|
13.泣かない子供
『ティエン様。ここは俺に任せて逃げて下さい。なあに、すぐに追い付きますよ』
そう言って戦場に残った彼は、未だに戻って来ない。
解放軍がテオ・マクドール将軍率いる帝国軍と初めて相まみえたその日の夜。
自室の寝台に腰掛けながら天流の意識は常に扉の外の気配を伺っていた。
扉が叩かれ、彼が「ただいま帰りました」と笑顔で告げに来てくれることを待って。
しかし、天流の聡明な理性はそんなことはあり得ないと理解していた。
彼の力では、テオを倒すことはできない。
テオが裏切り者を見逃すとは思えない。
彼は・・・パーンはもう、ここに戻って来ることはない。
なのに何故、こうして待ち続けているのだろう。
自分の心が解らなかった。
ただ、ひたすらに、待っていたかったのだ。
今にも扉が開いて、親友が、家族が、あの女性が、天流の元に笑顔で訪れることを。
(馬鹿馬鹿しい・・・)
自嘲の笑みが浮かぶ。
無駄に時を過ごす暇があるなら、さっさと疲れを癒すためにも眠りにつけば良いものを、と。
そして、自分の身を寝台に横たえようかと考えるが、すぐに諦めの息をつく。
「・・・眠れそうにないな」
誰もいない広い部屋に、掠れたような呟きは思いの外高く響いた。
天流は寝台から腰を上げ、静かに部屋を出て行った。
目指したのは階段。
途中の部屋にいるであろうクレオやマッシュらに気付かれないように踊り場に辿り着き、屋上に続く階段に足を掛けたその時。
「どこ行くのさ?」
突然背後から呼び止められ、一瞬ぎくりと肩を強張らせたが、すぐに平静を装って振り向いた。
まるで気配を感じさせずに佇むのは風の魔術師。ずっとそこにいたかのように、階段を1段上がって止まっている天流を見上げる。
「ルック」
「夜遅いんだからさっさと部屋に戻って寝れば?」
今日の戦いで疲れているのだろう、と。声には出さない無言の肯定が言葉の奥に潜む。
友人のそっけなくも優しい言葉に、天流は困ったように瞳を伏せる。
少しの沈黙の後、ルックは深く溜息をついて踊り場の壁に背中を預けた。
「行けば? あんたの身に危険が迫ればどうせ風が騒ぐんだから」
思い掛けない言葉に、驚きに目を丸くしてルックを見つめる。
珍しくポーカーフェイスが崩れる天流を見やり、ルックの唇が薄く笑む。
「ただし、少しだけだよ。あんたに風邪を引かれると困るし」
「・・・・・・ありがとう、ルック」
儚く微笑み、踵を返して階段を上る天流。
細い背中が闇に薄れゆく様を見守った後、ルックの姿もその場から消えた。
始めから何もなかったかのように静けさを取り戻した踊り場。
しばらく経って、そこを青いマントを靡かせて横切る人物があった。
月明かりの映える夜の闇の中、肌寒い夜風に身を晒しながら天流は何をするでもなく佇んでいた。
眼下に広がるのは深い闇。
昼間は澄んだ藍さが広がる湖も、今はどこか暗く冷たい。
石造りの古城の静けさが尚のこと底冷えする寒さを際立たせる。
薄着のまま屋上に出た天流の身体は夜風に体温を奪われ、急激に冷えていった。
このままでは風邪を引いてしまうかなと思いながらも、動こうともせずに闇を見つめる。
広がる闇の中、カクの町から漕ぎ出す船の明かりが灯るのを願って・・・。
どのくらいそうやって湖を見つめていたのか。
屋上への入り口の向こうから人の気配を感じ取った。
一瞬、刺客だろうかと身構えたが、それが慣れた気配だと察して警戒を解く。
だが、別の意味で神経が張り詰めた。
間違いでなければこの気配はある人物のものだからだ。
もしかすると、『敵』以上に天流を敵視していた人物。
気配が近くなり、入り口で立ち止まった相手が息を呑むのが空気を通して伝わる。
「一人なのか?」
現れた人物、フリックが問いかけた。
僅かに顔を向けて頷きながら、天流は少々意外な思いでいた。てっきり無視をして階段を降りて行くのかと思っていたのだ。
しかしその人物は立ち去るどころか、天流の傍に歩み寄って来た。
すぐ隣に青いマントが揺れる。
近付いただけで微かだが人の体温を感じるのだから、相当身体が冷え切っているのだと今更に気付く。
「何を見ているんだ?」
「待っているんだ」
「何を?」
「パーン」
問い掛けにすんなりと答えが出た。
隣の人物が「ああ」と息を吐くように呟く。
共も無く一人で屋上に立つ自分を無防備だと非難するだろうかと思ったが、そうでもないらしい。
今までならばどんな小さなことでもいいから天流を貶める材料を探していたのだが、彼が口にした言葉は意外にも天流への慰めだった。
そっと伺った青年の端正な顔には、憐れみが広がっている。
それを敏感に感じ取りながら、天流は湧き上がる不快感を無表情の下に覆い隠した。
どうでもいいことだ。
そう言い聞かせながらフリックと言葉を交わす。
慰めの言葉を連ねようとしていたフリックは、パーンは戻って来ないと言いきった天流を驚愕と当惑に彩られた表情で茫然と凝視している。
その時、風を纏ってルックが現れた。
ルックはフリックを一瞥した後は完全に彼を無視し、天流に歩み寄って触れた腕や頬のあまりの冷たさに、冷え切った身体を抱き締めた。
途端に身体を包んだ温かさに、天流は素直に身を預ける。
事態に動揺するフリックを最後まで無視し、ルックは天流を連れて屋上から転移した。
転移したの天流の部屋。
ルックは身を委ねる天流から離れようとしたが、すぐに思い直して天流を抱き締める腕に力を込めた。
「冷えきってるじゃないか。まったく、もっと早く連れに行けば良かったっ」
不機嫌な声音で天流を咎める。
不思議な心地良さを感じ、天流はルックの肩口で口元に小さく笑みを湛えた。
「あの青いのと何話してたのさ」
「・・・別にたいしたことじゃない」
「・・・ふん。いいけどね」
本心では、あの思い込みの激しい青年がまた馬鹿な勘違いで天流を傷付けたのではないかと、気になっていたのだが、あえて興味のない振りをする。
そして二人は名残惜しげに身を離し、「風邪引かないうちにさっさと寝なよね」と言い置いてルックは部屋を出て行った。
温もりが離れていったことに一抹の淋しさを感じながらも、天流は寝台に入って目を綴じた。
■■■■■
解放軍が鉄甲騎馬兵に敗北した翌日、天流達はオデッサ・シルバーバーグの残した火炎槍に望みを託し、秘密工場に向かうこととなった。
火炎槍を取りに向かったのは天流、クレオ、ビクトール、フリック、タイ・ホー、そしてルックだ。
新しくなったエンジンを取りつけて馬力が上がった船は、タイ・ホーの見事なまでの操舵術によってキーロフの町に辿り着いた。
そして・・・キーロフに着いた途端、天流とルックの二人はひどい船酔いのために倒れた。
ビクトールが天流を、クレオがルックを支えながら一行は宿屋を探して町の中を歩いていた。
何故クレオが天流ではなくルックを支えているかというと、ルックが他の三人の手を借りるのを極端なまでに心の底から力いっぱい嫌がったからである。
暫く歩いていると、先頭を行くタイ・ホーは民家の前で洗濯をしている女性を見つけて声を掛ける。
「おう姉ちゃん。この辺に宿屋は無いかい?」
洗濯の手を止めて顔を上げた女性は一行を見渡し、天流とルックの蒼白な顔を見て心配そうに表情を曇らせた。
「その道をまっすぐに行きな。大丈夫なのかい? 随分と具合が悪そうだね」
「なに、心配はいらねえよ。二人がちょっとひ弱だっただけよ」
「あんたら中年男ほどふてぶてしくできてないんだよ・・・」
真っ青な顔を不機嫌そうに歪め、低い声でルックが反論する。
喋るのも億劫だというほどに辛そうな様子にクレオや女性は同情を覚えるが、男達は聞き捨てなら無い台詞にすぐさま声を上げる。
「俺はまだ20代だっ!」
「誰が中年男だ、このガキっ!」
「わかってないねえ。男は30過ぎからだぜ」
上からビクトール、フリック、タイ・ホーの言葉だ。
怒鳴った後天流が苦しそうにうめき、クレオの殺気の込もった一睨みにビクトールとフリックは慌てて口を覆った。
そんなやり取りを面白そうに眺めていた女性は、ふと思い出したように声を上げた。
「ところで、あんたら。悪いけどせっけんを探してくれないか? きれちゃっててさ」
「「「え?」」」
驚いて女性を凝視するビクトール達に、女性は「頼むよ」と困ったように笑う。
当惑したようにそれぞれ顔を見合わせ、クレオが天流やルックを心配げに見やる。
二人とも力無くビクトールやクレオに凭れ掛かり、伏せられたその顔は蒼白で苦しげだ。
「今は早く坊ちゃんとルック君を休ませないといけないからな。フリック、お前が見つけてきてやってくれ」
「お・・・俺がか・・・」
「どうせ今日はこの町に一泊するんだ。暇だろ」
「う・・・解った・・・」
渋々と頷き、フリックは身を翻してパーティーから離れていった。
その後、彼はせっけんを求めて一日中町を徘徊する羽目になるのだが、まあそれはビクトール達にはどうでもいいことだろう。
宿屋に辿り着いたビクトール達はさっそく部屋を取って天流とルックを寝かし付け、看病にクレオを部屋に残すとビクトールとタイ・ホーは町に出た。
部屋にいても邪魔にしかならない上に、彼らがいるとルックが不機嫌になって休めないためクレオに追い出されたのだ。
まだ日は高く、のどかな午後。
二人はその日、優雅に釣りを楽しんだ。
遠く背後で、青い人影が東奔西走する様など気付くこともなく。
■■■■■
辺りがすっぽりと夜の闇に覆われた部屋の中、ふと目を覚ました天流はゆっくりと寝台に身を起こした。
まだ軽い嘔吐感は残るものの、身体の調子はかなり回復してきている。
クレオの姿はすでに無く、隣のベッドからはルックの規則正しい寝息が聞こえる。
天流はそっと寝台から抜け出し、静かに部屋を出た。
宿の外に出ると、ひんやりとした風が心地良く肌を撫でた。
冷たい空気を吸うと、未だ残る不快感が拭われていく。
夜気に身を委ねて上を向くと、夜空を彩る月や星の輝きが広がる。
すると背後で微かに軋む音を立てて扉が開かれ、ビクトールがのそりと現れた。
「よぉ、もう具合はいいのか?」
天流を見とめるや、そう問い掛けてきたビクトールに、振り向いた天流はこくりと頷いた。
「だいぶ良い。すまないな、皆まで足止めさせてしまって」
「なに。気にするな」
朗らかに言いながら天流の隣に立ち、自分の肩ほどもない小柄な少年を見下ろして笑みを浮かべる。
「こんな時間にどうしたんだ? 子供は寝てる時間だぜ?」
「昼間寝たから目が覚めてしまったんだ。ビクトールこそ何故ここに?」
「お前が部屋を出て行くのが見えたからな。一人にするわけにもいかんだろ」
ビクトールの言葉になるほどな、と呟いて頷く。
そういえばマッシュにも単独行動は控えるようにといつも言われていたのだが、すっかり失念していた。
今日はビクトールに色々と世話を掛けてしまった、と天流は申し訳なさそうに苦笑する。
そんな天流を見つめながら、ビクトールは遠慮がちに口を開いた。
「お前、無理してねえか?」
「? 具合ならもう・・・」
「船酔いじゃねえよ」
船酔いのことではない?
首を傾げ、不思議そうに見上げる天流にビクトールは困ったように頭を掻く。
「だからさ、お前はこの数日間大変な目に遭っただろ? 俺としちゃ心配なんだってことだよ」
「戦争が大変なのは当たり前だろう。僕に限ったことじゃない」
何でもないような口調でそう返す。
この数日で天流はグレミオやパーンを亡くし、今度の戦争では父親と戦うことになる。家族を失い、また戦うことは辛いに決まっている。
だが、天流は辛い思いをしているのが自分だけだとは考えていない。
こうして自分を心配してくれているビクトールだとて、辛い思いをしていないはずはない。
グレミオやパ―ンはビクトールにとっても、共に戦ってきた仲間なのだ。
彼らを失って辛いのは自分だけではない。
そんな天流を見るビクトールの顔が、哀しげに歪む。
「お前はまだ子供なんだぞ?」
「僕はそんなに頼りなく見えるのかな?」
「違う。ただな、お前のそんな姿が俺には痛いんだよ」
天流がこれ以上ないほど立派な軍主であることは、火を見るより明らかだ。
絶大なカリスマは人心を惹き付け、類稀な叡智で軍を導き、戦場を舞うが如く優美ながらも冴え渡る戦闘能力は敵味方問わず魅了する。
だからこそ誰もが忘れてしまう。
天流がまだ15歳の少年であることを。
子供というには幼過ぎず、大人というには稚い。
まだ親や大人の庇護は必要な年だ。
それなのに、現状はどうだろう?
守られ、導かれているのは大人達だ。
天流はその細い肩にすべてを背負い、当然のように受け入れている。
本当にそうするべきなのは誰だ?
見返してくる琥珀の瞳はいついかなる時も冷静で、15歳の幼さなど感じさせない。
どんなに傷付いても、無表情の仮面の下に感情を隠す子供。
家族を亡くしても、大声で泣くこともできない。
人前では涙を見せることさえ、許されない。
泣かない子供が、哀しかった。
「もっと自分を出してもいいんだぞ? 泣いたっていい。確かに一般の兵達の前では問題あるが、せめて俺やクレオの前では子供のままでもいいんだ」
「それは軍主として問題だな」
「普通、15のガキなんてそんなもんだろ」
「そうかな。ビクトールの知る15歳はそうなんだろうな。でも、僕は子供である前に軍人なんだ」
「あ・・・そっか。そうだな、お前は・・・」
天流の言葉にハッとして、ビクトールは苦渋に満ちた表情で俯いた。
非の打ち所のない軍主。
そう思われるのは当然かも知れない。
天流は一般家庭の子供ではないのだから。
幼い頃から英才教育を受け、戦術を学んできた軍人のエリート。
感情を隠すことを当たり前のことのように身につけた。そしてそうせざるを得なかった。
帝国軍に入隊したその時から、天流はもう子供ではなく軍人となったのだ。
そして、解放軍軍主となったことで、より責任ある地位に在る。
その自覚が、天流は人一倍強い。
馬鹿なことを言ったと思う。
天流は決して無理をしているわけではない。
彼にとって当たり前のことを、当たり前にこなしていただけだったのだ。
ビクトールは自嘲の笑みを浮かべ、大きな手で天流の頭を撫でる。
「だが、お前の気持ちはどうなる? 軍人である前に、お前は人間だろう。俺はお前を犠牲にしたくて解放軍に誘ったんじゃない」
「今の僕は、そんなに痛々しいのか?」
感情のない声音にビクトールが視線を移すと、当惑を隠せず立ち尽くす天流が映る。まるで迷子の子供のような所在なさげな姿。
「以前、グレミオにも同じようなことを言われた。子供でいろと・・・」
途方に暮れた天流の表情。どうしていいか解らないというように。
責任感が強く、真面目であるが故に誰かに頼ることをしない。
自分一人ですべてを受け止め、背負い込む。そしてそれが出来る子供。
ただ、その姿は近しい者からは痛々しく映ってしまう。
「子供でいろってのは、別に大事に守られてろってわけじゃないぞ。泣きたくなきゃ泣かなくていいさ。けどな、お前一人で何もかも背負うんじゃない。俺達を頼れ。まあ例えば今日のように具合が悪ければ寄りかかれってことだな。わかるか?」
大きな身体を屈めてのぞき込まれ、天流は戸惑いつつも頷いた。その頬がほのかに朱に染まっているのは、昼間のことを思い出した照れからだろう。あんな風に誰かに身を預けたことは、思い返してみれば気恥ずかしかった。
「俺やクレオに言い難いことならシーナでもルックでもいいさ。まあ、あいつらに相談して解決するとは思えんが」
余計にこじれそうだと言うのが本音だ。
言葉にしなかったそれが伝わったのか、天流の口元に笑みが浮かんだ。
「難しいが、心掛けてみる」
「そうしてくれ。お前は大丈夫だと思っててもこっちの気が休まらねえからな」
そう言って頭を撫でまわす手の温かさに、ふと何かを思い出しかける。
だが、天流はそれを深く考えることをやめて、逃げるようにビクトールの手から離れた。
「もう寝よう。ビクトールも、明日起きれなくなるよ?」
「そうだな。そういやフリックは明日筋肉痛になるかもな」
「何故?」
「あいつな、今日一日町を走り回ったんだと。元気な奴だよな」
妙に感心したような口調のビクトールにつられて、天流も思わず感心する。
この場にフリックがいたら「好きで走り回ったんじゃないっ!」とビクトールを怒鳴り付けたに違い無い。
太い腕が細い肩に回され、宿屋の中へと促していく。
天流はされるがままにビクトールの腕の中におさまっていた。
昨夜のルックといい、今夜のビクトールといい。
こうして抱き締められることに、不思議な安心感を感じた。
しかし、同時に言い知れない不安が付き纏う。
心の中で疼くもどかしさ。
いつものように天流はそれを奥底へと封じ込めた。
翌朝、気分も治り清々しい朝を迎えた天流とルックとは反対に、筋肉痛に苦しむフリックの姿があった。
back next
フリックについてはもう今更なので省きます(酷い…)。
ビクトールv坊です。たぶん。(ルク坊色の方が強いかな?)
坊ちゃんはマッシュやクレオ、ルック、シーナと同じくらいビクトールを頼りにしてると思います♪
また、その信頼も人によって違いがあるんでしょうね。
改正したらやたらと長くなりましたので、後半は次回に繰り越ししました(笑)。
次回はテオ戦まで行けるかどうか。
仲良し3人VSフリックの決着編(笑)かも。
フリックに勝ち目? あるわけないですね。
|