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比翼連理の旅人
解放戦争と呼ばれる戦争から1年が過ぎようとしていた。
トランの隣に位置する都市同盟の一都市であり、騎士団で有名なマチルダ市騎士団領に続く森の中に、一人の旅人の姿があった。
萌黄色のマントに身を包み、棍と呼ばれる武器を手に持つ彼の名は、天流・マクドール。
都市同盟領を南に下った所に在る、かつての赤月帝国――今は新しくトラン共和国として産声を上げた大国の建国者だ。
とは言え、木々に囲まれ、草に覆われた道をゆったりと進む様子からは、そんな大層なものは感じられない。端から見れば普通の少年の一人旅でしかないだろう。
そんな天流だが、森を歩く足取りは徐々に重いものになっていた。
(まずいな・・・)
重い足を引きずりながら、彼の表情も苦しげに歪む。
旅の疲れが出たのだろうか。今日は朝起きた時から気分が優れなかった。
しかし野宿だったため、体調が良くないからとその場に居続けるわけにもいかず、こうして一番近い都市であるマチルダを目指していたのだ。
だが、天流の身体は限界らしい。
目眩がひどくなり、身体の平衡感覚を保つことができなくなった身体は、巨木に倒れるように凭れ掛かった。そのままずるずると崩れ落ち、巨木に身体を預けて座り込んだまま動けなくなる。呼吸も荒く、ひどい頭痛までする。熱も出てきたのかも知れない。
あともう少しでマチルダに着くというのに、もはや立ち上がることもできない。
体調管理には気を配ってきたつもりだが、やはり長旅にまだ幼い身体は耐えられなかったのか。悔しさと惨めさに唇を噛み締め、何かに縋るように胸元を握り締めた。
とにかくこうなれば、この森で少しでも回復するまで休むしかない。
天流は街を目指すことを断念し、身体の力を抜いて目を綴じた。
■■■■■
霞んだ意識の奥から、誰かの声が聞こえた。
引き寄せられるように瞼を開けると、ぼんやりとした視界に金色が映る。
(グレミオ?)
幼い頃、苦しい呼吸の中かすかに見えた従者の顔はいつも心配そうなそれで・・・。自分が苦しみを代わってあげられたらと無力を嘆く姿をよく覚えている。
「ぼくは大丈夫だよ」と微笑むと、泣きそうな表情で抱き締めてくれた。
身体は辛いけれど、心は温かかった優しい記憶。
――心配しないで、グレミオ
そう言いたいのに、天流の声は苦しげな喘ぎを漏らすだけ。
「しっかりしろ! 大丈夫か?」
揺さぶられて、彼がグレミオではないことに気付く。けれど懐かしく、安心できる声。
天流を軍主でもなく英雄でもなく、一人の少年として見てくれた数少ない人。
「・・・・・・クライブ・・・」
まさか、こんな所で彼に会うとは思わなかった。
マチルダを目指して森の中を進んでいたクライブは、いつからか異質な空気を感じ取っていた。
常ならば何が起こるか解らない危険を犯すことはしないのだが、何かに導かれるように彼はそれを目指して歩き、一本の巨木に倒れ込む少年を見付けた。
1年前、言葉も交わさずに別れた仲間は、あの頃と同じ姿のまま眠っている。
「ティエン? ・・・駄目か。熱が高いな」
名を呼んだ後気を失った少年の額に手を当て、眉を寄せた。汗に濡れたバンダナを外し、苦しくないように首元をくつろげてやると胸が激しく上下する様子が解る。
クライブはそっと天流の身体を抱き上げ、マチルダへの道を急いだ。
■■■■■
クライブが向かったのは、街の中心街の宿屋だ。
そこは観光客などが使用する設備の良いものだ。クライブ一人であれば睡眠を取るだけなので、裏町の小さな宿を選んだだろうが、病人を抱える今回はそうもいかない。
さて、街中を黒いフードを目深に被った男が気絶した人間を抱いたまま歩いていれば当然だがよく目立つ。
街に入った途端に多くの視線に晒され、クライブはひどく居心地が悪かった。
人攫いだと誤解されただろうか。だとすれば街の人間が名高きマチルダ騎士団に通報するかも知れない。
面倒はごめんだと、クライブは顔を隠していたフードを外した。
これならたいして怪しくはないだろう。
ところが、今度は別の意味で視線を浴び始め、彼はどうすればいいのか解らず逃げるようにして宿屋に駆け込んだ。
入った宿屋では、ロビーにいる人間すべての視線が天流とクライブに向けられた。
(ちっ、ここもか? 栄えた街だと思っていたが、そんなに旅人が珍しいか?)
忌々しげに内心で舌打ちする。
だが、人々の視線の意味は彼が思うこととは違っていた。
見事な金髪と神秘的な黒髪を持つ二人の美形、しかも一人は気絶してもう一人に大切に抱かれている。そんな二人組が人目を引くのも当然である。
さっさと部屋を取って引き篭もってしまえば楽になると、クライブは受付に向かった。
何故か受付の女性の頬が染まり、もしかして宿泊拒否の憂き目に遭うのかと身構える。
「二人部屋を。連れが体調を崩しているので薬や氷嚢なども用意してほしい」
「は、はい、畏まりました。では、お二人のお名前を教えて下さい」
慌てた様子で宿帳をめくる女性を見るに、どうやら危惧する事態にはならないようだ。
「俺はクライブ。連れはティ・・・あ」
天流の名を言いかけてクライブははたと止まった。
まさか正直に天流・マクドールだと言う訳にはいかないだろう。トランに良い感情を抱かない者の多い都市同盟の一つであるこの街では、“ティエン”という愛称すら無闇に使うべきではない。
そう判断したクライブが、さて偽名をどうするかと逡巡しかけた時。
「クライブ様とティア様ですね」
クライブが口篭もった言葉を、上手い具合に相手が勘違いしてくれた。
どうせだからそれで行こう。
瞬時に決断するや、クライブは無表情のまま頷いた。
数日分の宿泊費を支払い、「ではお部屋にご案内します」と言って前を行く従業員に続きながら改めて天流の偽名を思い浮かべ、「まるで女のような名だな」と心の中で呟き、クライブは腕の中の天流にそっと詫びたのだった。
一方その頃、クライブ達の去った後の受付前では――。
「見た見た? さっきのお客様、美男美女カップルだったね!」
「うんうん、彼氏の人、彼女のことすっごく大切そうに抱いてたね〜v」
「格好良かったなあv 彼女も美人だったし。羨ましい〜♪」
「もしかして夫婦なのかな?」
「でも奥さん若過ぎない?」
「幼妻かあv 男のロマンだなあ」
――ものの見事に奇妙な誤解が生じていた。
ようやく視線から解き放たれ、クライブはほっと息をついた。
まったくこの街はどうなっているのか。
自分も天流も人並み以上の容姿であることなど気に留めたことのない青年には、人々の視線の意味は全く以って不明であった。
■■■■■
ざわりと奥深くから沸き上がる気配に、クライブははっと目を覚ました。
夜の闇の中、寝台から出て天流の傍に立ち、苦しそうに喘ぐ少年をのぞき込む。
額に触れると、かなり熱が上がっているのが解る。
クライブは天流の右手へと目を落とした。
ざわざわとした気配は、天流の右手を中心に蠢いている。
極限を知る者だからこそ感じ取れる、己の命を脅かされるような感覚。
思い浮かぶのは1年前に目にした、信じ難い光景だ。
クワバの城塞での解放軍と帝国軍の戦争で、天流が見せた圧倒的なまでの闇の力。それは、暴れ回っていた無数の魔物を一瞬で闇へと葬った。
普段は天流の強い意志と魔力によって封じられているものが、不気味に動き出そうとしている。
「ティエン、しっかりしろ」
とにかく汗を拭き取ってやろうと天流の服を脱がそうとして、クライブはふと手を止めた。
胸元に淡く輝く石。
見れば天流の身体は石を中心に漏れる薄い光に覆われていた。闇はその光の膜に阻まれるかのように、白い包帯に包まれた右手の周囲を揺れる。
魔力の込められた石は、翡翠の輝きを放って天流の胸元にあった。
「この石は・・・」
心当たりがあるのは唯一人だけ。
直接言葉を交わしたことはないが、その少年はいつも天流の傍に在り、彼を支え続けていた。
「なるほどな」
険しかった表情がふっと緩む。
彼が傍に在るのなら、天流は大丈夫だ。
クライブは天流の服を脱がして汗を拭き取り、備え付けの新しい夜着に着替えさせてやると静かに寝台に戻った。
翌朝、天流はまだ熱は高いものの会話ができるくらいには回復していた。
「面倒をかけてごめん、クライブ」
「気にするな」
着替えを手伝ったり氷嚢を替えたりと甲斐甲斐しく世話を焼くクライブに、天流は申し訳なさそうに気恥ずかしげに礼を言った。
答える声は優しい。弱さを見せることに慣れない戸惑いを、まるごと包み込むように。
「さて、俺はギルドに行く。夕方には戻るが、辛いようなら我慢せずに宿屋の者に言えよ。果物をもらって来たから少しでも食べておけ」
「うん。色々とありがとう」
気遣いにはにかむ天流の様子はとても可愛らしい。
ほとんど動かないクライブの表情が優しく綻ぶ。
自分のこととなると極限まで我慢してしまう天流を一人残すのは心配だが、傍に付いていても余計な気を使わせてしまうだけなため、クライブは必要なことだけを告げて部屋を出た。
ロビーに入ると、すぐ傍の食堂がやたらと騒がしい。
見れば、騎士団の制服を纏った男達が騒いでいるようだ。纏う制服は下っ端とはいえ確かに白騎士団の正規のものなのだが、男達はどう見てもならず者だ。
宿の従業員も客も、迷惑そうに彼らを遠巻きに見ている。
(何でああいうのが騎士団に入れるんだ?)
マチルダの騎士達は忠誠と礼節を重んじる高潔な精神を持っていると思っていたのだが、所詮はこんなものか。天流が見れば、ひどく落胆し失望することだろう。
宿屋の従業員に外出の旨を告げて宿を出ようとして、クライブは注がれる視線にそちらに目をやった。騎士の制服を着たならず者達の嘲笑を含む視線が絡む。
何か嫌な予感がする。
クライブは再び従業員に向き合い、
「済まないが連れが寝込んでいる。時々様子を見てやってくれ」
「はい、畏まりました!」
――何故赤くなるのだろう。
どうもこの街の連中はわけが解らない。
■■■■■
同業者組合――ギルド。
冒険者やハンターと呼ばれる魔物退治を生業とする者達への、仕事の斡旋所だ。
ギルドに加盟している仲介所は裏社会で結束しており、国などの干渉を受けない独立した機関として全世界に分布している。国や街の中枢などもその存在を認識しており、ギルドに仕事を依頼することも少なくない。
腕に覚えのある者達はギルドで仕事を紹介してもらい、路銀を稼ぐ。
クライブもその一人だ。
ちなみに天流も解放戦争時代に仲間達からギルドのことを詳しく教えられ、旅の間に何度か利用したことがある。しかしいくらギルドが独立した機関で独自の規律があるとはいえ、彼自身が下手をすれば狙われかねない立場なので関わるには用心が必要だが。
「仕事? 仕事なら今たくさんあるぜ」
ギルドに訪れたクライブに、紹介者はどこか険しい表情でそう言った。
マチルダ騎士団で有名なこの街では出来る仕事も限られるかと思っていたが。
意外な気分で依頼書に目を通していたクライブは、ふと首を傾げた。ほとんどの依頼が昨日今日に寄せられた新しいもので、しかも手配された魔物もさほど強くはない。
不審げなクライブの様子に、紹介者が真剣な口調で話し始める。
「実はな、どういうわけか昨日から魔物が狂暴化してるんだ。今まで雑魚だった奴らまでやたらと強くなっていてな、もう何人も怪我人が出ている」
昨日から魔物が狂暴化している――?
浮かんだ疑問は即座に確信となる。
あんなにも強力な闇の力の波動を、魔物が感じないわけがない。
(ティエンが倒れたせいか・・・)
ならば今仕事を受けるのは得策ではなさそうだ。
天流ならばきっと2、3日もすれば回復するはず。それまで待った方が良いだろう。
今ならば報酬も高額かも知れないが、ソウルイーターの影響が未知数ならば無闇に関わるべきではない。
(戻るか)
宿を出る時に見た連中のことも気掛かりだ。
天流がならず者達にどうこうされるとは思わないが、如何せん彼の体調は最悪だ。
クライブは身を翻し、ギルドを出―――ようとした途端に飛び込んで来たものとぶつかった。
「!!?」
思わず受け止めたのは、少女だった。しかも何だか見覚えがある。
それは相手も同じだったようで、見上げた瞳が大きく開かれ、細い指がびしっとクライブを指した。
「クライブさん!」
「お前・・・」
見覚えはある。
だが、名前が出てこない。
疑問は少女自ら解き明かしてくれた。
「ぼくだよ、テンガアール! 奇遇だね」
「お前、確か片割れがいなかったか?」
彼女のことで覚えているのは、いつも一人の少年と一緒に居たということ。そしていつも(一方的に)喧嘩していたこと。
「そう! ヒックスが大変なんだよ! お願い、クライブさん、力を貸して!」
テンガアールに腕を取られ、引きずられるようにして雑草の生い茂る林道を走り抜けながら、クライブは彼女からことの次第を聞いた。
「ぼくたち今日マチルダに来たんだけど、来る途中でモンスターがやたらと暴れててさ。変だなーって思ってたら、案の定旅の商隊がモンスターに襲われてたんだ。ぼくとヒックスで助けに入ったんだけど、狂暴化したモンスターの数が多過ぎて、すぐにぼくの紋章力も尽きたんだ。そしたらヒックスが「助けを呼んで来て」ってぼくを逃がしてくれて・・・。ギルドなら腕の立つ人がいると思って来たら、クライブさんがいたってわけなんだ」
「なるほどな」
「お願いだよ、クライブさん。ヒックスを助けて。あのままじゃ・・・死んじゃう・・・」
「泣く暇があれば走れ。間に合わなくなるぞ」
「っうん!」
涙を振り払い、テンガアールは走る速度を上げた。
しばらく進むと剣の打ち合う音や、それに被さるように悲鳴や怒号が聞こえてきた。
林の間を突き抜け、開けた視界に真っ先に飛び込んで来たのは、青だった。(――別に某不幸の代名詞の青年のことではない)
暴れ回った痕跡の中で唸り声を上げながら周囲に牙を剥く数匹の魔物の回りには、斬り伏せられて動かない数匹の魔物達。
魔物達を囲むように周囲を固める青の制服を纏う騎士達と、彼らによって救出された商人達。
そして――魔物に取り囲まれているのは逃げ遅れた商人と、傷付き倒れた一人の少年。
ヒックス!!
叫んで駆け出しかねないテンガアールを押し止め、クライブは手にしている「ガン」と呼ばれる武器を構え、銃口をモンスターに向けた。
青騎士達は攻撃のタイミングを窺っていた。
下手に動けば魔物の牙が商人や、彼らを救おうとした勇気ある少年の命を奪うだろう。
青騎士団長であり、実直な青年マイクロトフは、何としても彼らを助けたかった。
緊迫した睨み合いが続く。
やがて、ヒックスに最も近い位置に居た魔物が彼の血の匂いに堪えられなくなったかのように、鋭い爪を振り上げた。
その瞬間―――銃声が響き渡り、樹の上で羽を休めていた鳥達は一斉に飛び立った。
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