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9.雨の日の誓い
鈍色の空に鋭く稲光が走り、轟音が鳴り響く。
訪れた春嵐は、トラン全土を包み込むように吹き荒れた。
遠く見渡しても暗く陰る視界の中、トラン湖にそびえる古城は豪雨に霞む。
古城の最上階にある執務室では、解放軍の若きリーダー天流・マクドールと名軍師マッシュが書類に目を通しているところだ。
窓を閉めても尚、強い雨と落雷の音が部屋を満たす中、微かに耳に届くのは互いのペンを走らせる音。
ふと、その音が聞こえなくなったことに気付き、顔を上げたマッシュは、目を伏せて考え込む天流を目に捕らえて問いかける。
「どうされました? ティエン様」
その声に我に返った天流は、気まずげな表情を浮かべてマッシュに謝罪する。
「済まない。雨の音に気を取られた」
マッシュは雨戸が下ろされ外が窺えない窓を見やり、叩き付けるような雨音を聞く。
「凄い雨ですね」
直後。
ガッシャ―ン!!!
城全体を揺るがすような轟音が轟いた。
流石に二人も音の凄まじさに驚愕し、身を竦ませる。
「今のは落ちたかな?」
「ええ、かなり近くに落ちましたね」
「ルックやテンプルトンが怖がってなければいいけど」
二人の幼い仲間を心配する天流。
この場にビクトールやシーナがいれば、そんな天流にこう返しただろう。
『テンプルトンはともかく、ルックが雷ごときに怖がるなんて、まず有り得ねえよ!』と。
マッシュもその意見に賛成なのだが、口には出さずに苦笑を浮かべるだけに止まる。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
途端に天流は強張った表情で扉を見やる。
何事かとマッシュも視線を移すと、間を置いて扉を開いて部屋に入って来たのは天流の付き人、グレミオだ。
その手にはティーカップを乗せたトレイを持っている。
「坊ちゃん、マッシュさん、お茶でもいかがですか?」
にこやかなグレミオの言葉に天流が深く息をついて緊張を解く様子を眼の端に捕らえながら、マッシュは椅子から腰を上げる。
「ありがとうございます、グレミオ殿。ティエン様、休憩にしましょうか」
「そうだね」
頷いて丁寧にまとめた書類を机の脇に押しやり、グレミオが差し出すカップを手に取る。
「坊ちゃん、あまり無理をしないで下さいね」
優しくそう言いながら、グレミオは幼い主人を心配する。
「特にこんな日は」と続く言葉に天流は秀麗な顔を曇らせ、マッシュは訝しげにそんな主従を見つめる。
空になったカップをトレイに戻してグレミオが下がった後、再び執務室には天流とマッシュの二人だけとなった。
天流は途中だった書類を手にとって目を通す。
雨の音が包む中漂う沈黙。
マッシュはためらいがちに天流に声を掛けた。
「ティエン様は、雨に嫌な記憶でもお有りですか?」
「え?」
驚いて顔を上げる天流。
「先程のティエン様やグレミオ殿の様子が、少々普通ではないように見受けられましたので。気に障りましたら申し訳ないのですが」
「いや、いいよ。そうだね。マッシュの言う通りだ」
自嘲的な笑みを浮かべて頷く。
そして言いあぐねるように下を向き、
「実はね、僕が帝国を追われた日も、こんな雨の日だったんだ」
噛み締めるように漏らされた言葉に、マッシュは痛ましげに天流を見つめる。
いつもは大人びた少年が、傷付いた心を隠せないほどに揺らいでいる。
マッシュはゆっくりと天流に歩み寄り、身を屈めて目線を合わせる。
「解放軍のリーダーとなったことを、ティエン様は後悔されていませんか?」
常に落ち着いた声に含まれるのは優しさ。
名軍師と謳われるだけあって、マッシュは表情にも声音にも感情というものが浮かばない。己の思いを容易に他人に悟らせないために。
だが、今天流に問いかけるマッシュの声は優しく温かい。
マッシュの問い掛けに天流は目を丸くし、すぐに真剣な表情で返す。
「それは僕も聞きたい。戦争を嫌っていた貴方を巻き込んだのは僕なのだから」
解放軍の前リーダーであったオデッサの遺言とはいえ、平和に暮らしていたマッシュが解放軍に関わることとなる原因をもたらしたのは自分達だ。
このことについては、マッシュの弟子だという少女に散々責められている。
天流は彼女の言葉に取り合うことはないが、それでもマッシュを巻き込んだことには責任を感じていた。
だがマッシュは穏やかに首を振って否定をする。
「アップルに何か言われましたか? しかしそれは違うでしょう。戦争に参加すると決めたのは私自身。ですが、貴方は私が引き込んだのですよ?」
天流に解放軍のリーダーになってほしいと要請したのはマッシュだ。
一目見た瞬間から天流から感じた清冽な覇気に魅せられて、彼になら命を預けても構わないと思った。
軍師としての直感なのか。ようやく主となるべき者に出会ったと感じて。
「僕は何も後悔していないよ。マッシュと会う前から僕は解放軍に加わることを決めていたんだから」
静かな、だが確かな意志がそこにある。
この清廉さに皆が惹かれるのだ。
「私は貴方が軍主だからここにいる。貴方とならやり遂げられると確信したから」
「それは僕も同じだ。マッシュが軍師だから僕は軍主をしている」
軍主として軍師としてこれ以上望むべくもない存在。
心から尊敬し信頼し合い、命を預けられる。
顔を見合わせ、二人は同時に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
ガッシャ―ン!!!
強い閃光が空を裂き、再び轟音が城を揺るがす。
耳をつんざく破壊音に、見つめ合う二人は同時にビクッと身を竦ませた。
僅かな沈黙の間に高鳴る心臓をなだめつつ、何かに気付いたようにマッシュは天流に微笑む。
「まるで愛の告白のようですね」
天流は一瞬驚いたが、そういえばと改めて思い返してみると確かに先程の会話は聞きようによっては告白のようだった。
二人は照れたように苦笑を交わし、
「さて、書類を片付けなければいけませんね」
言いながら立ち上がり、マッシュは自分の机の方に向かう。
その後姿を目で追う天流は、マッシュが椅子を椅子に腰掛けてこちらに目を向けるのを待って、
「ありがとう。雨の日が辛いだけじゃなくなった」
そう言って心から嬉しそうに、花が綻ぶような笑顔を浮かべた。
マッシュは何も言わず口元に笑みを浮かべ、天流も答えを促すことなく、それぞれ手元の書類に目を通し始める。
部屋の中は再び、雨の音とペンを走らせる音だけが満ちる。
辛い記憶もまだ生々しい雨の日。
雨音にかき消された親友との哀しい別れも、今日の雨の誓いと共にあれば希望が持てる。
この軍師となら、きっと彼を助けることもできると。
だから、それまで無事でいてほしい。
天流は、有能な軍師を頼もしく感じながら、大切な親友に想いを馳せた。
「どうでしょう。晴れたら釣りでも出掛けませんか?」
書類を手に何げなく漏らされる軍師の言葉。
「釣りか。いいね」
軍主もまた、さりげなく答えた。
激しい雨音の中、雷の音は次第に遠ざかっていった。
翌日は昨夜の嵐が嘘のように、すっきりと晴れ上がった。
「ティルー! 見ろよ、晴れたぜ。なあ、どっか出掛けねえ?」
早朝にも関わらず元気な声でシーナが天流に駆け寄って来る。
「おはよう、シーナ。元気だね。遠征ならパーティを編成して・・・」
「違う違う。遊びに行こうって言ってんの。たまには息抜きも必要だぜ」
言葉を遮ってシーナは天流の肩に腕を回す。
すると。
ガスッ!
鈍い音がして、シーナが呻き声を上げて崩れるようにその場に蹲った。
「シーナ?」
頭を抱えてしゃがみ込むシーナに驚いて膝を付こうとする天流。
その腕を誰かが掴んで押し止めた。
天流が向けた視線の先にいたのは、言うまでもなく風の少年ルックである。
片手に天流の腕を掴み、片手にロッドを持ってシーナを冷たく一瞥した美少年が天流を見つめる瞳は、一変して照れが浮かんでいる。
「おはよ」
ぶっきらぼうな口調の短い挨拶。
だが、ルックが誰かに挨拶をするのは天流以外にはまずあり得ないことだ。
そんなルックに挨拶を返そうとしたその時、天流の身体が強い力で後ろに引っ張られ、ルックと引き離された。
「やっぱりテメエか! いきなり何しやがる! しかもさりげなくティルを一人占めしてんじゃねえ!」
先程までの機嫌の良さも吹き飛んで、昨日の雷にも負けないシーナの怒声が轟く。
しかしルックは動じないどころかこちらも不機嫌を露にする。
「あんたも慣れ慣れしく抱いてるんじゃないよ。さっさとその手を離しな」
バチバチバチッと二人の間に火花が散る。
間に挟まれた格好の天流は(せっかく晴れたのにな)と思いながら窓から見える青空を見やり、深くため息をつく。
ルックとシーナが揃うと嵐が巻き起こることは解放軍内では当たり前のことのように有名だ。
だが最近は紋章の応酬は滅多にない。
それが、一度天流に二人まとめて窓からトラン湖に落とされて以来だというのは、ほんの一部の人間しか知らないことだが。
とにかく、二人の喧嘩を止めようと口を開きかけた天流よりも早く、グレミオの呼ぶ声が彼らに届いた。
「坊ちゃん、マッシュさんが呼んでますよ」
天流がグレミオと共に広間に向かう道すがらにも睨み合うルックとシーナ。
そんなに互いが嫌いなら部屋に戻れば良いのにと思うのだが、二人とも天流のそばにいたいという可愛い立派な理由があるのだ。
内心困り果てながらも表情には出さずに歩を進める天流は、やがて辿り着いた部屋に入る。
途端、彼らの視界に、嵐が過ぎ去った後の晴れ渡った空の青さが広がった。
それが青いマントだと気付くのに、時間は掛からない。
「どういうことだ! オデッサはどこにいる!」
苛立ちと怒りを隠そうともせず、天流をきつく睨み付けて怒鳴る一人の青年。
青いバンダナと青いマントを身に纏う、端正な顔立ちの若者。
ルックとシーナにとっては初対面。
天流とグレミオは久しぶりの再会。
「フリックさん・・・」
呟く天流の声は、傍にいた三人がようやく聞き取れるほど小さい。
その声は、哀しく苦しげなものだった。
この瞬間、ルックとシーナはお互い以上に嫌いな存在を見付けた。
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マッシュv坊ちゃんです。(言いきったよ…)
二人がどれだけ信頼し合ってるかってのを書いたはずなんですけど、
どう見てもラブラブですね(笑)。それだけ相手が特別なのですよ♪
マッシュのおかげで坊ちゃんにとって強い雨の日は、決して辛いだけじゃなくなりました。
その分、戦争後は余計に雨が辛くなってしまったのです・・・。
フリック、ようやく出て来たのに、いきなりルックとシーナに嫌われてます。
次回は・・・フリックファンは見ない方がいいかも・・・(滝汗)
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