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11.扉の向こう
怒り、憎しみ、悔しさ、哀しみ・・・。
これでもかというほどに心の底から湧き出る負の感情に彩られた蒼い瞳が突き刺さる。
その声が象る言葉は、敵意に満ちたもの。
少しでも隙を見せれば、彼の剣は僕を斬り裂くのだろう。
自らを青雷のフリックだと名乗った青年。
初めて会った時から、あまり良い印象を持たれていないことは解っていた。
それが、あの女性の死によって決定的なものとなり、僕の存在は、彼にとって憎しみの対象以外の何ものでもない。
オデッサ・シルバーバーグ
解放軍を立ち上げた女性。
僕に行くべき道を指し示してくれた人。
僕に想いを託し、暗い水の底へと身を沈めた。
まだ温かさが残る柔らかな身体が汚れた冷たい下水に沈む様は、今もまだ脳裏に残っている。
薄暗い地下は肌寒く、水音がやけに耳についた。
否応無く思い出される、傷ついた親友の姿。
僕は護られているだけで、テッドもオデッサさんも助けることができなかった。
自分の無力さが、ただ歯痒い。
傷付き、苦しげな親友。
血を流し、息も絶え絶えなオデッサ。
それが、僕が見た二人の最後の姿。
なのに、何故・・・
夢でみる二人は
優しく微笑んでいるのだろう――
■■■■■
窓から斜めに射し込む日の光が部屋を照らす。
うっすらと目を開き、天流はぼんやりと天井を見つめた。
まどろみの中数回瞬きを繰り返し、寝台にゆっくりと身を起こす。
部屋の扉の向こうには、慣れた気配を感じる。
「グレミオ・・・?」
掠れた声が小さく漏れた。
扉を隔てているというのに扉の向こうの気配はその声を聞き取ったのか、静かに扉が開かれた。
「おはようございます、坊ちゃん」
優しい笑顔を浮かべ、水差しを載せたトレイを手にグレミオが部屋の中に入って来た。
寝台の中で上体を起こして眠たげな天流の傍に近付き、水を注いだコップを手渡す。
寝起きの乾いた喉を、冷たい水が潤す。
「おはよう、グレミオ」
はっきりと目が覚め、天流の表情や声に凛然さが宿る。
しかし天流の幼い頃からの付き人は、心配そうに主人を見つめる。
「少し、疲れているんじゃないですか?」
天流の僅かな変化を敏感に感じ取り、そう尋ねた。
驚いたのか、天流は目を丸くしてグレミオを凝視する。
そして、口元には苦笑が浮かんだ。
「夢を見ただけだよ」
「テオ様のですか? それともテッド君?」
「テッドとオデッサさん・・・」
消え入りそうな声音で答える。
天流から受け取ったコップを載せたトレイを傍にあったテーブルに置き、グレミオは優しく細い身体を抱き締めた。
「坊ちゃん、我慢しなくても良いんですよ? 坊ちゃんはまだ子供なんですから・・・」
――私の前で無理をしないで下さい。
グレミオにとって天流は解放軍のリーダーではなく、小さな頃から世話をしてきた大切な少年だ。
まだ15歳の幼い主人。
身体付きも同じ年頃の少年達と比べても小柄なくらいだ。
何があっても護らなくてはならない存在。
ビクトールに過保護だと注意されても、グレミオは天流を大事に護ってゆきたいと願う。
「ありがとう、グレミオ。でも・・・」
天流はそっとグレミオの腕の中から抜け出して寝台を出る。
「子供じゃないよ。今の僕は解放軍のリーダーだから」
甘えは許されない。
地に足をつけて、真っ直ぐにグレミオを見上げて毅然とそう言った。
「坊ちゃん・・・」
戸惑いを浮かべるグレミオから視線を外し、天流は身に纏う夜着を脱ぎ捨てる。
素早く紅い胴着に着替えると、立ち尽くす従者を振り向き、
「さあ、マッシュの所へ行こう」
そう言い、後ろを振り返ることなく軽い足取りで部屋を出て行く。
グレミオは寂しげに目を細め、部屋を出て行く小さな背中を見送った。
「おはよう、ルック」
「おはよう」
マッシュとの朝議の後、石板の小部屋に訪れた天流は部屋の主と挨拶を交わす。
整った顔立ちに常に不機嫌を張り付けている石板の管理人は、天流に対してのみそれを消す。表には出なくても不機嫌どころか、上機嫌なくらいだ。
ところが今日は少し違った。
天流と二人で話せるのは確かに嬉しい。
だがルックにだからこそ感じられる僅かな違和感が、手放しでは喜べない何かを彼に告げる。
「紋章・・・」
「え?」
「いや、別に」
不思議そうに首を傾げる天流に、ルックは言葉を飲み込む。
彼自身、どう説明すべきか解らなかった。
感じるのはただ漠然とした違和感だけだ。
下手なことを告げて天流の気苦労を増やすわけにもいかず、ルックは違和感を自分の中に収め、天流と共に朝食を摂りに食堂へと向かった。
■■■■■
「坊ちゃん、扉の外へ!」
グレミオの手が背を押し、クレオの手が腕を引き寄せる。
薄暗く細い通路。
振り返ろうとした天流の背後で、扉が重い音を立てて閉じられた。
スカーレティシア城を護る毒花の花粉を封じる術を求め、天流達は名医リュウカンを訪ねた。
しかし、そこに現れた帝国将軍の一人ミルイヒ・オッペンハイマーによってリュウカンは連れ去られてしまった。
リュウカンを助け出すため、天流はグレミオ、クレオ、ビクトール、フリック、シーナを伴ってソニエール監獄へと乗り込んだ。
暗い地下を奥へと進み、最下層の牢屋に捕らえられたリュウカンを解放して、来た道を引き返し、ようやく地下から出られた天流達の前に立ち塞がったのは、ミルイヒだった。
リュウカン共々天流達をも抹殺しようと、ミルイヒは人食い胞子を撒いて素早く立ち去った。
出口を封じられた天流達の逃げ道は、地下へと続く通路のみだ。
素早く全員が通路へと避難をした。
「グレミオ!?」
緊迫した天流の叫びに、ビクトール達はハッと視線を向ける。
全員が避難したと思っていた。
だが、見渡すと一人足りない。
慌てて扉に駆け寄ると、天流が扉を開けようと必死だった。
すぐに状況を飲み込み、ビクトールやクレオが扉を拳で叩く。
だが閉ざされた扉はびくともしない。
その向こうに確かに感じる気配。
「おい、早く出て来い! 何をしてるんだ!!」
ビクトールの怒声が空気を揺るがして響き渡る。
返ってきた声は、いつものように穏やかなものだった。
「ビクトールさん、この扉はこちら側からしか開け閉めができないみたいです」
その言葉に天流は動きを止めた。
しかしビクトールは扉を叩き付けながら叫ぶ。
「何を言ってる! 大丈夫だ、なんとかなる。だから早くこっちへ・・・」
懸命に説得しようとするビクトールに、グレミオはただ静かにそれは無理だと告げる。
グレミオの言葉を否定するように、ビクトールとクレオは必死に扉を叩き続けた。
後方ではフリックやシーナ、リュウカンが茫然と事の成り行きを見守っていた。
そんな中、我に返ったシーナは天流の傍に駆け寄る。
そっとのぞき込んだ横顔は、じっと扉を見据え、扉に付いた手はきつく握り締められている。
扉の向こうからはグレミオが穏やかに天流に語り掛ける声が届く。
握り締められた拳は小刻みに震え、きつく唇を噛み締めながら、天流は黙ってグレミオの言葉を聞く。
シーナはそっと天流の肩に腕を回した。
グレミオの声が途切れがちになり、苦痛が滲む頃、ビクトールやクレオの動きも止まった。
成す術もない。
認めたくはないが、それが現状。
微かに届く苦しげな呼吸も、やがて聞こえなくなっていった。
訪れたのは重い沈黙のみ。
誰かが苦しげにうめいた。
それが合図だったかのように、ビクトールが力の限り扉を叩き付ける。
「ちくしょう!!」
血を吐くような叫びが狭い通路に反響する。
クレオが押し殺した嗚咽を漏らした。
ギリリと音がする程に強く握り締められた天流の拳にシーナの手が重なり、握り締められた指を解いて自分のそれを絡ませた。
シーナの痛ましげな視線の先。
天流はただ、扉を見据え続けていた。
どれくらい時が経ったのだろう。
重い沈黙に包まれた薄暗い通路の中、扉の向こうにようやく気配を感じた。
音を立てて開いた扉。
その先にいたのは軍師マッシュだ。
「ご無事でしたか? ティエン殿」
マッシュの安堵の声にも答えず、天流はシーナから離れ、傍に残されていた萌黄色の前に膝を付く。
天流の後から続いたメンバー達は、一様に衝撃を受けて硬直した。
無造作に放置されているのは、使い慣らされた斧と萌黄色のマント。
誰のものなのかなど、考えるまでもない。
「・・・・・・すまない・・・」
小さく掠れた声で、天流はそれだけ呟いた。
立ち上がった天流の表情は、いつもの冷静なものだ。
何の感情も浮かばない無表情。怒りも哀しみも無い。
しかし、シーナやクレオならば気付いただろう。
無表情の中にも常に感じられた穏やかさが、消え去っていることに。
「・・・・・・泣かないんだな」
ぼそりと呟いたのはフリックだ。
いち早く反応したシーナは、烈しい怒りを浮かべてフリックを睨み付ける。
これ以上何か言うつもりなら、剣を抜くという強い意志を浮かべて。
だが、フリックはそれ以上続ける気配はない。
普段ならば嘲笑を浮かべて皮肉を口にするのに、彼の端正な顔にはその色は伺えない。
彼は、マッシュに促されて部屋を出て行く天流の後姿を、静かに目で追っていた。
■■■■■
解放軍の居城。
リーダーが帰還したという知らせにルックは天流を迎えるため石板の小部屋を出た。
右手に感じる違和感と共に、酷く嫌な予感が彼を支配していた。
数日前に天流が遠征に出掛ける前と比べて、明らかにソウルイーターの様子がおかしい。
仲間に囲まれて城内に入る天流を見付けると、リーダーを迎える人垣を掻き分けてルックは天流の傍に歩み寄る。
ビクトールとシーナに護られるように歩く天流は、一見いつもと変わり無いように見受けられる。
周りの誰一人としてそれを疑う者はいないだろう。
ルックは「おかえり」とだけ言って、天流達と共にエレベーターに乗り込んだ。
そこで改めてメンバーを見渡し、異変に気が付いた。
シーナとルックに支えられて自室へと戻った天流は、二人に促されるまま寝台に腰掛けた。
漂う静けさは暗い慟哭を孕み、天流との静かな時間を最も好むルックでさえ居心地の悪さを覚える。
ソニエール監獄を出てからまだ一言も言葉を発せず、三人になった今でさえも黙したままの友人に、ルックもシーナも心配を隠せない。
「ティル、とにかく今日はもう寝ろよ。マッシュさんだって休んで下さいって言ってたし。な?」
努めて明るい口調でシーナが言った。
そこで初めて天流は二人に視線をやり、
「すまない・・・」
ようやく、細く小さな声を発した。
少しだけ安堵し、シーナは天流の上着を脱がしてやった後、その身体を寝台に押し込んだ。
されるままに横たわる天流にルックが上掛けを掛けてやると、ゆっくりと瞼が綴じられた。
余程疲弊していたらしい。
目を綴じて間もなく、規則正しい寝息が漏れる。
すでに日は傾き夕闇が覆い尽くす部屋。
寝台の傍の燭台に灯された火だけが唯一の明かりだ。
眠りについた少年の寝顔はお世辞にも安らかとは言い難い。
『・・・・・・泣かないんだな』
監獄でフリックが口にした台詞がシーナの中に甦る。
確かに天流は泣かなかった。
家族を失って辛いというのは、震えていた拳が語る。
監獄から出た後の天流はあまりにも痛々しかった。
元々無表情ではあったが、更に感情の殺ぎ落とされたような虚ろさ。
それは、近しい者にしか解り得ない。
「そうやってこいつは、自分の感情を殺していくんだな」
独り言のようなシーナの呟き。
ルックは無言のまま天流の寝顔を見つめている。
「大丈夫・・・だよな?」
このまま壊れたりしないよな?
シーナは手を伸ばし、優しく天流の艶やかな髪を撫でた。
■■■■■
朝の明るい日差しが窓から室内に降り注ぐ。
天流は部屋に一人、寝台に横たわったまま天井をぼんやりと見つめていた。
いつもと変わらない朝。
扉の向こうには誰かの気配を感じる。
しかしそれが彼のものではないことが、ひどく気分を落ち込ませた。
(夢ならばとでも思っていたのだろうか。愚かだな・・・)
彼を見殺しにしたも同然だというのに。
天流の口元に、自嘲の笑みが浮かぶ。
『この扉はこちら側からしか開け閉めができないみたいです』
その言葉に扉を開けようとした手を止めた。
グレミオを助けようとすれば、全員が人食い胞子の餌食となるだけだから。
リーダーである自分が死ぬわけにはいかない。
フリックやビクトール、リュウカンも然り。
そのために、家族同然のグレミオを犠牲にしたとしても。
リーダーならば、最善の道のみを選ばねばならない。
胴着を纏って部屋を出ると、クレオやパーンが泣きはらした目で立っていた。
その後ろには沈んだ表情のビクトールやカミーユ、フリックの姿がある。
彼らの横を無言のまま通り過ぎる天流の後姿を、心配そうな複数の視線が追う。
広間にはマッシュとリュウカンの姿があった。
二人は天流に気付くと痛ましげな表情を見せたが、マッシュはすぐに軍師の顔となる。
「ティエン様、軍師として進言させてもらいます。今こそスカーレティシアを攻めるべきだと考えます」
続いてリュウカンが、毒を防ぐ薬を調合したと告げた。
一瞬瞳を伏せた後、天流の琥珀の瞳は清冽な光を灯す。
「出陣する」
無感動ながらも強く澄んだ声音。
澱み無く澄みきった中に、感情はない。
冷静な無表情。沈着な態度。
決して無理矢理作ったものではない。
帝国軍人として育った少年の性であり、解放軍リーダーとしての自覚がそうさせているのだろう。
心の奥に押しやられ、封印されてしまったものは
扉の向こうの気配と共に、小さく消えゆき感じられなくなった。
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シーナやルックが坊ちゃんの保護者のよう・・・。
解放戦争時は坊ちゃんがニ人の保護者だと思ってたんだけど(笑)。
今回坊ちゃんに救いがないまま終わってしまいました(汗)。
グレミオの死と共に坊ちゃんが失くしたものを取り戻すのはもう少し先になります。
この話自体色んなこと詰めこみ過ぎてわけ解らなくなってますね(汗)
これからフォローしていきますので・・・。
とりあえずフリックの扱いは酷くならずに済んだけど、その代わり存在感が薄い・・・?
次回はフリックメインでしょうか。(だとしたら扱いは酷いな・・・)
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