|
目指す道
・・・しくしくしくしく、ひくっ、ぐす、ずず・・・しくしくしく
何とも言えない低く耳障りな泣き声が室内に流れている。
荘厳な室内は名のある名工による逸作と一目で解る調度品や絵画が、素晴らしい配置で見る者の目を楽しませる。
そんな秀麗な部屋には到底似つかわしくない音が、上記の奇妙な音である。
居合わせてしまった人達は堪ったものではなく、動くに動けない己の不運を嘆いた。
何でこんな所でこんな苦行を受ける破目になっているのだろう・・・。
ただ問題なのは、この異様な事態が何故起きているのか、理解できてしまう自分が悲しい。というか、下手すれば自分自身がこの怪音を出していたかも知れないわけで、そう考えるとこの音を聞かされる破目になるであろう家族や周囲の者の心労を思えば、“これが自分の姿か”と事前に客観的な立場で見れて良かったかも知れない。
・・・えぐ、えぐ、ずず〜、しくしくしくしくしくしくしくしくしく・・・
ああ、いつまで続くのだろうか。
誰も口を挟めず、静寂の中を怪音だけが虚しく流れる。
それぞれの目の前に置かれている書類を手に、痺れを切らした誰かが発言をしようとするが、何だか気が削がれて一言も発することなく沈黙してしまう。
どうにもならない事態に、複数の視線が何度も互いの間を素早く行き交う。
“おい、お前何か言えよ”
“冗談だろ。君こそ何か発言してくれないか?”
“誰か早く会議を始めてくれ”
“だったら貴方が取り仕切ったらどうです?”
“いつまで黙ったままでいるつもりだ”
“仕方ないだろ、この状況では”
“何もせず座ってる場合ではあるまい”
“そんなこと、皆が解っていますよ”
このままじゃ一日中怪音の中で過ごさなければならない。
せめてここにこの人の奥さんか息子が居てくれればっ!!
玉座で膝を抱えて泣き濡れる鬱陶しい中年男、トラン国大統領レパントをどうにかしてくれるのは、今や極限られている。
美しく賢い妻アイリーンならば穏やかに微笑みながら夫の尻を蹴飛ばしてくれるし、一人息子シーナならば涙も引っ込んで怒声が飛び交う。
左右将軍アレンとグレンシールやソニア・シューレン辺りならば、問答無用でレパントを殴り倒してビシバシと会議を始めてくれるだろうが、残念ながらこの三人は武官なので今この場に同席していない。
ちなみにこの三人の場合、レパントは上司である以前に同胞なので多少乱暴なことも平気でやってのける。
“お願い! 誰か助けてっっ!!”
全員の胸に過ぎったのは、ただそこに在るだけで大統領を操作できる唯一人の人物――トランの英雄だった。
それはもう拝み倒して崇め奉りたい勢いで。
トランの英雄をご本尊とした新興宗教でも生まれそうだ。
その時、待ちに待った救いの神が現れた。
「「失礼します」」
一斉に必死な視線が向けられた先には、端正な顔立ちの若者二人。
「アレン殿・・・グレンシール殿・・・」
いい年した文官達の今にも泣きそうな表情と縋るような視線に、アレンとグレンシールはそっとため息をついた。
二人は迷いのない足取りでレパントのそばまで来ると、背を丸めてすすり泣くその頭を腰に帯びた剣の鞘で力いっぱいどついた。
「いつまで見苦しい姿晒してんですか、大統領」
「人の迷惑も少しは考えたらどうです、大統領」
「大事な報告があるのでさっさと泣き止んでくれませんかね、大統領」
「それとも奥様を呼んで雷でも落として頂きますか、大統領」
尊敬の欠片も伺えない“大統領”が冷たい声音で連発される。上司に対する遠慮のへったくれもない。
「ええい! 取って付けたように空々しく“大統領”を連呼するでないわ!! せっかくティエン様との懐かしき日々に思いを馳せているというのに、邪魔するとは何事か!」
「思い出に浸りたいのなら仕事のない時に誰にも迷惑を掛けない所で一人でひっそりとなさい。こっちは至急なんですよ。貴方の鬱陶しいいじけモードに付き合ってやれるほど暇じゃないんですよ。ええ日々時は刻々と刻んでおりましてね、誰もがいつまでもめそめそできるほど世の中甘くないんですよ。それとも何ですか、ティエン様が与えて下さった役目放棄する気ですか。そんなに私とアレンの紋章かっ食らいたいなら言って下さい。いつでも“火炎陣”で吹っ飛ばしてやろうじゃありませんか」
淀みなく一気に言い放ったグレンシールの見事な滑舌に、誰も口を差し挟めなかった。
弾丸の如く容赦のない舌鋒を浴びたレパントは、口をパクパクと開閉するだけで言葉もない。
いつも冷静なグレンシールがどこの小姑かという程にレパントを罵る。
グレンシールと長い付き合いであるアレンは彼の苛立ちを正確に感じ取っていた。かくいうアレンも、自身がグレンシールほど口が立たないと自覚しているため黙っているだけで、気持ちは相棒と同じだったりする。
大事な天流が突然姿を消したことにショックを受け、悲しんでいるのは彼等も同じなのだ。
なのに、その天流に委任状とはいえ唯一手紙をもらっておきながら、日々めそめそと泣き濡れる中年男の見苦しさに怒りを覚えるのも当然だ。
事実、このままレパントが鬱陶しく悲嘆に暮れるというならアレンは躊躇いなく烈火の紋章を翳してグレンシールと共に“火炎陣”の一つもぶっ放しただろう。
しかしそこは天流に政治の実権を託される程の信頼を得る歴戦の戦士レパント。グレンシールの口調からただならぬ事態を感じ取って表情を引き締め、コホンと小さく咳払いして姿勢を正した。
「報告を聞こう」
最初からそうしてくれれば・・・
官僚達全員の心の声だった。
卓上に広げられたのはトラン国内の地図だ。
グレンシールがまず指を差したのは、つい数週間前まで自分達の本拠地であった湖上の城。そして紙面を滑るように長い指が移動する。
「トラン城より南西の地方で不穏な動きがあるとの報告を受け、フウマ殿とカスミ殿に偵察を依頼したところ、元帝国兵と思われる一団がスカーレティシア城を拠点に周辺の街や村を襲撃し、多くの民を捕らえているとのことです」
「何?」
国民が襲撃されているという言葉にレパントの表情ががらりと変わった。
それは他の文官達も同様で、一気に空気が張り詰める。
赤月帝国が天流・マクドール率いる解放軍によって打ち倒されて数ヶ月。
レパントを始めとする元解放軍や民衆に政権が委譲された後、国は少しずつ落ち着きを取り戻しつつあった。
しかし、解放軍への復讐に燃える元帝国軍の残党は今も全てを鎮圧できているわけではなく、時折どこかで小競り合いが起きる。
だが統制を失った残党兵はもはやトラン共和国軍の敵にはなりえず、すべて鎮圧された。
そんな状況に業を煮やした帝国軍の残党達は、今一度力を結集させようとしているらしい。
――それにしても・・・。
誰もが同じことを思ったのか、一斉にため息がもれた。
「よりによってスカーレティシア城を選ぶとは・・・」
「チャレンジャーだな、元帝国兵」
「あの城をあえて拠点に選ぶ神経が理解できん」
「城ならばパンヌ・ヤクタやロリマーもあるだろうに・・・」
「果たして彼らはいつまで耐えられるのだろうな」
あの派手派手しい馬鹿げた城に。
ミルイヒ・オッペンハイマーによる趣味と実益の随意を極めた奇天烈な城の姿を思い浮かべると、何だか脱力感を覚える。
「ああ、それと・・・」
ここに来て初めてグレンシールの口調が重いものになった。
アレンもつい目を逸らして言い難そうに口元に手を当てる。
「何だ。問題が起きたか?」
「いえ・・・問題と言いますか・・・」
「実は、その報告を受けた時、傍にシーナ殿も居まして・・・」
“シーナ”の名前にレパントの眉尻がキリキリと上がった。何だか次の言葉が予想できる気がする。
不穏な空気をひしひしと感じつつ、アレンは気を取り直すように咳払いを一つ。
「シーナ殿の言葉をそのまま伝えますと・・・『んじゃ俺先に行って見てくるわー。親父によろしく〜♪』・・・だそうで・・・」
満面の笑顔でひらひらと手を振りながら軽やかに駆け出す大統領子息の姿が容易に思い浮かぶ。
ふつふつと沸き上がってきた怒りがその瞬間活火山の如く噴火した。
「あの・・・馬鹿息子があああぁぁぁ〜〜〜っっ!!!!!」
■■■■■
グレッグミンスターに大統領の絶叫が轟く頃、その愛(?)息子シーナは何食わぬ顔で颯爽と馬を走らせていた。
その表情は非常に楽しげだ。
「あははー、親父の怒り狂う姿が目に浮かぶぜ♪ 少しはティル離れしろっての」
確かに日々泣き濡れて部下に迷惑を掛ける大統領は問題だが、そんなレパントの神経を逆撫でする行動をあえて取る彼の性格も問題だ。
「しかし大統領殿に無断で出てきて宜しかったので?」
シーナの後方から問いかけたのはフウマだ。
グレッグミンスターでの報告の後、すぐさまスカーレティシアに向かおうとした忍者にシーナは強引に同行して今に至る。
「心配しなくても軍勢整えてすぐ来るって。そんな親父達のためにも敵情視察も大事でしょ」
どう見ても楽しんでいるようにしか見えないが、優秀なる忍者は黙って控える。
やがてスカーレティシア城が見えてくると、馬の走る速度を落として森の中に姿を隠した。
肉眼で様子を確認できるまで近づくと木立の中をゆっくりと進みながら城の周囲をぐるりと回る。
回廊や庭園の各所に見張りと思わしき人の姿が見える。その半数以上が農具を手にした町人や村人だ。
遠目にも軍人に怯えながら所在なさげに立ち尽くしているのが解る。
元帝国兵の狙いは明白だ。
町人や村人を盾に自分達の保身を図る。
トラン軍が攻め込めば、真っ先に犠牲になるのが力を持たない人達だ。
家族や友人を人質に取られているであろう彼らには、トラン軍に助けを求めて逃げ出すこともできない。
立ちはだかる一般人にトラン軍は剣を向けることも矢を射ることもできず、城に攻め込むことはできなくなる。
「栄えある赤月帝国の軍人が卑劣な真似するよな」
飄々とした口調ながら、シーナの表情には怒りと不快が滲み出る。
軍人にとって守るべきは国家と国民の生命と財産であることは当然のことだ。
その国民を戦いの矢面に立たせるなど、許されることではない。
かつて反乱軍という謗りを受けた解放軍は、一度たりともそのような真似はしなかった。
この時点でどちらが誇り高い軍であるか明白である。
「さて、どうやってあの人達を助け出すかだな。日暮れまでどれ位掛かる?」
「二時間ほどかと」
「じゃあそれまで一眠りすることにするよ」
そう言うと、シーナは馬を下りて木の根元に腰を降ろした。
日が沈みゆく空は朱の名残を抱きながら闇を纏いつつあった。
周囲が暗くなってゆくに従い、スカーレティシア城の灯篭に明かりが灯される。
薄闇の中に派手なピンクやオレンジの色がぼうっと浮かび上がり、赤やら青やらの擦りガラスがキラキラと光を反射する。
それは見る者の心を一つの結論へと導いた。
「悪趣味だ・・・」
それに尽きる。
シーナは眩暈を覚えながら生暖かく黄昏のスカーレティシア城を眺めていた。
グレッグミンスターのミルイヒ邸もかなり派手ではあるが、それでも景観を壊さぬように配慮がされていて不快には感じない。
だがこの城は違った。
「将軍、やりたい放題だな」
通りで、スカーレティシア城が帝国軍のものでなくなった後、豪華な調度品や名のある名工の作品が並べられているにも関わらず、誰も買い手がつかずに観光施設にするしかなかったわけだ。
こんな所に住むのは恥ずかしい。
何はともあれ今は夜のスカーレティシア城を観賞している場合ではない。
シーナとフウマは雑木林を抜けて不気味に光る城へと駆け出した。
スカーレティシア城の周囲はレンガの塀にぐるりと囲まれ、入り口は正面の門だけだ。
一見防御に優れているように見えるが実はそうでもなく、死角が多い。
塀の外にはさらに囲い込むように木が立ち並び、内側にもこれまた花や草木が芸術のように植えられているため、夜の闇に紛れて姿を隠すのに調度いいのだ。
二人は難なく塀を越えて敷地内に忍び込むと、草木の陰に身を隠しながら窓に近づき、人の気配のないのを確認して城内に侵入した。
さて、人質達と賊共はどこだろう。
踏み出そうとしたその時、ふいにすぐ近くに人の気配を察知して剣を抜いた。
さっきまで気配は確かになかったのに。
シーナの全身に戦慄が走る。
「シーナさん」
「へ?」
突然女性の声で呼びかけられ、思いも寄らない事態に絶句する。
物陰から姿を現したのは、よく知る人物だった。
「カスミちゃん?」
「フウマさんから報告を受けてお待ちしていました」
思わずフウマに視線を向けると、忍者は表情も変えずに言った。
「お休みの間に連絡を」
言えよ。事前に。
寿命が縮まったじゃないか。
「私はずっとここで賊の動向を注視していました」
ああ、そういえば偵察にはフウマとカスミが行ったのだったっけ。
確かに城に残るならば見るからにただならぬ雰囲気を纏うフウマよりも、一見可憐な美少女なカスミの方が怪しまれることはない。しかも今のカスミは少年の恰好をしているので、美少女というよりはか弱そうな少年の風体だ。怪しげな目を向けられずに済む上に、警戒されることもなさそうだ。
「で、カスミちゃん、元兵士・現賊軍はどこに?」
「ほとんどが二階にいます。人質は一階に集められて、見張りの兵士が扉の前に数人ほど。そして城の外や回廊には人質と兵士達が交代制で見張りに立っています」
「人質になってる人達の様子は?」
「憔悴しています。賊達の横暴は酷いものです。今も何人もの女性達が二階に連れて行かれています。止めようとした人達はひどく殴られて・・・」
賊達が多くいる二階に連れて行かれた女性達。彼女達の身に何が起きているのかは容易に想像できる。
シーナは激しい怒りを覚えた。
「くそ、力を持たない人達を暴力で支配するなんて!」
国民を守る立場にある帝国が国民を省みず、私欲に走ったからこそ解放軍が生まれた。
そしてトランの地は一年以上に及ぶ戦乱を経て、今がある。
国民を見捨て、国民から見放されたが故に滅びた帝国に未だにしがみ付こうとして、同じことを繰り返す彼等は一体何なのだろう。
何故帝国が解放軍に敗れたのか。何故国民が解放軍を支持し、トラン共和国の建国を喜んだのか。考えようともしなかったのだろうか。
もどかしさに歯噛みするシーナに、カスミの冷静な声が問いかける。
「トラン軍はいつ来られるのでしょう?」
「今夜遅くには到着するはずだが、今のままではトラン軍は攻め込めない。何とか人質を全員安全な場所に移さないとな・・・」
とりあえず人質達が集められている部屋へ行くため、シーナはカスミの後に続いた。
残されたフウマはふっとその場を去った。
扉の前には見張りの兵士が数人立っていた。
近づいてくる二人に気付くと、剣の切っ先が突きつけられる。
「どこへ行っていた?」
「あの、見張りの人達に食事を届けに・・・」
おどおどとした口調でカスミが答えると、兵士達はフンと鼻で笑って剣を下ろした。
そして馬鹿にしたような目つきで二人を一瞥すると、居丈高に命令する。
「さっさと入れ」
「は、はい・・・」
兵士に怯える振りをしながら、二人は足早に扉の向こうへと逃げ込んだ。
部屋の中は薄暗く、決して狭くはないはずの室内の床には隙間無く人々が横たわっている。
こんなにも大勢の人間がいるのに話し声はほとんど聞こえず、ただ息遣いだけが漂う。
「うわ暗っ」
重々しい室内にシーナの素っ頓狂な声が響いた。
暗い表情の村人達が怪訝な眼差しを向ける。
その中でハッと息を呑む音が聞こえてそちらに視線をやるや、シーナの顔に驚きが浮かんだ。
「こりゃ驚いた、アップルじゃん」
「あなた・・・!」
慌てたように立ち上がったのは、よく見知った顔だった。
カスミに視線を向けると、くの一は表情も変えずに言った。
「先日よりひょんなことで」
何だよ。ひょんなことって。
ったく忍者ってやつは、何だってこう口数が少ないんだ。
つい先程のフウマとのやり取りが思い出され、シーナは思わず頭を掻いた。
忍者達が訊かれてもいないことを自主的に話すのは天流の前だけだということを、改めて認識してしまう。
気を取り直し、シーナは人々の間を縫って近づいて来るアップルと向かい合った。
「男の子の格好も似合うね。カスミちゃんにやってもらったの?」
笑いを含んだ言葉の中に込められた意図に、アップルはぐっと詰まった。
決してオシャレに拘る性格ではないが、年頃の娘として見苦しくない程度には気を遣っている彼女が、今はカスミと同じように冴えない少年の格好をしている。ここにルックとテンプルトンがいれば“毒舌おかっぱ少年三人組”なんてグループでもできそうだ。
(やっぱりこの人は苦手だわ・・・)
口角を上げて笑みを模りながらも、シーナの彼女を見る目は厳しい。
アップルがこの視線を浴びるのは初めてではない。その度に彼女は己の至らなさを実感し、居た堪れなくなる。
「たいした行動力だな。トラン城に乗り込んできた時を思い出すよ」
「遠まわしに嫌味を言ってくれなくて結構よ。考えなしだったと反省してるわ。カスミさんにも迷惑掛け通しだもの」
素直に自分の軽率さを認める発言に、シーナはおやと眉を上げる。
無鉄砲にも賊のアジトに紛れ込んだアップルは、女性がどんな目に遭うかという思慮に欠けていた。カスミがいなければ今頃彼女も賊の手によって手酷い辱めを受けていただろう。
自分に何か出来ることはないかと行動するのは崇高な理念のようにも見えるが、自身の力量も測れず満足な情報もないまま渦中に飛び込むのは無謀だ。
心から反省している様子のアップルに、シーナはそれ以上責める言葉は発しなかった。
代わりに出来れば城にいる全員に訊いてみたい質問を好奇心に駆られて口にしてみる。
「で、お城の住み心地はどう?」
アップルの表情が心底うんざりしているとばかりに歪んだ。
「最悪よ。ミルイヒ将軍とその配下の人たちはよくこんなケバケバしい城で生活できたわね」
ぼんやりと灯りが照らす暗い室内。
キラキラしい大理石の床にピンクやらオレンジやらの壁が四方を囲み、黄金の額縁の中には華やかな絵画が飾られ、煌びやかな調度品は光を反射して輝く。凝った作りの窓を覆うのはひらひらとレースをあしらった鮮やかな赤のカーテン。庭に咲き誇る花の香りがほのかに過ぎる。
――気が変になりそうだ。
「貴方がここにいるってことは大統領府に情報が行ってるのよね!? 助けはいつ来るの!?」
アップルのあまりの剣幕に、相当精神的に参っているんだなと同情の念が湧く。
「もうじき来ると思うぜ。上手くいけば夜明け前には皆城の外に出られる」
こともなげに言われた言葉に、室内がざわつく。
横たわっていた人々は身を起こし、驚きと戸惑いの入り混じった表情で闖入者を見た。
自分に注目が集まったことを感じ取ったシーナは、部屋を見渡すと全員に聞こえるように、だが部屋の外に届かない程度に声を抑えて言い放った。
「俺はトラン共和国大統領レパントの息子、シーナ。トラン軍は必ず貴方方を救出する。辛い思いをされただろうが、もう少しの間の辛抱だ」
一段とざわめきが広がった。
生気のない人々の表情に希望の色が宿る。
ところがそんな雰囲気を引き裂くかのように、険の込められた鋭い声が飛んだ。
「そもそもあんたらが奴等を野放しにしたから俺達がこんな目に遭ったんだ! 何でもっと早くに助けに来てくれないんだ!!」
「そ、そうだ、あいつ等が襲って来た時、トラン軍は助けに来てくれなかったっ」
上げられる非難の声に戸惑う者もあれば、目を伏せたり明らかに同意を示して責めるような目でシーナを見る者もあった。
「正確な情報が届いたのは今朝だ。それから軍を編成してグレッグミンスターからこっちに向かうわけだから、普通なら一日二日以上は掛かる。だが軍は今夜必ず来るだろう。異例の速さじゃないか」
「あんた達は安全なグレッグミンスターに居るんだからいいさ。だが俺達は辺境の町や村にいて、戦う力もなくて、あいつらが襲ってきても何もできないんだ。俺達は平和に暮らしたいだけなのに、何故あんた等も帝国軍もいつも戦争を起こそうとするんだ。それで被害を受けるのは、俺達なんだぞ! もういい加減にしてくれ!!」
「ちょっと待って下さい、皆さん! 彼は私達を助けに来てくれたんですよ? 今は皆で協力してここから脱出することを考えましょう」
宥めようとするアップルの言葉に、打ち沈んだ声が答える。
「わしにはもうそんな気力も起きんよ・・・。どうせ全員を救出することなんて無理じゃ。足手まといの老いぼれは見捨てられるだけじゃよ・・・」
「解放軍を率いた軍主様さえ戦いに勝てば後は関係ないとばかりに姿をくらましたって言うじゃないか。俺達みたいな農民がどうなろうと、お上はどうでもいいってことだろ」
「ティエンさまは・・・っ」
珍しく激昂するカスミの肩をシーナの手が強く掴んで押し留める。
傷付いた表情の少女に優しい目を向けた後、人々を見渡す視線は強く厳しい。
「あのさあ、さっきから聞いてるとあんたら助けてもらうことしか考えてねえのな」
アップルが苦手な皮肉染みた声音。自分に向けられているわけでもないのに思わず身を引いてしまう。
「軍が助けてくれないって言うけどさ、賊共がスカーレティシア城を拠点にした時、そして近隣の町や村を襲い始めた時、すぐに最寄の駐屯地のトラン軍に報せに行こうとした奴どれくらい居るんだ? 政府は超能力者じゃないんだ。地方の声は届けてくれなけりゃ聞こえないのは当たり前だろ」
非難の声を上げていた男達がぐっと言葉に詰まった。
スカーレティシア城の様子がおかしいことに気付いても、どこかの村が襲われたことを知っても、彼らはただ家に閉じこもり、身を潜めて賊が来ないことを祈ることしかできなかった。そして野蛮なる侵略者達は破壊と略奪を繰り広げ、彼らは壊された家から引きずり出されたのだ。
「“共和国”って何か知ってるか? 国民が主権を持ってる国ってことだ。じゃあ“主権”って何だ? 国を動かす力だ。戦争中は戦う力のないあんた達は守られていていい。だが戦争が終わった今、自分達の国をどうしたいのかはあんた達が考えなくてはいけない。いつまでも君主国家気分でいられては困る。国の政治を動かすのは自分達だという自覚を持って欲しい。家族を、友人を愛するように国を愛し、自分達の手で良くしていこうと考えて欲しい。それにはまず考えるべきだろう。国が自分のために何をしてくれるかではなく、自分が国のために何ができるか、を」
自分達で国を動かす。
そんなこと考えてもみなかった。
しんと静まり返った室内に、シーナの言葉が続く。
「侵略者なんかに負けんなよ。トラン共和国は国民を見捨てたりしない。俺達と一緒に馬鹿共を叩きのめそうぜ。ブタ箱にぶちこんで強制労働させてまずい冷や飯食わしてやれば少しは大人しくなるって。シャバに出たら出たで下働きにでもして厩舎か厠の掃除をさせてやるからさ。それ見て指差して笑って石の一つでも投げてやれ」
もうちょっと穏やかな物言いはないの?
アップルはシーナの口を塞いでやりたい衝動を何とか堪えた。言い様はやたら好戦的だが、言っていることは間違っていない。・・・山賊か何かのようだが。
しかし人々には受けたのか、小さく噴き出す声が聞こえた。笑いを堪えて肩を震わせる姿も見える。
「さてここで質問だ。あんた達が今すべきことは何だ? ここで腐ることか? それとも俺達と共に戦うことか?」
答えは彼らの表情を見れば言葉は要らなかった。
シーナの整った顔立ちに不敵な笑みが浮かぶ。
その時、カスミが扉の向こうに注意を向けるや抑えた声で注意を促す。
「誰か来ます」
反射的にシーナは片手で周りに座れと合図し、片手でアップルを引き寄せて床に転がった。
つられて全員がバタバタと身を伏せる。途端に室内はしんと静まり返った。
間もなく複数の足跡が響き、扉の前で止まった。
見張りの兵士と言葉を交わした後、扉が開くや女性達が乱暴に部屋に押し込まれた。
よろよろと倒れこむ姿に嘲笑を浴びせ、扉は閉じられた。
くずおれたまますすり泣くのは、兵士によって慰み者にされた女性達だ。
近くにいた人々がボロボロの姿の女性達を毛布で包み込む。
シーナはこんな時に何を言えば良いのか解らなかった。
タラシだの軽薄だの言われている彼だが、女性には優しく接するのが当たり前だと思っている。これまで女性にきつい態度を取ったのは、天流を理不尽に責め立てていたアップルにだけだ。
自分勝手な欲望の捌け口にして女性を辱める賊達の行為は理解できず、許せないものだ。
「怪我はされていませんか?」
優しく問うたのはカスミだ。
涙で頬を濡らしながらも、女性達は気丈に頷いた。
「身体、大丈夫? 歩ける?」
遠慮がちにシーナが問いかけると、女性達は目を丸くして彼を見た。
「見慣れない顔ね」
「俺シーナ、トラン軍の先鋒隊長」
いつからそうなったのよ、と突っ込みたかったがアップルは黙って耐えた。
「トラン軍?」
「今夜遅くにでも軍は近くに来るはずだけど、逃げる力はある? トラン兵士に触れられても大丈夫?」
ここまで男に心身を蹂躙された女性達が男を恐れるようになっても仕方が無い。
トラン軍隊の中にソニア・シューレンかバレリアの部隊が参加していれば、女性兵士の手を借りられるのだが。
シーナの心配をよそに女性達は朗らかに笑った。
「何よ、嬉しくて元気が出てきちゃったわよ。こんな可愛い男の子が迎えに来てくれたしさ」
「か・・・可愛い・・・?」
喜ぶべきか落ち込むべきか。いや、彼女の言葉に侮辱の意図はないのだからここは素直に喜んでおこう。
「綺麗なお姉さん達に喜んでもらえるなら俺もこんな派手な城に忍び込んだ甲斐があるよ」
「あら、生意気ね」
女性達はくすくすと笑ってシーナを撫でたりつねったりと他愛無い悪戯を仕掛ける。
「あと五歳若ければ坊やのこと狙ったんだけどなあ。あ、でもその年じゃあ出会わなかったかな」
「? なんで?」
首を傾げるシーナに女性達がカスミに目を向けて答えた。
「二十歳に満たない生娘達はこの子が真っ先に逃がしてくれたの」
カスミを見やると、彼女は頷きながらも辛そうに目を伏せた。
「できれば、皆さんを逃がしてあげたかったのですが・・・」
「それは無理よね、女がいなくなったのを知ったらあいつらさらに町や村を襲って被害者が増えたでしょうから」
「私達はまだいいけど、若い娘達がこんな目に遭うのは死よりも辛いことだものね」
彼女達だとて心身に深い傷を負ったはずだ。
生娘であろうとなかろうと、感情の伴わない行為は苦痛にしかなり得ない。
それを彼女達はこれ以上の被害者を出さないようにと耐え忍んでいた。
改めて賊軍への嫌悪と怒りが湧き上がる。
「俺達が必ず皆を助ける。お姉さん達には特別に良い男を何人か紹介するよ」
そう言ってシーナが浮かべた微笑みは、強く揺ぎ無かった。
NEXT
|