2.・・・ありがとう・・・





ひどく胸騒ぎのする夜だった。
せっかくの月夜もこれでは楽しめるはずもない。

わけもなく押し寄せてくる不安感に苛まれ、眠りにつくのに随分と時間が掛かった。

もうすぐ家に帰れるという希望への興奮だったのか、迫り来る悲劇と恐怖への戦慄だったのか。今となっては解らない。


ただ覚えているのは。

暗い峠道をジョウイと一緒に走った時にとめどなく聞こえた荒い息遣いと、共に崖を飛び降りた時に見た空があまりにも美しかったこと。

そして――闇に飲み込まれゆく意識の中、しっかりと繋いでいたはずの手が――激流によって離されてしまったこと――。


離された手は――いずれまた繋ぐことができるのだろうか・・・。





■■■■■





「おい、ほらいい加減に目を覚ませよ。もう一回流しちまうぞ」


白く霞む意識の中に、突然男の声が割り込む。
聞き覚えの無いその声に、急速に意識が戻っていく。

重い瞼を押し上げると、見知らぬ男達が取り囲むように自分を覗き込んでいるのが見えた。
自分の置かれた状況が解らず、ユアンは混乱する。

「やっとお目覚めかい? おい、お前名前は言えるか?」

先程聞いた声と同じその声は、取り囲んでいる男達の中でも特に大柄な男から発せられた。
日に焼けた体躯は鍛え上げられ、ぼさぼさの黒髪と不敵な表情が一見その男を粗野に見せるが、どこか温かさと包容力が感じられる。
ユアンは思わず男の質問に答えていた。

「僕はユアン・・・おじさん誰?」

「おじ・・・っ、誰がおじさんだ! てか、お前さんなんだってこんな急流を流れてきたんだ? 足でも滑らせたか?」

急流を流れて?

何のことかすぐには理解できなかったが、辺りを見渡してみて男達の背の向こうに流れる川を目にした途端に気を失う前の記憶が鮮明に蘇った。

(そうだ、僕は今まで駐屯地にいたんだ)

ハイランド軍ユニコーン隊の一員としてユアンとジョウイは昨日まで軍服を纏っていた。
そして天山の峠の駐屯地ハイランド王国とジョウストン都市同盟との間に休戦協定が結ばれたことを知った。
都市同盟との戦争の心配をする必要もなくなり、安心感に包まれたその夜、突如奇襲があったのだ。
混乱の中で、ユアンとジョウイは何人もの仲間が死んでいくのを見た。
だが、それは・・・。

「都市同盟が急に攻めてきて・・・でも・・・」

都市同盟が攻めてきたとラウド隊長は言っていた。けれど、ユアンは都市同盟の姿など見なかった。
見たのは、ハイランド軍の兵士と――ルカ・ブライトと呼ばれる男。

ユアンの言葉に男達は訝しげに視線を交わし合った。

「都市同盟? 何言ってるんだ? 休戦協定が結ばれたばかりだぜ。そんなことあるかよ。・・・ん? お前ハイランドの人間か?」

「ハイランド軍、ユニコーン隊の一員です」

「そうか、だったらお前は俺達の敵だな。俺はビクトール、ジョウストン都市同盟に味方している傭兵の隊長だ」

ビクトールと名乗る男の言葉に、ユアンはハッとして男達を見た。
自分の置かれた立場の危うさに今更ながら気が付く。

幸いにも彼らに自分を害する意志はないようだが、その気になればユアンのような少年一人どうにでもできるだろう。

その時、強張るユアンの背後から近づく足音があった。

「ビクトール、お前またガキをいじめて遊んでるんじゃないだろうな」

「冗談だろ、フリック。俺様がそんなことするかよ。これでも心優しい男なんだぜ。それよりも、もう一人の方はどうだった?」

「だめだ、途中で見失った。どこかに打ち上げられていればいいが・・・」

「え・・・っ」

フリックと呼ばれた男が言っているのがジョウイのことだとはすぐに解った。
彼は端正な顔を痛ましげに歪めてユアンを見る。

二十代後半だろうか、女性に騒がれそうなほど整った顔立ちの青年だ。やたらと青いのが気になるが、キャロの街で一番の美少年と言われるジョウイを見慣れているユアンから見てもフリックは文句のつけどころのない美形である。

「すまんな、一緒に流れていたところを見ると友人なんだろ? お前しか助けてやれなかった」

(ジョウイ・・・)

川の下流を見やり、ユアンはきつく拳を握り締めた。
もっとしっかりとジョウイの手を掴んでいれば・・・。

項垂れるユアンの腕をビクトールの手が取ってそのまま歩き出した。

「素性はどうあれ、しばらくお前は捕虜扱いだ」

そしてユアンはビクトール達に連れられ、彼らの砦へと向かった。





■■■■■





傭兵の砦での生活は思いのほか快適だった。

牢には入れられたものの昼間は比較的自由な行動が許され、言いつけられる掃除やおつかいなどの雑用もユアンには手慣れたもので苦にはならない。

ただ、ジョウイやナナミが今どうしているのかだけが、ユアンにとって最大の心配事だった。


そんなユアンの心配も、ある夜突然砦に侵入してきたジョウイによって拭われた。
一旦はフリック達に見つかって捕らわれたものの、ジョウイの機転で砦からの脱出に成功し、二人は燕北の峠を越えてキャロの街へと戻ることができた。

ジョウイはその足でアトレイド邸に戻り、ユアンは真っ直ぐに街外れに建つ道場へと向かった。

ほんの数週間留守にしただけなのに、古びた道場が何故かとても懐かしく感じる。

「ただいま、ナナミ」

玄関から入り、中にいるであろう義姉に呼びかける。
が、返事はない。

ユアンは家の中に入ると奥へと進み、裏口の扉を開けた。
崖に面した横長の裏庭。
奥にぽつんと立つ墓石の前に、しゃがみ込んでいる一人の少女の姿があった。

「ナナミ」

呼びかけに、ナナミがハッと振り返った。
そのままフリーズ。


「あ! あああああ!!!!!


数瞬後、我に返ったかと思うと怒涛の勢いでナナミが突進してきた。
迫力に圧されて後ずさろうとするユアンにそのまま突撃し、あまりの衝撃にナナミの身体を受け止めきれずに倒れる。

ゴンッ

・・・なんかものすごい音がした。

しこたま打ち付けた後頭部に手をやろうと思ったが、胸倉を掴まれてガクガクと揺さぶられる。

「大丈夫? 怪我しなかった? 今までどこにいたの? 隊が全滅したって本当? 都市同盟のスパイがいて奇襲を受けたって聞いたけど? なんでも二人組みの少年だったんだって? ね、ね、ね!」

矢継ぎ早に質問を浴びせるナナミだが、ユアンから発せられるのは言葉にならない呻き声だけ。
突然揺さぶる手が止まってパッと離された。当然ながらユアンの頭は地面に激突する。

・・・さっき打ち付けた場所が・・・。

「良かったあ、お姉ちゃん、とってもとっても心配したんだから」

大きな瞳に涙すら浮かべて微笑むナナミ。
余程心配させてしまったようだ。
ただ、もう少し優しく扱ってもらえないものだろうか。

「ジョウイは? ジョウイも無事なの!?」

「うん、一緒に戻って来たんだ。ジョウイも家に帰ったよ」

「そう・・・良かったあ。 じゃあ二人で帰ってきたんだね。・・・二人・・・?」

沈黙。

   !!! うそうそ、ユアンとジョウイがスパイなわけないよね。ね、ね、ね、そうだよね? あ・・・でもこの間ラウド隊長が来てユアンが帰ったら連絡しろって言ってたから・・・」

ユアンが説明しようと口を開こうとすると、ナナミはおもむろに立ち上がった。

「逃げよう、ユアン!」

うわ、決断はやっ。

「大丈夫、ユアンが何をしたって、この私だけは味方だからね! さあ行くよ!」

「ナナミ・・・」

何も言わずとも無条件で信じてくれるナナミの言葉はユアンの心を感動に震えさせた。
時々テンションにはついていけないけれど、ナナミのあたたかさにはいつも励まされる。

「あ! ちょっと待って」

家に入りかけたところで振り返ったナナミに思いっきり突き飛ばされた。

「ゲンカクじいちゃんにさよなら言わないと」

崖にめり込んでしまったユアンのスカーフを掴み、ずるずると引きずりながら墓石に歩み寄る。

何とか衝撃から立ち直ったユアンは、ナナミに促されて墓石の前に膝をついて手を合わせた。
続いてナナミも隣でそれに倣う。

「ゲンカクじいちゃん、もうここには戻って来れないかも知れないけど、ユアンと私のこと、目一杯守ってね、お願いよ」

ナナミの声を聞きながら、ユアンも心の中でゲンカクに語りかける。

(ごめん、ゲンカクじいちゃん。僕達もうキャロにはいられないかも知れない)

思い出のいっぱい詰まったこの道場に戻れなくなるのは寂しいけれど、ここにいては危険過ぎる。
今やユアンとジョウイはハイランドのお尋ね者なのだ。
これからどうすれば良いかなんてまだ解らないけれど、謂れなき罪を着せられて死にたくなどない。


「これでよし。さあ、行こう!」

「うん」

手早く荷物をまとめ、二人は道場を出た。

ところが、外に出た途端に王国軍兵士達に取り囲まれ、抵抗も虚しくユアンとナナミは捕らえられてしまった。





薄暗い牢屋の中、ユアンとナナミは膝を抱えて途方に暮れる。

「どうしようか・・・」

流石にナナミも元気が無い。
その時、何人もの気配が近づいてきて、二人はそちらを見やった。

兵士に脇を固められて連行されてくるのはジョウイだ。
ナナミとユアンの牢の扉が開き、ジョウイが中に押し込まれる。
そして、兵士達はすぐに立ち去った。

「ジョウイ、大丈夫?」

「ユアン、ナナミ、君達も捕まったんだね」

別れて数時間程しか経っていないはずなのに、ジョウイは随分と憔悴しているように見えた。
やはり、あの情の薄い家族はジョウイを迎え入れてはくれなかったのだろう。

「ユアン、知っているかい? 僕達は都市同盟のスパイということになっているらしい。ユニコーン隊への奇襲を先導したのだと・・・。僕達はスパイじゃない・・・隊を襲ったのも都市同盟じゃない・・・。どうしてこんなことに・・・」


「すまんな、ユアン、ジョウイ」

割り込んできた声は聞き覚えのあるものだった。

いつの間に現れたのか、牢の前にラウドが立っている。
ジョウイはユアンとナナミを庇うように立ち、ラウドを睨み付けた。

「あの方・・・ハイランド王国の皇子ルカ・ブライト様には大きな野望があるのさ。そのために生贄が必要だったんだよ。都市同盟の奇襲によって、少年兵で作られた王国の部隊が全滅。この知らせは、民の怒りを煽るのに充分だったわけさ。ルカ様が目的を果たすためには、戦乱が必要なんだ。そして俺はこんな田舎の少年兵の隊長じゃなく、もっと金の入る地位を得られる。その為にお前等には憎むべきスパイとして死んでもらわなければならん」

「そんな・・・そんなことのために、仲間を・・・皆の命を奪って・・・」

ショックと怒りに震えるジョウイにラウドは笑みすら浮かべ、「すまんな」と言い捨てて立ち去っていった。

牢の中に重苦しい沈黙が漂う。

ユアンの胸にはやりきれない不条理への怒りが渦巻いていた。

何故僕達はこんな所にいなければならないのか。
何故ユニコーン隊の仲間達が殺されなければならなかったのか。
少年達の思いは、皇子の野望とラウドの野心のために踏みにじられても良いほど軽いものなのか。

ユアンとナナミに背を向けたままのジョウイの肩は、ずっと震えていた。





■■■■■





翌日、異例の速さでユアンとジョウイの処刑が行われることになった。

処刑場へと向かうキャロの街の道には、多くの街の住人達が見物に来ていた。
その表情は憎悪に染まり、ユアンやジョウイに石を投げつける者もあった。

息子を、兄弟を、友達を殺した者への憎しみがユアンとジョウイに向けられる。
僕達は無実だと叫んだところで、何人が信じてくれるだろう。
幼い頃から世話になっている人達は同情の目を向けてくれるが、助ける力も無くただ立ち尽くしている。

「僕はこの国を許さない。決して・・・」

搾り出すように発せられたジョウイの声は、苦しげに掠れていた。

僕達は何も間違ったことはしていない。

二人は背筋を立て、真っ直ぐに前を見据えて一歩一歩を踏みしめた。



夕暮れに染まる処刑場で、ユアンとジョウイは拷問を受けていた。
動けないように縛られて吊るされ、何度も何度も殴打される。

このまま死ぬまで殴られ続けるのだろうか。
せめて声だけは出すまいと、唇を噛み締める。口の中で、じんわりと血の味が広がった。

痛みすら麻痺して朦朧とする意識の中、ふいに攻撃の手が止まった。

霞む視界に広がったのは真っ赤な夕日を覆い隠すように翻る、真っ青なマントだ。


「大丈夫か、ユアン、ジョウイ!」

縄が解かれ、自由になった身体が崩れ落ちるのをしっかりと抱きとめてくれたのは逞しい腕だった。

「ったく、世話の焼けるガキ共だな」

「・・・フリックさん、ビクトールさん・・・?」

何故か一気に安堵感が胸を満たした。
彼らがそばにいてくれるなら何も怖いものはない。そんな不思議な感覚。

気が付けば王国軍兵士が何人も倒れているのが見えた。

「ひどくやられたもんだな。よく耐えた、偉かったぞ」

優しく掛けられた言葉が染み入るようにユアンとジョウイを癒した。

「・・・ありがとう・・・」

大きくあたたかな手が、くしゃくしゃとユアンとジョウイの頭を撫でた。

フリック達は素早くユアン達に応急手当を施すと、二人を抱えて処刑場を出た。


途中でナナミとも合流し、五人はキャロの街を後にした。





「私達、もう一度キャロの街に戻ってこれるのかな」

街を出て幾許か進んだところで、ナナミがぽつりと呟いた。

「いつかは戻って来れるさ」

「そっか、そうだよね。ちょっとだけサヨナラってことだね」

名残惜しげに何度もキャロの街を振り返るナナミとは違い、ジョウイは一度も振り向かなかった。
そして彼は前を行くフリックとビクトールに疑問を投げかける。

「どうして僕達を助けてくれたんですか?」

「お前等がいなくなったってポールが騒いだんだよ」

ポールとは、ユアンが砦に連れてこられた日からお目付け役として何かと世話を焼いてくれる少年のことだ。
ユアンを弟のように思ってくれているらしく、彼のおかげで砦内で心地良く過ごすことができた。
今頃ユアン達の安否を心配してくれているのだろう。
ポールに申し訳なく感じ、ユアンは心の中で謝った。


「それに、お前等を見てるとさ、ある奴を思い出すんだよな。まだ細っこいガキなのに、望まない戦乱に巻き込まれてさ」

ふと、ビクトールの声音が変わった。

「贖罪・・・ってやつかもな。俺達は、そいつに何もしてやれなかったから・・・」

「僕達はその人じゃないですよ?」

思わずユアンが口を挟むと、フリックが苦笑しながら振り返った。

「解っているさ。あんなのが何人もいてたまるかよ。あんな奴は一人いれば充分だ」

フリックの表情はどこか切なさを帯び、愛しいものを見るように目を細めていた。
同性のユアンですら思わずドキッとしてしまうほど悩ましげで、ナナミなどは頬を林檎のように染めていた。

「まるでその人に恋してるみたいね」

「恋? はっはっは!! そんな甘っちょろいもんじゃねえよ。いや、だがある意味もっと深い感情なのかも知れねえな。」

ナナミの言葉にビクトールが豪快な笑い声を上げた。
そしてどこか意味ありげにフリックを見る。

「まあもっとも、こいつは恋人になりたいと思っているんだろうが?」

「ば、馬鹿言うな!! だ、だいたい、もれなくついてくる凶暴な猛獣二匹を相手に張り合える勇気は、正直ない・・・」

「・・・・・・気持ちはわかるが情けないな」

赤くなったり青くなったり、忙しい顔色だ。

二人がいったい誰の話をしているのかは解らないが、余程思い入れの深い人物なのだろう。
何となく、その人に会ってみたくなる。





燕北の峠を越え、再び都市同盟の領内に入ったユアン達は傭兵の砦へと再び戻ってきた。

雄雄しくはためくのは彼らの象徴“熊の旗”。
しばらくはここで世話になり、これからどうするか三人で決めよう。

互いに視線を交わし合い、三人は傭兵の砦の扉を開いた。



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この話の冒頭は『時の砂―血塗れた月夜』の一夜明けてからの話です。
腐れ縁が思い出しているのはもちろん坊ちゃんと・・・例の二人です(笑)。
格好つけていられるのも今のうちなんですよね〜。
2主くんはまだ性格が掴めていないですね。
ナナミの個性が強いからなあ(汗)



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