交錯1


※この話には暴力や流血などの残酷的な描写があります。
苦手な方はご注意下さい。




「リウ、これを」

吹き上げる風に髪を揺らしながら、天流は絶壁から見渡せる広大な大地から傍らに立つルカ・ブライトに視線を転じた。
目の前に差し出された手が握るチェーンの先に揺れる翠の石に、琥珀の瞳が驚いたように見開かれる。

「返してやる。この石はお前の胸にあってこそ相応しい」

そう言ってルカは天流の首にそれを掛けた。

数ヶ月ぶりの感触。
石は喜びを表すかのように一瞬輝きを増した。
ルカにもその様子が感じ取れたのか、くっと抑えきれない笑いを零す。

「お前から取り上げた後、まるで不機嫌になったかのように色がくすんで見えたが、一転して機嫌が良くなったようだな」

元の持ち主そのままの反応に、天流も思わず微笑む。
他人に近寄られるとすぐに不機嫌になっていた年下の友人。しかし天流が傍に行くといつでも優しかった。


「でも何故?」

「これはお前を引き止めておくために奪ったものだった。だが、もう必要あるまい。違うか?」

お前は俺の傍に居ると誓ったのだから。

言葉をもう一度確かめるように天流を見据えると、真摯な瞳が静かにそれを受け止めた。

「約束は守るよ」

「ならばもう良い」

冷淡な態度ながらも、根底にあるのは天流への確かな信頼。
もう、引き止めておくための鎖は必要ない。

すべての人間を憎み、誰も信じることの出来ないルカにとって、天流に向ける感情には彼の中でひどく葛藤もあったことだろう。
しかし今、ルカはすべてを受け入れて前に進もうとしている。

この信頼を決して裏切ることはしない。
再び胸に触れる感触をそっと握り締め、天流はそう心に誓った。


「お前の傍に在り、お前の生き様を見届ける。――最期まで」


奏でるように紡がれた言葉に、ルカ・ブライトは狂皇子とは思えぬほどに優しく微笑んだ。


しばらく二人は言葉を交わすことなく心地良い静寂を楽しんでいたが、ふいに思い立ったように天流が呟いた。

「だが、城の人間にいい加減怪しまれないかな。狂皇子の傍にいる素性の知れない者の存在など」

これまで、ルカ・ブライトの傍に長時間居られた人間など存在しない。
夜の相手を務める者は大抵二、三日もすれば死体となって転がっているし、ルカの身の回りの世話をする者も数日間で殺されたり、酷い怪我を負ったり、果ては発狂したりするという。
ルカ自身も他人に干渉されることを嫌うため、今や彼の世話をする者は居らず、ルカが部屋に居ない間に素早く掃除をする程度だ。

そんな中、天流はもう2ヶ月近くルカの傍に居る。
これまでの経緯からは考えられない事態のはずだ。

ルカは別に誰に何と思われようが全く気にしないのだが、重臣達はルカの目の届かない所で天流を尋問し、正体を探ろうとするだろう。そしていずれはトランの英雄であることに行き着く恐れもある。そうなれば重臣達は彼を利用しようと考えるはずだ。
天流の力を借りて狂皇子の暗殺でも企むか、はたまたトラン共和国と手を組む、もしくは天流を人質にトランを従属させて都市同盟を叩き潰してハイランドの勢力を拡大させようとするか。
どちらにしても天流が血腥い事態に巻き込まれることは必至だろう。


ふむ、と考え込んだルカにすぐに解決策が浮かんだ。

「結婚でもするか?」

「寝言は寝て言え」

返答はにべもない。
数刻前にはしっかりとルカを見つめていた瞳は険悪に細められている。

「名案だと思うがな」

心底残念そうに肩を竦める。
いったいどこが名案だ、とルカを断崖絶壁から蹴り落としたい衝動を天流はその鉄壁の自制心で抑え込んだ。

「お前に相談した僕が愚かだった。せいぜい他人の目に留まらぬようひっそりと暮らすことにするよ」

まるでご近所付き合いに疲れたご隠居の引き篭もり宣言のような台詞を吐く、外見十五歳実年齢十七歳のうら若き美少年。

どうせただっ広い城内、天流が向かう先などルカの部屋と風呂と書庫と、早朝か深夜の無人の中庭の片隅(鍛錬用)くらいなのだから、誰一人とまではいかなくともほとんど人と顔を合わせることはない。
自分が意識すればルカ以外の人間と会うことがないようにも出来るのだ。

そうして自分だけで解決したらしい天流の様子に、ルカは切なげなため息をついた。
結構、狂皇子の妻案が気に入っていたらしく、速攻で却下されて傷ついたようだ。





■■■■■





「ルカ、頼みがあるんだが・・・」

断崖からの景色を楽しんだ帰り道すがら、天流は前方の馬上のルカにおもむろに切り出した。

「何だ」

「あの村に、連れて行ってもらえないかな」

言われた言葉に、ルカは馬を止めてその身体を反転させ、天流の進路を塞ぐ形で彼に向き合った。すぐに天流も馬の足を止める。

「お前の紋章が暴走した村のことか?」

「ああ、あれから一度も行っていないから、気になる」

「行ってもあの村の豚共は生き残ってなど居ないぞ。俺とお前以外全員死んだのだからな」

「・・・知ってる。けれど、行きたい」

天流の決意の固さに、これは反対しても無駄だろうと判断したルカは「解った」とだけ答え、進路を滅びた村の方角に取った。



やがて天流の目に記憶にある風景が広がり、湖へと続く林道に差し掛かった時、二人の耳に人の争うような声が聞こえてきた。
思わずそちらに視線を向けた瞬間、女性の高い悲鳴が響く。

女性が襲われている。

瞬時にそう判断した天流は咄嗟に手綱を引き、声の聞こえる方へと馬を走らせた。







狂皇子によって林道の先の村が滅ぼされた後、この辺りは急激に治安が悪くなっていた。

村が滅びて間もない頃は何度かハイランド兵が現場を検証に訪れていたが、数週間もすればそれも無くなり、変わりに夜盗や山賊が村を荒らしにやってくるようになった。
使えるものは根こそぎとばかりに金目のものはもちろんのこと、家具や備品、ありとあらゆるものが略奪されていく。


それを知りながらも、少女はその村へと急いでいた。
どうしても自分の目で確かめなければ気が済まなかったから。

しかし、若い娘がたった一人でそんな場所に向かうなど、無謀に過ぎる。
村に近い林道など、身を隠せるのは彼女だけではないのだ。
どんなに警戒しながらも歩いても、たった一人の少女が大勢の男を相手に無事に通過できるなどという考え自体が甘い。

少女は林道の中で山賊に見つかり、必死に逃げはしたものの大勢の男によって然程時間を要することなく追い詰められていた。
助けを求めて甲高い悲鳴を上げても、山賊から救い出してくれる都合の良い正義の味方など通り掛かるわけがない。

男達は恐怖に叫ぶ少女の姿を愉悦を込めて嘲笑い、一斉に飛び掛った。







山賊と思わしき数十人の男達が集まっている様を林道の先に捉え、天流は馬の速度を上げた。

「おい、どうする気だ」

後ろからルカの怒ったような声が届く。天流の後を追ってきたようだ。

「山賊の中に女性の姿が見える」

「貴様はどういう目をしている」

目を凝らして林道の先の人だかりを見据えるが、女性の悲鳴は確かに聞こえても姿を捉えることができない。
余程天流は視力が良いのだな、と思わず感心する。

「まさか助ける気か?」

「放っておけるわけがないだろう」

お人好しだなと呆れてしまうが、思えばルカと天流の二度目の出会いもそのお人好しのお陰だった。
あの山賊達のように、無力な村人達を甚振っていたハイランド軍を相手にたった一人で立ち向かってきた天流。
普通の人間ならば自分の力量を弁えぬ無謀さに冷笑するところだが、天流の場合は彼の目の届くところで悪事を働こうとする悪漢の方が運が悪いとしか言いようがない。

しかも今はその天流ですら成敗しきれなかった狂皇子付きともなれば、山賊達の末路など押して知るべしである。


山賊達が馬蹄の響く音に気づいて数拍も経たぬうちに、彼らの下卑た笑い声は断末魔の悲鳴へと変わった。







「この荒唐無稽の大馬鹿者」

「何だ、玲瓏優美な姫君」

「誰が姫・・・ではなくて、何てことしてくれるんだ、お前!」

激昂する天流の険しい視線をにやにやと受け止めるルカは何やら非常に機嫌が良さそうだ。
その手に握られた剣が血に染まり、大量の死体が転がる大地は血の海と化している。

「捕獲することなく皆殺しにするなど・・・、腕や足の骨を二、三本砕いてハイランド兵に捕らえてもらえば良かっただろう!」

「ふん、こんなくず共に掛けてやる情けほど無意味なものはないな。だいたい犯罪者を飼うことにすら国庫から金が使われるのだぞ。さっさと屠った方が面倒がない」

真面目に仕事をさせてしまったことで、妙に金銭感覚がせこくなっている。
天流は思わず頭を抱えた。

そんな天流の背後には、腰を抜かして震える少女の姿があった。
無残に服を引き千切られ、泥に塗れてはいるものの目立った外傷はないようだ。


駆け付けた天流とルカは圧倒的な強さで数分と経たずに山賊達を一網打尽にした。
特にルカは久々の血の匂いに興奮したのか、次々と長剣で山賊の胴や首を切断し、天流が棍で足や肋骨を砕いて動けなくなった者までご丁寧に一人残らず止めを刺していったのだ。
静止の声も届かぬ修羅の如き暴虐振りに、天流は山賊やルカの凶刃と凄惨な光景から少女を守ることで手一杯だった。


事態が飲み込めずに茫然となっている少女に、天流はルカから剥ぎ取った上着を掛けてやった。
そして改めて少女と向き合い、驚愕する。

「カスミ?」

「え?」

少女は正気に戻り、驚いたように自分を見つめている天流に首を傾げてみせる。

彼女の顔は、かつて天流と共に戦った少女によく似ていた。
だが、短いショートカットだったカスミとは違い、少女は後ろで長い髪を結い上げている。やはり別人だ。

「あの、私はリアって言うんだけど・・・」

「済まない。知り合いによく似ていたので・・・」

「あ、いえ、その・・・助けてくれてありがとうございました」

リアと名乗った少女は天流とルカに深々と頭を下げた。

「何故このような所に居るの? この辺りは女性が一人で歩くには危険過ぎる」

優しい声音ながらも咎めるような問いに、リアは顔を曇らせて俯いた。

「わかってるけど、どうしても村に戻りたかったの・・・」

「君はこの先の村の人?」

「うん、出稼ぎのために今はキャロの街に住んでいるんだけど、村には家族がいるの。それが、狂皇子に滅ぼされたって聞いて、居ても立ってもいられなくなって・・・」

ぽろぽろと涙を零しながら語るリアに気づかれないよう、天流とルカは視線を交わした。

つまり少女はルカによって滅ぼされた村の出身者で、キャロの街で働いていたが故に難を逃れたものの、村にいるはずの家族を失ってしまったということか。そしてキャロの街から村までの長い道程を危険と知りながらもたった一人で歩んできた。

天流は痛ましげに涙を流す少女を見つめた。
彼女にとってルカは家族や村の人達の命を奪った仇だ。
互いのことを思うのならこれ以上共に居るべきではない。だが、少女を一人残すことは躊躇われる。

「僕達もその村に向かう途中なのだけど、一緒に行く?」

「本当!? ありがとう、すごく助かるわ!」

哀しみに沈んでいたリアの表情が輝く。
二人の実力を目にした後では、これほど頼もしい同行者はいないだろう。

リアに手を貸して自分の馬へと乗せる天流に物言いたげな視線を送るルカだが、結局無言のまま共に村へと向かった。







ほんの数ヶ月の間に、のどかだった村は不気味な廃墟へと変貌を遂げていた。

昼間だというのに辺りは心なしか薄暗く、今にも倒れそうなぼろぼろの家屋が一層不吉だ。
リアや天流の記憶にある村は見る影もなく、しばらく茫然とその場に立ち尽くす。

すると、リアが弾かれたように駆け出した。
記憶を頼りに変わり果てた村を走り、ある家の前で立ち止まる。
壊された扉を潜って家の中に入ると、中はひどく荒らされていた。

「お父さん、お母さん、お姉ちゃん!!」

無駄だと解っていても叫ばずにはいられない。
運よくどこかに隠れて見つからずに居てくれたかも知れない。
そんな希望を抱きながら、無事を知らせる書き置きがないかと散乱する残骸の中を探し回る。



天流は戸口に立ってその様子を見つめていたが、やがてその場を離れた。
向かったのは村の広場。
天流とルカが二度目に出会った場所であり、ソウルイーターがその力を解き放った現場だ。

「何もないね」

「クルガン達が掃除をしたようだからな」

「これまで滅ぼした町や村を訪れたことはある?」

「壊れたものに興味はない」

鼻で笑いながらはっきりと言い切るルカに、自嘲的な笑みを返す。

「失われた多くの命は必ず誰かに愛されていた。大切な者を失った哀しみは憎しみとなって返ってくる。人々の絆を断ち切ることは、どれだけ人を殺しても不可能なことだ」

図らずとも命を奪ってしまったハイランド兵のことを思うと、胸がひどく痛む。
彼ら全てが村人の虐殺を望んでいたわけではなかった。例えその手が罪の無い人達の血に汚れていたとしても、あんな風に自分が奪って良い命ではないのに。

誰かを殺すということは、その人の人生を背負うことだと二年前に痛感した。
どんな理由があろうとも、大切な人の命を奪われた哀しみは癒えないし、怒りと憎しみは連鎖していく。復讐は復讐を呼び、流される血は後を絶たない。

暗く沈む天流の身体を、逞しい腕がそっと抱きしめた。

「それほどに辛いならば全てを俺のせいだとでも思っておけ」

「馬鹿なことを。切欠はお前でも手を下したのは僕だ。憎むべきは己の未熟さだけだよ」

「俺にはお前の繊細さは理解できんな」

「お互い様だ。だが見習いたいとは思わないがお前の強さは尊敬に値するとは思う」


誰も信じず、誰もに脅威を抱かせる狂皇子。部下ですら恐怖で支配する彼には家族も仲間もない。誰にとってもルカ・ブライトは“狂皇子”でしかないのだ。
それは即ち、彼を倒すことで彼に対する憎しみ、恐怖は絶たれるということ。
天流や彼が倒してきた者とは違って、ルカ自身に惹かれて忠誠を誓う者は居ない。ルカを倒すことによって、憎しみの連鎖が起きることはない。
誰にも真似の出来ないこと。そこにルカの崇高さを見る。


――でもルカ、おそらく僕はお前が死んでしまえば哀しいと思うよ


多くの人々にとって恐怖と憎しみの対象でしかない狂皇子だが、天流を抱く手はこんなにも温かくて優しい。



廃墟となった村。
耐え難い現実に責め苛まれることを覚悟していたが、ルカの存在に守られた天流の耳に彷徨える魂達の嘆きは聞こえなかった。



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