23.その先に見ゆる




生活感の乏しい閑散とした部屋。
一人で使うには広過ぎる部屋に一人佇む天流は、扉に背を預けたまま長い間動かなかった。

背後の気配が静かに遠ざかるのを意識の端で感じながら、心の中でルックとシーナに謝罪する。
扉を閉める際に見た、二人の友人の傷付いた表情が頭から離れない。
激しい自己嫌悪と自分への怒りが込み上げ、両手で顔を覆い、崩れるように座り込んだ。

「・・・情けない・・・」

掠れた呟きが自嘲を含む。
己の不甲斐無さに、他に言葉が無かった。

大切な親友を助けることもできず。
大切な友人達を傷付けることしかできず。
誰かを気遣える余裕もない。

軍人たる者常に冷静であれ、と物心ついた時から自分を戒めてきた言葉。
オデッサ、グレミオ、パーン、テオを失っても尚保ってきた冷静さは、天流の責任感の強さとプライドの高さの現れ。
何よりも”テッド”という最後の砦があったからこそだ。


そのテッドを失った今、天流の精神は初めて限界を感じていた。





■■■■■





空が夕闇に包まれようとしているなか、机に向かっていた天流はふいに書類から顔を上げた。

部屋に一人きりとなった後、彼は休むわけでもなく机の上に置かれていた書類に目を通していた。急ぐものではないが、何かをして気を紛らわせたかったのだ。

扉の向こうに人の気配を感じて顔だけを振り向かせると、ノックの音と共に控えめな声が掛けられる。

「ティエン様、夕食をお持ちしました」

立ち上がって扉を開けると、トレイを持ったクレオが立っていた。
天流を慈愛に満ちた目で見る彼女にも疲労の色は濃い。
何かを言おうとして結局言葉にはならず、天流は礼だけを言ってトレイを受け取り、交わす言葉も少なく扉を閉める。

閉じられた扉を哀しげに見つめ、クレオは静かに立ち去った。

天流のあまりにも虚ろな表情が胸を刺す。
このままでは駄目だと解ってはいても、今はまだ無理なのだとも理解する。

ただ願うは、天流が壊れてしまわないこと。
グレミオやテオ、テッドまでも失った天流を慰めるのに、クレオ一人の力では無理なのだと痛感した。

何より彼女自身、尊敬するテオを失い、家族同然の青年達や少年を失い、深い哀しみのなか、どうすればいいのか解らなかった。







夜が更け、静まり返った本拠地内を天流は屋上を目指して歩いていた。

屋上に続く扉を開けると、そこに佇んでいた二人の忍者が驚いたような目を向けた。
しかし冷静な忍者、カゲとフウマは動揺を表には出さずに片膝を付いて主君に跪く。

「すまない。しばらく一人にしてもらえるだろうか?」

遠慮がちに問いかける。
彼らの場所をふいに現れた自分が奪ってしまうことを申し訳無く思ったが、二人は嫌な顔一つせずに深く頭を下げ、一瞬にして姿を消した。
とは言っても陰ながら天流の護衛をしている二人のことなので、おそらく近くに潜んでいるのだろうが。


一人となった天流は屋上の端まで歩み寄って眼下のトラン湖を見下ろした。
いつだったか、パーンの帰りを待っていた時と同じ状況。
やはり今も暗闇の中を渡る明かりを探してしまう自分に、進歩がないなと苦笑する。

やりきれない虚しさと、吹き上げる冷たい風が、天流の心をも冷やしていく。

闇が広がる視界に浮かぶのは、光と消えた親友の姿。

始めから存在などしていなかったかのように、彼は何も残さずに消えてしまった。
全てを失った後300年もの間独りで苦しみ、呪いに怯え、孤独に耐え続けた結果が彼自身の消滅なのか。

行き場のない怒りと哀しみ、言い知れない悔しさにきつく唇を噛み締めた。

常に自分の感情は自身の中で冷静に分析し、完結してしまう天流が珍しく迸る感情を抑えられなかった。
思うのは、何もできなかった己の無力さばかりだ。

全てを失くして泣いていた小さな子供が、天流との出会いでようやく笑えたのに。
テッドからたくさんのものを与えてもらったように、今度は自分が彼を助けたかったのに。

「・・・テッド・・・ッ」

掠れた声が闇に溶けた。

呼んでも、もうどこにもいないと解っていても、どうにもならないと解っていても。
諦めることには慣れたはずなのに、どうしても受け入れることができなかった。







ふと視線を巡らせると、階下に人影を見止めた。

(・・・・・・あれは)

別棟に続く橋の上をどこに行くでもなくうろうろとさまよう小さな影。
身を乗り出してその正体を確認すると、天流はふわりと屋上から飛び降りた。

体重を感じさせない動きで岩伝いに岸壁を駆け下り、ストンッと地面に降り立つ。

どこかに潜んでいた忍者達はさぞ肝を冷やしたことだろう。
この場に他の者がいなかったのは幸運だ。ルックやシーナ、ビクトールならば驚きつつも笑って済ませただろうが、フリックならば大騒ぎし、軍師やクレオには大目玉である。


当の天流は何事もなかったかのように、橋の途中で座り込んでしまった小さな影に歩み寄った。

足音に気付いてハッと顔を上げたその人物は、驚きの表情で目の前に立つ天流を見上げる。

「・・・ティエ・・・ン・・・?」

「こんばんは、フッチ」

幼い少年を怯えさせないように穏やかな声音で話し掛けると、フッチと呼ばれた少年は安心したように肩の力を抜いた。

「どうして、ここにいるんだ?」

「君が居るのが見えたから。夜遅いのにまだ起きているの?」

「・・・眠れないから・・・」

抱え込んだ膝に泣きそうに歪んだ顔を埋め、小さな声で答えたフッチの隣に腰を下ろし、天流は「そう・・・」とだけ返した。

フッチの小さな肩が震えている。
時々漏れる嗚咽のような声からは、彼が懸命に泣くまいとしているのが解る。
それに気付きながらも天流は何も言わず、湖に続く夜空に視線を向けた。


互いにそれ以上言葉を交わすこともなく、並んで座り込んだ二人の間には沈黙だけが流れた。
しかしそれは息の詰まるものではなく、穏やかに流れる水のようだ。

さっきまで孤独と哀しみに押し潰されようとしていたフッチの心は、傍に天流が居る、それだけで徐々に軽くなっていった。


「なあ、覚えてるかな、ブラックに乗せてやったこと…」

膝の間から顔を上げないままの問いかけは、情けなく歪んだ顔を見られたくないという幼いながらのプライドだろう。

「覚えているよ。竜に乗ったのはあれが初めてだった。貴重な体験だ」

「だよな! ブラックは良い竜だったよなっ!」

弾かれるように顔を上げてそう言ったフッチは、穏やかに自分を見る天流と目が合って慌てて視線を逸らした。
あまりに優しい琥珀色の瞳を見るのが照れくさくて、泣きそうな顔を見られるのが恥ずかしくて、赤くなって俯く。だが彼の胸に湧き上がるのはブラックを失った哀しみを癒してくれる天流の言葉への嬉しさだった。

彼はブラックを知り、褒めてくれる。
ブラックの死を報われるものとしてくれる。
竜騎士の砦の仲間達以外にブラックを思ってくれる人がいることに、フッチ自身も救われた。

「・・・あのさ、忘れないで…やってくれないかな、ブラックのこと。ちょっとでいいから、覚えててやってくれよ…」

ブラックの死は決して無駄なものじゃなかったという確信が欲しかったのかも知れない。
ヨシュアやミリアよりも天流の言葉が欲しいなんて、我ながら不思議だった。
そして、天流はそんなフッチの想いを受け止め、応えてくれる。

「忘れないよ」

「・・・あり・・・がと・・・」

たった一言が嬉しかった。

おずおずと天流を見上げ、変わらず優しく自分を見てくれるその存在に、必死に押し殺してきた涙が溢れ出す。
慌てて拭おうとするが、一旦溢れ出したそれは止まるどころか勢いを増してフッチの頬を濡らしていった。それでも何度も拭っていたが、ついには動きを止め顔を歪めて大きくしゃくり上げた。

「・・・っく、・・・うぅ・・・っ」

声が漏れると堰を切ったように感情が迸り、フッチは身体を反転するとぶつかるように天流にしがみ付いた。
決して広くはない肩に顔を埋め、噴き上がった感情をもはや押さえようとはせずに涙を流す。
天流は何も言わずに小さな身体に腕を回し、優しく背中をさすってやった。
幼い頃、グレミオがしてくれたように。

ようやく安心したように今まで堪えていた分も泣き続けるフッチをあやしながら、癒されたのはフッチだけではなかった。
幼い子供故の純粋さは、深淵の闇に満たされつつあった天流の心に温もりを取り戻してくれた。

”忘れないで”

何気ない言葉は時に強い力を持つことがある。
何でもない一言に傷付くこともあれば、救われることもあるのだと改めて知った。

しがみ付いて泣きじゃくる小さな少年が、先日の過去の世界での親友の姿を思い起こす。

つい先程までは思い出す度に自己嫌悪に陥った親友の姿が、今は穏やかに記憶に蘇る。



(君も、忘れないでほしい・・・)

君の竜に乗せてもらった人達がいたことを。
ブラックには、グレミオも、パーンも、そしてテッドも乗ったんだよ。


10歳にも満たなかった子供にとってはいずれ薄れゆく些細な出来事でも、確かに彼らは君と時間を共に過ごした。
君が大切に仕舞い込んだブラックの思い出の中には、彼らの足跡(そくせき)が確かにあったんだ。


誰かの記憶の中に残っているのなら、その人は決して完全に消えたわけではない。
肉片すら残さず光と消えたテッドも、忘れなければそこに”存在”するのだ。


そう思うことで、少しだけ孤独の寂しさが和らいだ。





■■■■■





しばらくしてようやく泣き止んだフッチを宛がわれている部屋に送り届けた後、天流は自室に戻るため階段を上がった。

途中の3階ではふいに思い立って、すでに人通りのない暗い中を石板の小部屋へと足を運ぶ。
小さく光が漏れる部屋に足を踏み入れたところで、彼の動きが止まった。


「何か用?」


いつもの台詞だが、目の前に立つ存在に驚いたように目を丸くしている少年。
天流もまた、誰もいないと思っていたため驚きを隠せなかった。

「ルック、こんな夜中に何をしている?」

「その台詞、そっくりそのまま返すよ」

そう言われては返す言葉もない。
驚愕から立ち直ると天流は石板の傍に歩み寄り、ルックも無言のまま彼を迎え入れた。

ルックの隣に立って石板に刻まれた文字を追いながら、「随分増えたな」と感想を述べるとすかさず「うるさくなったよね」と可愛げのない台詞が返る。

そっと伸ばされた天流の手が、ある場所を撫でるのを見て、ルックの眉間に皺が寄る。
そこは、数ヶ月前には確かに名前が刻まれていた場所だ。今はもう消えていて、読み取ることができない。

グレミオとパーン。

石板に刻まれていたはずの名前が消えた日から、無意識に天流はその場所を見ないようにしていたことに、ルックは気付いていた。冷静に彼らの死を受け止めているように見えても、辛過ぎる現実は耐え難かったのだろう。

しかしこの日、フッチとの会話で天流の心情に僅かばかりの変化があった。
だがそれを知らないルックは、天流の腕を掴むといきなり彼の部屋へと転移したのだ。


「・・・・・・っ」

突然変わった視界の様子に天流は軽い混乱を起こしたが、腕を掴む存在と見慣れた自室の風景にすぐに冷静さを取り戻した。

「ルック・・・」

「あんたが自分を追い詰めるような真似するからだよ」

一言文句を言ってやろうとしたが、ルックの苛立った声に天流は口を噤んで不機嫌な友人を見つめる。

「前にも言ったけど、あんたは何でも一人で背負い過ぎ。泣いてたよ? あんたの従者」

ルックの言葉に天流の表情が悲痛なものになる。

唯一残った家族であるクレオ。彼女には本当に辛い思いをさせてきた。
テッド達を失って酷く傷付き、哀しんだのは彼女も同じだろうに、いつでもクレオは天流の心配ばかりする。
幼い頃ならいざ知らず、今ではもう天流がクレオを護ってやらねばならない立場だというのに。


「僕はいつも人に心配を掛けてばかりだね」

部屋の中央にある寝台に腰掛けると、彼は自嘲気味に呟いた。

「あんたの従者のこと? なら気にしなくていいんじゃないの。今更なんだから」

「君も含めてだよ。誰もが僕を心配する。ビクトールも、フリックも・・・」


あんなのと一緒にしないでくれる?


不機嫌オーラを惜しげもなく発しながら、ルックは強い口調で言葉を遮った。

「だいたい心配してるからどうだってのさ。僕が人の心配するのがおかしいってわけ?」

「そういう意味じゃなくて・・・」

フリックやシーナならばルックの台詞に「・・・・・・(おかしいよ・・・)」と反応しただろうが、人の好意は素直で純粋に受け取る天流は違和感に気付かない。
冷静沈着に見えて、グレミオに育てられて培われた人の好さは尋常ではなさそうだ。


「僕はそんなに頼り無いのだろうか。確かに年齢は若いかも知れないが、軍主としては不甲斐無いなと思って・・・」

「頼り無いわけじゃないんじゃないの?」

「・・・では、僕が不幸に見えるのかな。辛い思いをしているのは僕だけではないのに」

もしも、彼らが天流を可哀想に思っているなら哀しいことだと思う。
戦争で大切な者を失った人はあまりにも多い。天流が父と対立したように、解放軍と帝国軍で親兄弟や親戚と敵味方となった者もいるはずだ。
天流だけが辛い思いをしているのではない。ビクトールやクレオらも然り。

しかしルックはそうではないと言いたげに首を振る。
だが言葉が見つからないのか、眉を寄せて考え込んでしまった。
頭の回転の速い彼にしては珍しいことだ。

そんなルックの様子に、天流は申し訳なさそうに声を掛ける。

「すまない。こんな弱音を吐くから信頼されないんだろうね。今のは忘れてくれ」

「だから違うって!」

叩き付けるように言って天流の傍まで来ると、勢い良くルックは寝台に乗り上げた。
突然のことに驚いて、天流は抵抗もできずにルックに押し倒される。

目の前には辛そうに歪んだ白皙の美貌がある。
言葉が見つからないもどかしさに苛立ちを募らせながら、ルックは細い腕で天流を抱き締めた。

「あんたは気にしなくていいんだよ。どいつもこいつも心配したいからしてるんだからさ。気にせず前を向いてなよ」

「ルック・・・」

思いもしなかった言葉に動揺した天流だが、ぶっきらぼうな慰めに不思議と心が軽くなった。
同時に、今までとは違う思いが彼の中に湧き上がる。



ああ、そうか。
心配を”させている”のではなく、
心配を”してくれている”のだ。

そう、考えれば良いのか。


グレミオから始まってクレオもビクトールもマッシュも、辛そうに天流を見ることが多くなっていた。
そんな彼らを見るたびに思い知らされた自分の未熟さ。
リーダーでありながら、部下を安心させられないことが情けなかった。
だけど、それは違ったのだ。

頼り無いのではなく、頼ってほしいから。

信頼しているからこそ、力になりたくて。



「そうか、簡単なことなんだね」

「当然だろ。考え過ぎるあんたが解らないよ」

ルックの皮肉に天流は小さく笑った。
圧し掛かるルックの背中に腕を回すと、応えるように天流を抱く力が強くなる。


心の重荷が取れた天流はこの数日間の疲れもあって、抱き締めるルックの体温の心地良さに次第に眠りの中へと落ちていった。

寝息を立てる天流に気付いたルックは、一瞬呆れたような顔となるがすぐにそれは優しいものとなった。

腕の中を見ると、天流の安らかな寝顔がある。
しかし、ルックはまだ胸にしこりを残したままだった。

自分が本当に彼に伝えたかったことが何なのか。
いくら探しても言葉が見つからず、仕舞いには考えることをやめてしまった。


すっきりしないものを抱えながらも、天流と抱き合うことに心地良さを感じるのは彼も同じで、天流の上から隣へと身を横たえて瞳を綴じた。



月明かりが差し込む広い部屋の中、寝台には寄り添い合って眠る二人の少年の姿があった。





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すみません、終わりませんでした(汗)。
坊ちゃんを慰める人々の話ということですが、手っ取り早く正確に、
ルックが坊ちゃんにべたべたする話とか書いたらギャグですね(笑)
ルックは坊ちゃんへの気持ちをどう言葉にすればいいのか解らないようです。
恋愛だとは気付いていません。その割に押し倒してますが(笑)。
フッチの場合は慰めてる意識は本人に無し(笑)。むしろ慰めてもらってます。
でもそれによって坊ちゃんも慰められるものなのです。
坊ちゃんは誰かに慰められたり支えられたりするタイプではなく、自分で考え、
自分なりの結論を出して立ち直る人であってほしいので。長男タイプですか(苦笑)。

次回こそテッド編終了ですっ。



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