天流は軽く眼を綴じた。



微かに聞こえた馬の蹄の音に、天流は眼を綴じたまま耳を澄ます。
小さな金属音はかつて聞きなれた剣の擦れる音か。一瞬、“彼”だろうかと緊張が走るが、あの圧倒的な気配は感じなかった。
向こうも警戒している様子だが、殺気などは感じない。

少しずつ、少しずつ距離が縮まる。

天流の姿に気付いたのだろう。
戸惑う様子が気配で解る。

静かに馬から下り、足音を立てずにゆっくりと近づいてくる。

だがやはり殺気や敵意はなく、危険を感じないので天流は無視することにした。
相手がさっさと立ち去ってくれればいい。



「おい、大丈夫か?」

若い男の声が心配そうな響きを滲ませる。
天流は眼を開けて声の方を見た。
身を屈めて覗き込んでくる、ハイランド軍の軍服を纏う青年。年齢は二十歳そこそこに見えるが、かなり高い地位の武将のようだ。

しっかりと自分を見た少年に、青年はほっと表情を和らげた。

「昼寝の邪魔したんなら悪かったな。ただ、何だか、息をしてないんじゃないかと思ってさ」

見ず知らずの少年の心配をするとは、どうやらお人好しな性格らしい。
悪い気はせず、天流はゆっくりと身を起こした。

「少し微睡んでいただけです。ありがとう」

「あ、いや。俺はシード。お前は?」

問われて返答に迷う。
彼がハイランド帝国の武将であるならば無闇に名乗るわけにはいかない。

「・・・テッド」

思案した後、天流は親友の名を借りることにした。

「・・・・・・男?」

「・・・・・・・・・・・・」


微妙な沈黙。
まさか名を名乗ってこんな反応が返るとは思わなかった。

一方シードはずっと判断がつかなかったのだ。彼の性別の。



気まずい静寂に堪えられなくなり、シードはがばっと頭を下げた。

「悪い! 失礼なこと言って申し訳ない!」

潔く、しかも豪快に謝られると、天流もこれ以上怒りを持続することができない。

「いえ、解って頂ければ・・・」

ほんの少しだけ恨みがましそうに、シードの謝罪を受け入れた。





■■■■■





「シード、お前どこに行っていた?」

城に戻ったシードは、同僚のクルガンにいつもの無表情で出迎えられた。
彼の冷静な声音にも、シードは笑顔のままどこか浮かれている。

「悪い悪い、クルガン。綺麗な子と会ってさ、ちょっと話してたんだ♪」

あの泉での出会いを思うと自然と顔が綻ぶ。

テッドと名乗る少年との会話は始めこそぎくしゃくしていたが、しばらくすると彼の機嫌も直り、打ち解けることができた。
物静かな少年だったが、旅を続けているからかその知識は驚くほど広く、彼との会話はとても楽しいものだった。
暇が出来ればまたあの場所に行ってみよう。
そう思うだけで心が弾む。


「ほう、お前が一目惚れするほどの女性がこの辺にいるのか」

「女じゃねえよ、男の子だ」

あっけらかんとした答えに、クルガンは僅かに瞠目した。

「・・・お前はそちらの趣向の持ち主か」

「は?」

さすがのシードもクルガンの言葉に焦り、ご機嫌な笑顔を引っ込めた。
このままではおかしな誤解をされてしまう。

「そんなんじゃねえっての。お前だってそいつに会えば俺の気持ちが解るって」

「私は美少年趣味は持ち合わせていない」

「だーかーらーっ!」



そのまましばらく二人の会話は平行線を辿った。



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