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25.信頼
――スパイがいるかも知れない――
それは、当初より軍主と軍師の間でのみ交わされていた懸念だった。
湖上の城を本拠地として手に入れ、天流とマッシュによる解放軍が起動を始めた頃、二人きりの執務室で天流はマッシュにそう告げた。
まだ出会って日の浅い二人だったが、出会ったその瞬間から互いを無くてはならない存在だと認識し合い、常人には計り知れないほど深い信頼を互いに抱いていた。
長い間探し続けた半身をようやく得られたような、不思議な感覚。
そこまで信頼し合っているからこそ、仲間を疑うような発言をした軍主に対して軍師は怪訝の色も不安の影もちらつかせることなく静かに言った。
「何故、そう思われますか」
証拠はあるのかと問う軍師に、天流は抱いていた疑問を包み隠さず話した。
それは先日起きた悲劇。
マッシュの妹であり、解放軍の前リーダーであるオデッサの死、にまつわるものだった。
「何故、帝国軍があのアジトの場所を知ったのか。レナンカンプの町の人達が情報を漏らしたとは思えない」
何も知らない町民の間では解放軍の噂は確かにあった。アジトが近くにあることを薄々と感じ取っていた者もいただろう。
だが帝国の圧政に苦しめられていた彼らは解放軍に対して反逆者やテロリストとしてではなく、むしろ好意的な感情を持っていた。
例え噂が帝国軍の耳に届いたのだとしても、決して解放軍の不利になるような情報を流したりはしないはずだ。
しかし帝国軍は、レナンカンプの町を真っ直ぐにアジトへの道がある宿屋へと乗り込み、そしてオデッサの命を奪った。
考えられるのは、解放軍の中にスパイがいるのではないかという疑念だ。
オデッサが信じている人達を疑うことは心苦しいが、天流は感情を切り離した軍人としての見解でそう結論付けた。
天流の説明に、マッシュもまた同じ意見を持ったようだ。
しかし、二人は一年に渡って、その懸念を二人の間だけの話としていた。
ただでさえ古参の解放軍の兵と元帝国軍との間には諍いは耐えず、不信感も根強いというのに、悪戯にスパイの存在を示唆して、兵達の混乱を誘うようなことは避けたかった。
発足当初は天流の圧倒的なカリスマによって、軍の平穏と均衡が保たれていると言っても過言ではなかったのだ。
現在は1年近く苦楽を共にすれば信頼も芽生え、天流を始めとする上層部の存在がなくても兵達の間で争いが起きることはなくなった。
そして時が経つに連れて、二人の懸念は確信へと変わっていったのである。
マッシュは執務室の窓から外を眺めていた。
眼下を駆けて行く小さな人影は、己の命を預けた少年。
遠征に出ない日は、彼はいつも城内を回って全ての兵に声を掛けている。
解放軍の士気が高いのも、雰囲気が良いのも、全てはこうした努力によるものだろう。
誰もが幼き軍主に忠誠を誓い、彼のために自分の力を発揮できることに喜びを感じている。
それは、マッシュも例外ではない。
だが・・・、と別の思いが浮上する。
視線の先には兵と言葉を交わす天流の姿。
穏やかなマッシュの表情の中に、僅かに陰りが落ちた。
「貴方の存在は・・・大き過ぎる」
呟きは、マッシュ以外に誰もいない室内の静寂に溶けた。
痛ましげな色を見せたのは一瞬のことで、すぐにマッシュは冷静な軍師の顔に戻る。
間を置かずして、執務室の扉をノックする音。
応答の後に訪問者が部屋に入る頃には、全ての思いを隠したマッシュがそこに居た。
■■■■■
マッシュの密命によって帝国軍の動向を探っていたカスミとクリンが不審者を捕らえたという報告を受け、天流は急ぎ4階の広間に向かった。
その場にはすでに軍の幹部達が顔を揃え、彼らに囲まれるような形で見慣れない男が一人佇んでいた。
彼が件の人物なのだろう。周りから誰何する質問が飛んでも、黙ったまま口を開こうとはしない。
天流が来たことに気付いた何人かが道を開け、天流は中心に立つマッシュの隣に並んだ。
珍しく困ったような面持ちだったマッシュだが、隣に立つ天流を見やるとほっと表情を和らげた。
「お待ちしておりました、ティエン殿」
マッシュの言葉に、固い表情のまま俯いていた男がハッと顔を上げた。
「ティエン! あなたが解放軍のリーダー、ティエン様ですか! ありがたい、これで私もウォーレン様の言い付けを守れます」
食い入るように天流を見つめ、身を乗り出す男の前にフリックとレパントが立ちはだかった。
正体も解らないような者を軍主に近付けるわけにはいかないと、手は腰の剣に添えられる。
しかし男は怯むことなく、必死の様相で天流に訴える。
自らをタガートと名乗った男は、北方の大富豪であるウォーレンという者の命令によって解放軍に助力を乞いに来たという。
かつて都市同盟との境界線である北方の守りは天流の父であり、帝国五将軍の一人であるテオ・マクドールの任務だった。
彼の死後は同じく五将軍の一人、カシム・ハジルが受け継いだ。
そのカシム・ハジルが最近になって突然反乱分子の弾圧を始め、反乱軍に協力的であったウォーレンと、丁度その頃彼を尋ねていた解放軍の幹部の一人ビクトールを捕らえたと言うのだ。
「ティエン殿、ビクトールは解放軍の大きな戦力、ウォーレンは大富豪でありながら義理堅いことで知られており、彼を慕う者も多いとか・・・。なんとしても助け出さねばなりません」
カシム・ハジルから二人を救い出そうと言うマッシュに、兵力の差があり過ぎる、と周囲から声が上がる。
当然の反応だろう。
今の解放軍が、正規の軍隊に適うわけがないというのは誰の目にも明らかだ。
8千と言われるカシム・ハジルの軍。しかも相手は訓練を受けた軍隊で、寄せ集めの解放軍とは話にならない。
マッシュは彼らの言を受け入れ、それでは明日は訓練を行うと言い置いてメンバーを解散させた。
そしてフリック達は明日の訓練に備えて準備を整えるため、各々散らばっていく。
やがてその場には軍主と軍師だけが残された。
人がいなくなったのを見計らって向けられた問いかけるような視線に、静かに軍師が口を開きかけた時。
「ティルー! 会議終わったんだろ? 遊ぼうぜ♪」
底抜けに明るい声が不謹慎極まる言葉を広間に響かせた。
声の主の父親がこの場に居れば、こんな時に何をほざいてるか、と怒声を轟かせたに違いない。
広間に入って来た彼、シーナは悪びれる様子もなく天流に笑顔で駆け寄る。
「シーナ、今は遊んでいる場合ではない」
返った答えは素っ気無いものだったが、シーナは怯みもせずに天流に抱き付いた。
「そんな場合じゃない時こそ息抜きが大事なんだぜ? まだ真昼間だってのに殺伐としてたって仕方ねえじゃん。な、軍師さんもそう思わない?」
「そうですね」
突如現れた闖入者に思わず呆気に取られてしまった軍師だが、すぐに平静を取り戻すとシーナに同意を返した。
「だろ? な、マッシュさんも賛成してくれたことだし、行こうぜっ♪」
「明日に備えて早めのお帰りを」
「らぢゃーっ!」
天流に口を挟む隙を与えることなく、シーナは強引に自分より小柄な少年を抱きかかえるようにして連れ去って行った。
引きずられながらもおとなしくシーナに引っ張られているということは、天流には強く彼を拒絶する気はないのだろう。本当に嫌ならば、問答無用で手を振り解いた上に回し蹴りの一つもお見舞いしているはずだ。生真面目なリーダーは、シーナやルックにすら時として容赦がない。
軽やかに二人の少年が去った後、入れ替わるように初老の男が現れた。
その人物を見るや、穏やかだったマッシュの表情から一切の感情が失せた。
「何だ、あの子供は」
威圧感すら感じる低く重い声。
すでに姿が見えない少年達を厳しい視線で追うその男の名は、レオン・シルバーバーグ。
最近軍に加わった者で、軍師補佐という位置にいるが彼自身も優秀な軍師だ。
マッシュにとっては血の繋がった血縁者だが、彼らの互いへの感情は親類の情というものとは縁遠い。
「お前はあんなくだらない子供を軍主殿の傍に置いているのか?」
おもむろに、不愉快そうな表情を作る。
マッシュは片眉を上げた。
「それはシーナのことですか?」
「名前など知らん。とにかくあのような者は軍主殿に悪い影響しか与えまい」
「そのようなことはありませんよ」
マッシュの返答に、レオンの厳しい顔が更に不機嫌を帯びた。
「天流殿は覇者たる者。あんな馬鹿な子供と慣れ合わせてどうする!」
「シーナは決して馬鹿な子供ではありません」
至って真面目に事実を伝えたのだが、レオンは不信も露に鼻で笑った。
レオンの目にはシーナは軽薄で浅はかな子供としか映ってはいない。
「お前も解っているはずだ。天流殿は我々のような者にとっては理想を具現した方。私はあの方の作る新たな王国には久しく抱かなかった期待すらしている。あの方ならばトランのみならず世界の覇王にも成れよう。頭の悪いただの子供が気安くして良い方ではない」
そう、解っている。
誰よりも天流と深い信頼関係を築いたのは自分なのだ。
天流・マクドールという存在の大きさ、その影響力の強さは常に傍に仕えるマッシュには解り過ぎるほど解っている。
しかし・・・。
(それでは、何も変わらないのですよ)
足音も荒く去って行くレオンの後姿に、心の奥でそう呟いた。
■■■■■
「ティエン殿、折り入って話があるのですが・・・」
とっくに日が落ちた時間帯、ルックやシーナと共に入浴と夕食を済ませた天流が自室に入って間もなく、マッシュが部屋に訪れてそう言った。
天流はマッシュが来ることを見越していたかのように頷くと、彼を部屋に招き入れた。
「カスミやクリン達に帝国領を探らせていたのですが、どうもこちらの情報が漏れているようです。スパイの存在はもはや疑う術もありません」
「うん。仲間を疑うのは心苦しいけれど、これ以上放置していると解放軍に害が及ぶ。炙り出すかい?」
「いえ、いたずらに軍の内部を掻き乱すのは得策ではありません。カシム・ハジルの件は私に策があります。ティエン殿、明日の訓練は私の指示通りに軍を動かしたいのですがよろしいですか?」
「マッシュの望むとおリにして良いよ」
マッシュを映す琥珀色の瞳には、全幅の信頼があった。
例えマッシュが言葉に嘘を乗せたとしても、天流は疑いもしないのだろう。
そしてそれは、マッシュも同じだった。
改めて、この少年に仕えることの喜びを噛み締める。
「ティエン殿」
ふいに声の質が変わった。
先ほどまでとは違う雰囲気に、天流は不思議そうにマッシュを見上げる。
「ティエン殿はこの戦争が終わった後、どうされますか?」
それは、これまでにも何度となく問い掛けてみたかった質問だった。
厳しい状況の中、戦争の終結への道が遠く霞んでいた頃には憚られていたのだが、いつかは問い質さねばならないこと。
「マッシュは、どう思う?」
返ったのは答えではなく問い掛けだった。
マッシュは少し戸惑いを見せたが、天流との間に偽りなど必要ないと率直な意見を語る。
「私の意見としては、貴方はこの国に留まるべきではないと考えます」
はっきりとトランを出ろと言われたにも関わらず、哀しみも怒りもなく天流は静かに頷いた。その様子から彼もマッシュと同じ思いなのだと解る。
そんな潔い姿に、マッシュの胸に鋭い痛みが走った。
――やはり、何もかも解っていらっしゃる・・・。
「貴方は完璧であり過ぎた」
普通ならば褒め言葉であるはずの言葉が、痛ましげに紡がれた。
一瞬苦しげに歪んだ表情は、すぐに苦笑いに変わる。
「僕は完璧でなくてはならなかった。生半可な気持ちでは、この軍をまとめることなどできない」
解放軍をまとめ、赤月帝国を倒すためには何よりも強い存在が必要だった。
帝国軍と解放軍の確執はもちろんのこと、人間とエルフ、コボルト、ドワーフという種族間の確執も深い。
多種多様の価値観を持つ彼らをまとめるには、絶対的な存在でなければならなかった。
申し分のない程にその役目を務めた天流は、あまりにも完璧であり過ぎたのだ。
今や天流・マクドールは神格化されてしまっていると言っても過言ではない。
レオンに理想の具現とまで称された天流は確固たる信念を持ち、なにごとにも揺るがない強い意志を宿す少年だ。
人の上に立つことが当たり前のような至高の存在に仕えることは、自分達のような者にとってはこれ以上望むべくもない。
「この戦争が終われば、誰もが貴方に新たな王国を治めてほしいと望むでしょう」
「だけど、それでは何も変わらない。僕達は”解放”軍であって、トランを支配するつもりなどないのだから。民は自分で考え、自分達の力で国を良くしていかねばならない。僕達はその布石を築くだけだ」
指導者の命令に従うのではなく、自分達の手で国を作ってほしい。
どんなに支持率が高くても天流が国を治めることは、君主が変わるだけで赤月帝国と何ら変わらない。
しかし何よりもマッシュが心を痛めているのは、天流・マクドールという一人の少年が犠牲になることだ。
彼がまだ年端もいかない少年であることを本当に理解している者が、いったいどれほどいるのだろう。
最も側に仕えるマッシュですら・・・いや、マッシュだからこそ天流を子供扱いなどできない。解放軍のリーダーとして仕えなければならないのだ。
そんな中で天流を普通の少年として扱うのが、天流の家族とレオンが疎んでいたシーナとルックの二人。
マッシュは彼らには感謝すらしていた。
度重なる近しい者の死に、多くの命を背負う重責に傷付き疲れ果てた心が、彼らによって支えられているのは確かだ。
「この戦いが終わったら・・・旅に出るつもりだ」
視線を窓の向こうの夜の闇に向け、ぽつりとそう言った。
「旅に、ですか。どちらに?」
「それは解らない。でもテッドのように世界中を回ろうと思う。彼の足跡を辿って・・・」
いつかはテッドの生まれた村を見つけられれば、とも思う。
背負わされた辛い運命を嘆くでもなく、哀しむでもなく、淡々と受け止めて。ただ前を見据える。
「共に行きたいと言いたいところですが、私では足手まといになりますね」
穏やかな声に笑いが含まれる。
マッシュの言葉に天流はきょとんとした顔で振り返った。
「マッシュは新しい国に残るんじゃないの?」
「おや、何故そう思われます?」
「出来たばかりの国は不安定だ。マッシュのような優秀な人材は必要だろう」
「そうですね。ですがそれは早い段階で基盤を整えれば問題はないでしょう」
国を作る前に、これから生まれる新しい国を率いる人材を決める。
幸いにも元帝国軍は充分に統制ができている。彼らを中心として解放軍から、そしてトランの民から選んで国の中枢に据える。
すぐに自分の力など必要なくなることだろう。
マッシュはいつまでも新しい国に関わるつもりはなかった。
「私は貴方の軍師ですよ、ティエン殿。貴方だけの。他の者に仕える気はありませんし、貴方以外のために働くつもりもありません。貴方は私の唯一の主なのですから」
唯一人の軍主のためにしか能力を使う気はない。
熱烈な愛の告白にも似た言葉に、天流は目を丸くした。
「私は家に帰りますよ。貴方が旅の途中にトランに立ち寄った時、私に会いに来やすいでしょう」
「・・・うん、そうだね。トランに来れば、真っ先にマッシュの家に行くことにするよ」
曇りのない澄んだ瞳が真っ直ぐにマッシュを見つめる。
「僕の軍師もマッシュだけだ。僕は貴方以外の者を自分の軍師に選ぶことはない。貴方だけが、僕が選んだ人だから・・・」
そう言って微笑んでみせた天流の表情は、とても綺麗なものだった。
この笑顔を守るためならば。
彼の信頼に応えるためならば。
それがどんな道であろうとも。
どのような辛酸を嘗めようとも、全てを引き替えにしてでも。
「まるで愛の告白のようだね」
いつだったか聞いた覚えのある台詞が、ほんのりと頬を染めた天流の口から出た。
二人はどちらからともなく笑い合う。
和やかな雰囲気の中、マッシュは一旦目を綴じるといつもの冷静さを身に纏った。
「ティエン殿、この先の戦いは、今までよりも苛酷なものになります。この私は、戦いに勝つためにはどんなことでもしましょう。それが、どんな犠牲を払うことになっても・・・」
「マッシュ・・・」
言葉の奥に潜む強い決意の色は、どこか悲壮なものすらあった。
全ては、解放軍の勝利のために。
いや、天流のために、と言うべきか。
帝国の圧政から民を解放するために戦う解放軍。
しかし、自分は解放軍から天流を“解放”するために戦っているのかも知れない。
そう、感じた。
「それではティエン殿、明日に備えてゆっくりとお休み下さい」
軽く一礼し、マッシュは扉へと向かう。
その背に天流の静かな声が届いた。
「おやすみ、マッシュ」
扉の前で振り返ったマッシュは、「おやすみなさい」と優しく微笑んだ。
この翌日、解放軍はモラビア城へと攻め込んだ。
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マッシュ坊第2弾♪ ルックが出ないのは珍しいですね(苦笑)。
とにかく今回はマッシュ坊ラブラブでした♪ 今のうちにラブっておかないと…(汗)。
次回はソニアさん登場。でもやっぱりマッシュ坊なような・・・(笑)。
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